MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも美の国。バスツアーでめぐる秋田 2泊3日のおトク旅 22 - 世界遺産 中尊寺①(2020年10月27日/3日め)

2020年10月27日 中尊寺・白山神社境内で(岩手県西磐井郡平泉町)。


10月27日


岩手県西磐井郡平泉町にある、
世界遺産・中尊寺に来ました。
天台宗東北大本山の寺院です。


【中尊寺】
850年(嘉祥3年)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。境内は「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されています。2011年(平成23年)、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産の一つとして、世界遺産に登録されました。


このお寺、実は35年くらい前に、
来たことがあります。
確かに来ているのですが、
全然覚えていません。爆
いっしょに来た夫も、
よく覚えていないそうです。


やはり、こうしてブログなり、日記なりに
記録しておかないと、
記憶はどんどん消えていきますね…。
あらためて、ブログに残す大切さを思います。


…ということで、
今回は2回目のはずですが、
まるっきり初めて来た気分で、
中尊寺を歩きました。笑


まずは、平泉町営の駐車場でバスを降り、
添乗員さんに先導されて、境内を歩きます。


ゆるやかな山道が続きます。


券売所まで、けっこうな距離を歩き、
そこで解散です。
ここから先は、希望者だけが、
添乗員さんに拝観券を買っていただき、
見学を続けました。
団体扱いなので、チケットは割引になり、
それはよかったのですが、
ここでの滞在時間は、またしても60分。😂
足りません。😂😂😂



そのうえ、
バスの中で、添乗員さんから配られた、
「中尊寺マップ」があります。
主な見学ポイントが描かれているのですが、
こういうものをもらってしまうと、
全部まわってみないと気がすまない、多動夫。🤣🤣


「これ、全部行きたいんだよね。
 はいはい。わかりましたよ…。😂」


中尊寺で、またしても、
60分一本勝負になってしまいました…。😂😂


文句言っても始まらないので、
チケットを握りしめて、
とにかく、金色堂まで走ります。笑


①国宝・金色堂
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、1124年(天治元年)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です。


堂内は、ひとつの美術工芸品のようです。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵が施されており、平安時代後期の工芸技術を結集しています。(撮影禁止のため、画像をお借りしました。)


歴史を重ねた、
貴重な遺産であることはもちろんだし、
美しいのは美しいのですが…。
こういうものを見ると、いつも、
「お寺をここまで飾り立てる必要があったのか?」
「宗教は誰のためのものだったのか?」
などと、考えてしまいます。
実は、イタリアのバチカンでも、
同じことを思いました。
あまのじゃく、ですかね。^^


②経蔵
「中尊寺建立供養願文」によると、当初は「2階瓦葺」でした。1337年の火災で上層部を焼失したと伝えられており、古材をもって再建されたものと推定されています。当初のあざやかな彩りや飾りは、長い歳月によってすっかり洗い流されていて、金色堂とは対照的な趣があります。ご本尊騎師文殊菩薩(重文)と三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経(国宝)は、宝物館「讃衡蔵」に移され、現在は新たな騎師文殊菩薩が安置されています。(重要文化財)


「五月雨の降りのこしてや光堂」
かつてここを、松尾芭蕉が
訪れたということで、句碑と芭蕉像がありました。

その芭蕉像の奥にあるのが、旧覆堂です。


③旧覆堂
金色堂を風雪から護るために、1288年(正応元年)、鎌倉幕府によって建てられたと伝えられています。5間4方の堂で、古い記録には「鞘堂」とも記されています。かつて、松尾芭蕉をはじめとする文人墨客、あるいは伊達政宗、明治天皇といった歴史上の人物が、薄暗いこの堂内に入り、金色堂を参拝しました。
「昭和の大修理(金色堂解体修理)の際、旧覆堂のみが、現在地に移築されました。近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられたことがわかっています。その後、何度かの増改築を経ており、現在の旧覆堂は、室町時代に建てられたものと考えられています。(重要文化財)


さらに歩いて、白山神社能舞台へ。


④白山神社
中尊寺を開いた慈覚大師円仁が、850年に勧請(かんじょう)しました。その理由は、中尊寺の北方を鎮守するためであったと伝えられています。


神社を過ぎ、能舞台に向かって、さらに奥へ奥へと歩きます。「誰もいないけど、ホントにこっちで合ってるの?」「大丈夫だよ」…ちょっと心配です。

林の中を抜けて…、

野外能楽殿に到着しました。


(つづく)

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