もみくちゃのインド。4つの世界遺産を歩いた7日間 2 - ムンバイ電車体験(2023年10月22日-28日)
2023年10月24日 アジャンター石窟群で。
10月30日(木)
7日間の旅行費用が10万円だったことで、
昨日のコメントでおほめいただき、
うれしいです。^^
ありがとうございました。
ただしこれには、もうひとつ、
おまけのお話があります。
旅行する前、長女に訊かれて、
「ツアーで行けば、ひとり20万円くらいかな。
インドは高いからね。」
と答えました。
すると長女、その日のうちに、なんと20万円を、
MIYOの楽天銀行口座に振り込んできました。
「私の分、払うね。」と…。
「いや、ツアーなら20万円ってことで、
うちの旅行は安上がりだから、
20万円もかかってないよ。
(ほんとはひとり33000円。笑)」
…と言って、返そうとしたのですが、
長女、受け取らず、
「ううん。いいよ。
いつもタダで連れて行ってもらってるし。」
と。
結局、今回のインド旅行は、その費用の全てを、
長女に払ってもらったようなものになりました。
(しかも、まだ10万円あまってます。笑)
長女、ありがとう~~~。😄
さて。
前回も書きましたが、
私はインドが苦手です。
20代の頃は、バックパックを背負って
世界中を歩きました。
当時、バックパッカーが最後にめざすのは、
インドだったように思います。
バックパッカーの旅行先として、
やはりインドは別格でした。
でも、私は行きませんでした。
「インドだけは、
一生行かなくてもかまわない。」
と思っていました。
ところが。
2011年、子どもたちが高校1年の頃、
ガマンできなくなった夫から、
「どうしても、
死ぬまでにインドにだけは行きたい。
今回行ければ、もう思い残すことはない。
一生、海外旅行をしなくていいから。」
と説得され、渋々承諾したのが、
1回めのインド。
もうね。
大ウソでしたね。🤣
その翌年、夫は、いけしゃあしゃあと、
「今年はエジプトだ~。
エジプトに行ければ、
もう思い残すことはない。」
とか言い出しましたから。
(で、2012年は、エジプトに10日間、
家族で行ったんですよ。😅)
どうしてそんなにインドがイヤなのか、
と訊かれたら、
「あまりにも、自分と違いすぎるから」
というしかありません。
人と人との距離が近すぎて、
なにかと暑苦しくてうざくて、
それが国民性だと理解はしますが、
どうにも共感はできないのです。
(あくまで、私個人の場合、です。)
そんなわけで、
「本当は行きたくない国」
と思っているのに、結局は、
3回も行ってしまったインドでした。
けれど、
今回の旅で初めて体験してしまったことを、
最後に書いておきたいと思います。
それは旅の5日め。
10月26日のことでした。
午前中はエレファンタ島に行き、
午後は、タージマハル・ホテルで
ハイ・ティーをいただいたのですが、
夕方になって、多動夫が、
「もう一度ヴィクトリア駅に行き、
電車でホテルまで帰りたい。」
と言い出しました。
ヴィクトリア駅です。現在は、チャトラパティ・シヴァ―ジー・ターミナス駅という名前で、世界遺産として登録されている、美しい駅です。
暮れなずむ空に浮かび上がったヴィクトリア駅は、たいそうきれいでした。
時刻は6時半。駅の中は、仕事帰りの人たちでごった返していました。
どっち向いても、インド人ばっかし。😄(←あたりまえ)
夫、列に並んで、乗車券を買ってます。
これが、3人分の乗車券です。ひとり5ルピー(約10円)。Uberタクシーでホテルまで帰れば600円くらいになると思うので、激安です。(インドでは、日本で使っていたUberのアプリがそのまま日本語で使えて、感動しました。^^ Uberのおかげで、今回のインドではタクシーを安く利用できて助かりました。)
この電車に乗ればいいみたいです。
最後尾にあるのが、女性専用車両。
「女性専用車両があるから、
あなたたちふたりはここに乗ってね。」
と言い残して、
夫はさっさと行ってしまいました。
ちなみに、夫が乗った車両は、男性ばっかりで、激コミだったそうです。🤣
そしてこちらは、女性専用車両。あはは、ほんと、女性ばっかり。(←あたりまえ)
MIYOは、いちばん奥の、ドアの横に立ちました。
ほどなく、電車が動き出しました。あらかじめネットで調べていたとおり、インドの電車は、ドアが閉まりませんでした。ドア全開で走るのですが、みんな平気にしています。(アブナイなあ…。😅) 下の写真は、走っている電車のドアの内側から、電車の外のようすを撮ったものです。
ここで長女が、「この電車はダダールに行きますか?」と訊いたものだから、全員の注目を浴びることになりました。
「ダダールだって。」
「ダダールね。」
「そう、ダダールなのね。うんうん。」
車内の全員から見守られる中、😅
めざすダダール駅が近づいてきました。
「次の駅で降りるよ。」
「もうすぐだからね。」
などと、いろんな人が教えてくれる中、
ひとりの女性から、
「ホームはこちら側だから、
こっち側のドアのところに来なさい。」
と呼ばれたMIYO。
逆らうのもめんどくさいので、
言われたとおりに移動しました。
「スマホはバッグにしまって。」
と言われ、
なんでそこまで言うの?と思ったけど、
逆らうのもめんどくさいので、
言われたとおりにしまいました。
すると、別の女性が、
「私の隣りにいなさい。
私といっしょに降りるわよ。」
と言って、
MIYOの腕をしっかりと握りました。
たかが電車から降りるだけなのに、
おおげさだなあ、と思ったけど、
逆らうのもめんどくさいので、
されるがままになっていました。
電車がホームに入ったな、と思った、
次の瞬間です。
突然、その女性から、
「さあ! 降りるわよ!」
と言われました。
えっ?
