MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 54 - ヒエラポリス考古学博物館②(2025年1月14日/6日め)

MIYO

2025年1月14日 ヒエラポリス考古学博物館で。(トルコ・ヒエラポリス)


1月14日(火)- 6日め


ヒエラポリス考古学博物館に来ています。

前回は、入り口を入って右側の壁伝いに、

展示されている棺を見て行きました。


たくさんの棺に圧倒されました。

左右の壁はアーチ型にくりぬかれていて、その中にも彫刻の一部が展示されています。これは、格闘技をしているところのようです。

赤ん坊に乳を飲ませているヤギ。これと同じシーンの絵画を、昨年、どこかの国で見た気がするのですが、どこだったか、どうしても思い出せません。残念。

今度は左側の壁です。

両側の壁に沿ってびっしりと展示されているので、左右に目移りしてしまいます。右に左にと、あっちこっちにウロウロしながら見学を続けました。笑

闘うグラディエーター(剣闘士)の彫像(紀元3世紀初め頃)。下半身しか残っていないのですが、片足を上げて戦っているところだそうです。「同じ格好をしてみて」と夫に言われて、マネしています。(アホ)

紀元3世紀ごろのグラディエーターは、こんなだったようです。(イタリア・ボルゲーゼ美術館のモザイク画)


…ということで。

ひとつめの展示室の見学を、

私たちにしては超高速で終えました。


ふたつめの展示室は、「Small findings(小さな出土品)の部屋」と書いてありました。


考古学では、Small findingsとは、

遺跡から見つかる遺物のうち、

「特に小さく、その遺跡では

 あまり一般的ではないもの」

を指します。

例としては、

 ローマ時代の硬貨

 中世の七宝製馬具のペンダント

 新石器時代のフリント製斧などが

挙げられるそうです。


わあ…。

並べ方が、とても美しい。^^

中央に並んでいるのは、たくさんのオイルランプです。

形がとてもかわいらしい。^^(紀元前1世紀から紀元6世紀・ローマ帝国時代)

金の王冠と花びらかざり。(紀元前1世紀)

墓地で、陶製の棺の中から、遺体の隣りに置かれた状態で発見されたそうです。


ヒエラポリス考古学発物館は、

このあとも続きます。

遺跡を見る時間はあるのか~って、

かなり心配ではありますが…。


(つづく)

☟ よろしければ、応援をお願いします。

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 53 - ヒエラポリス考古学博物館①(2025年1月14日/6日め)

MIYO

2025年1月14日 ヒエラポリス考古学博物館で。(トルコ・ヒエラポリス)


1月14日(火)- 6日め


パムッカレの見学を終えて、次は

お待ちかねだったヒエラポリス遺跡です。

ここからは自由行動で、

各自が勝手に遺跡を歩いてくるように、

と言われました。

時間は60分。


私たちにとっては

60分は長いとは言えませんが、😓

団体行動なのでしかたありません。

夫とふたりで、

「いそげ~」

とばかりに走り出しました。


あたりには遺跡がごろごろしているのですが、こんなのは序の口。ここで立ち止まっているヒマはありません。

すぐに、まとまった遺跡が見え始めました。

アーチが並んだ部分も残っています。


【ヒエラポリス遺跡】

ヒエラポリスは、紀元前190年にペルガモン王国のエウメネス2世によって建設された都市です。2世紀には、ローマ帝国の支配下に置かれました。それ以後、パムッカレから湧き出る温泉を利用し、ローマ帝国の保養地として繁栄しました。

この地ではたびたび地震が起こり、被害を受けましたが、その都度、ローマ帝国の庇護のもとに復興していました。しかし東ローマ帝国に支配されるようになり、セルジューク朝が攻め込んでくると、ヒエラポリスは滅亡へと向かいます。そして致命的打撃となったのが、1354年の大地震で、都市は崩壊し、廃墟となってしまいました。

このヒエラポリスには、ローマ帝国時代の遺跡が多く残されています。ローマ式の円形劇場は、2世紀にハドリアヌス帝によって建てられたもので、15000人から20000人を収容できたそうです。保存状態も良く、当時のローマの勢いを感じることができます。また、アポロ神殿や浴場の跡も残っています。

