MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 101 - ハノイ市内観光① タンロン城址(2019年10月11日/41日め)

2019年10月11日 タンロン城址で、アオザイを来たベトナムの方々と。


10月11日


兄夫婦がベトナムで過ごす、一日目です。
この日は、朝からホテルを出発して、
ハロン湾やホアルー&チャンアンなどの
日帰りツアーに参加することもできました。


けれど、タムさんから、
「長旅で疲れていると思うので、
 この日は市内観光がいいと思います。
 ご希望があれば、
 開始時間を遅くしてもいいですよ。」
というアドバイスをいただいたので、
初日は「市内観光」ということに。


私たちが申し込んだのは、JVTA社の、
「ハノイ市内観光ツアー(1日)・ひとり8200円」
というものでした。


朝8時にホテルを出発して、ツアーが終了するのは、夜8時。
昼食も夕食もおやつもついていて(笑)、
実に、12時間もの、超充実ツアーです。


たまたま、当日、このツアーに申し込んでいたのは、
私たちだけでした。
なので、私たち3人に、ガイドのローさん、ドライバーさんという、
総勢5人の「プライベートツアー」と言うことになります。
車も、もちろん専用車。
私たちだけだったので、いろんなところで、臨機応変に、
わがままを聞いていただけました。


まずは、出発時間です。
兄の希望もあって、
開始時間を朝8時から9時に変更していただきました。
その分、訪問する観光地が減ってしまいますが、
旅行の数日前に転倒し、腰を痛めていた兄には、
ちょうどよかったと思います。


さて、予定を一時間短縮して始まった市内観光ですが、
あいにくこの日は、ホーチミン廟と文廟の休館日でした。
なので、このふたつを省き、
まずはタンロン城址から観光することになりました。


【タンロン城址】
日本では、あまり知られていませんが、
ホーチミン廟に隣接するタンロン城址は、
ハノイの世界文化遺産となっています。
1804年に都をフエに移すまで、およそ800年間、
ベトナム王朝の王宮が、ここに置かれていました。
2010年に世界文化遺産に指定され、
以来、観光客に注目され始めています。


端門南にある、入場ゲート。
ここでチケットを購入します。写真は、東河門そっくりに作られた、レプリカです。

タンロン城正面入り口。
アオザイの女性たちが、記念写真を撮っていました。

端門(ドアン・モン)。
第一城壁に配されていた正門です。堂々とした風格で、いかにも王宮らしい入口です。

この端門には、両側にある階段を使って、最上部まで登ることができます。

階段を上がったところです。

端門の上から、広々とした庭を臨みます。独立戦争の頃は、この庭に、解放軍の兵士が集結したそうです。そして奥に小さく見えているのが、フラッグタワーです。歴代の王様も、ここからの景色を楽しんだことでしょう。

みんなで並んで、記念写真。^^

ホアンジエウ18番遺跡。
2002年の国会議事堂移転工事の際に発見された遺跡で、今もなお発掘が続いています。ここから、8世紀以降のさまざまな時代のものが出土しました。王朝の柱や建物の基礎、井戸なども次々と発掘されており、時代や技術の移り変わりなどがよくわかる遺跡と言われています。 また、日本の有田焼や伊万里焼などの陶磁器も発見されているそうです。

写真を撮る、ベトナム人女性。本当に優雅な身のこなしです。

女性ふたりで旅行中だそうです。

敬天殿(ディエン・キン・ティエン)。皇帝の宮殿があったとされるエリアです。その前に築かれた石段には見事な龍の彫刻が。昇り龍(タンロン)を象徴する龍の手すりとされています。 階段の上に見える建物は、かつてフランス統治時代にフランス軍が使用し、後には旧北ベトナム軍が使用したものだそうです。

「端門」と「敬天殿」の間には、展示室(博物館)があります。タンロン遺跡は、2002年、国会議事堂を建て替えた時に発見されました。11~19世紀に栄えたベトナム王朝を中心に、各年代の遺物が見つかっています。博物館には、遺物となる鳳凰の屋根飾りや陶器などが展示されています。

博物館の最後にある、学習コーナー。ここは、社会見学に来た子供たちが、科挙制度について学ぶところだそうです。

地方から科挙を受けるためにやってきた人は、合格すると、このような豪華な行列をしたてて帰郷したそうです。

こんな感じですね。故郷に錦を飾っています。^^

そして、庭に置かれているのは、科挙のときに使用されたカプセル。人ひとりがやっとはいれるような、小さな庵です。他の人の回答を盗み見ないよう、科挙の受験生は、ひとりひとりが、このような庵に入れられて、答案を書いたのだそうです。

中には、「科挙受験セット」が置いてありました。


広大なタンロン城址。
まだまだ続きます。


(つづく)

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