MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 44 - 東河門(クアンチュォン門)(2019年9月15日/15日め)

2019年9月15日 庶民のお昼ごはん。おかずがいっぱいの屋台です。


9月15日


フランスが作っただけあって、
優美な姿を見せる、ロンビエン橋。



そこから歩いて、東河門に戻りました。
ノドが乾いたので、ちょっと休憩です。


いかにも外国人向けと思われる、こぎれいなカフェ。

入ってみました。お昼前なので、まだ誰もいません。

ベトナムコーヒーをアイスで。35000ドン(約170円)です。これを飲みながら、通りを行きかう人を見ているだけで、楽しい。^^


カフェで一時間近くを過ごしました。
こういうところで、
好きなだけ座っている時間があるのも、
住んでいるからこそ。^^


そして、カフェのすぐそばにある、
東河門に行ってみました。
ここから先は、
気の向くままに歩いてみようと思います。


東河門。


東河門(クアンチュォン門)


ハンチェウ(Hàng Chiếu)通り、紅河の堤防近くにあります。
かつては、旧タンロン(ハノイ)の周囲に築かれた城塁上に、
数多くの門がありました。
この門は、その一つです。


城塁は1749年(後黎朝期)、高さ9m幅10mに土盛りされ、
当時は16の城門がありました。
旧市街に華人の町が形成された時代、
城塁はハノイを囲んで、
タンロンの都を洪水から守る役割も果たしていました。


19世紀にはたくさんの門が作られ、
その数は80あまりにものぼりました。


ハノイがフランスの統治下に入ると、
フランスは池や湖を埋め立て、新しい道を造り、
都市の拡張を図りました。


1886年、城壁城門ともに破壊されましたが、
クアンチュォン門だけは、記念に残され、
現在にいたっています。


門をくぐって反対側から見た、東河門。


さらに道を直進すると、
両側にはたくさんのお店が並んでいます。
地図によると、すぐ近くに市場があるようです。
そこまで歩いてみようと思います。


ゴザのような敷物をたくさん並べたお店。

やがて右手に見える、小さな路地。とても道路には見えませんが、地図によると、この小道を通らないと、目指す市場に行けないようです。

路地に入ってみました。いきなり目に入ったのは、揚げ物の屋台。

南米のエンパナーダみたい。右は、あんドーナツみたい。笑

バインセオの屋台。日本のベトナム料理屋で出てくるのは、お皿に乗り切れないような巨大なものですが、こんな、手のひらサイズのかわいいのもあるんですね。この大きさなら、気軽に食べられます。^^

狭い路地は、いろんな屋台が延々と続いていて、見ているだけで楽しい。^^

ちょうどお昼時なので、どこも大にぎわいでした。

好きなおかずをとってもらえるお店。

そして最後はデザート。ベトナムぜんざい(チェー)の屋台です。


ひとつひとつの屋台を見ながら歩いているうちに、
路地を抜けてしまいました。


到着です。
目の前にあるのは、
ハノイでも最大と言っていいほどの規模を誇る、
ドンスアン市場


小さな入り口ですが、この先に、巨大な市場が広がります。


(つづく)

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