MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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全盲難聴・のんたん 「第16回たきび祭」で演奏しました。(2023年12月9日)/ 松山から九町へ、弾丸の一日(2026年5月26日)

MIYO

2023年12月9日 「たきび祭」で。(長男 28歳)


2023年12月9日(土)


2年以上前のことになりますが、

2023年のたきび祭の日記を

書いておこうと思います。


日野市が開催している「たきび祭」では、

そのオープニングで、必ず、

S園の音楽グループ「ひまわり」が

演奏します。

長男は「ひまわり」のメンバーで、

コンガを担当し、毎年出演しています。


私たちは、2017年から2025年までずっと、

たきび祭で長男を応援し、

そのようすを日記に掲載してきました。

が、2023年だけ、記録が抜けています。

その理由は、ちょっとした行き違いがあり、

当日私たちが会場に行くことが

できなかったためです。

このときのことについては、以下の日記に書きました。

全盲難聴・のんたん 第18回たきび祭① 長女といっしょに応援(2025年12月6日)


応援に行けなかったことが

長男に申し訳ない気持ちで、

以来2年間、このときの日記を、

ずっと書くことができませんでした。


けれどようやく、

「これも長男の大事な記録。

 行ってあげられなかったけれど、

 やはり書いておこう。」

と思えるようになりました。

幸い、当日の写真がS園のブログにあるので、

そこから抜粋して掲載したいと思います。


【S園のブログから】

旭が丘中央公園でたきび祭が開催されました。毎年恒例になったたきび祭ですが、オープニング演奏を飾るのは、S園の「ひまわり」です。4曲を演奏しました!

たくさんの園生が応援にかけつけ、もちろん模擬店の美味しい食べ物も楽しみました。S園からも模擬店に出店し、紙漉き体験やフランクフルト、綿菓子、飲み物の販売を行いました。


ステージでスタンバイする、「ひまわり」のメンバーです。

長男は、右端でコンガを叩いています。

無事、4曲を演奏しました。

今年も、たきび祭は大盛況で、たくさんの方々に演奏を聞いていただくことができました。^^


これまでに掲載した「たきび祭」の日記です。

ずっと空白になっていた2023年の欄を、ようやく埋めることができました。^^


2017年(長男22歳)
ボランティアのヨリさんとヤグチさんが、かけつけてくださいました。
1分30秒を過ぎた頃から、長男のソロが始まります。(撮影:のぞみ父)

17120901風になりたい - Nozomi, Deaf-blind
全盲難聴・のんたん 日野市たきび祭① - 脱ヅラしました+「風になりたい」(2017年12月9日) 
全盲難聴・のんたん 日野市たきび祭② - 「空も飛べるはず」+「フィナーレ」(2017年12月9日)
全盲難聴・のんたん 日野市たきび祭③ - やっぱり最後はカラオケ(2017年12月9日) 
2018年(長男23歳)
全盲難聴・のんたん 「たきび祭」で演奏しました。(2018年12月8日)

2019年(長男24歳)
全盲難聴・のんたん 「たきび祭」で演奏しました。(2019年12月7日)
全盲難聴・のんたん 「俺の焼き肉 神田店」で晩ごはん(2019年12月7日)

2020年(長男25歳) コロナのため中止

2021年(長男26歳) コロナのため中止
2022年(長男27歳)
全盲難聴・のんたん 「第15回たきび祭」で演奏しました。① 3年ぶりの開催(2022年12月3日)

全盲難聴・のんたん 「第15回たきび祭」で演奏しました。③ カナンでランチ(2022年12月3日)
全盲難聴・のんたん 「第15回たきび祭」で演奏しました。④ 和太鼓と津軽三味線 / S園のバザー / 音楽クラブ(2022年12月3日)

2023年(長男28歳)

全盲難聴・のんたん 「第16回たきび祭」で演奏しました。(2023年12月9日)/ 松山から九町へ、弾丸の一日(2026年5月26日)

全盲難聴・のんたん 「第16回たきび祭」で演奏しました。(2023年12月9日)

2024年(長男29歳)

全盲難聴・のんたん 第17回たきび祭① キッチンカーのランチ(2024年12月7日)

全盲難聴・のんたん 第17回たきび祭② メンバー紹介で笑顔(2024年12月7日)
全盲難聴・のんたん 第17回たきび祭③ 「ありがと~!」とごあいさつ。/ S園のレクリエーション企画(2024年12月7日/10月29日)
全盲難聴・のんたん 第17回たきび祭④ カラオケUTABA(2024年12月7日)

2025年(長男30歳)

全盲難聴・のんたん 第18回たきび祭① 長女といっしょに応援(2025年12月6日)

全盲難聴・のんたん 第18回たきび祭② 夫は救急搬送(2025年12月6日)

全盲難聴・のんたん 第18回たきび祭③ S園のブログから(2025年12月6日)/「レストラン ザクロ」と「カジュアルビストロ ・西5東3 新宿店」」


(もうひとつのお話)


2026年5月26日(火)


このことはブログに書かないつもりでした。

でも、やはりたいせつな記録として、

書き残しておこうと思います。


私がベトナムで働いていたときに、ハノイまで遊びに来てくれた、兄夫婦。もう7年前のことになりました。(2019年10月11日 ハノイ・タンロン城址)

