MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 37 - アンコールワット⑩ 第一回廊(ヴィシュヌ神と阿修羅の戦い)(2024年1月17日/6日め)

2024年1月17日 アンコールワット・第一回廊北東部です。(カンボジア・シェムリアップ)


1月17日(日)- 6日め


裏アンコールワットで、
東参道を歩き、東塔門を訪れたあと、
再び、伽藍の入り口まで戻ってきました。


裏アンコールワットです。

ここから、伽藍の見学を再開します。

…なのですが、すぐに内部には入らず、まずは回廊の外側を歩きました。これは、第一回廊東面北側です。この、北東の角部分をもう少し大きくすると…、

こうなります。^^

この角を西方向に曲がると、第一回廊北面になります。右に見えているのは、北面の西側と東側の間にある、中間地点。

こうして見ると、まだまだ、先は長いです。😅

柱の細かい装飾の横には、アプサラがいました。

それでは、第一回廊東面北側に入ります。

同じ第一回廊東面の南側には、「乳海攪拌」の壮大なレリーフがありました。それに対して北側(右側)は、様相が全く異なっています。


ここから先の、東面北側と北面の装飾は、
スールヤヴァルマン2世の時代には、
完成しませんでした。
*スールヤヴァルマン2世は、1150年頃に逝去したと言われています。


【スールヤヴァルマン2世没後のアンコール】
14世紀後半から勃興したアユタヤ王朝(現在のタイ)との戦いによって、アンコール王国は疲弊していきます。1431年には、アンコール・トムが陥落しました。その後、カンボジアの人々は、アンコールの地を放棄せざるをえない状況が続きました。
それから100年以上も後の16世紀半ばになって、アンコール王朝の末裔アン・チャン1世が旧都アンコールに戻り、アンコールワットの追加工事を行いました。これらの壁面の装飾は、その際に施されたものです。中国の職人たちによって彫られたと言われています。
*アユタヤ王朝がタイの職人を使って施工したという説もあります。


16世紀半ば以降になって、
追加で造られたレリーフは、以下の3点です。


 ヴィシュヌ神と阿修羅の戦い
 クリシュナと阿修羅バーナの戦い
 アムリタをめぐる、神々と阿修羅の戦い


まずは、東面北側にある、
「ヴィシュヌ神と阿修羅の戦い」
から見て行きます。


象に乗って進軍する兵士たちが、ひたすら描かれています。



【16世紀以降の壁画に対する評価】
これらの壁面の絵図は、スールヤヴァルマン2世在位頃のものと比べると、作風が大きく異なっています。彫りが浅く、美術的な評価もあまり高くありません。当時のシャム(タイ)の美術様式の影響を強く受けているとも思われます。あらためて12世紀と16世紀のレリーフを比較してみると、往時のクメール帝国の職人たちの技術と美術的センスがいかに高かったのかがわかります。


第一回廊でいちばん初めに掲載した、「ラーマーヤナ」です。躍動感あふれる画風で、兵士たちが生き生きと描かれていました。
ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 31 - アンコールワット④ 第一回廊(ラーマーヤナ)(2024年1月17日/6日め) 。

対してこちらは、16世紀にあとから造られた壁画です。スペースが足りなかったのか、兵士たちは寸足らずで、四頭身から五頭身くらいで描かれています。この絵の中に、驚くべき部分があります。下の方にある車輪をご覧ください。

拡大してみました。お気づきでしょうか。

さらに拡大すると…。なんと、兵士の頭がつぶれています。😅 これは、「失敗作」と言われています。


どうしてこんな「失敗作」ができたのか…。
その理由は、
「全体の構図をよく考えないで、
 先に車輪を彫ってしまったから。」
と考えられています。


その後に兵士を彫っていたら、
長さが足りないことに気づき、
やむなく、こうなってしまったと…。


このエリアには、ほかにも、「首のない人」など、
いくつかの「失敗」が残っているそうです。


回廊の柱です。美しい装飾。そしてやはり、アプサラがいました。^^

柱の上部。今も色が残っています。

第一回廊東面北側。少し残念なエリアではありますが、アンコールの歴史を物語る、貴重な証人と言えるとも思います。


次回は、第一回廊北面を歩きます。


いまここ。😄


(つづく)

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