MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 19 - 会津若松・鶴ヶ城(萱野国老殉節碑)(2021年4月10日/2日め)

2021年4月10日 鶴ヶ城で。(福島県会津若松市)


4月10日


「茶室 麟閣」から臨む、
鶴ヶ城です。



このあとは、公園内を歩きながら、
出口に向かったのですが、
なにしろ多動夫なので、
ウロウロするばかりで、
なかなか出口にたどりつきません。😂😂


馬洗石(うまあらいいし)
本丸南側の土手のそばに、藩主が馬術を稽古するための馬場がありました。この石は、馬の口洗いのために用いられたそうです。

御三階跡(おさんかいあと)
「御三階」があった場所です。かつて本丸内には数多くの建物がありましたが、その一つに「御三階」と呼ばれる建物がありました。主に会議等に使用されたようです。「御三階」は、市内の阿弥陀寺に移築され、今も大切に保存されています。

阿弥陀寺に移築された御三階です。(画像をお借りしました)

武者走り(むしゃばしり)
V字型になっており、鶴ヶ城の大手門の渡り櫓などへ、簡単に昇り降りができるように造られています。

武者走りは登ることができないのですが、別のところから、石垣の上に上がることができました。

石垣の上から見下ろした、廊下橋です。

美しい会津。この言葉しかありません。

蒲生氏郷公が450年前に開いた自由市が再現されていましたが、コロナのため、お店は全部閉まっていました。

見渡すかぎりの、桜。

その桜に囲まれるかのように、萱野国老殉節碑がありました。


【萱野国老殉節碑】
1934年(昭和9年)に建立されました。会津戦争の全責任を負って切腹した、萱野権平衛の殉節碑です。萱野権兵衛は、田中土佐、西郷頼母、神保内蔵助に継いで、席次が4番目の家老でしたが、戦争責任を一身に背負って、自刃しました。終戦時に、田中土佐と神保内蔵助は既に自刃して世になく、西郷頼母は城を脱出し、箱館に逃れていました。そのため、席次が繰り上がって、萱野権兵衛が斬に処されることになったのです。泰然自若とした最期であったと伝えられています。2人の息子(長準・長正)への遺言は、「会津藩士の誇りを持て」でした。


このときは、気がつきませんでした。
けれど、後になって、
彼の次男・「長正」という名前が気になり、
調べてみました。
やはりそうでした。


郡長正(こおりながまさ)。
No. 15でご紹介した、少年です。
留学先で、食べ物についてのいざこざがあり、
切腹してしまった、あの純真な少年は、
まさに、萱野権平衛の次男でした。


長正が守ろうとしたのは、
「会津藩士の誇り」だけではなく、
「父の誇り」だったのではないかと。
そんな気がしました。



萱野権平衛と、次男・郡長正です(画像をお借りしました)
萱野権平衛が切腹したのは、1869年。その2年後の1871年、わずか15歳で長正が切腹します。父も子も、会津藩士の誇りを抱いて、亡くなったのだと思います。
夫の死後、残された子を気丈に育てようとした妻・タニの悲しみは、察するにあまりあります。

鶴ヶ城の桜は、美しい。けれど、様々な話を知るにつれ、言いようのない物悲しさが、桜の花に重なっていきました

桜の花びらが舞う、美しい会津。

美しい鶴ヶ城。

現在、城跡は「鶴ヶ城公園」となっています。たくさんの市民が、咲き誇る桜の下を歩いていました。

廊下橋まで戻ってきました。

見どころ満載だった鶴ヶ城。それも、思いがけず、一年でいちばん美しい時期に来てしまったようです。


これで、鶴ヶ城日記は終わります。
午後もだいぶ遅くなってきました。
そろそろ帰路につかねばならないのですが、
去りがたい気持ちです。


帰宅するのが遅くなってしまいますが、
あと一か所だけ、行くことにしました。


会津武家屋敷です


次回は、会津武家屋敷を訪ねます。


(つづく)

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