MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 28 - ルアンパバーン国立博物館① 旧王宮、庭園、黄金の祠(パバーン像安置祠)(2025年3月15日/2日め)

2025年3月15日 メコン川を眺めながら、ランチ。(ラオス・ルアンパバーン)


3月15日(土)- 2日め


メコン川のほとりのレストランで

遅めのランチをいただいたあとは、

町の中心部に向かって、30分くらい歩きました。


夫は、おもしろい植物を見つけるとすぐに引っかかってしまうので、なかなか進めなかったりしますが…。😔

左:かなり成長したガジュマル。

右:「ブラシの樹」というそうです。

ブラシの樹は、花がほんとに、コップを洗う時のブラシみたい。笑

こうしてウロウロしているうちに、林の奥に建物が見えました。ようやく、めざす「ルアンパバーン国立博物館」に到着したようです。


【ルアンパバーン国立博物館】

ルアンパバーン市内の中心部で、かつては王宮として使われていた建物が、現在は博物館になっています。1909年に建設されたもので、「王宮博物館」とも呼ばれている通り、1975年まで、実際に王宮として使用されていました。博物館では、王国時代のラオスについての展示を中心に、王宮での生活を再現した部屋を見学できます。

もともとこの建物は、ラオスとフランスの友好を象徴する場所として建てられた歴史があります。そのため、アジアらしい建築様式をもちつつも、フランスのスタイルを融合しており、ほかに類を見ない外観が特徴です。また、王宮時代の庭園もそのまま残してあり、巨大な蓮の池や石像が並んでいます。


私たちは、まぬけなことに、林の中の裏口(通用口)から敷地内に入ってしまったため、ぐるりと歩いて、旧王宮の正面玄関の方へ行かねばなりませんでした。通常は、この写真のような、敷地の正門(下の写真)から入ります。すると、目の前に旧王宮の正面玄関があります。

こちらが旧王宮の正面玄関。現在の博物館の入り口にあたります。

旧王宮の周囲を歩いてみました。元は王様が住んでいただっただけあって、瀟洒な造りです。


博物館の内部は撮影禁止のため、

写真はありません。


【博物館の内部】

館内には、当時の王族の生活がそのまま再現されています。王室時代の家具や美術品、装飾品などが展示されていて、当時の豪華な暮らしぶりがうかがえます。また、諸外国から送られた贈答品なども展示されています。


博物館に入る前に、

かばんなどの持ち物はすべて、

ロッカーに預けなければなりません。

そのロッカーのある建物は、

博物館とは別の場所にあり、

たいへんわかりにくい構造になっています。


また、博物館は土足厳禁で、

入り口で靴を脱がなければなりません。

見学のシステム自体がわかりにくいので、

靴を脱いでから、

「カバンを預けてきなさい。」

と係員から言われる人もいて、

入り口エリアは混乱していました。


王宮時代の庭園も、当時のままに残してあり…、

巨大な蓮の池や石像が並んでいました。

グリーングレープフルーツ(日本のザボンのようなもの)の大きな実がついた樹がたくさんありました。そういえば、ハノイのタンロン王城遺跡にも、この実がたくさんなっていました。「王宮にはザボン」なのでしょうか。笑

そのときの日記です。

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 52 - タンロン王城遺跡⑦ 後楼(2023年6月18日/5日め)


このグリーングレープフルーツ。

食べたことがあります。

ハノイのレストラン「ニャー・ハン・ゴン」で、

デザートに出てきました。

見かけは単なるザボンなのですが、

甘くてすっごくおいしかったです。^^

そのときの日記です。残念ながら、デザートの写真はありません。

定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 113 - ニャー・ハン・ゴンでベトナム料理(2019年10月13日/43日め)


そして、庭の奥に見えてきたのが、黄金の祠(パバーン像安置祠)です。


【黄金の祠(パバーン像安置祠)】

ラオスで最も崇高なパバーン仏が祀られています。パバーン仏は、14世紀に、クメール王朝(現カンボジア)からファーグム王(ラオス初の統一国家を樹立した王様)から贈られたもので、ルアンパバーンの人々の精神的な支柱として大切にされてきたそうです。仏像はインドで作られたもので、純金製。毎年4月のラオスのお正月の3日間だけ、隣のワット・マイに移されます。ちなみに祠内は写真撮影禁止です。



