MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 102 - ハノイ市内観光② D67作戦司令部とホーチミン博物館(2019年10月11日/41日め)

2019年10月11日 ホーチミン博物館で。かの有名な、「ホーチミンサンダル」を売っていました。


10月11日


広大なタンロン城址。
足を痛めている兄のために、
ゆっくりと歩くようにしたこともあり、
ここの観光だけで、1時間半もかかりました。
最期に見たのは、「D-67作戦司令部」と呼ばれているところです。
ここは、ベトナム戦争時に、
参謀室として重要な役割を果たした建物です。
当時の会議室や地下会議室が、
今も保存され、公開されています。


D-67作戦司令部は、敬天殿の北側にある小さな建物です。地下部分へと、長い長い階段が続いています。


足を痛めていた兄は、降りるのをあきらめ、
ローさんとふたりで一階部分を見学することに。
せっかくなので、私と兄嫁のふたりで、
降りてみました。


広い地下部分には、いくつもの部屋があります。ベトナム戦争時に使われていたものが、多数、残されていました。

広い会議室。平日だったせいか、訪れる人も少なく、私と兄嫁のふたりで、好き勝手にあちこちを見てまわりました。笑

上座の幹部席に座る、兄嫁。幹部席が好きなのは、我が家の伝統かも(爆)。


ホーチミンルート博物館で、幹部席に座った話はこちらです。^^



あちこちで見かけた、ザボンの木。実には虫よけの袋がかぶせられていました。ハノイのザボンはとても甘く、おいしいですよ。機会があったら、ぜひ、お試しください。


タンロン城址で、たっぷり一時間半を過ごした後、
ホーチミン廟の前を歩いて、
その奥にある「ホーチミン博物館」へ行きました。


本来、このツアーでは、
ホーチミン博物館は含まれていません。
でも、事前に兄から、
「ホーチミン博物館には行ってみたい。
 ほかの場所をけずってでもいいから、
 できればここに行きたい。」
というリクエストがあり、急遽、行くことに…。


プライベートツアーだと、
こういうコース変更の希望にも
対応してもらえるのが、いいですね。^^


奥に見えるのが、ホーチミン博物館です。


実はMIYOは、9月28日にここを訪れていて、今回は2回目です。


時刻は、11時です。
午前の部が、あと30分で終わってしまうので、
私とローさんは、あせっていました。


ところが、上の写真を撮ったあと、兄が、
「暑い。足が痛い。
 ちょっとここ(博物館の20m手前)で休ませろ。」
と言いだしたので、気が気ではありません(苦笑)。


「お、お願いだから、あと3分歩いて~。
 博物館は目の前だし、
 中は冷房が効いてるから、
 どうせなら中で休もうよ~。」


兄をなだめすかして、
どうにかこうにか、閉館時間になる前に、
入ることができました。(汗)


ホーチミン博物館です。ホーおじさんが生まれ育った村や家の佇まいが再現されています。

生家で実際に使われていた物が、そのまま展示されています。

こちらは、ハノイ時代に使われていたものです。

ホーおじさんが愛用していた衣類やステッキなど。下の方に、かなりすり減った「ホーチミンサンダル」も置いてあります。

執務中のホーおじさん。

戦争に関する展示もありました。写真は、自分も助からないと覚悟の上で、爆弾を持って、戦車に飛び込む兵士。このような方々が、本当にいたのだそうです。


博物館の建物を出ると、
中庭に、たくさんのお土産物屋さんが並んでいます。


「ホーチミンサンダル」が、たくさん置いてありました。

超特大の、ホーチミンサンダル。


ホーチミンサンダルとは、
廃タイヤを材料にして作られたサンダルのことです。


廃タイヤで作られているので、色はもちろん黒です。
めちゃくちゃ頑丈でデザインもかっこいいので、
お土産に買っていく人もいます。


このサンダルが作られ始めたのは、
ベトナム戦争の頃です。
戦争中は物資が不足しており、
履き物も容易に手に入りませんでした。
そこで、廃タイヤを材料にしたゴムサンダルが作られて、
ベトナム兵士が履いていたとされています。


さらに、ベトナム独立の父・ホーチミン国家主席(ホーおじさん)も、
このゴムサンダルを愛用していていました。
ということで、結局、ホーおじさんの名前が、
そのまま、サンダルの名前になってしまいました。


ホーおじさんは、質素倹約を旨とされていた方なので、
普通に使っておられたようですね。^^
北の黒電話くんにも、見習ってほしいものです(苦笑)。


ちなみに、ひとつくらい買ってみようかな、と思い、
このお店で値段を聞いてみました。
そしたら、なんと、一足が2000円ですと。
高い! 高すぎます!(爆)


私の感覚だと、一足が500円くらいかな。
質素倹約のサンダルなのですから、
いくらなんでも、1000円以上になることはない、
と思うのですが。
まちがってますかね?


外国人値段にしてあるのかもしれませんが、
とにかく高すぎるので、
ここで買うのはやめました。笑


同じ中庭にあった、お土産物屋さん。中央のモスグリーンのシャツは、軍服かと思ったら、警察官の制服なのだそうです。かけてあったのは子ども用で、ズボンとセットになっています。


ベトナムの警察官の子ども服。
兄がおもしろがって、
孫たちへのお土産に、と、
サイズの違うのを二着お買い上げ。


ベトナムに来て初めて買ったお土産が、
「警察官の制服」とは…。
兄らしくて、笑ってしまいました。^^


(つづく)

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