MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
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コロナでもウポポイ。登別から函館を訪ねる北海道 4泊5日のおトク旅 22 - 箱館奉行所(2020年11月30日/4日め)

2020年11月30日 箱館奉行所で。(北海道函館市)


11月30日


箱館奉行所の復元は、その構想から,
約20年の歳月をかけて完成しました。
庁舎解体から、
実に140年もの時を超えて、
再び、その姿を甦えらせたのです。



【箱館奉行所】
日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所です。当初は、箱館山の麓に置かれましたが、内陸の地への移転が計画されました。その計画に基づいて、1864年(元治元年)、その外堀となる五稜郭と共に完成しました。1868年(明治元年)、戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、旧幕府脱走軍降伏2年後の1871年(明治4年)に、解体されました。地上に存在した期間は、わずか7年です。
2010年(平成22年)、建築当時の材料・工法を可能な限り使用し、庁舎の1/3の規模を復元しました。幕末から明治維新にかけての、ピンと張りつめた時代の空気が感じられる、貴重な歴史遺産と言える空間です。


復元の決め手となった古写真。パリの骨董店で見つかりました。1868年(明治元年)ごろに撮影された、箱館奉行所です。

写真を元に復元された、現在の箱館奉行所。そっくりですね。^^


復元にあたっては、
建築当時の材料・工法を、
可能な限り使用したそうです。
驚いたのは、屋根瓦です。


屋根瓦全体から醸し出される、やわらかな風合いに、ご注目ください。


よく見ると、瓦の色が、
一枚、一枚、微妙に異なっています。
当時は、瓦を手作りしていたのですから、
色にムラがあるのは、
あたりまえのことでした。


ところが、現在の、高度に管理され、
機械化された生産工程を経ると、
すべての色が均一で、
全く同じ瓦ができあがってしまいます。
(あたりまえですが。笑)


それでは、元々の風合いが出せない、
ということに、こだわったんですね。^^
現在の箱館奉行所を建築するにあたっては、
すべての瓦を、人の手による、
昔ながらの工程で作ったそうです。


屋根瓦ひとつにすら、
そこまで手間をかけたのです。
他のところも同様であるのは、
言うまでもありません。
内部の様々なところで、
日本の名工や匠と言われる方々が、
建築に参加されているそうです。


再現に携わった方々の
思いが集積された、箱館奉行所。
その内部をご覧ください。


玄関を入ってすぐのところにある、表座敷。幕末の箱館奉行所を忠実に再現しています。4つの部屋(手前から四之間、参之間、弐之間、壹之間)が、それぞれ4枚のふすまで仕切られています。日本伝統建築のたたずまいを再現した、趣のある空間です。

表座敷を、床の間に向かって歩きました。奉行の執務室であった表座敷は、襖を開け放つと72畳の広さになる大広間でした。畳には、最高級の備後表が使用されています。

いちばん奥の壹之間にある、違い棚と床の間。箱館奉行が接見に使用した部屋です。この部屋で、1868年に、幕府から明治政府への引き継ぎが執り行われました。

大広間の両側には、畳廊下が続きます。

各部屋との境は、美濃(岐阜)産の手漉き和紙を張った障子で仕切られており、天井板は、竿縁(さおぶち)とよばれる3本の細い木材が支えています。

ちなみに、これは、玄関を入ってすぐのところにあります。トイレですね。^^ 「使用しないでください。」という注意パネルが笑えます。🤣🤣

中庭です。奉行所の中庭は、観賞用ではなく、採光や雨水処理を目的としたものでした。四方の屋根から集まる雨水を、溜桝(ためます)や樋を利用して、大広間の床下から南庭へと排水する構造になっていました。中庭ごしに見える太鼓櫓の高さは、約16.65mだそうです。

太鼓櫓の入り口です。残念ながら、中に入ることはできません。

「式台の埋め甕」と呼ばれる、信楽焼の大甕です。2005年に、箱館奉行所跡の発掘調査で、玄関と内玄関の式台跡から8個の甕が発見されました。玄関式台跡では5個、内玄関式台跡では3個が、それぞれ口を上に向けて、地面に埋められていました。これらが埋められていた理由については、現在もよくわかっていないそうです。


このほかに、
 役所調役(おやくしょしらべやく)の執務室
 同心組頭の詰め所
 身分の低い武士たちの詰め所
があり、それぞれ、
 五稜郭や箱館奉行所の歴史の解説
 復元工事の映像による紹介
 実際に使用された部材の展示
などに利用されています。


現在の箱館奉行所は、
庁舎の1/3の規模を復元したものですが、
それでも、内部は広く、
たいへん見ごたえのあるものでした。


足軽・同心など、比較的身分の低い武士たちの詰め所だった部屋では、復元工事の設計から施工までの経過をパネルで紹介しています。実際に使用された部材の実物(瓦、釘隠し、竹釘、木材)が展示されていました。

同心組頭の詰め所では、復元工事の映像記録をハイビジョン映像で紹介しています。復元工事の随所で繰り広げられた、宮大工による日本伝統建築の匠の技に、驚かされました。写真は、復元された函館奉行所の模型です。


【箱館奉行所の復元工事】
箱館奉行所の復元工事は、4年の歳月を費やしました。「同じ場所に・同じ材料で・同じ工法で」をモットーに、ヒバ、マツ、スギなどの用材は青森から、畳は岡山や熊本から、瓦は福井から、そして障子紙は美濃から…というふうに、厳選した材料を全国各地から調達しました。屋根瓦の葺き方、鬼がわらの制作、土壁の塗りなど、随所に古建築の技法が発揮されています。宮大工をはじめ、優れた腕をもつ職人が全国から呼び集められ、最高の技術で工事を進めました。その経緯を紹介する映像には、ただただ圧倒されました。


「どうしてそこまでやるの?😂」と言いたくなるくらい、こだわり抜いて再現された、箱館奉行所。携わった方々の真摯な思いや熱意が、胸を打ちました。


五稜郭跡は、
国の特別史跡になっています。
さらに、ミシュランからも、
「星2つ(寄り道する価値がある)」
の評価を受けたそうです。


寄り道だなんて、とんでもない。
箱館奉行所だけでも、
最低、一時間はかけて、
じっくりと見ていただきたいところです。
それだけの価値がある、
すばらしいところでした。


(つづく)

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