この黄金の祠ですが、

前日、ナイトマーケットの途中で、

夫が寄り道した場所です。

そのときの日記です。

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 14 - ナイトマーケット② 黄金の祠と、ルアンパバーン ベーカリーで晩ごはん(2025年3月14日/1日め)

同じ場所に2回も来てしまいました…。


「今日来ることがわかっていたのなら、昨日、疲れているのにわざわざ寄る必要はなかったじゃないかーーー。」と、またまた夫に怒りそうになりました。


「いいじゃん。何回来たって。」

と、夫はしれっと言ってましたが。(アホ)


(つづく)

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 27 - ブニャスク食堂でお昼ごはん(2025年3月15日/2日め)

2025年3月15日 メコン川を眺めながら、ランチ。(ラオス・ルアンパバーン)


3月15日(土)- 2日め


レストランをさがして、

メコン川のほとりをのんびりと歩きました。


あっこれは、レストランのメニューのようです。でもラオス語ばかりで、なにが書いてあるんだか…。😓


帰国してから、

この写真をグーグルで翻訳してみました。

いちばん上に書いてあったのは、

「ブニャスク食品店」

だそうです。笑

つまり、「ブニャスク食堂」ってことでしょうか。


この看板の横に階段があって、

下に向かって降りて行くようになっています。


階段の上から下をのぞき込むと…。おお、なんかいい感じです。^^


テラスにテーブルが並んでいて、

すぐ右側を、メコン川が流れています。

まさしく、MIYOが思っていたような場所。^^

あわてて、先の方を歩いていた夫を

呼び戻しました。


上の写真は、食事のあとで、

帰りがけに撮ったものです。

私たちが座っていたのは、

緑色の日傘の下になっているテーブルでした。

眺めがよくて、とてもいい席だったので、

私たちが出て行くと同時に、

次の客が座っていました。^^


やれやれ、ようやくお昼ごはんにありつけます。😊

私たちが座った席(左側)です。ゆったりと流れるメコン川を見ながら食事ができるという、抜群のロケーションでした。^^

まずはビール。

疲れた顔のMIYOと、元気がありあまっている多動夫。

それぞれが、メニューから食べたいものを選んで、シェアしていただきました。

夫が選んだポークフライドライス(炒飯)は50000キップ(約300円)。

MIYOが注文した、ラオス風シーフードフライドヌードル(炒め麺)は80000キップ(約480円)。

お腹がいっぱいになったので、元気をだして、再び歩きます。

お店のそばに、こんな広告がありました。メコン川のサンセットクルーズ(夕方5時からの1時間)は、ひとり150000キップ(約900円)だそうです。ふたり分だと300000キップ。私たちはたしか、270000キップ払ったので、少しだけ安かったみたいです。よかった…。^^

これは、さっき夫がATMをさがして歩いた道です。両側は、オサレなゲストハウスが並んでいます。


一度歩いた道なので、夫はもうよくわかっていて、

どんどん歩いていきます。


「もう少し先に行くと、町に出るよ。

 たいした距離じゃないから。」


…いちおう、だまされて歩きます。😓


歩いている途中も、お昼寝してるワンコを撮ったり、マンゴーの青い実がなっているのを撮ったり。多動夫はいちいち引っかかっては面白がっています。ああ、ほんとに落ち着きがない…。😔

そんなこんなで30分くらい歩いて、ようやくにぎやかな通りに出ました。

あれ? この通りは、なんだか見覚えがあります。


み「ね、これって、昨日歩いた通りじゃないの?」

夫「正解。笑」


前日の夜、疲れはてて歩いた、ナイトマーケット。

そのナイトマーケットの先にあったのが、

サッカリン通りでした。

ここはまさに、そのサッカリン通りだったのです。

 

【サッカリン通り】

ルアンパバーンの中心を貫くメインストリートです。フランス植民地時代のコロニアル建築と街路樹が並ぶ通りで、伝統工芸品を売るショップや地元の食堂、外国人観光客でにぎわうカフェやバーが集まっています。落ち着いたヴィラやリーズナブルなゲストハウスなども点在しています。


