MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 29 - シュエダゴン・パゴダで、フォーさんと。(1987年5月8日/8日め)

1987年5月8日 シュエダゴン・パゴダで、フォーさんと。(ビルマ・ラングーン)


1987年5月8日(火)- 8日め


Kさん、Sさんと食事を終え、
ここでいったんお別れしました。
私たちには、ラングーンで、
会わなければならない人がいました。
それは、フォーさんです。


覚えておいででしょうか。
初めてビルマに着いて、
ラングーン市内をウロウロしているとき、
私たちに日本語で話しかけて、
ビルマ料理をごちそうしてくれた男性を。


そのときの日記です。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 1 - バンコクからラングーン、そしてマンダレーへ。(1987年5月1日-2日/1日め-2日め)

駅のホームで見送ってくれたフォーさんと、「6日後、ラングーンに戻ったらまた会いましょう。」と約束しました。


今日は、その「6日後」です。
でも、携帯もメールもない時代。
そのうえ、先のことはわからない、
気ままな二人旅でした。
何時にどうやって、
ラングーンのどこに戻ってくるのかも
決まっていなかった私たちは、フォーさんと
どうやって会えばいいのでしょうか…。


フォーさんは私たちに、こう言い残しました。
「駅から近い**公園に売店があります。
 待ち合わせの場所を紙に書いて、
 売店の人に渡してください。
 ボクは、毎日公園に行って、
 メモがあるかどうかを尋ねます。」


えーっ😮
そんなアバウトな…。😅😅
でも当時はそれしか、
連絡を取る方法がありませんでした。


ラングーンで、Sさん、Kさんと食事し、
お別れした後に向かったのは、その**公園。笑
夫と相談し、半信半疑で、
「私たちはシュエダゴンパゴダにいます。」
と書いたメモを、売店の人に渡しました。


このあと、どうやって移動したのか、全然覚えていません。でもどうやら、シュエダゴンパゴダまで歩いていったようです。2.5キロくらいあるんですけどね。^^


【シュエダゴンパゴダパゴダ】
ラングーン(現在のヤンゴン)観光と言えば、パゴダ観光は絶対にはずせません。なかでもシュエダゴンパゴダはビルマ最大の聖地で、黄金の光を放つ仏塔(パゴダ)は、ローカルも外国人も一度は必ず参拝する超有名スポットです。
シュエダゴンパゴダは、ヤンゴンの中心から1キロほど北、小高い丘の上に、シュエダゴンパゴダが望めます。ミャンマー仏教の聖地として、古くからこの国の人々に守り崇められてきました。中でも黄金に光り輝くパゴダは、歴代の王を始めとする人々の寄進により、まばゆいばかりにきらめき続けています。パゴダの頂部は、5,448のダイヤモンド、2,317のルビー、サファイア、および他の宝石、1,065の金色のベルで装飾されていて、そのトップには76カラットのダイヤモンドが飾られているのだそうです。たくさんの宝石が飾られているのは、人々のパゴダへの深い信仰心の現れです。日中は陽の光に照らされて、パゴダはきらびやかに輝きます。ラングーンでは必見のスポットです。


入口で、外国人はシュエダゴン・パゴダの入場料を支払います。当時いくらだったか覚えていませんが、現在は8ドルくらいのようです。当時のチケットは、色画用紙にガリ版刷りしたようなものでした。今見返すと、入場するときにパンチされたあとが残っていました。^^

パゴダの入口で裸足になって、大理石でできた冷たい床の上をペタペタと歩きました。^^ 目の前にそびえる、巨大なパゴダ。

パゴダの左側。

パゴダの右側。


「ビルマ最大の聖地」だけあって、
全国からお参りに来た大勢の人々が、
パゴダの中を行きかっていました。
「こんなに広くて、大勢の人がいるのに、
 フォーさんと会えるのかな…?
 ほかの場所の方がよかったかも。」
と、MIYOが言ったときです。


「いたよ。」と夫が言いました。見るとそこには、私たちを探しに来たフォーさんの後ろ姿がありました。


「フォーさあああん!
 フォーさあああん!」


夫とふたり、精一杯の声を出して、
フォーさんの名前を呼びました。
フォーさんが振り向いて、
こちらに向かって歩いてきます。


フォーさんに、会えました…。


「6日後、ラングーンに戻ってきたら、
 また会いましょう。」


と約束したけれど、
通信手段の乏しい頃だったので、
本当に会えるかどうかは、
心もとない気持ちでした。


でもフォーさんは、私たちが預けたメモを見て、
ほどなく、ここまで来てくれました。
きっと、
「ボクにメモは来てない?」
と、公園の売店に、
毎日、行ったんだろうなあ…。
もしかしたら、一日に何度も。


フォーさんに会えた。
本当に会えた。
うれしくて、涙が出そうでした。


フォーさんといっしょに、シュエダゴン・パゴダを見上げました。

青空の下、燦然と輝いていた、シュエダゴンパゴダ。

当時夫が買った絵葉書の、シュエダゴン・パゴダ。

そして現在の、シュエダゴン・パゴダ。(画像をお借りしました)


(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する