MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも埼玉。春を愛でながら、彩の国を歩く 13 - 小江戸川越・菓子屋横丁の子どもたち(2021年3月19日)

2021年3月19日 川越城本丸御殿で。(埼玉県川越市)


3月19日


埼玉県川越市の、
菓子屋横丁に来ています。
「時の鐘」界隈は、
女性とカップルばかりだったのですが、
ここでは、子ども連れの家族や
学生さんが多いような気がしました。


よしおかYA。菓子屋横丁で一番古いお店だそうです。おいもを使ったお菓子や駄菓子を販売しています。

このお店のもうひとつの名物は、生芋ようかんソフトクリーム(300円)。

生芋ようかんソフトクリームです。紫色(紫いも)と黄色(生芋ようかん)のソフトクリームです。上に乗っている紫いものチップス、はスプーンと使うのだそうです。(画像をお借りしました)

こちらは、あられ、せんべい、ゼリーなどのお菓子屋さん。

さらに先の方へと歩いてみます。

飴の老舗「松陸」

川越名物の大きな麩菓子、「大黒柱」。長さは95cmだそうです。

お店がどれも楽しくて、あちこちでひっかりながらも、どんどん歩きました。

昭和13年創業の稲葉屋本舗。駄菓子の他、自家製のドーナツ、ようかん、まんじゅう、くずゆなど約10種類を販売しています。いもどうなつ、くずゆ、麦棒(麦の粉と黒糖のお菓子)は、埼玉県の「彩の国優良ブランド品」 にも認定されました。オススメは「いもどうなつ」だそうです。

駄菓子もたくさんありました。

昭和14年創業の駄菓子屋さん、「吉仁製菓」。創業当時は、飴の製造業を営んでいて、現在のお店を開いたのは、平成になってからだそうです。店頭に長々と並べられたお菓子の道が目印です。

菓子屋横丁には、お菓子屋さんだけでなく、こんな古い家屋が今も残っています。

そして、なによりも心に残ったのは、この姉弟。かわいくてかわいくて…。「あなたはどこから来たの? 昭和の時代からやってきたの?」と、話しかけたくなりました。^^


立ち去りがたい気持ちでしたが、
夫が「時間がない」とあせり、
どんどん先に行ってしまいます。
しょうがないので、
子どもたちにバイバイして、
菓子屋横丁をあとにしました。


ここからは、
大通り(高澤通り)を東に歩きます。


元町無料休憩所の向かいにある、「縁側・ちゃぶ台 お着物やさん」。リサイクルの着物屋さんです。建物が古そうで、いい感じです。

このあとも、古い家屋をいくつも見かけました。今も住んでおられるようです。

…と思ったら、忽然と現れた、アフリカ雑貨店「マンゴロべ」。アフリカから直輸入した品を販売しています。

女性スタッフが笑顔で迎えてくれました。^^

楽しい色彩ですね。上手にディスプレイしてあります。


40年前、MIYOは、
保谷市(当時)の家具付き戸建てに、
ひとりで暮らしていました。


応接セットやソファ、
ダブルベッドまでついていて、
学生には不相応な住まいでした。
とうてい、払える家賃ではありません。


けれど大家さんが、
なぜかMIYOを気に入ってくださって、
家賃を大幅にディスカウント。
格安で貸してくださったのです。


大家さんは、かつてパートナーと、
長くエチオピアに住んでおられました。
そういう方だったので、
「3日前に、ブラジルから戻ってきました。
 住むところをさがしています。」
と言うMIYOのことが、
おもしろかったのかもしれません。爆


MIYOが借りた家の隣りには、
大家さんのお住まいがありました。
お隣りどうしだったので、
その家に住んでいるあいだ、
大家さんはMIYOを、たびたび、
お茶やお食事に招いてくださり、
エチオピアの思い出話を、
たくさん、聞かせてくださいました。


外出中に急に雨が降ったときは、
MIYOが庭に干していた洗濯物を
取り込んでくださったり…。笑
なにかとお世話になりました。


3年後、MIYOは結婚して、
その家を出たのですが、
大家さんとは、
その後もおつきあいが続きました。


そんなわけで、
新婚のころの我が家には、
大家さんがくださった、
 エチオピアの籐カゴだとか、
 鹿皮の太鼓だとか、
そんなものが
いくつもころがっていましたね…。笑


マンゴロベに並んだアフリカ雑貨の中に、
似ているものを見つけ、
当時のことを思い出しました。


なつかしい、
昭和の思い出話です。^^


次回は、川越城中ノ門堀跡をご紹介します。


(つづく)

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