コロナでも埼玉。春を愛でながら、彩の国を歩く 13 - 小江戸川越・菓子屋横丁の子どもたち(2021年3月19日)
2021年3月19日 川越城本丸御殿で。(埼玉県川越市)
3月19日
埼玉県川越市の、
菓子屋横丁に来ています。
「時の鐘」界隈は、
女性とカップルばかりだったのですが、
ここでは、子ども連れの家族や
学生さんが多いような気がしました。
よしおかYA。菓子屋横丁で一番古いお店だそうです。おいもを使ったお菓子や駄菓子を販売しています。
このお店のもうひとつの名物は、生芋ようかんソフトクリーム(300円)。
生芋ようかんソフトクリームです。紫色(紫いも)と黄色(生芋ようかん)のソフトクリームです。上に乗っている紫いものチップス、はスプーンと使うのだそうです。(画像をお借りしました)
こちらは、あられ、せんべい、ゼリーなどのお菓子屋さん。
さらに先の方へと歩いてみます。
飴の老舗「松陸」
川越名物の大きな麩菓子、「大黒柱」。長さは95cmだそうです。
お店がどれも楽しくて、あちこちでひっかりながらも、どんどん歩きました。
昭和13年創業の稲葉屋本舗。駄菓子の他、自家製のドーナツ、ようかん、まんじゅう、くずゆなど約10種類を販売しています。いもどうなつ、くずゆ、麦棒(麦の粉と黒糖のお菓子)は、埼玉県の「彩の国優良ブランド品」 にも認定されました。オススメは「いもどうなつ」だそうです。
駄菓子もたくさんありました。
昭和14年創業の駄菓子屋さん、「吉仁製菓」。創業当時は、飴の製造業を営んでいて、現在のお店を開いたのは、平成になってからだそうです。店頭に長々と並べられたお菓子の道が目印です。
菓子屋横丁には、お菓子屋さんだけでなく、こんな古い家屋が今も残っています。
そして、なによりも心に残ったのは、この姉弟。かわいくてかわいくて…。「あなたはどこから来たの? 昭和の時代からやってきたの?」と、話しかけたくなりました。^^
立ち去りがたい気持ちでしたが、
夫が「時間がない」とあせり、
どんどん先に行ってしまいます。
しょうがないので、
子どもたちにバイバイして、
菓子屋横丁をあとにしました。
ここからは、
大通り(高澤通り)を東に歩きます。
元町無料休憩所の向かいにある、「縁側・ちゃぶ台 お着物やさん」。リサイクルの着物屋さんです。建物が古そうで、いい感じです。
このあとも、古い家屋をいくつも見かけました。今も住んでおられるようです。
…と思ったら、忽然と現れた、アフリカ雑貨店「マンゴロべ」。アフリカから直輸入した品を販売しています。
女性スタッフが笑顔で迎えてくれました。^^
楽しい色彩ですね。上手にディスプレイしてあります。
40年前、MIYOは、
保谷市(当時)の家具付き戸建てに、
ひとりで暮らしていました。
応接セットやソファ、
ダブルベッドまでついていて、
学生には不相応な住まいでした。
とうてい、払える家賃ではありません。
けれど大家さんが、
なぜかMIYOを気に入ってくださって、
家賃を大幅にディスカウント。
格安で貸してくださったのです。
大家さんは、かつてパートナーと、
長くエチオピアに住んでおられました。
そういう方だったので、
「3日前に、ブラジルから戻ってきました。
住むところをさがしています。」
と言うMIYOのことが、
おもしろかったのかもしれません。爆
MIYOが借りた家の隣りには、
大家さんのお住まいがありました。
お隣りどうしだったので、
その家に住んでいるあいだ、
大家さんはMIYOを、たびたび、
お茶やお食事に招いてくださり、
エチオピアの思い出話を、
たくさん、聞かせてくださいました。
外出中に急に雨が降ったときは、
MIYOが庭に干していた洗濯物を
取り込んでくださったり…。笑
なにかとお世話になりました。
3年後、MIYOは結婚して、
その家を出たのですが、
大家さんとは、
その後もおつきあいが続きました。
そんなわけで、
新婚のころの我が家には、
大家さんがくださった、
エチオピアの籐カゴだとか、
鹿皮の太鼓だとか、
そんなものが
いくつもころがっていましたね…。笑
マンゴロベに並んだアフリカ雑貨の中に、
似ているものを見つけ、
当時のことを思い出しました。
なつかしい、
昭和の思い出話です。^^
次回は、川越城中ノ門堀跡をご紹介します。
(つづく)