MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 7 - チョロン七福神めぐり⑤(チャータム教会と生地問屋街)(2024年1月14日/3日め)

2024年1月17日 チョロンの交差点で。たくさんのバイクが、すごい勢いで通り過ぎていきました。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


チョロン七福神めぐりをしています。


ここまでに、6軒のお寺を訪ねました。

⑤二府會館から折り返し、⑥麗朱會館のあるチャンフンダオ(Trần Hưng Đạo)通りに入ったところです。ここでは、これまでと違った光景を見ることができます。

通りには、同じようなお店が何十軒も、ずううっと続いています。

そのどれもが、アオザイの生地を売るお店でした。

お店の奥まで、アオザイ用の生地が山積み。笑 子ども用もあります。

チョロンには問屋が多いのですが、この通りは特に、生地の問屋街となっています。ホーチミンで売っているアオザイのほとんどは、このエリアから出荷されていくのではないかと思うほど、たくさんのお店で道の両側が埋め尽くされていました。

裾や胸になる部分に、大きな柄をあしらってあります。

すごいなあ…と、しばらく見とれました。


【チョロンの生地問屋街】
チャンフンダオ(Trang Hung Dao)通りを中心に、その界隈一帯には、布生地を取り扱う問屋が何百軒も集まっています。色とりどりの生地に、素材もさまざま。生地の販売だけでなく、オーダーメイドを受け付けてくれるお店も多数あります。アオザイを作りたいときは、ここでオーダーすると安上がりになるかもしれません。


たくさんの生地に圧倒されながら、
チャンフンダオ通りを進み、
⑥麗朱會館を訪れた後、
さらに通りを歩き続けると、
つきあたりにあるのが、チャータム教会
この「七福神めぐり」の、
最後のスポットになります。


「ちょっと待て。
 七福神めぐりなのに、
 なんでキリスト教会が含まれてるんだ?」
…というお叱りはもっともなのですが。😅


そもそも、「お寺めぐり」を「七福神めぐり」と
ネーミングしたことが、MIYOの造語なので、
この際、教会も入れちゃってください。
ってことで、よろしくお願いいたします。(アホ)
で、そのチャータム教会なのですが…。


こんなですよ。🤣🤣

「えっ これなの? これ、ほんとに教会なの? 場所、合ってる?」って、夫に訊いてしまったくらい。


どう見ても、中国のお寺さんです…。
それもそのはず。
ここはチョロンですから。🤣🤣
キリスト教会だって、タダではすみません。
ちなみに、このチャータム教会は、
「中国風の装飾が特徴のカトリック教会」
として、知られているのだそうです。笑


門をくぐると、たしかに、教会らしきものが見えます。これが、チャータム教会の礼拝堂です。


【チャータム教会】
ホーチミンのチョロン地区西部にある、ローマカトリックの教会で、1900年に創建されました。正式名称は、「聖フランシスコザビエル教会」。ミサは、ベトナム語と中国語で行われます。敷地内には、宿舎と幼稚園が併設されていて、時間帯によっては子供たちが行き交う姿を見ることもあります。ベトナム国内では、1963年に起きた、南ベトナム政権に対する軍部によるクーデターで、ゴ=ディン=ジェム大統領が殺害された場所としても知られています。(入場無料)


ほんとうは、礼拝堂の中に自由に入ることができるのですが、このときは修復工事中で、立ち入り禁止になっていました。

礼拝堂の手前、左側に見えているのは、フランシスコ・ザビエル像です。

そして礼拝堂の手前には、中国風の東屋があり、中にはマリア像が置かれていました。う~ん、すごいとりあわせです…。😮

東屋の中のマリア様です。ちらっと見えてる天井も、もちろん中国風。笑


さて、このチャータム教会ですが、
実はベトナムでは、別の意味で知られています。
それは、1963年に、このチャータム教会で、
ベトナム共和国(南ベトナム)の初代大統領・
ゴ・ディン・ジエムが殺害されたためです。


【ゴ・ディン・ジエム(1902年-1963年】
ベトナム北中部で、貴族の家の三男として生まれました。父親は、グエン王朝の高官でした。1933年、バオダイ帝の「親政」開始に伴い、フランス領インドシナの保護国(植民地)であった阮朝宮廷の内相に就任。第二次世界大戦の前後に亡命しましたが、1954年に帰国し、フランスの傀儡政権で会った「ベトナム国」の首相となりました。翌1955年に、フランスの傀儡で人気の無かったバオダイを国民投票で退任に追い込み、ベトナム共和国を樹立して、初代大統領となりました。反共産主義者だったジエムは、アメリカのバックアップを受け、ジュネーヴ協定に基づく南北統一総選挙を拒否。国内の共産主義者を始めとする反政府分子を厳しく弾圧しました。
1963年11月2日に、クーデターが発生しました。ジエム大統領と弟のヌー大統領顧問は、「チャータム教会」に逃げ込みましたが、反乱部隊により、頭部を撃たれて殺害されました。ジエム大統領とその一族が南ベトナムから姿を消したその当日、クーデターを首謀したズオン・バン・ミン将軍によって、軍事政権が成立しました。


ベトナムの政権が大きく変わった事件の、
その瞬間を刻んだ、チャータム教会。
それから60年がたちましたが、
教会の外観は、現在も、
ほぼその当時のままだそうです。


これで、「七福神めぐり」が終わりました。


「七福神」はテキトーなネーミングだし、
実際には、チョロンにはまだまだ、
お寺がたくさんあるし、
その中には、有名な寺院もあります。
が、全部周ろうとしたらキリがないし、
時刻はもう、12時を過ぎています。


そろそろお昼ごはんにしよう、ということで、
「七福神めぐり」はここまでとし、
行きたいと思っていた食堂に
向かうことにしました。


再び、生地問屋街のあるチャンフンダオ通りを歩いて戻りました。奥の方に、チャータム教会が見えます。夫がひとりで立っていますが、MIYOはどこに行ったかというと…、

交差点の中央で交通整理。…じゃなくて、怒涛のように通り過ぎるバイクの人々を写真に撮りたくて、こんなところで突っ立ってました。(アホ)

霊芝のアイスティーを売る屋台。このあたりには、漢方薬のお店が軒を連ねていました。

スイカは、1個12000ドン(約60円)。


このまま5分も歩けば、
目指す食堂に到着します。
でも、MIYOには、
寄りたいところがありました。


「七福神めぐり」をしていたときに、
偶然、市場を発見していたのです。
中に入りたかったのですが、このときは夫から、
「まずはお寺めぐりの方が優先でしょ。」
と言われ、そのまま通り過ぎてしまいました。


お寺めぐりも終わり、
「15分くらいなら、いいでしょ。
 お昼ごはんの前に、ちょっとだけ、
 市場を歩きたいんだけど。」
とMIYOが言いだしたので、夫も渋々同意し、
ここへ寄り道することになりました。


チョロンの中にある、フーンフン市場です。普通の路上に、テントやパラソルが乱立しています。


次回は、フーンフン市場の中を歩きます。


(つづく)

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