前日、同じ通りを歩いたときの日記と写真です。

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 14 - ナイトマーケット② 黄金の祠と、ルアンパバーン ベーカリーで晩ごはん(2025年3月14日/1日め)


前日は、このサッカリン通りを

西側から歩いたのですが、

この日は、同じ通りを、

メコン川のある東側から歩いてきました。


この通りの先に、前日食事したレストランがあり、そこから先が、夕方からナイトマーケットになります。

フランス植民地時代から続く家々が並んでいて、現在はほとんどが、商店やゲストハウスになっています。


ここまで来たら、次の目的地はすぐそこです。

今日もいっぱい歩いていますが、

ここからまだまだ、さらに歩く予定です。泣


(つづく)

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 26 - メコン川沿いをそぞろ歩き② アイスコーヒーと少数民族の店(2025年3月15日/2日め)

2025年3月15日 少数民族の手工芸品を売るお店で。(ラオス・ルアンパバーン)


3月15日(土)- 2日め


メコン川のほとりをゆっくりと歩きながら、

夫の帰りを待ちました。


外国人向けのオサレなプチホテルです。このあたりは、こんなホテルのほか、バックパッカー向けのゲストハウスやカフェが並んでいました。

これは、外国人向けのレストランです。

さて、あたりをウロウロしながらも、このT字路で夫を待っていたら…、

30分くらいで、夫が戻ってきました。予想通り、町の中をひとり歩きできて、楽しかったようです。笑

教えられた方向に向かって歩いたら、ATMが見つかったそうです。^^

めでたくラオス・キップを入手できたので、まずはカフェで冷たいものを…。笑

暑くて、顔が赤くなってます。笑

でも冷たいアイスコーヒーを飲んで、生き返りました。ふう…。

カフェのテラスに座ってくつろいでいると、緑色のカワイイ電気自動車が通り過ぎるのを何度も見ました。

昔のトゥクトゥクと言えばオート三輪でしたが、現在のトゥクトゥクは、この電気自動車に変わってしまったようです。


「中国車にすっかり席巻されてるな…。」

なんて、夫は言っていましたが。🙄


冷たいものを飲んで元気がでたので、

また歩き始めました。


少数民族の手工芸品をたくさん並べているお店を見つけました。

モン族の刺繍がいっぱい。^^


そろそろ、お腹が空いてきました。

歩いていると、道路際には、

いくつものレストランがあったのですが、

今ひとつ、入りたい気持ちになりません。


なぜならMIYOは、

「できることなら、メコン川を眺めながら、

 川のほとりのテラスでランチをしたい。」

と思っていたのです。


はたして、そんな都合のいいレストランが、

見つかるでしょうか。笑

でもアイスコーヒーを飲んで元気になったので、

とりあえず、もう少し歩いてみます。^^


(つづく)

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 25 - メコン川沿いをそぞろ歩き①(2025年3月15日/2日め)

2025年3月15日 メコン川を眺めながら歩きました。(ラオス・ルアンパバーン)


3月15日(土)- 2日め


メコン川クルーズを楽しんだあと、

川のほとりのあたりを、あてもなく歩きました。


道端に、なにかが干してあります。吸い寄せられるようにそこまで行ってみると…、

米粉の生地を薄く延ばしたものを、天日で干していました。

その奥には、なにかりっぱな建物が見えます。

門のプレートには、VICTORIA XIENGTHONG PALACE と書いてあります

中に入ってみると、きれいに整備された庭の奥に、いくつもの建物が…。

古いお屋敷かなにかかと思ったら、ホテルでした。笑

レストランもすてきな感じでしたが、すごく高そうだったので、とりあえず素通り。笑

私たちが入ってきたのは裏口だったので、敷地内を突っ切ってメインゲートからホテルを出ました。そこにあったプレートをあらためて眺めると…。このロゴに見覚えがあります。

6年前に宿泊した、VICTORIA SAPA RESORTと同じロゴです。標高1600mの山間部にあるヴィクトリア・サパ・リゾートは、ハノイからサパへ行く専用列車(ヴィクトリア・エクスプレス)を運行しており、とてもきれいなホテルでした。^^