ペルガモン王国時代はヘレニズム文化の元に栄え、以後ローマ文化ビザンチン文化に触れてきたヒエラポリスには、これらの文化が残っている場所があります。そのひとつが、城門の外にある墓所・ネクロポリス(死者の町という意味)で、様々な時代様式の墓が、現在も残っています。


周囲に柵をめぐらしたエリアに着きました。

ここは、「ヒエラポリス考古学博物館」です。


【ヒエラポリス考古学博物館 】

2世紀に建造された南大浴場を利用した博物館です。ヒエラポリスから出土した彫像や石棺などを展示しています。



ここで、1時間しかないのに、

 博物館に入るか、

 それとも遺跡を優先するか、

…という決断にせまられました。


でも夫は、博物館が大好き。

私も、別に異存はなかったので、

まずはとにかく駆け足で、

博物館を見学していくことに…。


入場料を払って、奥の入り口に進みました。

1900年前に建造された南大浴場が、現在は博物館になっています。

ここには、棺と像を展示しています。

中に入るといきなりこんな感じです。右側の壁に沿って、遺跡から発見された棺が並んでいました。

壁に設けられたアーチのようなスペースにも展示品が置いてあります。ひとつひとつを見ていると、時間がいくらあっても足りなさそう。😅

さらに奥へと、展示が続いています。2世紀に建造された南大浴場を利用しているだけあって、博物館の内部は、そのまま遺跡エリアに入ったかのようでした。

上の写真の右端に写っている棺です。

その左隣り。花輪で飾られた、大理石の石棺(Sarcophagus with garland)。紀元2世紀初め頃、ローマ帝国時代のものです。

さらにその左隣りの棺。

少し奥まったところには、ひときわ大きな棺が…。彫刻がすばらしいです!

上の棺の裏側です。

棺がずらりと並んでいて、すごい迫力でした。


まだ入り口を入ったばかりなんですが、

あまりにも見ごたえがあり、

先に進めません。🤣

博物館を駆け足で見ていく

…はずだったんですけどね。😅


いまここ。😊

往時のヒエラポリスです。(画像は、タクジローの日本全国お城めぐりより)


(つづく)

☟ よろしければ、応援をお願いします。

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 52 - パムッカレの石灰棚(2025年1月14日/6日め)

MIYO

2025年1月14日 石灰棚で。(トルコ・パムッカレ)


1月14日(火)- 6日め


ヒエラポリス遺跡に向かって

歩きたい気持ちをおさえて、

まずは隣りにある、パムッカレ

連れて行かれました。😓


事前に何も調べていないMIYOは、

「パムッカレ?

 それってどんなとこなの?」

くらいにしか思っていなかったのですが…。


こんなとこでした。ん? 水が流れてる?😮

白いのは雪?…じゃないよね?

渡されている木の通路のギリギリのところから撮ってみました。

地面に描かれた模様が、まるで波のようです。これは全部、石灰棚の一部でした。水が流れているわけではありません。😮


【パムッカレ(Pamukkale)】

デニズリの北19km、大メンデレス川を100m程上がったところにある、2,600×300mの広大な石灰質の台地です。

非常に濃度の高い炭酸塩と石灰を含んだ35℃の湯が、台地から100m下の平地に流れ落ちる間に冷却されると、炭酸カルシウムが残ります。これが段々畑状の地形に沿って、まるで水の流れのような模様を描く石灰棚を形成しました。日が沈むころには、白い石灰棚は夕日で茜色に染まります。

自然が造り上げた、頑丈な白い水盤が続くこの地は、昔から綿の産地であったことに加え、雪のように白い大きな石灰棚が広がっていることから、トルコ語で「綿の城砦」を意味するパムッカレ(Pamukkale)と呼ばれるようになりました。


