コロナでもウポポイ。登別から函館を訪ねる北海道 4泊5日のおトク旅 24 - アイヌ風俗12ヶ月屏風と山丹服(2020年11月30日/4日め)
(2021/04/02 13:25記)
2020年11月30日 「五稜郭タワー」で。(北海道函館市)
11月30日
函館市北方民族資料館に来ています。
「北方民族」が住んでいたエリアです。下の方に、北海道が小さく描かれています。広大なエリアに、こんなに多くの民族が住んでいたんですね。
アイヌ民族は、北海道だけでなく、樺太南部にもいました。ちなみに、樺太北部の「ニブフ族」は、鮭の皮で作った衣服を着ていた民族です。30年以上前のテレビ番組で見たことを、なつかしく思い出しました。
入り口を入ってすぐ、
大作に目を奪われました。
アイヌ風俗12ヶ月屏風。幕末のアイヌ絵師・平沢屏山が、日高・十勝地方のアイヌの人々と生活を共にし、その暮らしを絵画にしたものです。アイヌ民族の生業のようすを12ヶ月に区分してあり、アイヌの物質文化や精神文化を知ることができます。
(右端から)
1月 社頭の図
2月 山中にシカを追う図
3月 磯に海苔を採る図
4月 炉辺団らんの図
10月 移動の図
12月 熊檻の周囲を輪舞する図
3月 磯に海苔を採る図
「風俗12ヶ月屏風」なんていうと、
違った連想をする方も
いらっしゃるかもしれません。
でも、「風俗」って、本来は、
「ある時代やある社会における、
生活上の習わしやしきたり。
風習。」
っていう意味なんですよ~。
辞書によると、最近は、
「性的なサービスを行う店。」
という意味で使われることが多いと…。
残念です…。
革張りのカヌー
そして、「着飾る」というエリアに入りました。
エヴェン人の胸掛(エプロン)。素材は、トナカイの皮、ガラス、木綿。主にロシア国内の東シベリア北部地域に居住していました。
エヴェン人の靴。素材は、トナカイの皮、ガラス、木綿。
おもしろかったのが、「山丹服」です。
アムール川下流に住んでいた山丹人との山丹交易によって、数々の中国製品がもたらされました。なかでも、本来は清朝の官服であった「山丹服」は、蝦夷地や本州で、ことのほか珍重されました。中国清朝時代(17世紀ごろ)には、交易は盛んにおこなわれ、多くの山丹服が、大陸より樺太経由でアイヌ民族にもたらされたようです。アイヌ民族と大陸とのかかわりを物語る、貴重な資料となっています。下の絵は、山丹服を着るアイヌの男性です。
山丹服です。「蝦夷錦(えぞにしき)」とも呼ばれました。その名のとおり、繊細で豪華な刺繍が施されています。刺繍された龍の爪が4本あることから、高官や貴族が着ていたものであると考えられています。
このように吊るすと、清朝の衣服であったことがよくわかります。
この服の龍の爪は5本です。これは、皇帝クラスの人が着ていたと言われています。ちなみに、一般の人が着る服では、龍の爪は3本になります。
アイヌ民族が清朝の服を着ていたとは、知りませんでした。通常の服の上から、ガウンのように羽織っていたようです。
山丹服は、その後、
和人の目にもとまりました。
アイヌ・和人間の交易により、
多くの山丹服が本州に運ばれたため、
現在の北海道には、山丹服は、
それほど残っていないそうです。
鎖国時代に、幕府への献上品として、
「松前藩が山丹服を贈った」
という記録があります。
そのときに、
「これは北海道の着物です。
海外からの輸入品ではありません。」
と説明し、「蝦夷錦」と名づけたそうです。
美しい山丹服のとなりには、アイヌ民族の衣装が並んでいました。
次回は、
アイヌ民族衣装のコレクションを
ご紹介します。
木彫りの女性像
(つづく)


