ヴィクトリア・サパ・リゾートに泊まったときの日記です。

定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 132 - ヴィクトリア・サパ・リゾート(2019年10月19日/49日め)


ちなみに…。ヴィクトリア・エクスプレスに乗ったときの日記はこちらです。

定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 125 - ヴィクトリア・エクスプレスでサパへ(2019年10月18日/48日め)
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 126 - GOLDEN VILLA HOTELで朝ごはん(2019年10月19日/49日め)


どちらも、ベトナム資本の旅行会社である、

TMGグループの高級ホテルです。

ルアンパバーンのヴィクトリア・ホテルは、

メコン川を遊覧する、専用の豪華クルーズ船を

所有しているようです。

すごいなあ…。


こんなところで、サパを思い出すとは…。6年前のことを、夫となつかしく話しながら、メコン川沿いの道を歩きました。

ヴィクトリア・ホテルの前の通りは工事中で、日本の建機がけなげに働いていました。


「なにか、お困りですかあ~。」

と、突然、遠くから、

日本語で呼びかけられました。

こんな通りを歩く日本人はあまりいないらしく、

道に迷っていると思われたようです。^^


声をかけてくださったのは、工事の責任者の方。

日本の社名入りのヘルメットをかぶっておられ、

もう2か月、ここで働いているそうです。


「でも、今日が最後の日で、

 明日、日本に帰るんです。」

と、うれしそう。^^


「今はお昼休みなんですけどね。

 彼ら、こんなふうに工事をやりかけたまんまで、

 食事に行っちゃうんですよ。

 日本だったら考えられないですよ!」

などと語られるお話が楽しかったです。


なるほど、言われてみると、たしかにみなさん、車座になってお食事中。

「失礼しまーす」と言って、おかずを見せていただきました。これで8人分のようです。カゴに入ったもち米といっしょに、おかずを食べます。おかずは6品。品数は多いです。笑


「私たちも、そろそろごはんにしようか。」

と夫に言いましたが、

「ごはんを食べるにしても、

 現金があまりないんだよね。」

と言われてしまいました。😔


ということで、ATMを探しながら、町歩き。川沿いに、こぎれいなレストランを発見。でも、お金がない。笑

通り沿いに見えるのは、外国人旅行者向けのゲストハウスと地元の人向けの屋台ばかり。

売ってるものを見るのは、それはそれでおもしろいのですが。

およそ、ATMがあるとはとうてい思えない風景。🤣

店番をしながら赤ちゃんを抱っこしているママがとてもすてきで、お願いして、写真を撮らせていただきました。

地元の人に尋ねたところ、この道を左に曲がってずうっと歩いた先にATMがある、と教えていただいたのですが…、

この炎天下、歩きたくないので、「私はここで待ってるから。」と…。笑


ということで、ATMをさがして、

夫はひとりででかけていきました。

ちょっとかわいそうにも思えますが、

実は夫は、ひとりで気ままに町を歩くのが大好き。

だからこのときも、意気揚々と出発。


残ったMIYOは、川沿いをぶらぶらと歩きながら、

夫を待ちました。

(結局、歩いてるんじゃないか、と言われそうですが。笑)


(つづく)

34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 24 - メコン川クルーズ② カラオケ大会とハナキリン(2025年3月15日/2日め)

2025年3月15日 メコン川を眺めながら歩きました。(ラオス・ルアンパバーン)


3月15日(土)- 2日め


思いがけず、メコン川で船に乗ってしまいました。


一時間にわたって、黙々と船を操縦してくれたオニイサン。

川の真ん中あたりを、川上に向かって、船はゆったりと進んでいます。

「この川のずっと向こうに、中国があるんだよな…。」と夫が言いました。

川上からやってくる小船とすれ違いました。この船にも、お坊様が乗っているようです。

水上や川べりに建てられた家々。高床式です。


川上に向かって、30分以上進んだ後、

船はUターンして、元来た方向へ。

出発地点に戻るようです。


このとき、遠くの方で大きな船が見えました。

屋根付きの大型船です。カーテンで飾られていて、中で食事をしているようです。ランチクルーズですね。^^


実は、同じような船に、何度かすれ違いました。

彼らは、食事しながら、

大カラオケ大会をやっていて、その大音響は、

遠く離れた私たちの船にまで聞こえてきます。

中国語の歌でした。


夫「ラオスまで来て、メコン川でクルーズしながら、

  メシ食ってカラオケやるのか?」

み「楽しければいいんじゃないの?

