MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 33 - アンコールワット⑥ 第一回廊(歴史回廊)(2024年1月17日/6日め)

2024年1月17日 アンコールワット・第一回廊西面南側で。ここから、第一回廊南面に入ります。(カンボジア・シェムリアップ)


1月17日(日)- 6日め


第一回廊西面南側で、
マハーバーラタの世界を堪能しました。


第一回廊西面南側です。


回廊のつきあたりまで歩き、
そこから左に曲がりました。


左側が、ここまで歩いてきた、第一回廊西面。ここからは、第一回廊南面に入ります。

この角から見た、外の景色。十字型テラスと、中央部の入口です。大部分の人は、ここから伽藍に入ります。

「お~い。」


さて、第一回廊南面西側は、
「歴史回廊」と呼ばれています。
そこに描かれているのは、
「創建者スーリヤバルマン2世の行軍」
です。
行幸するスーリヤバルマン2世と、
それに従う王師、大臣、将軍、兵士などが
壁一面に彫られています。


この、スーリヤバルマン2世こそが、
ほかでもない、
このアンコールワットを造った人でした。


【スーリヤバルマン2世】
アンコール朝第18代目の王で、その在位(1113年~1150年頃)中に、30年という年月をかけてアンコール・ワットを建設しました。副王時代には、現在のタイにある、ピマーイ遺跡も建設しています。
スーリヤヴァルマン2世の治世は、国内各地の敵対勢力と争い、国外では、西のタイ、東のベトナム、そして南のチャンパとの争いが続いていました。そうした中で、1145~1149年には、チャンパ王国を支配しています。第一回廊に刻まれているスーリヤバルマン2世の行進は、その、勝利に輝いていたころのものであると思われます。


このエリアのテーマは、
「スーリヤバルマン2世の偉業」です。
近隣諸国への遠征を繰り返し、領土を広げた、
勇敢な王の姿が描かれています。


MIYOの頭の上に、玉座に座るスーリヤバルマン2世が描かれています。(2010年7月26日)

スーリヤバルマン2世の部分を拡大してみました。

この写真だと、もっとわかりやすいですね。この頃は、「日傘の数が多いほど、高貴な人」とされていたのだそうです。そして、右下に座っている人をご覧ください。(画像をお借りしました)


上の絵は、王が軍に
進軍を命じているところなのですが、
王の前に座っている人がいます。
この人は、「占い師」です。
戦いの行方を占い、それを基に、
軍を勧めるかどうかを、王が決定していました。


スーリヤバルマン2世の絵は、
他には現存しておらず、その姿は、
ここアンコールワットの壁画でしか、
見ることができないそうです。


戦象に乗って進む、スーリヤバルマン2世。やはり、日傘だらけです。三角の尖った帽子は、神の象徴だったそうです。

行進を先導する人々。高らかにラッパを吹き鳴らし、銅鑼を叩きながら進軍しています。

象の上で弓を構える将軍の姿も、生き生きと描かれています。

槍を持って戦車に乗る戦士。(2010年7月26日)

同じく、戦士と兵士たち。(2010年7月26日)

屋根がついた駕籠のようなものに乗って運ばれている人もいます。

下々の兵士たちは歩くしかないですね。😅

進軍する、クメールの兵士たち。

列の先頭(壁面の右端)に他の兵士たちとは異なる風貌の集団が描かれています。腰みののようなものを着けています。彼らは、シャム人傭兵のシャム・クック軍です。(2010年7月26日)

回廊の曲がり角の部分に残されている、レリーフ。


この曲がり角の内側には、
プリヤ・ポアン(千体仏の回廊)
と呼ばれるエリアがあります。


プリヤ・ポアン(千体仏の回廊)です。


【プリヤ・ポアン】
第一回廊と第二回廊の間にあります。ここには、南北に経蔵が建っており、十字回廊と繋がっています。プリヤ・ポアンには、信者から寄進された多くの仏像が供えられていたのですが、クメール・ルージュによって破壊されました。残された仏像も、今はほぼ撤去されており、現在は南側の壁沿いにその一部が残るのみとなっています。

また、中央付近の柱には、1632年にここを訪れた日本人、森本右近太夫が記した墨書が残されています。しかし、クメール・ルージュの統治期に墨で塗り潰されたため、現在では判読が難しくなっています。


プリヤ・ポアンから第一回廊に戻り、
南面をさらに進みました。
けれどこの先には、
オソロシイ世界が待ち受けていました。


いまここ。😅


(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する