MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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快気祝いのタイ10日旅 21 ワット・スタット② 布薩堂(2024年7月6日/3日め)

2024年7月6日 ワット・スタットの布薩堂で。(タイ・バンコク)


7月6日(土)- 3日め


ワット・スタットの、
布薩堂(本堂)に来ています。


林立する柱の内側には、本堂の内部に入るための出入り口が設けられています。

販売している、お線香やお供え物。


【布薩堂/本堂(ウボーソット)】
1834年、ラーマ3世の治世に着工され、1843年に完成しました。タイ寺院の布薩堂としては、最長の長さを誇っています。ラッタナコーシン様式の建築物ですが、アユタヤ様式を名残りが見られます。


布薩堂の中です。内部は広く、壁一面に、壁画が描かれています。奥には、トリーローカチェート仏が鎮座していました。


【トリローカチェート仏】
布薩堂の本尊です。いつ鋳造されたのかは不明ですが、少なくとも、ラーマ3世の時代に鋳造されたようです。その後、ラーマ4世によって現在の名称が与えられました。仏像の中には仏舎利を有しています。この時代に鋳造された仏像としては、最大の大きさであると言われています。


仏像の周りを、大勢の僧侶が取り囲んでいて、なにかの式を行っていたので、ここから先には行けませんでした。

手前にあるのは、国王の写真です。

壁画の一部です。(画像をお借りしました)
ラーマ3世時代に描かれたとされています。パチェッカ・ブッダやタイの民話、インド神話などが描かれています。西洋の様式の影響を受けた、ラッタコーシン美術の作品です。

布薩堂のテラスです。柱の内側に置かれた仏像たちと、祈る人々。

布薩堂から、隣りの礼拝堂を撮りました。手前右側に見えているのが、結界石です。

ここから見えた、礼拝堂の屋根です。色合いも形もすばらしい。^^

布薩堂を出て、次は礼拝堂に向かって歩きました。

この門を抜けると中庭があり、その先に礼拝堂の屋根が見えているのですが…。夫は、この門のところで、また立ち止まってしまいました。

夫が引っかかったのは、左右の門扉に描かれていた、ハヌマーンの絵。英雄・ハヌマーンがヘビと戦うのは、ラーマーヤナの話なのでしょうか。色鮮やかで美しい絵でした。

王室御座船博物館で見た船でも、船首にハヌマーンがいました。
快気祝いのタイ10日旅 7 王室御座船博物館⑤ グラビープラープムアンマーン号とエーカチャイヘーンハーウ号(2024年7月5日/2日め)

「ラーマ王子と共に戦うハヌマーン」は、アンコールワットの壁画にも描かれていました。
ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 31 - アンコールワット④ 第一回廊(ラーマーヤナ)(2024年1月17日/6日め)

その門をくぐ抜けて、小さな庭へ。ここで再び、布薩堂を眺めました。

庭から見た、布薩堂です。ほんと、大きくて、柱しか取れないんですけどね。😅

「同じようなのを何枚撮るんだ?(→夫)」と思ったのですが、どうやら、布薩堂の美しい屋根をいっしょに撮りたかったようです。

これはMIYOが撮ったもの。こんなふうに撮れば、全部が一枚に入ると思うのですが。🤣


…などと、MIYOに怒られながら歩きました。


ケンカしいしい、布薩堂。


次回は、礼拝堂(仏堂)を歩きます。


(つづく)

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