定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 94 - ホアロー収容所②(2019年10月6日/36日め)
2019年10月6日 ホアロー収容所の慰霊碑です。
10月6日
ホアロー収容所で、ひとつめのエリアを見学したあと、
見学路は売店に続きます。
鮮やかな色合いのポーチに、少し気持ちが癒されます。
売店で少し休憩したあと、
二番めのエリアに入りました。
ここは、女性とその子供たちを収容した房でした。
結婚し、小さな子どももいたこの女性は、政治犯として、この監獄に入れられました。
この女性も、政治犯として収容されていたそうです。
女性と子どもたちを収容していた部屋です。この房でも、実物大の人形で当時を再現してありました。
女性が監獄に入れられるとき、
その子どももいっしょに収容されていたようです。
大人にとっても劣悪な環境の中で、
子どもが生活していたというのは、
想像しただけでも、胸が痛むことでした。
人ひとりが通れるくらいの幅しかない通路。両側にあるのは、独房です。
コンクリートで作ったベッドには、鉄の足かせが埋め込まれています。
この足かせに足を固定した状態で、収容されていました。
二人用の房もあったようです。
ここに収容されていた女性の写真です。
このエリアの最後にあるのは、処刑室です。巨大なギロチンが置いてありました。ギロチンは、フランス革命のときに、フランス人が発明したものですが、フランス人は、それと同じものを、ベトナム人にも使用したのです。
丸い穴は、首をはさんだところ。そして、その下に置いてある桶で、切った首を受けました。こんなものを、フランスからわざわざ運んでこなくても、と思います。
思い気持ちのままで、屋外にでました。そこには、ベトナム戦争についての、各国の対応の記録が展示されていました。
日本の資料も展示してあります。
その隣りにある小さな庭。ここには、亡くなった方々のための慰霊碑が作られています。
欧米人の見学者が多い、ホアロー収容所ですが、
慰霊碑のある場所は、訪れる人も少なく、
ひっそりとしています。
多くの方々が、ここで命を落としました。
それでもあきらめることなく、
闘い続けたベトナムの人々が、
この国を作ったのだな、と思いました。
(つづく)