ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 26 - リバーサイド・ナイトマーケット(影絵芝居スバエクとラナート)(2024年1月16日/5日め)
2024年1月16日 レストラン・Robam で。漁師のダンスです。(カンボジア・シェムリアップ)
1月16日(日)- 5日め
パブストリートを歩き続けて、
シェムリアップ川まで来ました。
川沿いには、こんな屋台がずっと並んでいます。
その屋台で買ったごはんを、路上のテーブルで食べる人たち。見事なまでに、西洋人しかいません。
その、屋台が並ぶ道路の反対側にあるのが、リバーサイド・ナイトマーケットです。
カンボジアの絵画やスバエクの革細工を売るお店がありました。
【スバエク(影絵芝居)】
カンボジアの伝統的な影絵芝居です。牛の皮を加工した人形を動かしながら、音楽に合わせて物語を紡いでいきます。ヤシの殻を燃やした炎で映し出される、とても幻想的影絵です。
カンボジアの伝統芸能といえば、アプサラダンスショーが有名ですが、もう一つの伝統芸能がこの「影絵芝居」で、2008年にはユネスコの無形文化遺産にも登録されました。
14年前に影絵レストランで見たスパエクです。(2010年7月27日 シェムリアップ)
このときの日記です。
ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 22 - ナイトマーケットと影絵レストラン(2024年1月16日/5日め)
スバエクには、こんな大がかりなものもあります。(画像をお借りしました)
【スバエクの歴史】
スバエクは、アンコール時代以前から神聖な儀式として行われていたようです。7世紀に建てられたサンボー・プレイ・クック遺跡には、儀式を行っている様子がレリーフとなって残されています。儀式は本来、神々に捧げるためのものでした。が、年に数回、水田やパゴダ(仏塔)で、クメール新年や王の誕生日を祝ったり、僧侶や地域有力者を崇めたりするために上演されることもあったようです。
15世紀初頭にクメール帝国が滅亡した後は、芸術的要素が強くなり、国民の娯楽の一つとしてカンボジアで一般的に演じられるようになりました。
クメール・ルージュ支配の時代には、国内の芸術家の多くが犠牲になり、伝統の継承が途絶えてしまいました。しかし内戦後に、多くの人の尽力によって再び息を吹き返しました。現在、シェムリアップでは、「ティー・チアン一座」が、伝統的な形式での上演を続けています。シェムリアップ市内には、ショーを鑑賞しながら食事ができるレストランもあります。
スバエク・トーイをYouTubeで見ることができます。
【アジアの人形芝居コレクション】VOL.12 カンボジアの子どもたちによる伝統影絵芝居 スバエク・トーイ Asian Puppetry Collection
スバエク(影絵芝居)に使われる革細工も、スバエクと呼びます。お店の前では、スバエクを作っている様子を見ることができます。革に金具をあて、一点一点、木づちで打って、絵を作っていました。気の遠くなるような作業です。
スバエクの数々。細かい細工が、実に美しい。
ぜひ、拡大してご覧ください。ほんとうにすばらしいです。
マーケットの中は、洋服屋さんやお土産物屋さんで埋め尽くされていました。
さらに奥深く進んでいくと、ラナート・エクを演奏している人がいました。タイの楽器として有名ですが、同じ東南アジアなので、カンボジアでも使われているようです。
【ラナート】
竹または硬木の音板を21~22枚配列したシロフォンです。 総称として「ラナート」と呼ばれます。大小のサイズがあり、高音域を出すものをラナート・エクと呼びます。 鍵盤は、舟形の胴に紐で吊り下げて張られているので、胴が共鳴装置となり、よく響きます。
リバーサイド・ナイトマーケットの中をぐるりと歩いて、再び、シェムリアップ川に戻りました。
川沿いの公園は、屋台料理を楽しむ人たちで大賑わい。
今度は、この橋を渡って帰ります。
来るときに渡った Old Market Bridge から見えた、屋根のある橋です。
ホテルまでは、歩いて5分の距離。途中でスーパーに寄ってお買い物。
カンボジアをバスで走っていると、GANZBERG というビールの看板が数メートルおきに立てられていることがあります。その同じ看板が何十本も並んでいるのを見続けているうちに、夫はすっかり洗脳されてしまい、「GANZBERG、絶対飲んでみたい。」と言い張っていました。無事、スーパーで見つけてお買い上げ。🤣
この日買ったもの。GANZBERG のビール、台湾のパイナップルケーキ、フランスのカマンベールチーズ、リッツ。リッツは世界共通かと思ったら、日本のリッツの方がだんぜんおいしかったです。国によって味が違うんですね。
夜9時半に、ホテルに到着。隣りのメガネ屋さんには、まだ煌々と灯りがついていました。
この日の歩数は、14160歩。朝からずっとバスに乗っていた割には、午後、シェムリアップに着いてからめちゃ歩いています。笑
翌日から、歩け歩けの遺跡巡りが始まり、
連日、26000歩近くを歩くことになります。
多動夫が決めたスケジュールにしたがって、
文句も言わず歩き続けた私は、
エラいと思います。😂😂
誰も言ってくれないので、
自分で言います。(アホ)
(つづく)