MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 1 - バンコクからラングーン、そしてマンダレーへ。(1987年5月1日-2日/1日め-2日め)

1987年5月2日 夜行列車に乗って、ラングーンからマンダレーへ行きました。(ビルマ・ラングーン)


突然ですが、
ビルマの旅日記を書こうと思います。爆


「なぜ急にビルマなんだ。」
「カンボジアはどうなったんだ。」
と叱られそうですが…。(スミマセン)
ずうっとカンボジアのことを書き続けたので、
ここでちょっとお休みして、
ビルマのことを、書いてみたくなりました。


これまで書いてきたベトナム・カンボジアから、舞台はさらに西へと移動します。ビルマ(現在のミヤンマー)の首都ラングーン(現在のヤンゴン)は、バンコクから西へ837㎞のところにあります。


アンコールワットの第三回廊で、
下界の景色を眺めたときのことです。
その瞬間に、なつかしく思い出したのは、
ビルマ・パガンのことでした。
私のとなりで、夫も、
「パガンに行ったときみたいだ。」
と…。
第三回廊の「王のバルコニー」で、
夫も私も、くしくも、
同じ日のことを思い出していました。


あの日、パガンで。
寺院の上から下界を見渡した日の思いは、
以来37年間、ずっと心に残っていて、
消えることはありません。


ベトナム・カンボジアの旅から帰国し、
このところずっと、
アンコールワットの日記を書いてきましたが、
第三回廊の日記を書き始めたとたんに、
私の頭の中で浮かんでは消えていったのは、
やはり、あのパガンの風景でした。


そんなわけで、懐かしいビルマの思い出を、
書きたくなりました。
37年も前のことを、今さら書いてしまって、
スミマセン。
昔のことなので、
写真もあまりきれいではないのですが、
お読みいただき、こんな国もあったのだな、と、
いっしょに楽しんでいただけたらうれしいです。


1987年5月1日(金)- 1日め


リタイアした今と違って、
当時は夫婦共に会社員でしたから、
海外旅行というと、たいていは、
GW、夏休み、年末年始と、
費用がばか高くなる時にしか行けませんでした。


このときの旅も、GW真っ只中の出発でした。
当時、日本からビルマへの直行便はなく、
まずは成田からバンコクへ向かいました。
バンコクで一泊してから、
さらに翌日、ビルマ行きの飛行機に乗る、
という計画です。


タイ航空で行きました。(MIYO27歳、多動夫29歳🤣)


バンコクに到着し、
ホテルにチェックインしたのは夕方ごろ。
そしていきなり屋台へ。🤣
当時、「タイの屋台料理」は、
日本ではなかなか食べられなかったので、
バンコクに着いたらいつも、
とにかく屋台に直行でした。笑


大好きな、センヤーイ ナムを食べてます。笑


1987年5月2日(土)- 2日め


午前中に少し時間があったので、
さくっとバンコク市内観光。


ランブータンやドリアンを、小さな女の子が売っていました。かわいいね。^^

なぜか、ヘビのショーなんか見て…、🤣

そのあとは、お船に乗って…、

ワット・アルン(暁の寺)。

王宮が、少しだけ見えました。

水上バスには、お坊さんも乗っています。

ホテルに戻ってお昼ごはんを食べたら…、


いよいよビルマに出発です。
今回は過酷な旅になるとわかっていたので、
旅行カバンではなく、
私も夫も、大学時代に使い込んだ、
バックパックを背負ってきました。


出発する直前に、旅行会社の鈴木さんが、ホテルまで来てくださいました。この一年前、初めてタイに来た時にお世話になった方です。赤ちゃんが生まれたと聞いていたので、お土産に子ども服をお持ちしました。

そして飛行機に乗り、おっかなびっくり、首都ラングーンに到着。

市内に高いビルなどはなく、パゴダばかりが目立っていました。

金色に輝く、シュエダゴン・パゴダ(Shwedagon Pagoda)です。


【シュエダゴン・パゴダ(Shwedagon Pagoda) 】
ミャンマーのヤンゴン中心部に存在する寺院(パゴダ)です。釈迦および釈迦以前にこの世に現れた3人の菩薩の遺体の一部が納められていると信じられていることから、重要な聖地とされています。6世紀から10世紀の間に建立されたと考えられていますが、地震によって幾度も破壊されており、現在の仏塔の原型は、15世紀ころに成立したようです。1608年、ポルトガルの探検家フィリプ・デ・ブリト・エ・ニコテがシュエダゴンを略奪した記録があり、第一次英緬戦争中には、イギリスが上陸し、シュエダゴンを奪取・占領し、以後2年間、ストゥーパ(仏塔)を要塞にしました。
さまざまな歴史に翻弄されながらも、シュエダゴン・パゴダは残され、現在も、ミャンマーの人々の信仰の象徴となっています。