現在パムッカレでは、景観保護のため、

立ち入り禁止のエリアもありますが、

そのエリア以外であれば、

この石灰棚の上を

実際に歩いてみることができます。


ここから先は、土足厳禁。

靴と靴下を脱いで裸足になれば、石灰棚に降りて歩くことができます。

お湯の温度はそれほど高くないそうです。が、冬なので湯気があがっていて、それが幻想的な雰囲気を醸し出しています。

さらに奥の方へと歩いていくと…、

お湯がたまっている場所がありました。

白い石灰棚と温泉の青い水面が生み出す美しいコントラスト。このあたりが、パムッカレの絶景と言われているエリアです。

石灰棚の向こうには、パムッカレの街並みが見えます。


ちなみに、現在の湯量は、

以前に比べると減っているそうです。

そのため、いつでもこの景色が

見られるわけではないのだとか…。


まるで雪に見えますが、これは雪ではなくて、炭酸カルシウムが沈殿していったもの。古代から温泉の湯が流れ落ちて行く中で、形成されていきました。

石灰棚とお湯だまりの景観を楽しんだあとは…、

再び、もとの場所に戻ります。

石灰棚はここで終わるのですが、そのすぐ隣りに、ヒエラポリス遺跡の一部が残っているという、すごい立地です。

今も残る、城壁のようなもの。パムッカレとヒエラポリス遺跡が隣り合っているということがよくわかります。

スタート地点まで戻ってきました。


これで、パムッカレ観光は終わります。

このあとは、お待ちかねだった、

ヒエラポリス遺跡を歩きます。

私も夫も、早くそっちへ行きたくて、

うずうずしていました。笑


(つづき)

☟ よろしければ、応援をお願いします。

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 51 - ヒエラポリス遺跡とパムッカレ(2025年1月14日/6日め)

MIYO

2025年1月14日 ビザンチンの南門(Southern Byzantine Gate)で。(トルコ・ヒエラポリス遺跡)


1月14日(火)- 6日め


トルコの旅、6日めです。


朝食は、朝6時半。

全夜と同じレストランで、

ビュッフェをいただきました。


パンの種類がすごい。

そしてトルコでは、オリーブの種類も豊富。MIYOはオリーブが好きなので、毎日堪能しました。

MIYOの朝ごはん。

今私たちがいるのは、パムッカレの玄関口となっている、「デニズリ」という街です。ここからパムッカレまでは、車で20分くらいです。


今日はこれから、

デニズリの北19kmのところにある、

ヒエラポリス遺跡パムッカレ

にでかけます。

この二つは隣接しているので、

まとめていっきに歩くことができます。


【ヒエラポリス遺跡】

紀元前2世紀末、ペルガモンの王であるアタリ朝が、ヒエラポリスの温泉を設立しました。敷地内には、当時の浴場、寺院、その他のギリシャの記念碑の遺跡が見られます。


【パムッカレ(Pamukkale)】

2,600×300mの広大な石灰質の台地です。石灰棚が続いており、自然が生んだ驚異の景色を見ることができます。


石灰棚と豊かな温泉を求めて、

この石灰質の大地の上には、

紀元前から都市が形成され、

紀元前2世紀に、

古代都市ヒエラポリスが置かれました。


このヒエラポリス遺跡とパムッカレは、

トルコの観光地の中でも

外せない場所の一つとなっています。

その景観と歴史的意義が評価され、

1988年、ユネスコ世界遺産に登録されました。


今日も、盛りだくさんの強行軍です。

まずは荷物をまとめて部屋の前に出し、

6時半から朝食。

そして7時半に、

荷物といっしょにバスに乗り

ホテルを出発しました。


8時にパムッカレに到着。

トルコの夜明けは遅いので、

この時間でも、

あたりはまだ少し暗いままでした。


バスを降りて、薄暗い中を少し歩くと、

すぐに遺跡が見えてきました。


ビザンチンの南門(Southern Byzantine Gate)です。(紀元5世紀はじめ)


【ビザンチンの南門(Southern Byzantine Gate)】

トラバーチン(travertine)のブロックと石、そして大理石で作られています。ビザンチンの北門と同様、一枚岩の上にアーチが載っているのが特徴です。扉の高さは、北門よりもやや低くなっています。

*トラバーチンは、温泉や地下水中の石灰質成分が沈殿してできた石灰質の岩石です。表面に無数の小さな穴や溝があるのが特徴で、独特の風合いを生み出します。古来より、主に建築材料として利用されてきました。特に、古代ローマの建築物で多く使われています。


