MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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全盲難聴・のんたんの冬休み 10 - お別れのクラッカー / MIYO家の年賀状1992(2024年1月3日/11日め)

2023年1月3日 最後にクラッカーを鳴らして、お別れしました。(全盲難聴・のんたん 28歳)


1月3日(水)- 11日め


長男の冬休み、11日めです。
とうとう、と言うか、ようやく、と言うか、😅
長男がS園に戻る日になりました。
いやあ、もう、疲労困憊です。😂


大人が4人も暮らしてると、洗濯物も多くて、
毎日、お洗濯に追われていました。
ごはんも、たいしたものは作っていませんが、
それでも作らないわけにはいかないし。


子育てに追われていた頃は、
こういうこと、毎日やってたんですよね…。
ただやみくもに、
がんばっていたような気がします。


でも、子どもたちが家を出て行って、
夫とふたりの気楽な生活に慣れてしまうと、
ほんの10日かそこらなのに、体力勝負の毎日が、
けっこうこたえるようになってきました。😅


それでも、この笑顔を見ると、がんばらないわけにはいきません。^^

大好きなよつ葉牛乳を抱いています。😄 この冬休みの11日間で、長女とふたりで、結局9本のよつ葉牛乳と3本の「普通の牛乳」を飲み干しました。笑

そういえば、長女がガチャで、「よつ葉牛乳」をゲットしてきました。ほんものそっくりです。笑

こんなの買って喜んでるなんて、どんだけよつ葉牛乳が好きなんだ、と笑えます。🤣

さて、お昼ごはんです。鮭とトウモロコシのまぶしごはん、カールレイモンのプレスハム、さつま揚げ3種、メンチカツとコロッケ、サラダ、お雑煮。


お昼ごはんが終わったら、長男は夫といっしょに、
S園に戻ることになっていました。
でもその前に、
「クラッカー、やりたいの。」
と言い出した長男。
前日、パセラから持ち帰ったクラッカーが
家の中にあるはずだと、
ちゃんとわかっています。^^


はい、どうぞ。😄

まずは、ひとつめ成功。この冬休みに、初めて、自分でクラッカーを鳴らせるようになったので、興味津々のようです。自分ひとりでできるようになったことは、やってみたいんですよね。^^

ふたつめ、やるよ~。

クラッカーの表面を調べて、シールで固定されているヒモを外します。そのヒモを引っ張ると…、

パン!と、クラッカーの音がはじけて…、

長男、うれしそうな笑顔を見せてくれました。


さて、もう出発する時間です。
「のんたん、冬休みはおしまいだよ。
 またお休みになったら、帰っておいでね。」


これでお別れだということは、長男もよくわかっていました。

楽しかったね…。^^


このあとはS園まで、
夫が長男を送って行きました。
長男が乗った車が出発したあと、まもなく、
なにかと手伝ってくれていた長女も、
自分の住まいに戻っていきました。


約2時間でS園に到着。玄関で、職員の方に引き継ぎました。


お別れの日は、いつもさびしいね…。
でも、また次の休暇で、
元気に帰ってきてくれるのを楽しみに。


こうして、長男の冬休みが終わりました。
家族4人で、いっきに駆け抜けたような、
11日間でした。


(おわり)


(おまけのお話)


1992年の年賀状です。
おヒマな方は、ご覧ください。^^


1992年の年賀状。ラオス・ビエンチャンの、仏教総主教宮(ワット タートルアン ヌア)で。(1991年9月3日 32歳と34歳)

ラオスでは、ルアンパバーンまでいきました。料理をしていたラオ族の女性の腰衣(手織り布)が美しくて、いっしょに写真を撮らせていただきました。

当時、日本からラオスに行く直行便がなかったので、タイを経由しなければなりませんでした。せっかくなので、そのついでに、バンコクからタイ東北部・ナコーンラチャシマまで行ってみました。写真は、クメール遺跡として知られる、パノムルン歴史公園(旧コーラート)です。(1991年9月6日 タイ・パノムルン/32歳と34歳)

同じく、パノムルンです。クメールの美しいレリーフが、今も多数残っています。

ナコーンラチャシマからバンコクに戻り、ワットポーへ。(1991年9月7日 タイ・バンコク/32歳と34歳)


2023年11月の旅で、バンコクに滞在し、
その折りに、ワットポーを訪ねてみました。
実に、32年ぶりです。
2回めのはずなのに、
以前訪れたときの記憶がほとんどなくて、
「ほんとに、前にここに来たっけ?」
などと、私も夫も、当惑しながら歩きました。


でも、この年賀状の写真だけは覚えていたので、
ホテルに戻ってから、PCで写真を確認。
夫に、この年賀状を見せながら、
「私たち、32年前に、
 やっぱりワットポーに来てるよ。
 全然、覚えてないねえ!」
と大笑いしました。
いったいどんな旅をしていたのやら。😅(アホ)

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