  日本人だって、隅田川の屋形船に乗って、

  中で宴会するんだから、同じだよ。」

夫「そういえばそうだな…。」

似たようなカラオケ船には、何回も出会いました。


その中の一隻が係留されていた船着き場が見えました。階段を上がった先には、おびただしい数の観光バスが並んでいます。


そうか。

さっき、ワット・シェントーンで見た、

中国からの大旅行団の人々だ…。

と気がつきました。


彼らは、寺から出るやいなや、

そのまま船に乗り、

大カラオケ宴会を楽しんでいたのです。

その宴会は、延々、

一時間以上にわたって続いていました。


多分、お寺の見学はそれなりで、

むしろ、この船上カラオケ宴会の方が、

今日のメインイベントなんだろうなあ…。😊

旅の仕方は、ほんと、人それぞれです。


なんてことを考えているうちに、オニイサンの先に、船着き場が見えました。これで、クルーズが終わるようです。

階段の上の道路際にずらりと並んだ観光バス。20台くらいありました。すべて、中国旅行団のバスです。

オニイサンが船をつないでいるときに、ふと右側の船を見たら、中の人が釣りをしていました。今夜のおかずになるのでしょうか。ムシも魚もタダで手に入って、ラオスの人々は、食うに困らないのかも…、なんて思いました。^^

私たちが乗ったのは、いちばん奥の白い屋根の船です。出発したときと同じように、隣りの船に飛び移りながら、岸に上がりました。^^


約1時間のメコン川クルーズ。

貸切船でのゆったり遊覧は、

岸に住む人々の暮らしも垣間見えて、

とても楽しかったです。^^


道路際に停まっていた、中国大旅行団の車を数えながら歩きました。笑

宴会を終え、先に戻ってきた人たちでしょうか。ヤシの実を買っていました。


大声で話しながら歩き、

よく食べ、よく歌い、町を闊歩する。

中国人のパワーは、すごいなあ…。😐


日本から、飛行機を乗り継いで、

はるばるやって来た私たちと、

中国から、列車で数時間の旅を

手軽に楽しんでいる彼ら。

そりゃあ、気持ちの持ち方は変わりますよね。^^


…ということで、オニイサンに代金を払って、

再び歩き始めました。


歩きながら、夫はいつも、草花の写真を撮ります。大きなハイビスカスが咲いていました。

インドシクンシ。熱帯系の花だそうですが、線香花火みたいですね。

おや、夫が撮っていたこの花には、見覚えがあります。小さい頃、自宅の玄関前に、この花がありました。なつかしい。^^

ネットで調べてみました。ハナキリン、というそうです。


【ハナキリン】

マダガスカル原産のトウダイグサ科の低木。茎が多肉で棘が密生します。サボテンに似ており、花が美しいので、観賞用に栽培されます。キリストが処刑の際にかぶせられた茨の冠がこの植物だったとの説もあります。


み「これね。小さい頃、家の玄関前にあったよ。

  ずっと忘れてたけど、これを見て思い出した。

  ハナキリンって言うんだ、ふうん…。」

夫「熱帯系の植物なんだけどね。」

み「ウチは愛媛だからね。

  わりと暖かいし、気候が合っていたのかも。

  熱帯じゃないけど。笑」


植木鉢のハナキリンを、母が育てていたのは、

もう50年以上前の話です。

当時は、まだ珍しかったのではないかと思います。


どちらかというと地味な花で、棘もあるし、

あまり好きな植物ではありませんでした。

けれど母は、どうしてわざわざ、

これを買ってきて、玄関先に置いたのか。

いきさつを聞いてみたい気もしました。

その母も、もう10年前に亡くなったので、

今では知る術もありませんが。


あの花の植木鉢は、

今も実家の庭にあるのだろうか。

…などと考えながら、川べりを歩き続けました。


(つづく)