MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも埼玉。春を愛でながら、彩の国を歩く 14 - 小江戸川越・川越城中ノ門堀跡と本丸御殿(2021年3月19日)

2021年3月19日 稲荷小路で。(埼玉県川越市)


【お知らせ】
7月11日は、お休みをいただきます。


3月19日


ここまで、川越の観光スポットを、
 蔵造りの町並み
 時の鐘界隈
 菓子屋横丁
…と歩いてきました。
次は、趣を変えて、
川越城エリアへと向かいます。


地図で見ると、このあたりです。


いや~。泣
もう、歩く歩く…。爆
まあ、多動夫の企画する旅は、
いつもこんな感じですね。😂😂
「欲張らないで、
 できる範囲で歩こう。」
とはじめに言ってたのは、なんなんだ…。


自慢することじゃないですが、
MIYOは、たいてい、下調べをしません。笑
事前の知識なく、
そこになにがあるのかもわからず、
現地に行ってしまうことが多いです。
それはまさに、夫の思うつぼ。爆
どこをどう歩くかは、
夫の好みで勝手に決まるので、
その結果、いつもこんなふうに、
ひたすら歩かされることになります…。泣


まえもって自分で調べておけば、
「そこは遠いから行きたくない。」
とか言えるのですが、
それをやらないから、なにもわからない。
なにも知らないから、ついていくだけ。😅😅
今回も、どれだけ遠いかを知ることなく、
ただひたすら、
川越城に向かって歩き続けました。(苦笑)


川越城中ノ門堀跡に到着です。


【川越城中ノ門堀跡】
江戸時代、川越城は、江戸の北の守りとして重要視されていました。1639年(寛永16年)に藩主となった松平信綱が、城の大改修を行います。この際に、中ノ門堀が造られたと考えられています。堀は、現在の市役所付近に当たる西大手門側から本丸方向への敵の進入を阻むために、巧みに配された堀のひとつです。かつては、堀と堀の間に、中ノ門が存在していました。残されている絵図によると、二階建ての立派な櫓門であったようです。

しかし、明治時代以降になると城内の建物が取り壊されたり、堀が埋め立てられたりして、城は、かつての姿から大きく変貌していきました。
現在では、旧城内域の宅地化が進み、かつての城の名残を留めるものは、本丸御殿の一部のほかは、ほとんどなくなってしまいました。そのようななかで、中ノ門堀は、城の堀跡としては唯一、現在まで残されています。


現在も残っている、中ノ門堀跡です。

中ノ門堀を含む3本の堀は、敵が城内に攻め込んだ場合を想定して造られました。西大手門から本丸をめざして侵入した敵は、ここで堀に阻まれて、直進できません。進撃の歩みがゆるんだところに、城兵が弓矢を射かけ、鉄砲を撃ちかけるしくみでした。

そしてさらに歩いて、川越城本丸御殿へ。

コロナ禍で閉館中。残念ながら、中に入ることはできませんでした。


【川越城】
1848年(嘉永元年)に造られました。現在は、かつての城の大半が失われており、本丸御殿の一部だけが残っています(埼玉県有形文化財)。川越城には天守はなく、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守の代わりとなりました。

藩政時代には、酒井忠勝・松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など、幕府の要職についた歴代藩主が多く、江戸時代中期までは「老中の居城」と言われました。


本丸御殿の周囲を、少しだけ歩いてみました。

「日本城郭史資料」を基に作られた、川越城図です。現在は、この本丸のみが残っています。


川越城の探索は、ここで終わりです。
本丸御殿をあとにし、
再び、一番街まで歩いて戻りました。


途中で見かけた、川越元町郵便局。いい雰囲気です。

蔵造りの町並みがつづく、一番街に戻りました。

近江商人が建てた、大沢家住宅(小松屋)です。さきほどは、外側から見ただけだったのですが、まだ少し時間があったので、中をのぞいてみました。

入り口を入ると、中はこんな感じです。3月だったので、お雛様が飾ってありますね。^^

私たちが入れるのは、ここまでです。お雛様の後ろには、さらに家屋が広がっているのですが、残念ながら、ここから先には行けません。

大沢家住宅などの模型を作るための、ペーパークラフトセットを販売していました。

一番街から伸びる、狭い路地裏を発見。次回は、稲荷小路を歩きます。


(つづく)

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