MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 27 - 福祉冷水店とヤミ市(1987年5月8日/8日め)

1987年5月8日 ラングーンで会った男性と。ビルマでロンジーを着けていない人を初めて見たように思います。(ビルマ・ラングーン)


1987年5月8日(火)- 8日め


木製の固いベンチで一夜を過ごし、
眠ったかどうかよくわからないうちに、
朝になりました。


窓の外に、列車が見えます。
ラングーンに到着です。


列車を降りて、あちこちをうろうろしながら、写真を撮る多動夫。笑 貨物列車が停まっていました。

こんなのも見えました。^^


これまで歩いてきた、
マンダレー、パガン、ニャウンシュエとは、
まったく異なる、「都会」のラングーンが、
目の前にありました。
このとき、今までの自分たちが、まるで、
「不思議ワールド」にいたような気がしました。
このときは、です。


日本に帰って、日本の普通の生活に戻ると、
ラングーンもまた、
「不思議ワールド」のひとつだったと、
実感するんですけどね。


これまで5日間歩いてきた町にくらべると、
まるで別世界のようだった、ラングーン。
今までとは違った空気なのが楽しくて、
私も夫も、
駅のまわりをウロウロと歩いてみました。


人だかりがする場所があったので、のぞいてみました。ここだけを見ると、なにかのお役所の窓口のようです。

掲げてあるパネル、当時は読めなかったのですが、今なら、グーグル先生が読んでくれます。


それによると、
 福祉冷水店
 涼しい 甘い 甘い
 応援に来てください
  (リフレッシュに来てください、か?)
 すべてを取り除きなさい
 (意味不明)
…だそうです。


この頃、ビルマでは、
一般の家庭に冷蔵庫がなかったので、
(もしかしたら今でも?)
冷たい飲み物は貴重品でした。
私たちも、お店で飲み物を買うときは、
冷えていない、常温の物を飲んでいました。


でもここには、どうやら、
「共同冷蔵庫」のようなものがあり、
ここに来ると誰もが、冷えた飲み物を
購入することができたのだと思います。
多くの人の行列ができていたのは、
冷たい飲み物を買うためだったんですね。^^


福祉冷蔵庫。
今もあるのかな、と思い、調べてみました。


ヤンゴンにおける冷蔵庫の普及率は、約30%。
テレビの普及率は、80%程度。
(㈱クボタのサイトから参照しました。)
テレビより冷蔵庫の方が普及率が低いんだ…。😮


衛生面から考えても、
冷蔵庫の方が先なんじゃないか。
…というのは、たぶん、日本人的な考え。
生鮮品は、必要な時にいつでも、
市場に行って買えばいいし、
冷たい飲み物は、別になくても困らない。
けれどテレビがあれば、夜出かけなくても、
家族全員で、家の中で楽しめる。


お金があったら、まず買いたいものは、
冷蔵庫より、娯楽なんだなあ…。😮


今の日本では、冷蔵庫は必需品。
まとめ買いして冷凍することも多いですよね。
そして、「テレビは必要ない。」と
考える人も、増えてきました。
日本とビルマの、彼我の違いに、
あらためて考えさせられました。


道端に座り込んで、占いをやっている男性。どんな占いがでるかと、通りがかりの人も興味津々。相談者のプライバシーはないですね。🤣


駅の周囲の通りでは、
たくさんの人が、地面に布を広げていました。
1m四方くらいの布の上に品物を並べて販売する。
つまり、露天商です。^^


さすがラングーン。
モノが豊富にあるんだな。
…と思いました。
どんなものを売ってるのか知りたくて、
ひとつひとつを見て歩きました。
(こういうの、大好き。😄)


ボールペン、ノート、人形、
おもちゃ、カトラリー、バッグ。
…と、まあこんなものが、
それぞれのお店の布の上に並んでいたのですが。


不思議なものを見ました。


「ねえ、あれ見て。」
と言われて見た夫も、あっけにとられました。


そこにあったのは、フィルムケース。


コレです。(画像をお借りしました)


おぼえていますでしょうか。
昔(この当時は)、写真はフィルムで撮っていて、
そのフィルムは、
プラスチックのケースに入っていました。
撮り終わったらケースに入れて保管し、
そのまま、現像のお店に出しましたよね…。
そのフィルムケースが、道端に広げた布の上で、
山盛りになって、売られていたのです。


こういうのが山盛りですよ。こんなの初めてみました。🤣(画像をお借りしました)


み「えええええええ。
  これ、売り物になるの?」
夫「いったい何に使うんだろう…。」
(↑使い道のないモノをさんざん買いまくってきたあなたがナニを言う。🙄)