あの、電車がまだ動いてるんですけど…。
今降りたら危ないんですけど…?😮
などと戸惑っているうちに、
彼女がホームに飛び降りたので、
とっさにMIYOも後に続きました。
生まれて初めて、まだ動いている電車から、
ホームに飛び降りました。😅
すぐに止まれなくて、そのままの勢いで、
ホームを走るMIYO。
MIYOの腕をつかんでいた女性も、
MIYOといっしょに走ってくれました。
(おかげで、転ばずにすんだ。😄)
彼女が、「いっしょに降りましょう。」
と言って、MIYOの腕をしっかり握ったのは、
いっしょに飛び降りるためだったのです。
このとき、ようやく、電車が止まりました。
そして次の瞬間、
ホームで待っていた大勢の人々が、
怒涛のように車内になだれ込んでいきました。
すごい勢いでした。
この大勢の人たちの流れに逆らって
電車から降りるのは、
とうてい無理だったと思います。
電車が完全に止まるまで待っていたら、降りられなくなっているところでした…。
「この国には、『降りる人が先』
なんて言葉はないんだ。」
と、このときにようやく気がつきました。
「大勢の人が乗り込んでくる前に、
先に飛び降りる。」
が正解で、それは、インドでは誰でもが、
普通にやっていることでした。
ほんの一瞬のできごとでした。
呆然としながらも、すごい人ごみの中で、
姿が見えない長女が心配で、
私は、ただもう夢中で、
長女の名前を呼び続けました。
幸い、長女も、他の方に助けられたようで、無事、ホームにいました。すぐに、夫もやってきました。「いやあ、すごかったなあ~」と大喜びの夫。(←アホ)
MIYOの腕をつかんで、
いっしょに飛び降りてくれた女性には、
「サンキュー! サンキュー! サンキュー!」
と、ただそればかりを繰り返しました。
あまりのことに、頭の中が混乱していて、
それしか言葉が出ませんでした。
「じゃあね」と笑顔を見せて、彼女は去っていきました。
人と人との距離が近すぎて、
なにかと暑苦しくてうざくて、
私は、そんなインドが苦手でした。
けれど、このときのできごとを思い出すと、
今でもなぜか、涙が出そうになります。
車内の全員で、私たちを見守った、
おせっかいな人たち。
私の腕を握り、抱きかかえるようにして、
いっしょに飛び降りてくれた彼女。
今まで、苦手だと思っていたインドの、
それ故の温かさが、胸に染みるようでした。
…と、余韻に浸っていたMIYOの横で、
「いや~。ドア全開で走るし、
動いてるのに飛び降りるとか、
めちゃくちゃおもしろかったなあ~。😛」
と喜ぶ多動夫。
「なに言ってるの?
こんな危ないこと、もう二度と、
や、ら、せ、る、な~!!!」
とMIYOに叱られたのは、
言うまでもありません。😔
なにはともあれ、
全員ケガもなかったのはよかった。
そして少しだけ、インドが好きになりました。
(でもやっぱり苦手です。)
帰国するとき、空港で夫に言いました。
み「これが最後だよ。
もう二度と、インドには来ないからね。」
夫「そういう人、いっぱいいるんだよ。
『インドは嫌い。もう二度と来ない。』
とか言いながら、何年かたって、
気がついたらまたインドに来てるんだって。
そういうのを、
『インド病』って言うんだよね。😜」
はいはい。
インド病くらい、知ってますよ…。
とりあえず夫には、
「私は絶対にインド病にはならない。」
と、断言しておきました。
人ごみでもみくちゃになった、電車体験。
今思い出してもコワいし、
もう二度と、動いている電車から、
飛び降りたりしたくない。
(夫は、「何回でもやりたい。」そうですが。)
けれど。
笑顔で去って行ったあの女性のことを思うと、
なにか温かいものが、胸の中に蘇ります。
あのとき、電車の中で会った人々のことを、
私はこれからも、折に触れては、
思い出すのだろうと思います。
私にとってインドとは、そういう国でした。
(おわり)