前方には、荒涼とした土地に遺跡が散らばっているのが見えてきました。

柱が残っています。私も夫も列を離れ、思わず駆け寄っていきました。笑

これは、上の写真の柱を、反対側から撮ったもの。

周囲にも、ばらばらと遺跡が残っています。

きちんと並べられている柱。

転がったままのものも多数。^^

手前に見えているのは、水路のようです。

この溝を、水が流れていったのですね…。

ずうっと奥まで続いています。

右に左にうねりながら、さらに続いている水路。

盛り土をしてあるところの先に、まだまだ続いていました。


このままずっと、水路を追いかけて

歩いていきたかったのですが、

ガイドのウミちゃんから、

「先にパムッカレを見て、

 そのあと自由行動になります。

 遺跡は、各自で自由に歩いてください。」

と言われ、とりあえずあきらめました。


遺跡エリアはここまで。この隣りに、パムッカレがあります。


事前になんの予習もしてこなかったので、

いきなりの遺跡群を見て、

とても驚きました。

でもこのあとパムッカレで、

さらに驚くことになりました。


(つづく)

☟ よろしければ、応援をお願いします。

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 50 - パムッカレ:ホテルのビュッフェでスイーツ祭り(2025年1月13日/5日め)

MIYO

2025年1月12日 奇岩群と。(トルコ・カッパドキア


1月13日(月)- 5日め


トルコの旅、5日めの続きです。


ホテルにチェックイン後、

夕食は、ホテル内のレストランで、

ビュッフェをいただきました。


ずらりと並んだ器。これ、全部冷菜です。

こういうソースをかけていただくようです。

たくさんありすぎてよくわからないので、結局、左端の白いクリームにしました。😓

生野菜サラダもあります。

パスタ2種、豆のスープ煮、ベイクトポテト、ベイクトミートボール、ボイル野菜、グラタン、ピラフ、羊肉のロースト

野菜料理いろいろ。右下にあるのはトルコパン・Ekmek (エキメッキ)。平たいシンプルなパンです。

ローストチキンとポテト。

保温鍋の中にあったのは、タルハナ(Tarhana)のスープでした。


【タルハナ(Tarhana)】

ヨーグルトと小麦を混ぜて発酵・乾燥させた顆粒状の食品です。トルコ・アナトリアの農村地域で盛んに作られていた保存食品で、夏の時期にとれた乳製品を加工してあります。顆粒状で、水に溶かしてスープとしていただきます。ほんのりとした酸味のある、独特な乳の味で、「トルコのおふくろの味」とも言われているそうです。


夫の晩ごはん。

MIYOの晩ごはん。


…ということで。

これで晩ごはんが終わったかというと、

そうはいかないのでした。


デザートコーナーがすごかった。😮

MIYOのブログでときどき出てくる、「カダイフ」のスイーツです。


カダイフは、これまでにも何度か

ブログに登場しています。

アブダビで見た、カダイフのお菓子

コンヤのお土産物屋さんで売っていた、箱入りのカダイフ

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 49 - コンヤ:露店のできごととセマー(2025年1月13日/5日め)

エスキシェヒルで食べたカダイフのデザート

トキメキのトルコ。走り続けた10日間 18 - エスキシェヒル:お昼ごはんは「バラバン・ケバブ」(2025年1月11日/3日め)

「俺のビストロ」でいただいた、「鮮魚のカダイフ包み揚げ」

全盲難聴・のんたんの冬休み 11 - 「Karaoke ONE 高田馬場店」と「俺のビストロ」(2025年1月2日/12日め)


ということで、デザート大盛り。🤣🤣


いろいろ取って、

全部、夫とはんぶんこ。

おいしかったです。😋

今日も楽しい一日でした。


(つづく)


イスタンブールを出発し、5日間でパムッカレまで来ました。

2025年1月13日/5日め

(朝食)ホテルのビュッフェ

アクサライ:キャラバンサライ(隊商宿)

コンヤ:メヴラーナ博物館

(昼食)トルコ風ピザ

コンヤ:露店でお買い物

ディナール:はちみつヨーグルト

パムッカレ:ハマム(トルコ式お風呂)

(夕食)ホテルのビュッフェ

(宿泊)Colossae Thermal & Spa Hotel(スパ ホテル コロッセア サーマル

これまでの日記はこちらにまとめてあります。

2025年1月 トキメキのトルコ10日間

☟ よろしければ、応援をお願いします。