MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

全盲難聴・のんたんの冬休み 8 - 俺のおせちとすき焼きでごちそう三昧 / MIYO家の年賀状1990-1991(2024年1月1日/9日め)

2024年1月1日 お節とお雑煮を食べたあとは、クラッカーを鳴らしてゴキゲン。^^(全盲難聴・のんたん 28歳)


テレビで地震の報道を見て、
心穏やかでないお正月になりました。
日頃ムラゴンで、
ブログを拝見している方々のことを思い、
大丈夫でいらっしゃるかと、案じています。
大きな被害にならず、
一日も早く元の生活に戻られるよう、
願っています。


1月1日(月)- 9日め


冬休み、9日めです。
長男に、
「お正月のごあいさつは、なんて言うの?」
と尋ねたら、
「あけまして、おめでとうございます。」
と言ってくれました。


「すごい。のんたんが自分で、
 『おめでとう』って言ったよ。」
と、夫、長女といっしょにびっくり。
「おめでとうございます。」と、
家族4人でいっしょに言えた、
初めてのお正月です。^^


こんなふうに、長男の小さなひとつひとつを、
いつもみんなで喜び合っている、
単純なMIYO家です。笑
この日も、長男のおかげで楽しく、
おせちとお雑煮をいただきました。


おせちは、昨年と同様、「俺の」おせちを購入しました。「俺のおせち饗宴 2段重」(2~3人前 42品目)で、21409円でした。でも、「俺の」ポイントとアマゾンギフトを利用したので、タダでしたが。笑

「俺の割烹」料理長と「俺のフレンチ」シェフが監修した、和洋二段おせちです。

【一の重】
ローストビーフ、トリュフ塩、魚卵のマヨサラダ、キャビア、生ハム、ポークソーセージ、サーモンの彩りテリーヌ、アンデスポーク、レモンシロップ漬け、オマール海老にウニソース焼き、ブロッコリー(コンソメ風味)、キャロットラぺ、たらば風味かまぼこ、くるみ甘露煮、スモークサーモントラウト、塩メロン、ガトーショコラ、ミックスマリネ

【二の重】
イタリア産栗きんとん、焼印入り栗甘露煮、黒豆煮、親鶏のポン酢仕立て、鳴門金時芋レモン煮、昆布巻、味付焼筍、笹よもぎ餅、松前漬、あわび旨煮、ホッケつみれ、有頭海老、にしん柚庵焼、糸昆布酢炊き、子持昆布、源平なます、いくら、焼印入り厚焼き玉子、たたきごぼう、真鱈子旨煮、伊達巻、紅蒲鉾、白蒲鉾、若鶏の三色巻、湯葉の柚子煮

お雑煮といっしょにいただきました。

お腹いっぱい食べたあとは、クラッカーを鳴らしてゴキゲン。^^

そして晩ごはんは、すき焼きです!

暮れにベルクスで買った「広告の品 栃木県産国産牛ロース薄切り(650g)」をいただきます。3980円でしたが、10%引きセール+葛飾区の20%返金キャンペーンで、3割引になったので、奮発しました!

さらに、こちらはもっといいお肉。100gが980円の牛肉を、半額で買いました!(お正月まで、冷凍しておきました。笑)


全部で750gもありましたが、
4人で食べたら、
けっこう食べきれるものですね。😅


パジャマに着替え、あとは寝るだけなのですが、またまた「クラッカー」をご所望の長男。「最後の1個だよ。おうちには、もうクラッカーはないよ。」とMIYOが言うのを、じっと聞いていました。

そして一気に、パーーーン!🎉 得意そうな表情です。😄

食後のクラッカー、楽しくてやめられません。🤣


家族4人で、
のんびりと過ごしたお正月でした。


(つづく)


(おまけのお話)


今日も写真が少なめだったので、
過去に作った写真はがき/年賀状のつづきを。
(しつこくてスミマセン。)
おヒマな方は、ご覧ください。^^


1990年の年賀状。ベトナム・ハノイ近郊にある、少数民族の村を訪ねました。(1989年7月28日 30歳と32歳)

当時、日本からベトナムに行く直行便がなかったので、タイを経由しなければなりませんでした。せっかくなので、そのついでに、タイ北部を歩きました。スコータイ市内にある、ワット マハタートです。(1989年7月30日 タイ・スコータイ/30歳と32歳)

スコータイ県シーサッチャナーライにある、ワット・プラシーラッタナーマハータートです。シーサッチャナーライがスコータイ王朝の副王都となる以前、クメール王朝時代の都チャリエンに建立された仏教寺院遺跡です。(1989年7月31日 タイ・シーサッチャナーライ/30歳と32歳)

1991年の年賀状。タイ・バンコクから乗車し、マレー鉄道でマレーシアを縦断。シンガポールまで行きました。(1990年1月2日 タイ・バンコク/30歳と32歳)

タイ・メイホーンソンへ。トラックの荷台やゾウに乗って、山岳地帯にある少数民族の村々を訪ね歩きました。(1990年4月30日 タイ・メイホーンソン/30歳と32歳)

首長族の村にも行きました。(1990年5月4日 タイ・メイホーンソン/30歳と32歳)


この頃は、一年に何回も、
タイに行っていたような気がします。
元気だったなあ…と思うけど、
やってることは、今とあまり変わってませんね。😅

×

非ログインユーザーとして返信する