あのころ、ビルマでは、
農産物や手作り品以外のもの
(要するに、「工業製品」)が、
とにかく不足していました。


ビルマの人々がそんなに写真を
撮っていたとも思えません。
だから、おそらくですが、
旅行者が置いていくフィルムケースを
集めて売っていたのではないでしょうか。


用途としては、なにかの物入れとか?
小銭とかサプリとか調味料とか、
小さい物を入れて密閉できるので、
便利に使っていたのかも…。


日本では、このような「簡易スイッチ」を作成するときに、フィルムケースを利用する方が今でもいらっしゃるそうです。


今ならネットオークションで、
フィルムケースがたくさん出品されていますが、
当時はそんなものはないし、
フィルムケースを取っておくことは
あまりなかったと思います。
なので、
「道端でフィルムケースを売る」のを見て、
目が点になりました。


で、次にMIYOが考えたことは…。
「私たちも売ろう。✨」
ってことでした。🤣


旅行中、撮りためた写真のフィルムは、
ケースに入れて夫が持っていたのですが、
中のフィルムだけを残して、
そのケースをまとめてみました。
全部で13個。


そのケースを手に持ったままで、
「これ、売るの? ほんとに?」
と、夫が不安そうに突っ立っていたら、
通りがかった男性Aが、
めざとく見つけてくれました。


A「売るの?」
夫「う、うん。」
A「いくら?」


しまった。
値段を決めていませんでした。🤣


夫「えと。い、1チャット?」
(ここから、本当の価格を忘れてしまったので、
 全部、値段は適当です。)
ここで、男性Bが登場。
B「なんだ、それならオレは2チャット出す。
  そのかわり、今持ってるの全部売って。」


ここからがたいへんでした。
通りがかる人がどんどん「競り」に加わって、
売値がつりあがっていきます。
いつのまにか、私たちの周りに、
人垣ができてしまいました。🤣


最初はおどおどしていた夫も、
すっかり調子づいてしまって(アホ)、
「さあさあ、13個まとめて、100チャットだよ。
 誰か買わない?」
なんて大きな声でまくし立てていました。爆


でも一同、ここで黙ってしまいました。
さすがにそれは高いだろう、と
MIYOも思ったのですが。
しばしの沈黙のあと、


「買った!」
という声が…。


見ると、人垣の後ろの方から、
ひとりの男性が前に出てきました。


フィルムケース13個を競り落とした男性と。この道路には、たくさんの露天商がいました。


ほんとうはいくらだったか、
全然覚えていません。
でもたしか、1個あたりが20円以下。
そんなものだったろうと思います。


お買い上げ、ありがとうございました。^^


へえ…。😮
こんなものが売れちゃうんだ…。
驚いたMIYO。


「じゃあ、もしかして、こんなのも売れる?」
と、バッグから恐る恐る出したのは、
花柄のハンカチ。


人垣の前にそれを差し出すと、
「3チャット!」
と声がかかり、瞬時に売れました。笑


「じゃあこれは?」
次に出したのは、小さなコインケース。
これも売れました。


タイで買った、カルチェの名刺入れは、
けっこういい値で売れました。
5ドルくらいだったかな?
もちろん偽物の安物です。^^


「バッグから、次はなにがでてくるのだろう?」
と、みんな、じっと見ています。笑


こんなふうにして、ボールペンとか、
ペンケースとか、ストッキングとか、
どんどん売れて行きました。


マンダレーではココさんに、
ニャウンシュエではおじいちゃんに、
ずいぶんプレゼントしたあとだったので、
余計なものはほとんど残っていなかったのですが、
ここでさらに、持ち物がなくなりました。爆


そろそろ売り物が尽きたころ、
遠くで誰かが叫びました。


その声と共に、私たちのまわりにいた人は、
クモの子を散らすようにいなくなりました。
あっけにとられていると、
通りの向こうから制服を着た係官が
数人で歩いてきました。


そのときには、通りに布を広げて
物を売っていた人々も、
ひとり残らずいなくなっていて、
影も形もありませんでした。


おもしろかったのは、物売り用の敷布です。
布の四隅にヒモがついていて、

こんなふうになっているのです。


手入れが始まると、
ヒモの交差部分をつかんで立ち上がるだけ。
布は瞬時に袋状になり、
売り物もその中に全部収まります。
「手入れだ!」
という声を聞いたら、誰もが1秒で、
全財産を持って逃げられるようになっていました。


「手入れ」
そうです。
この道路の地面は売り物であふれていましたが、
それらは全部、「勝手商売」。
つまりここは、「ヤミ市」だったのです。


そんなことも知らないで、そのど真ん中で、
競り市をやってしまった私たち。
下手をすれば、私たちもつかまっていたかも。😅
コワいもの知らずとは、まさにこのことですね。
(アホとも言う。)


ついさっきまで、大勢の人でにぎわっていたのに、
人っ子ひとりいなくなってしまったヤミ市通り。
なにが起こったのか理解できず、
ボー然としている私たちには目もくれず、
3人の係官が、悠然と通り過ぎていきました。


(つづく)

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