このときの日記です。

定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 101 - ハノイ市内観光① タンロン城址(2019年10月11日/41日め)


その後兄は持病が悪化し、闘病中でしたが、

4月26日に亡くなりました。

73歳でした。

お通夜は28日で、29日が葬儀でした。

あいにく我が家では、長男が帰宅中。

いろいろな事情から、

私たちは、実家(松山)に

かけつけることができませんでした。


そこで、長男が帰園したあと、

兄嫁の都合に合わせて日を決め、

後日、私と夫のふたりで、

松山の実家に行くことにしました。

それが5月26日でした。


このことを私は

ブログに書くつもりがなかったし、

この日は写真も撮りませんでした。

でも写真病😓の夫が撮っていたので、

それを掲載しながら、

簡単に記録しておこうと思います。


朝9時15分発のANAで出発し、夜19時50分の便で帰京します。東京-松山を日帰りするという、弾丸の一日でした。


航空券を買うにあたって、

まずはJALで調べてみたら、

ひとり30000円以上(往復)でした。😮

夫とふたりで60000円を超えます。

た、高い…。


が、ANAマイルが53000マイルあったので、

ANAの特典航空券を利用できて、

助かりました。

ひとり17000マイル。

ふたり分で34000マイルでした。

これまでに何十回もマイレージで

旅行しておいて、今さらなのですが、

マイルを貯めておいてよかった、と

しみじみ思いました。


座席も、かろうじて残っていた窓際を押さえました。こんなときなのに、いつもの癖でいろいろやってしまうのがお恥ずかしいのですが…。😔

そして羽田空港では、やはりいつもの癖でパワーラウンジに行ってしまうし…。😓

これに乗って行きます。…って、夫がこんな写真撮るから、まるでいつもの旅行日記みたいになってるじゃないかー。(スミマセン)

搭乗です。

11時過ぎに松山に到着。

「みかんジュースが出る蛇口」を見つけて喜ぶ夫。こらこら、旅行じゃないんだってば。😔

いつもなら、兄が空港まで迎えに来てくれるのですが、その兄はもういないんだなあ…と思いながら、レンタカーを借りました。

レンタカー代は、一日借りて4800円。が、じゃらんでポイントを利用したので、無料でした。


今回は旅行ではないのですが、

今まで旅行しまくったノウハウが

もう普通に出てしまって…。汗

とりあえずここまで、

かかった費用は0円です。😓


夫の運転で、まずは実家(兄の家)へ。


兄や姉とは年が離れていたので、私はいつも赤ちゃん扱いでした。それは、現在に至るまで変わることがなかったと思います。

兄と姉は高校生で、私は小学生。父はほとんど家にいなかったので、父といっしょに撮った家族写真がありません…。(愛媛県八幡浜市)

松山の実家で。兄です。この家でみんなに見守られて、穏やかに亡くなったそうです…。

兄嫁、甥といっしょに。

そして夫が運転すること2時間。西宇和郡伊方町九町へ。海が見渡せる高台の家は、私の母の実家でした。私は0歳のころ、ここに半年くらい預けられ、祖母に育てられました。

小さいころによく来た場所だったのに、街並みがすっかり変わっていて、叔母の家に行く道がわからなくなっていました。😓 60年の歳月は大きいです。

九町の家の庭で、兄といっしょにかまくらを作ったのも、楽しい思い出。隣りにいるのは、叔母と祖母。

九町の家で、母、母のいとこたちといっしょに。

同じ場所の現在。今はこの家を、87歳の叔母がひとりで守っています。大好きな叔母に会いたくて、そして叔父にお線香をあげたくて、ここまで来ました。

私が生まれ育ったのは八幡浜市ですが、九町は私にとって、もうひとつの懐かしい場所です。再び来られてよかった。

「九町で叔母ちゃんと食べてね。」と兄嫁がどっさり持たせてくれた、愛麺のぶっかけうどんと冷し中華。私の実家の製品です。^^ 食べきれないくらいあり、東京まで持ち帰りました。😊

叔母ちゃんからもたくさんいただきました。なつかしい、九町のお菓子たち。(もっとたくさんいただいたのですが、食べてしまいました。😅)

ちなみにこれは、東京のお土産に買った、あんこ天米。テレビに出てから有名になってしまい、現在は、朝2時間列に並ばないと買えない貴重品になってしまいました。これは自宅用。

義姉と叔母には、あんこ天米が入った詰め合わせを持っていきました。


叔母からは、九町の野菜やしらすも

いただきました。

箱にいっぱいのもぎたてトマトは、

甘くていくらでも食べられました。😋

ごはんがとまらない釜揚げしらすは、

3パックもいただきました。

トマトは食べきってしまったけれど、

しらすは少しずつ解凍して、

今も大事に大事にいただいています。

今まで食べたシラスの中で

いちばんおいしい。^^


今も、さまざまな思いが、

胸の中にあります。

でも、こういう悲しみを抱えながら、

誰もが生きていくのだと思います。

一か月遅れたけれど、

兄に会いに行ってよかった。


幼い頃の思い出の箱を

ひとつひとつ、開けては閉じながら、

東京に戻りました。

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