快気祝いのタイ10日旅 7 王室御座船博物館⑤ グラビープラープムアンマーン号とエーカチャイヘーンハーウ号(2024年7月5日/2日め)
2024年7月5日 王室御座船博物館で。(タイ・バンコク)
7月5日(金)- 2日め
王室御座船博物館に来ています。
ここまでに、
アスラワーユパック号(護衛船)
アナンタナーカラート号(御座船)
アネーカチャートプチョン号(御座船)
クルットヘーンヘット号(護衛船)
スパンナホン号/写真(御座船)と
ナーラーイソンスバン ラーマ9世号(御座船)
…と見てきました。
次は、7隻めになります。
左端に、ガルーダに乗ったヴィシュヌ神が船首を飾るグラビープラープムアンマーン号が見えます。その手前にあるのが、グラビープラープムアンマーン号です。
⑦グラビープラープムアンマーン号(Krabi Prap Muang Man/เรือกระบี่ปราบเมืองมาร):護衛船
1967年に、古い船首部分を修復して新しく造り直されたエスコート船です。船名のグラビープラープムアンマーンとは、「魔界討伐の猿」という意味です。ヒンドゥー教の神々の物語である「ラーマーヤナ」に登場する、白猿の将軍ハヌマーンのことと考えられており、船首像も、ハヌマーンをモチーフにしています。
長さ26.80m、幅2.10m、高さ0.51m、重量5.62Mt。
乗員は、士官1名、漕ぎ手36名、指示者2名、通常旗手1名、王室旗の旗手10名、信号手1名、位置測量士2名、楽隊10名。
グラビープラープムアンマーン号です。ラーマ王子を助けて、魔王ラーバナと戦ったハヌマーンは、ラーマーヤナの英雄とされています。
気炎を吐くハヌマーン。
まさに、軍艦の船首にふさわしい彫像です。
船体の装飾は、御座船が彫刻であるのに対して、護衛船の場合は、黒字に金の塗りであることが多いようです。
中央部のパビリオン。
「ハヌマーンとラーマ王子」は、アンコールワットの壁画にも描かれていました。
このときの日記です。
ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 31 - アンコールワット④ 第一回廊(ラーマーヤナ)(2024年1月17日/6日め)
戦場を駆けるハヌマーンの上に
ラーマ王子が乗り、矢をかまえています。
ハヌマーンが生き生きと描かれていて、
印象深い壁画です。
カンボジアで見た、そのハヌマーンが、
ここタイにもいました。^^
(ラーマ王子がいっしょなら、もっとよかったのですが。😄)
次は、ドックのいちばん奥にある、
8隻めの御座船です。
⑧エーカチャイヘーンハーウ号(Ekkachai Hoen Hao/เรือเอกไชยเหินหาว):護衛船
船首は高く反り上がっており、ワニ模様の装飾が施されています。西暦1239年から1266年(タイ歴1782年から1809年)に使用されました。ラーマ1世の時代に造られたエスコート船ですが、第二次世界大戦で被弾したため、船首と船尾部分だけ切り取って、1965年に新しく造り直されました。
船首には、ワニが描かれています。
夫はどうしても接写がしたいんですね…。😓
船尾です。船尾が描く曲線はどの船も優美で、いかにもタイらしい。^^
士官用のイスの装飾もぬかりなく。^^
初代エーカチャイヘーンハーウ号(Ekkachai Hoen Hao/เรือเอกไชยเหินหาว)の船首
かつて、上に掲載した船の一部だったものです。建造期間は、西暦1239年から1266年(タイ歴1782年から1809年)。1945年、第二次世界大戦で被弾し、損傷しました。
長さ7.50m、高さ1.36m。
*館内の説明パネルは、すべてタイ歴で書かれています。ブログ上での西暦の表示については、MIYOが手計算でタイ歴から西暦に直したものなので、間違っているかもしれません。😓
これは船首部分だったのでしょうか。豪快なワニの彫刻が、今も残されていました。
その他にも、館内には、
古い船体の一部などが展示されています。
王室所有の船であるだけに、
そのどれもに、精巧な装飾が施されており、
タイの長い歴史や高度な技を
感じさせるものでした。
以下に、順不同ですが、掲載しておきます。
*読み方がわからないため、英名だけになっています。
Sa-nga Ngam Krabuan号の船首
かつては船体中央に、国王とその家族のためのパビリオンがありました。1945年、第二次世界大戦で被弾し、破壊されました。
長さ9.10m、幅9.10m。
この写真にも、下の方に一部だけ写っています。笑
Thuai Thep Thahwaikon号の船首
船体中央部にはパビリオンがあり、国王やその家族が中で過ごせるようになっていました。1945年、第二次世界大戦で被弾し、破壊されました。
長さ8.00m、高さ0.58m。
ロウソク流し船(Royal Candle Floating Barge)
博物館の片隅に、ひっそりと展示されていました。9m以上もあるのに、幅は狭く、人が乗ると沈んでしまいそうなくらい、はかなげで細長い船でした。
この船は、王室によるロウソク流しの儀式で、国王と王族がロウソクを浮かべて流すために使われたそうです。たくさんのロウソクを並べて、夜の川を下って行く様は、さぞかし美しかったことと思います。
長さ9.10m、幅0.58m。
船の内側があまりにも狭かったので、自分の手をいっしょに撮ってみました。手のひらひとつ分くらい。ここに人が座るのはムリですね。^^
ちなみに、このときのネイルです。😄(2024年6月29日 施術は、新大久保・Blanc)
毎回、ほとんどおまかせでお願いしていますが、オーナーの白さんがいつもすてきに仕上げてくださいます。もう6年くらいのおつきあいになりました。^^
ところで。
王室御座船博物館には、
戦争によって破壊された御座船も、
多数展示されていました。
これだけ多くの御座船が
どうして破壊されてしまったのか。
…が気になり、調べてみました。
【バンコク空襲】
1941年、日本とタイの間で、日泰攻守同盟条約が締結されました。そのときから、タイ王国バンコクを攻撃目標とした連合軍による一連の空襲が始まり、1945年に太平洋戦争が終結するまで続きました。このバンコク空襲に対して、タイ空軍と日本軍は一式戦闘機などで応戦しましたが、高高度を飛行する爆撃機になすすべもなく、戦果は芳しくありませんでした。連合軍による爆撃は、主にB-24爆撃機、B-29爆撃機によって行われ、バンコク鉄道駅、鉄橋などの交通要所、軍事施設などが破壊されました。1944年1月から1945年1月までの1年間だけでも、タイ王国全土でおよそ250回の空襲があり、航空機およそ2,950機が来襲。およそ18,600発の爆弾、6,100発の焼夷弾が投下されました。その間の被害は、死者1,900人、負傷者3,000人、建物損壊9,600棟、建物全壊1,200棟と言われています。
日本が関わっていたことだったのに、
こんな歴史があったことを、
全然知りませんでした。
タイには何度も来ていたのに…。😔
まだまだ、知らないことだらけです。
以上、館内に展示されている主要8隻と
その他の船の一部について、
まとめてみました。
このあとは、そのほかの展示についても、
少しだけ掲載しておきたいと思います。
(つづく)