MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 94 - ホアロー収容所②(2019年10月6日/36日め)

2019年10月6日 ホアロー収容所の慰霊碑です。


10月6日


ホアロー収容所で、ひとつめのエリアを見学したあと、
見学路は売店に続きます。


鮮やかな色合いのポーチに、少し気持ちが癒されます。


売店で少し休憩したあと、
二番めのエリアに入りました。
ここは、女性とその子供たちを収容した房でした。


結婚し、小さな子どももいたこの女性は、政治犯として、この監獄に入れられました。

この女性も、政治犯として収容されていたそうです。

女性と子どもたちを収容していた部屋です。この房でも、実物大の人形で当時を再現してありました。


女性が監獄に入れられるとき、
その子どももいっしょに収容されていたようです。
大人にとっても劣悪な環境の中で、
子どもが生活していたというのは、
想像しただけでも、胸が痛むことでした。


人ひとりが通れるくらいの幅しかない通路。両側にあるのは、独房です。

コンクリートで作ったベッドには、鉄の足かせが埋め込まれています。

この足かせに足を固定した状態で、収容されていました。

二人用の房もあったようです。

ここに収容されていた女性の写真です。

このエリアの最後にあるのは、処刑室です。巨大なギロチンが置いてありました。ギロチンは、フランス革命のときに、フランス人が発明したものですが、フランス人は、それと同じものを、ベトナム人にも使用したのです。

丸い穴は、首をはさんだところ。そして、その下に置いてある桶で、切った首を受けました。こんなものを、フランスからわざわざ運んでこなくても、と思います。

思い気持ちのままで、屋外にでました。そこには、ベトナム戦争についての、各国の対応の記録が展示されていました。

日本の資料も展示してあります。

その隣りにある小さな庭。ここには、亡くなった方々のための慰霊碑が作られています。


欧米人の見学者が多い、ホアロー収容所ですが、
慰霊碑のある場所は、訪れる人も少なく、
ひっそりとしています。


多くの方々が、ここで命を落としました。
それでもあきらめることなく、
闘い続けたベトナムの人々が、
この国を作ったのだな、と思いました。


(つづく)

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