MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 95 - ホアロー収容所③(2019年10月6日/36日め)

2019年10月6日 たま弥で食べた、お刺身定食。ハノイでは、いくつかの日本料理屋に行きましたが、ここで食べたのがいちばんおいしかったです。


10月6日


ホアロー収容所で、三番めのエリアに入りました。
個々が最後のエリアです。


展示してある写真は、
植民地時代から、ベトナム戦争のころのものに
変わりました。


そう。
ここで展示しているのは、
ベトナム戦争の頃の写真や物品です。
ベトナムで捕虜になった米兵は、
このホアローに収容されていました。
当時、米兵のあいだでは、この収容所のことを、
「ハノイ・ヒルトン」と呼んでいたそうです。
実際のところ、彼らの生活は、どうだったのでしょうか。


米軍の爆撃で、ひと晩で破壊された街。

捕虜となった米兵が使用していたもの。ごていねいに、捕虜の名前や顔写真付きです。

捕虜が着ていた服。

捕虜になった米兵が使っていたもの。左上から、うちわ、食器、パイプ、カーディガン。

食器、やかん、タオル、歯ブラシ、髭剃りの道具。

捕虜が使用していたベッド。


ここで私が感じたのは、
「フランス統治時代に使用していたものとは、
 ずいぶん違うなあ…。」
ということでした。


フランス統治時代のベトナム人は、
首や足を固定され、
コンクリートのベッドに転がされていました。
ただ生きているだけ、のような状態だったと思います。


けれど、ベトナム戦争当時に捕虜となった米兵は、
涼をとるためのうちわ(!)や歯ブラシ、
髭剃り道具まで与えられています。


ベッドは、粗末なものですが、
コンクリートよりはマシなものだし、
筵まで敷いてもらっています。


時代が違う、
と言ってしまえばそれまでなのですが。
そして、私が感じた、そんな思いは、
さらに次の展示物にもつながっていきました。


ホアローに収容されていた米兵の写真。
上:母国からの手紙や写真を受け取り、喜ぶ米兵。
下:米メディアの取材を受け、いっしょにお酒を飲む米兵。

上:クリスマスの飾りつけを、みんなで楽しむようす。
下:クリスマスの料理をみんなで作り、食事会を開いたときのようす。


私が、へそまがりなのでしょうか…。
なんかね。
なんとなく、聞こえてきたんです。


「自分たちは、かつて、
 フランス人から悲惨な扱いを受けたけど、
 ベトナム戦争では、アメリカ人の捕虜を、
 こんなにも大切に扱っています…。」
と言う、ベトナム政府の言い分が…(苦笑)。


この写真が、プロパガンダかどうかは、わかりません。
本当に、米兵はよくしてもらったのだとしたら、
「すみませんでした。」と、謝るしかないんですけど。


でもね…。
ホアロー収容所の歴史として、
「フランス統治時代」と「ベトナム戦争当時」という、
ふたつの事実を紹介するのは当然なのですが、
その扱い方には、大きな違いがあるように感じるのです。
ベトナム政府が言いたいことも、
ここには、さりげなく隠されているんじゃないか(苦笑)。


いや、ほんと、単に感じただけのことですし、
こんなふうに思ってしまう私、
素直じゃないですね…笑


「わかった、わかった。
 おめーらの言いたいことは、
 よーーーくわかった。」
と、心の中でつぶやきながら、
収容所の外に出たのでした。(苦笑)


収容所の塀の前で、観光用の記念写真を撮っていた、韓国人のカップルと撮影スタッフ。この建物がかつてなんだったのか、きっとこのふたりは知らないんだろうなあ、と思いました。(知っていたら、こんな写真、撮ろうと思わないですよね。)


さて。
広いホアロー収容所内を見てまわったのですが、
実は、かつての収容所は、この3倍もの広さがありました。


自宅で雑談しているときに、
ローさんにおしえてもらったのですが、
近年になって、
収容所の約3分の2の部分が
取り壊されてしまったのだそうです。


現在、その場所には、
「ハノイ・タワー」と呼ばれる高層ビルが建てられていて、
高級マンションとビジネスオフィスが入居しているのだとか。
せっかくなので、その、「ハノイ・タワー」に
行ってみることにしました。


つまりこれが、「ホアロー収容所の四番めのエリア」、
ということになります。^^


ホアロー収容所の隣りにある、ハノイ・タワー。高層ビルなのですが、大きすぎて写真に納まらないので、1階部分のみを撮りました。

ここに来た目的は、「レストラン街」です。高層ビルなら、たいていありますよね。笑 そして思ったとおり、日本料理屋がありました。そろそろお昼なので、ここでランチにします。

日本料理屋「たま弥」。店内だけでなく、お店の前のスペースにも、テラス風のテーブルがたくさん設えてありました。

「刺身定食」を注文してみました。

こんな感じ。お刺身盛り合わせ、小鉢、茶わん蒸し、お味噌汁、ごはん、デザート(ドラゴンフルーツ)で、210000ドン(約1050円)でした。日本で食べるのとまったく変わらない、おいしい食事でした。


食事のあと、お茶を飲んでいると、
数人の女性スタッフに囲まれて、
「日本に行ったことがあります。」
「日本に行きたいです。」
「ベトナムは好きですか?」
などと、あれこれ、カタコトの日本語で話しかけられました。


どうやら、日本語の練習をしたいようなのです。
ベトナムでは、こういうことがよくありました。
日本人は好意的に見られているなあ、と感じます。
ありがたいですね。^^


Ocha(お茶)が無料になっているのが、うれしいです。^^


二日続けてハノイの街を歩き回ったので、
この日は、少し早めに、
家に戻ることにしました。


とはいえ、ここからバス停まで、
歩いて一時間。
バスに揺られて、一時間。
家に着くのは、4時前になってしまうのですが。^^


晩ごはんです。

オムレツ風のお焼き、バラロット風に、胡椒の葉を混ぜたハンバーグ、肉団子のトマトソース、野菜炒め(もやし、人参、ねぎ)、ごはん、スープ(肉団子、ねぎ)。


今日も楽しい一日でした。


(つづき)

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