街の中心部ですが、のどかな雰囲気。ロンジーを付けた女性がのんびりと歩いていました。

夕暮れ時、街の中を歩いていたら、いきなり日本語で話しかけられました。それが、フォーさんとの出会いでした。

ロンジー姿が決まっていた、フォーさん。日本語を勉強しているとのこと。会話の練習がしたくて、私たちに話しかけたのだそうです。

「ビルマ料理を食べたいですか?」と訊かれ、食堂に連れて行っていただきました。

街の中にあった、普通の食堂です。当時、ビルマはほぼ鎖国状態で、外国人はほとんど見かけませんでした。なので、私たちのことが珍しかったようです。私たちを見ようと、いろんな人がお店までのぞきにやってきました。笑

このときにいただいたのは、「オンノカウスエ」という、ココナッツスープ麺。フォーさんがごちそうしてくれました。

オンノカウスエ(Ohn no khao swè)です。(画像をお借りしました)


食事の後は、フォーさんといっしょに、
ラングーン駅まで歩きました。
夫が作ったスケジュールでは、
この日は、ラングーン(現在のヤンゴン)に
泊まることになっていました。
でも駅に着いてみると、運よく、
マンダレー行きの列車のチケットが買えたので、
急遽、予定変更。
ラングーンには泊まらず、
そのまま夜行列車に乗って、
マンダレーまで行くことに…。


ホームで、フォーさんが見送ってくれました。

「6日後、ラングーンに戻ったらまた会いましょう。」と約束して、出発。

1等車なので、一応、シートにカバーがかかっています。窓の外は真っ暗でしたが…、

どこかの駅に停まるたびに、窓越しに食べ物を売る子どもたちが集まってきて、「イエー! イエー!(水、水はいかが?)」と叫んで大にぎわい。トレーに載せた、緑色の包みは駅弁です。^^

私たちも買ってみました。バナナの葉っぱに包まれたものを開くと、黄色いおこわと鶏肉が入っていました。(8チャット)

おいしかったです。^^

夜も更けて、お休みタイム。私たちのことが気になって、なにかと話しかけてきたボクも、ぐっすり眠っていました。

↑これは夫のバックパック。置き場所がなくて困っていたら、ボクが自分の前の場所を提供してくれました。^^


ラングーン(ヤンゴン)からマンダレーまでは、急行で12時間。夜6時に出発した列車は、北へ向かって走り続けました。

どうでもいいことなのですが、この地図、すごく楽しい。笑 結婚して40年。その40年間で、夫といっしょに歩いたところに丸つけてみたら、こうなりました。(このふたり、アホちゃうか?って言われそうですが…。😅)


東京からバンコクに行き、
翌日はラングーンに飛び、
そこからいきなり夜行列車で、
マンダレーに移動です。
多動夫が企画する旅は、
今も昔も、とにかく忙しい。😂😂


このときの旅では、
バンコクで乗り継いだので、
ビルマに滞在したのは、8日間だけ。
飛行機で移動した日を除くと、
ビルマを観光できたのは、実質7日間。
その7日間で、
「当時外国人が行くことを許されていた所を、
 ほとんど歩いてしまおう」
というのが、夫の計画でした。
(↑昔から、やってることが変わりませんね…。😔)


そんなわけで、
ビルマ国内を駆けずり回った8日間。
なにもかもがめちゃくちゃでしたが、
その後の37年を全部振り返ってみても、
「いちばん楽しかった旅は」と尋ねられたら、
やはりこのビルマでの8日間だったと、
言わざるを得ません。


鎖国状態で、モノはなにもなかったけど、
あの頃のビルマは、ほんとうに、
「天国にいちばん近い国」でした。


人生で最高に楽しかった旅の、
全日程はムリですが、ほんの一部だけ。
「ラングーンからパガンまで」だけでも、
当時を思い出しながら、
書いてみたいと思います。


(つづく)

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