MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

もみくちゃのインド。4つの世界遺産を歩いた7日間 2 - ムンバイ電車体験(2023年10月22日-28日)

2023年10月24日 アジャンター石窟群で。


10月30日(木)


7日間の旅行費用が10万円だったことで、
昨日のコメントでおほめいただき、
うれしいです。^^
ありがとうございました。


ただしこれには、もうひとつ、
おまけのお話があります。


旅行する前、長女に訊かれて、
「ツアーで行けば、ひとり20万円くらいかな。
 インドは高いからね。」
と答えました。
すると長女、その日のうちに、なんと20万円を、
MIYOの楽天銀行口座に振り込んできました。
「私の分、払うね。」と…。


「いや、ツアーなら20万円ってことで、
 うちの旅行は安上がりだから、
 20万円もかかってないよ。
 (ほんとはひとり33000円。笑)」


…と言って、返そうとしたのですが、
長女、受け取らず、
「ううん。いいよ。
 いつもタダで連れて行ってもらってるし。」
と。


結局、今回のインド旅行は、その費用の全てを、
長女に払ってもらったようなものになりました。
(しかも、まだ10万円あまってます。笑)
長女、ありがとう~~~。😄


さて。
前回も書きましたが、
私はインドが苦手です。


20代の頃は、バックパックを背負って
世界中を歩きました。
当時、バックパッカーが最後にめざすのは、
インドだったように思います。
バックパッカーの旅行先として、
やはりインドは別格でした。


でも、私は行きませんでした。
「インドだけは、
 一生行かなくてもかまわない。」

と思っていました。
ところが。


2011年、子どもたちが高校1年の頃、
ガマンできなくなった夫から、
「どうしても、
 死ぬまでにインドにだけは行きたい。
 今回行ければ、もう思い残すことはない。
 一生、海外旅行をしなくていいから。」
と説得され、渋々承諾したのが、
1回めのインド。


もうね。
大ウソでしたね。🤣
その翌年、夫は、いけしゃあしゃあと、
「今年はエジプトだ~。
 エジプトに行ければ、
 もう思い残すことはない。」
とか言い出しましたから。
(で、2012年は、エジプトに10日間、
 家族で行ったんですよ。😅)


どうしてそんなにインドがイヤなのか、
と訊かれたら、
「あまりにも、自分と違いすぎるから」
というしかありません。


人と人との距離が近すぎて、
なにかと暑苦しくてうざくて、
それが国民性だと理解はしますが、
どうにも共感はできないのです。
(あくまで、私個人の場合、です。)


そんなわけで、
「本当は行きたくない国」
と思っているのに、結局は、
3回も行ってしまったインドでした。
けれど、
今回の旅で初めて体験してしまったことを、
最後に書いておきたいと思います。


それは旅の5日め。
10月26日のことでした。
午前中はエレファンタ島に行き、
午後は、タージマハル・ホテルで
ハイ・ティーをいただいたのですが、
夕方になって、多動夫が、
「もう一度ヴィクトリア駅に行き、
 電車でホテルまで帰りたい。」
と言い出しました。


ヴィクトリア駅です。現在は、チャトラパティ・シヴァ―ジー・ターミナス駅という名前で、世界遺産として登録されている、美しい駅です。

暮れなずむ空に浮かび上がったヴィクトリア駅は、たいそうきれいでした。

時刻は6時半。駅の中は、仕事帰りの人たちでごった返していました。

どっち向いても、インド人ばっかし。😄(←あたりまえ)

夫、列に並んで、乗車券を買ってます。

これが、3人分の乗車券です。ひとり5ルピー(約10円)。Uberタクシーでホテルまで帰れば600円くらいになると思うので、激安です。(インドでは、日本で使っていたUberのアプリがそのまま日本語で使えて、感動しました。^^ Uberのおかげで、今回のインドではタクシーを安く利用できて助かりました。)

この電車に乗ればいいみたいです。

最後尾にあるのが、女性専用車両。


「女性専用車両があるから、
 あなたたちふたりはここに乗ってね。」
と言い残して、
夫はさっさと行ってしまいました。


ちなみに、夫が乗った車両は、男性ばっかりで、激コミだったそうです。🤣

そしてこちらは、女性専用車両。あはは、ほんと、女性ばっかり。(←あたりまえ)

MIYOは、いちばん奥の、ドアの横に立ちました。

ほどなく、電車が動き出しました。あらかじめネットで調べていたとおり、インドの電車は、ドアが閉まりませんでした。ドア全開で走るのですが、みんな平気にしています。(アブナイなあ…。😅) 下の写真は、走っている電車のドアの内側から、電車の外のようすを撮ったものです。

ここで長女が、「この電車はダダールに行きますか?」と訊いたものだから、全員の注目を浴びることになりました。

「ダダールだって。」

「ダダールね。」

「そう、ダダールなのね。うんうん。」


車内の全員から見守られる中、😅
めざすダダール駅が近づいてきました。


「次の駅で降りるよ。」
「もうすぐだからね。」
などと、いろんな人が教えてくれる中、
ひとりの女性から、
「ホームはこちら側だから、
 こっち側のドアのところに来なさい。」
と呼ばれたMIYO。
逆らうのもめんどくさいので、
言われたとおりに移動しました。


