MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 18 - 会津若松・鶴ヶ城(茶室 麟閣)(2021年4月10日/2日め)

2021年4月10日 鶴ヶ城・茶室 麟閣で。(福島県会津若松市)


4月10日


鶴ヶ城・天守閣からの景色を
堪能しました。


最後に、お城の中にある売店に寄りました。

会津武家料理「こづゆ」です。左側の箱入りのを買いました。レトルトパックになっていて、温めるだけで食べられます。おいしかったです。^^

夫が見るのは、やっぱりこれしかないですね。😔

お城を出て、次は「茶室 麟閣」まで、広い公園内を歩きました。


【茶室 麟閣】
1591年(天正19年)、千利休は、豊臣秀吉の怒りに触れ死を命じられました。当時の会津領主蒲生氏郷は、利休の茶道が途絶えるのを惜しみ、利休の子(少庵)を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に願い出ました。その結果、秀吉の怒りが解け、少庵は京都に帰って千家を再興しました。千少庵の孫によって、武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興され、今日の茶道の隆盛に至りました。
少庵がかくまわれている間、氏郷のために作ったとされているのが「麟閣」です。千家再興の地として茶人に知られ、その故をもって、他の茶室にはない、三千家各家元の扁額が掲げられています。
戊辰戦争で会津藩が敗れ、鶴ヶ城は取り壊されましたが、城下の茶人森川善兵衛は貴重な茶室が失われるのを惜しみ、1872年(明治5年)、麟閣を自宅へ移築しました。以来120年にわたり、森川家がその保全に努めてきました。2000年、麟閣は元の場所に移築され、現在は福島県の重要文化財に指定されています。


鶴ヶ城の入場券には、「茶室 麟閣」の入場券も含まれているので、無料で入ることができます。

内部は思ったよりも広く、茶室だけではなく、庭園もあります。

寄付(よりつき)
外露地に構えられる建物で、茶会に先立って客が連客と待ち合わせたり、身支度を整えて、席入りの準備をするための施設です。
(森川家から移築復元)

腰掛待合(こしかけまちあい)
客が露地入りして亭主の迎えを待つ場所です。中立ちの際に一旦路地に出て、後の席入りの合図を待つ施設でもありました。
(森川家から移築復元)

蹲踞(つくばい)
露地にある水場のことで、手水鉢と役石などでできています。俗界の汚れを払い、清らかな心で席入りするために、手を洗い、口をすすぐためのものです。
(若松城の遺構を生かしたもの)

「麟閣」です。

躙口(にじりぐち)
この小さな扉から、「麟閣」の中に入ります。躙口の奥に見えるのが茶室です。茶室は狭く、質素なつくりです。(森川家から移築復元)

蒲鶴亭
麟閣とつながる形で建っています。無駄を省いた茶室麟閣とは異なり、装飾をすることが許されています。少庵が削ったという「赤松の床柱」も見ることができます。
(森川家から移築復元)


ふたりのお嬢さんが、
躙口(にじりぐち)を覗き込みながら、
「出入り口がどうしてこんなに
 低いんだろうね。」
と話していました。


「あの、それはですね。」


ついついでしゃばって、
説明してしまいました。😅


【躙口が低い理由】
千利休が生きた戦国時代は、主従関係が強い時代でした。しかし利休は、「茶室の中ではすべての人が平等」ということを示すために、入り口を低くしました。どんなに身分が高い人でも、刀を外し頭を下げなくては、茶室に入ることができません。それが、利休が作り上げた茶室でした。


そうそう。
自分でも忘れていましたが、
大学時代は、茶道部だったんですよ。🤣🤣
もう、笑うしかないですね…。


ブラジルに留学していたときには、
日本領事館主催のジャパンデーに、
お点前を披露しちゃってるんです。汗
「私、部活でやってただけですから。
 ムリです。」
と固辞したのですが、
「茶道を知ってる人は誰もいないから、
 間違えても大丈夫です。」
とか、説得されて。爆


あれから40年。
今では、袱紗さばきすらも、
すっかり忘れてしまいました。
まあ、そんなものです。爆


(つづく)

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