MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 6 - チョロン七福神めぐり④(二府會館と麗朱會館)(2024年1月14日/3日め)

2024年1月14日 チョロンの麗朱會館で。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


チョロン七福神めぐり、
5軒めのお寺は、二府廟です。


⑤二府會館(二府廟) / ニフ会館 - Hội Quán Nhị Phủ / Nhị Phủ Miếu
*オンボン寺(Chùa Ông Bổn)とも呼ばれます。


二府廟です。門が閉ざされていたので、休館日かと思いました。でも、この塀の左側が切れていて、そこから入れるようになっていました。

「国家級歴史文化遺跡」と書いてあります。

敷地内に入ると、バイクがぎっしりと停めてありました。地元の人の駐輪場になっているようです。

バイクの駐輪場の奥に、ようやく見えてきました。二府廟です。


【二府會館(二府廟) / ニフ会館】
1730年に創建された、福建省出身の華僑による会館です。土地の守護神・福徳正神(Phúc Đức Chính Thần) を祀っています。幸せの守り神オンボンが祀られていることから、「オンボン寺」とも呼ばれます。ほかの会館と比べると、それほど派手ではなく、落ち着いた雰囲気のお寺ですが、柱には重厚な彫刻がなされています。


二府廟の、古い写真が飾ってありました。

1931年ごろの二府廟の写真です。上に掲載している、現在の写真とそっくりです。多くの戦禍を経ながらも、300年間、大切に守られてきたことがわかります。(以下3枚、画像をお借りしました)

当時の絵葉書になった写真です。

これも絵葉書で、「インドシナ」の切手まで貼られています。門前に並んでいるのは、人を乗せて運ぶカゴだったのでしょうか。

ふと思い出して、調べてみました。「こんぴらさん」で知られる、香川県琴平町・金刀比羅宮の「石段かご」です。「おさるのかご屋」として有名でしたが、後継者がなく、2020年1月で廃業となったそうです。

さて、お寺の内部です。奥に、渦巻線香が提げられているのが見えます。

アオザイの女性が入ると、絵になりますね。^^

屋根の装飾も見逃せません。

どうしても、「金太郎さん」を連想してしまう、私たち。(アホ)

紙のお金を燃やすための塔です。

火をつける前の渦巻線香が置いてありました。外観は、日本の蚊取線香と同じですね。^^


⑥麗朱會館 - Hội Quán Lệ Châu


6軒めは、麗朱會館です。


最初に訪ねた義安會舘からここまでは、
1キロ足らずです。
15分もあれば歩ける距離なのですが、
寄り道の多い私たちのことですから、
ここに着いたときには、
すでに2時間以上が経過していました。
ずうううっと、歩きっぱなしです。(アホ)


さて、6軒めのお寺に着いたようです。

塀のパネルには、「歴史的文化的遺産」と、ベトナム語で書いてありました。

麗朱會館です。


【麗朱會館】
ベトナム南部に有利な貿易を導入した金・銀細工職人や宝石商を称えるために設立された寺で、1892年から4年をかけて建立されました。当初は、労働者や宝石工場のオーナーのグループの先祖を崇拝する「祖先塔」だったのですが、その後さらに、同じ職業の華僑が合流しました。この会館は、移民コミュニティセンターではなく、商人によって、商人のために建てられたもので、他の寺院とは一線を画しています。
この集会所が最初に完成したとき、寺院は一時的に、「黄金総主教会」と名付けられました。 その後、大規模に修復され、鉄木の柱、陰陽瓦の屋根が建てられ、青銅のホールが作られました。


残念ながら、このときは、閉館(?)されており、中に入ることができませんでした。

中はこんなふうになっているようです。(画像をお借りしました)

ここまで、6軒のお寺を、こんなふうに歩いてきました。

チョロンで見かけたお店です。お正月飾りを満載しています。

西洋人と違って、日本人は、書いてある漢字がほぼ読めてしまうので、さらに楽しさ倍増です。^^

テト用の食べ物を売るお店もありました。これは「年糕(ねんこう/ニェンガオ/Niángāo)」というものだそうです。チーズみたいですね。^^


【年糕】
中国の旧正月(春節)に食べられる餅です。中国語で、一年成長したという意味の「年高」と読みが同じであるため、縁起物とされています。除夜に、神霊や先祖に祀られ、その後春節で食されます。この習慣は、紀元前の周の時代から始まったとされています。


そしてこちらは、發粿(hoat-kóe / 客家語=發粄 fat-pán)。


【發粿/發粄】
蒸しパンのような食感のものです。まずは、在来米(インディカ米)を液状にし、圧力をかけて水分を抜いて
、米粉(粿粞/クエツェ/kóe-chhè)を作ります。この米粉に、小麦粉、砂糖、酵母を入れ、発酵させたあとに蒸したものが「發粿」です。發粿には、「お金儲けや昇進ができるように」という願いが込められています。發粿の上面は斬り裂けた形ですが、この斬り裂けた跡を「笑い」の形と見立てています。蒸しあげると、上部の裂け方がさらに大きくなります。この裂け方が深く、大きければ大きいほど、いい事があり、大きく笑い、順調な生活が送れることを象徴しています。春節(旧暦の正月)の祀り事や、神々や祖先を拝む時などのお供え物として使われており、親しい人への贈り物にもなっています。


店頭に、テトのお菓子を積み上げているお店。一番下の左端に「ふじさんクッキー」と日本語で書かれたお菓子があります。ほかにも、日本語が書かれたお菓子があるので、おヒマな方は拡大して探してみてください。^^

日本を模したお菓子には、「富士山、五重塔、桜」のイラストを描くのが、お約束のようです。😄

外国人がみんな行きたがる「新倉富士浅間神社」の景色が、ベトナムではそのまま、お菓子のパッケージになっていました。(2023年2月7日 山梨県富士吉田市)

このときの日記です。
コロナでも静岡。土肥桜の下、春の訪れを待つ - 富士吉田、忍野八海、伊東、そして伊豆へ(2023年2月7日-9日)


チョロン七福神めぐりは、
次回が最後のスポットになります。


(つづく)

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