「スマホはバッグにしまって。」
と言われ、
なんでそこまで言うの?と思ったけど、
逆らうのもめんどくさいので、
言われたとおりにしまいました。


すると、別の女性が、
「私の隣りにいなさい。
 私といっしょに降りるわよ。」
と言って、
MIYOの腕をしっかりと握りました。
たかが電車から降りるだけなのに、
おおげさだなあ、と思ったけど、
逆らうのもめんどくさいので、
されるがままになっていました。


電車がホームに入ったな、と思った、
次の瞬間です。
突然、その女性から、
「さあ! 降りるわよ!」
と言われました。


えっ?
あの、電車がまだ動いてるんですけど…。
今降りたら危ないんですけど…?😮


などと戸惑っているうちに、
彼女がホームに飛び降りたので、
とっさにMIYOも後に続きました。
生まれて初めて、まだ動いている電車から、
ホームに飛び降りました。😅


すぐに止まれなくて、そのままの勢いで、
ホームを走るMIYO。
MIYOの腕をつかんでいた女性も、
MIYOといっしょに走ってくれました。
(おかげで、転ばずにすんだ。😄)


彼女が、「いっしょに降りましょう。」
と言って、MIYOの腕をしっかり握ったのは、
いっしょに飛び降りるためだったのです。


このとき、ようやく、電車が止まりました。
そして次の瞬間、
ホームで待っていた大勢の人々が、
怒涛のように車内になだれ込んでいきました。
すごい勢いでした。
この大勢の人たちの流れに逆らって
電車から降りるのは、
とうてい無理だったと思います。


電車が完全に止まるまで待っていたら、降りられなくなっているところでした…。


「この国には、『降りる人が先』
 なんて言葉はないんだ。」
と、このときにようやく気がつきました。
「大勢の人が乗り込んでくる前に、
 先に飛び降りる。」
が正解で、それは、インドでは誰でもが、
普通にやっていることでした。


ほんの一瞬のできごとでした。
呆然としながらも、すごい人ごみの中で、
姿が見えない長女が心配で、
私は、ただもう夢中で、
長女の名前を呼び続けました。


幸い、長女も、他の方に助けられたようで、無事、ホームにいました。すぐに、夫もやってきました。「いやあ、すごかったなあ~」と大喜びの夫。(←アホ)


MIYOの腕をつかんで、
いっしょに飛び降りてくれた女性には、
「サンキュー! サンキュー! サンキュー!」
と、ただそればかりを繰り返しました。
あまりのことに、頭の中が混乱していて、
それしか言葉が出ませんでした。


「じゃあね」と笑顔を見せて、彼女は去っていきました。


人と人との距離が近すぎて、
なにかと暑苦しくてうざくて、
私は、そんなインドが苦手でした。
けれど、このときのできごとを思い出すと、
今でもなぜか、涙が出そうになります。


車内の全員で、私たちを見守った、
おせっかいな人たち。
私の腕を握り、抱きかかえるようにして、
いっしょに飛び降りてくれた彼女。
今まで、苦手だと思っていたインドの、
それ故の温かさが、胸に染みるようでした。


…と、余韻に浸っていたMIYOの横で、
「いや~。ドア全開で走るし、
 動いてるのに飛び降りるとか、 
 めちゃくちゃおもしろかったなあ~。😛」
と喜ぶ多動夫。


「なに言ってるの?
 こんな危ないこと、もう二度と、
 や、ら、せ、る、な~!!!」


とMIYOに叱られたのは、
言うまでもありません。😔


なにはともあれ、
全員ケガもなかったのはよかった。
そして少しだけ、インドが好きになりました。
(でもやっぱり苦手です。)


帰国するとき、空港で夫に言いました。
み「これが最後だよ。
  もう二度と、インドには来ないからね。」
夫「そういう人、いっぱいいるんだよ。
  『インドは嫌い。もう二度と来ない。』
  とか言いながら、何年かたって、
  気がついたらまたインドに来てるんだって。
  そういうのを、
  『インド病』って言うんだよね。😜」


はいはい。
インド病くらい、知ってますよ…。
とりあえず夫には、
「私は絶対にインド病にはならない。」
と、断言しておきました。


人ごみでもみくちゃになった、電車体験。
今思い出してもコワいし、
もう二度と、動いている電車から、
飛び降りたりしたくない。
(夫は、「何回でもやりたい。」そうですが。)


けれど。
笑顔で去って行ったあの女性のことを思うと、
なにか温かいものが、胸の中に蘇ります。
あのとき、電車の中で会った人々のことを、
私はこれからも、折に触れては、
思い出すのだろうと思います。


私にとってインドとは、そういう国でした。


(おわり)

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