ガンになるまでの日々 14 排尿障害(2009年1月)
2008年10月11日 盲学校の運動会。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)
2009年1月
入院中に出会った方々のことは、
いつまでも、私の心に残っていて、
忘れることはできません。
おひとりおひとりのことが思い出され、
書き始めたら、止まらなくなりました。^^
ずいぶん長くなってしまいましたが、
最後の方のお話になります。
木*津からやってきた、Iさん。
6年前に、地元の市民病院で、
子宮がんの手術を受けました。
同じ頃に、同じ手術を受けた人が、
全部で6人いたそうです。
「手術の後にね、
『排尿指導』ってのがあるのよ。
おしっこが出なくなるから、
尿道口に、自分で管を入れて、
おしっこを出すの。
全員で、そのやりかたを教わるんだけど、
それがもう、恥も何もないのよ。」
小部屋に、6人全員が集められました。
そして、全員が、その場で下半身を出し、
「尿道口に管を入れる練習」
をしたのだそうです。
そんなひどい話、聞いたことがありません。
そもそも、そんなデリケートな「練習」を、
他の人といっしょに、
やっていいのでしょうか。
「あの…。
子宮がんの手術をしたあとには、
必ず、おしっこがでなくなるのですか?」
Iさんは、こともなげに答えました。
「そんなこと、あるわけないじゃない。笑」
今でこそ、笑いながら言えるのですが、
当時は、なにもわからないままに、
全員で練習をさせられたのだそうです。
手術後の排尿障害というのは、
絶対にないとは言えませんが、
それほど頻繁なことではありません。
けれどその病院では、なぜか、
子宮がんの手術をした人は、
全員、尿がでなくなるのだそうです。
まあ、「手術がヘタ」と、
言ってもいいのかもしれませんが…。
ということで、その市民病院では、
「子宮がんの手術をした人には、
もれなく、排尿指導が、
セットでついてくる。」
という、笑えない話が、
現実に起こっていました。
「手術後におしっこがでなくなる」
という事態が、
そもそもあってはならないのですが、
その病院では、
「必ず起こる、あたりまえのこと」
だったのです。
したがって、「排尿指導」が、
日常的な看護の一部となってしまいました。
「患者全員で下半身を出して練習する」
などというひどいことも、
ひどいことと思えないくらいに、
院内の感覚がマヒしていたのかもしれません。
「それでもね。
初めて管からおしっこが出たときは、
うれしかったわ~。^^」
はあ…。
それ、あたりまえのことなんですけどね…。
「練習」して、その結果、
ふつうに排尿ができるようになる人もいれば、
退院後もずっと、管が必要な人もいたそうです。
あきれてモノが言えません…。
今は、楽天的なIさんですが、
その手術の翌年に、
ガンが再発してしまいました。
同じ病院で、再び手術を受けたのですが、
その後、またも再発します。
「もう、ここではだめだ。」
と思って、G研に転院したそうです。
そして、G研で3度目の手術を受け、
数年がたちました。
「その間にね。
いっしょに手術を受けた仲間は、
5人全員が死んじゃった。
私ひとりなのよ。
病院を変えた私だけが、
今も生きてるの。」
病院選びをまちがえたら、
死亡率100%、ということですか…。
ぞっとしました。
ちなみに、この市民病院、
その後まもなく、廃院となりました。
問題はあったかもしれませんが、
地元の市民病院がなくなって、
木*津の方々は困ったことでしょう。
さて、なんとか命びろいした、Iさん。
その後も、経過観察を行うため、
木*津からG研に通っていました。
主治医は、私と同じ、M医師です。
最近になって、その経過観察で、
肺に転移していることを告げられました。
「もうね。
ぶわーーーーーーって涙が出て、
『せんせい、わたし、死ぬんですか?』
って、言っちゃったのよ。」
そしたら…?
そしたら、あのM先生、
なんて答えたんですか?
「『ま、ま、ま、ま、ま。』って言って、
私の肩を、トントン叩くんだよね。」
ふたりで、大爆笑。^^
いや~、なんと明るい。
うんうん。M先生らしいなあ…。
そんなふうに、M先生にトントンされて、
Iさんの涙も、止まってしまったそうです。
Iさんの思い出は、多すぎて、
書ききれません。
次回に続きます。
(つづく)