MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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新緑の長野へ。塩の道から群馬の秘湯へと歩いた4日間 2 - 千国番所と千国の庄資料館①(2024年6月12日/1日め)

2024年6月12日 千国の庄資料館で。(長野県北安曇郡小谷村千国)


6月12日(水)- 1日め


信州の山の中にひっそりと建つ、
千国の庄資料館・千国番所
に来ています。


かつて「塩の道」と呼ばれた、
「千国街道」について、
もう少しご紹介します。


【塩の道・千国街道】
長い歴史の中で、人々の生活に必要不可欠である「塩」は、海辺の地から内陸の地へと、常に運び続けられてき
ました。その塩を運び続けた道は、「塩の道」と呼ばれました。塩の道は全国各地にあるのですが、その代表的なものと言われているのが「千国街道」で、越後の海辺・「糸魚川」から信州の内陸・「松本」まで、約三十里(約120キロ)も続いていました。「千国街道」は、「松本街道」「糸魚川街道」とも呼ばれました。が、道筋の「千国」に「千国番所」が置かれ、宿場として栄えていたので、「千国街道」という呼び名が定着しました。
街道で運ばれた物は、塩だけではありませんでした。糸魚川方面からは、海産物や各地の特産品が、そして信州からは、麻、木綿、煙草、炭、楮(こうぞ)などが運ばれました。しかし、この道が「塩の道」として重要だった最大の理由は、江戸時代に松本藩が、太平洋側からの「南塩」の移入を禁止したからでした。当時信州では、塩を買うためには、糸魚川から運ばれる「北塩」を千国街道経由で輸入するしかありませんでした。
松本藩は千国番所をつくって、南塩の取り締まりを行いました。番所ではさらに、商人が信州に輸送する物品に、運上銀、すなわち通行税を課しました。実はこれが、松本藩の重要な収入源となりました。南塩を厳しく禁止して北塩だけに制限した最大の理由は、松本藩の財源確保であったわけです。


糸魚川から松本まで、約120キロ続いた千国街道です。千国番所は、信州側に入ってすぐのところに作られました。

「千国番所」は、松本藩の重要な位置に設けられ、藩からの役人と地元の番人が「人や物」の出入りを監視し、取り締まりました。

中でも、「関税」である運上金の徴収は、番所の最も重要な役割でした。

復元された千国番所は、清掃も行き届いていて、長野県の意気込みが伝わってきます。


では次に、
「居間」と「いろりの間間」の奥に並ぶ、
3部屋に行ってみます。


居間の奥に見えているのは「上ノ間」。ここは接客用だったのか、調度品などはありませんでした。

その隣りにある、「寝間」。藩から来た役人は、ここを寝室としたようです。

いちばん右の部屋は、「物置」になっていました。

こんなにりっぱな番所が復元されているとは予想していませんでした。私も夫も、ワクワクしながら、内部を歩き回りました。笑

「人や物」の出入りを監視し取り締まる場所だっただけに、番所内には、銃や刺股(さすまた)も装備されていました。

再び土間に戻り、奥にある引き戸から外に出ました。

外に出ると、目の前には、大きな家がありました。

千国の庄資料館です。かつて千国にあった民家を移築し、史料館として利用しています。

屋根の部分です。かやぶき屋根なのですが、その上からスレートで保護してあるようです。

下の部分。入り口はふたつで、横方向に長い家屋です。

それでは、入ってみます。

中に足を踏み入れた瞬間、驚きの声が出ました。たった今見て来た番所よりも、はるかに広大な家屋の内部が、見事に復元されていました。


千国番所も、千国の庄資料館も、
なによりうれしいのは、
靴を脱いで上がり、内部を歩けることです。
掃除も行き届いていて、床はピカピカ。
すばらしいです。^^


すぐに上がりたいところですが、
はやる気持ちをおさえ、
まずは土間を見ていくことにしました。


千国の庄資料館の前に広がっている景色です。目が覚めるような美しい新緑の里山が、穏やかな表情で、村を包み込んでいました。


(つづく)

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