MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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コロナでも白鳥。寒風の中を千葉へ 2 - 佐倉順天堂記念館(2020年12月20日)

2020年12月20日 佐倉順天堂記念館で。当時の手術道具です。(千葉県佐倉市)


12月20日


牛角ビュッフェでお腹いっぱいになり、
次に向かったのは、
佐倉順天堂記念館
でした。


佐倉順天堂記念館


【佐倉順天堂記念館】
蘭医学の塾兼診療所「佐倉順天堂」があった場所です。藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然が、1843年(天保14年)に開きました。ここでは、西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中(たかなか)をはじめ、明治医学界をリードする人々を輩出しましたで。
現在は、1858年(安政5年)に建てられた建物の一部が残り、「旧佐倉順天堂」として千葉県の史跡に指定されています。記念館では、当時の順天堂で用いられていた、医学書や医療器具などを展示しています。


江戸時代の診療所。
これはまさに、「仁」の世界ですよね。
どんなものが展示してあるのか、
とても楽しみでした。^^


佐倉順天堂記念館の門です。

往時の佐倉順天堂。現在も、ほとんど変わっていません。

診療所全体の模型。いちばん奥の建物は、入院棟だったそうです。現在は、門を入ってすぐの建物のみが残されています。(写真のほぼ四分の一にあたる、右下部分)

門を入ると、左手の庭には、順天堂大学の基礎を作った佐藤泰然氏の胸像があります。その手前には、佐倉順天堂の黒門の礎石が、今も残されています。

それでは、建物の中に入ってみましょう。

玄関です。ご覧のように、扉だの窓だの、なにもかもが全開状態。寒風が吹きすさぶ中、館内もめちゃくちゃ寒いです。コロナ対策とのことでした。見学者は私たちしかいなかったので、蜜になる心配はありませんが…。笑

玄関で靴を脱いで上がると、左側が受付です。入館料はひとり100円。

そして右側には、こんな展示が。写真左は、往時の看板で、右の挟み箱には、医療用具を入れて往診に使ったそうです。さらに、壁に開いている。カワイイふたつの小窓をご覧ください。これは、診療所時代の受付用の小窓でした。


入館料を払って、希望すると、
ボランティアガイドさんが
内部を案内してくださるそうです。


「それでは、お願いします、」
と言ったら、
隣りの部屋で待機していた、
ボランティアガイドさんが
いらっしゃいました。


ここからは、ガイドさんといっしょに、
内部を見学しました。
館内には、当時の様々なものが展示してあり、
それらのひとつひとつを、
ガイドさんが説明してくださるので、
とてもよくわかり、おもしろかったです。


診療所時代の手術用具です。左端は、骨を切るためののこぎり。左から3つめの道具は、先が細かく割れています。これは、銃創から弾をひっかいて取りだすために使われました。その右となりは、押しあてて出血を止めるための道具です。


のこぎりとか、弾をかきだすとか、
なんだか、話を聞いているだけで、
痛々しくて、つらい…。😰😰


「当時は、麻酔なんてないんですよね。
 麻酔なしで、こんな治療をしたんですね…。」
と質問したところ、
「麻酔の代わりに、アヘンのようなものを
 使ったみたいですよ。」
とのことでした。


注射器です。現在のようなピストン型ではなく、ネジをぐるぐる回して注入したそうです。

舶来の医薬品類。当時のラベルが残っており、ロッテルダム、パリ、ハンブルグなどの製薬会社の名前が書かれています。

手術承諾書。この頃から、こんなものがあったんですね。「親類一同と相談のうえで治療を受けることにしたが、万一、手術中に死亡してもいささかも恨まない。」と書いてあります。すごいなあ…。

順天堂で使用していた顕微鏡。

料金表です。出産手術、眼病、焼傷、竹木刺、脱肛裁断、痔瘻、乳癌、陰茎裁断、手足裁断、造鼻…など、料金が細かく定められています。ひとつひとつを読んでいると、おもしろいけど、コワいです。

同じ敷地内には、多くの門人(塾生) が寄宿していました。その塾生のために書かれた、生活規則です。「歌を歌わない」「囲碁将棋をしない」「外泊しない」「物品を勝手に使わない」「雑誌を読まない」「飲酒をしない」の6つが定められていました。

診療所の廊下です。小さいころ、病院ってこんな感じだったなあ…、となつかしくなりました。


160年以上前の日本に、
こんな立派な医療機関があったということに、
驚かされます。


当時の医療器具を見ながら、
佐藤泰然をはじめとする医師たちが、
懸命に治療に取り組んだようすを、
想像しました。


でも、治療された患者さんは、
そうとう痛かっただろうなあ…。(苦笑)


(つづく)

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