MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

広州経由でチェンマイへ。タイで過ごした16日間 36 - パヤタイ宮殿⑦ スリ・スタニヴァス王座の間(2025年9月13日/10日め)

MIYO

2025年9月13日 テーワラート・サパロム王座の間で。(タイ・バンコク)


9月13日(土)- 10日め


パヤタイ宮殿(Phaya Thai Palace)

に来ています。


ここまで、

 パヤタイ宮殿

 ・応接室

 ・喫煙室

 ・食事室

 テーワラート・サパロム王座の間

 メーカラ・ルチ宮殿

…と見学してきましたが、

次はオープンコリドーを通り、別棟の

スリ・スタニヴァス王座の間

(旧称:ラクシュミ・フィラス王座の間)

に行きました。


【スリ・スタニヴァス(Srisutthaniwat)王座の間】

英国ゴシック様式の小さな塔を備えた、2階建ての建物です。かつて、女王の謁見ホールとして使用されていました。壁と天井に、アール・ヌーヴォーの花の絵画が描かれています。


オープンコリドーのつきあたりが、スリ・スタニヴァス王座の間です。

オープンコリドーから建物の中に入ると、いきなり、天井の装飾が始まります。

部屋ではなく、ただの通路なのですが、こんなふうに装飾が続いていました。

窓ガラスにも魅かれました。

窓ガラスのデザインのすばらしいこと。

こんなガラス、見たことないです。おそらく現在は、同じものを作ることができないのではないかと思われます。

…と、ここまでは、朝、私と夫が勝手に歩いたときに撮った写真です。テラスの向こうに、メーカラ・ルチ宮殿が見えます。


上の写真の右側に階段があるのですが、

立ち入り禁止の規制ロープが渡されているので、

ここから先には行かず、引き返しました。


このあと、係の方といっしょに、

再びこの場所に来たわけですが、

係の方は、なんの迷いもなく、

ひょい、と規制ロープを外したので、

驚きました。


通常は立ち入り禁止になっているエリアも、

この見学コースでは見せていただけるのだと、

このときに初めて知りました。笑


階段を1階から見上げたところです。

規制ロープの横を通って、階段を上がりました。

床は大理石。壁や階段の手すりの装飾も見逃せません。^^

2階部分から見た、階段の吹き抜け部分です。

天井、床、照明、そして扉と、どこを見てもすごいです。

係の方に先導されて、どんどん奥へと進みました。

ひとつめの部屋です。

現在は、壁に沿って椅子が並べられているだけなのですが…、

天井が、すごいことになってました。

屋外でくつろぐ、男の子と母親のようです。羊も見えます。

天井画だけでなく、壁や扉にも細かい装飾が施されていて、つい見入ってしまいました。


長くなりましたので、

続きは次回に。


(つづく)

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広州経由でチェンマイへ。タイで過ごした16日間 35 - パヤタイ宮殿⑥ メーカラ・ルチ宮殿 二階(2025年9月13日/10日め)

MIYO

2025年9月13日 スリ・スタニヴァス王座の間へと続く通路で。(タイ・バンコク)


9月13日(土)- 10日め


1909年に建てられた、

パヤタイ宮殿(Phaya Thai Palace)

に来ています。


・応接室

・テーワラート・サパロム王座の間

・喫煙室

・食事室

を見学したあとは、

パヤタイ宮殿の隣りにある、

メーカラ・ルチ宮殿へ…。


一階部分のいちばん奥に、二階へと続く階段がありました。

手すりのデザインもシャレています。

上がってみます。

二階部分です。

二階には、このひと部屋があるのみです。(これ以外にテラスがあるのですが、それは非公開となっています。)

角の部分を丸くして、柔らかい雰囲気の部屋にしてあります。こちら側には、窓がいっさいありません。

照明スイッチです。

こちらの面には、窓がたくさん設けてあります。王のプライバシーを重視しながらも、採光や通風性を考慮した設計だったのかもしれません。

左から、階段の手すり、窓の多い壁面、そして曲線を描く壁面です。

階段を上から見おろすと、丸みのある壁面に合わせて、階段も曲線を描いているのがわかります。

二階にはひと部屋しかないのがちょっと意外でした。が、あらためて、メーカラ・ルチ宮殿の裏側を外から見てみると、全体が平屋建てに近い造りで、この二階部分だけが、飛び出ているように作られています。王様がひとりでいる時間を楽しむためのサンルームだったのかもしれません。

おもしろいことに、宮殿の正面玄関からは、テラスとテラスに続く部屋(非公開)に隠されて、「王様のサンルーム」がまったく見えなくなります。あえてそんなふうに造ったのかもしれません。

宮殿と言うよりも、まるで「離宮」という感じの小規模な建物ですが、建設当初は「王の私的な空間」に機能を特化していたのかもしれません。右側に見えるのは、従者の待機場所だったようです。

いまここ。😊


さて。

上の写真をよく見ていただくと、

パヤタイ宮殿の左後ろに

メーカラ・ルチ宮殿があるのですが、

その手前に、渡り廊下のような通路が

作られています。


この通路(オープンコリドー)は、パヤタイ宮殿から左方向に延びていて、さらにその先にある別の建物へとつながっています。

通路の先に、赤い屋根の小さなドームが見えます。

樹に隠れて見えにくいのですが、赤いドームのある二階建ての建物が、パヤタイ宮殿と通路でつながっています。


この、赤いドームのある建物が、

スリ・スタニヴァス王座の間

(旧称:ラクシュミ・フィラス王座の間)

です。

この建物は、かつて、

女王の謁見ホールとして使用されていました。


次回はこの、

スリ・スタニヴァス王座の間を歩きます。



(つづく)


(おまけ)


通路(オープンコリドー)に立つと…、

さきほど訪れたメーカラ・ルチ宮殿が、こんなふうに見えました。


自分が今立っている場所の、

左側がスリ・スタニヴァス王座の間で、

右側がパヤタイ宮殿です。

そして目の前が、メーカラ・ルチ宮殿。


なんの予備知識もなく、

「とにかくパヤタイ宮殿を見てみたい」

という、軽い気持ちで来たのですが、

この広い敷地は、

「いくつもの宮殿や王座の間の複合体」

であることが、

このときになってようやくわかりました。😅

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広州経由でチェンマイへ。タイで過ごした16日間 34 - パヤタイ宮殿⑤ メーカラ・ルチ宮殿 一階(2025年9月13日/10日め)

MIYO

2025年9月13日 メーカラ・ルチ宮殿で。屋根は、テラコッタのタイルでおおわれているそうです。(タイ・バンコク)


9月13日(土)- 10日め


1909年に建てられた、

パヤタイ宮殿(Phaya Thai Palace)

に来ています。


・応接室

・テーワラート・サパロム王座の間

・喫煙室

・食事室

を見学したあとは、係の方の案内で、

再び、宮殿の外に出ました。

今度は、

「テーワラート・サパロム王座の間」

がある場所とは逆の方向です。


宮殿のすぐ隣りを、パヤタイ運河が流れています。

その運河のほとりに、ひっそりと佇む建物が見えました。

メーカラ・ルチ宮殿です。こちらは、宮殿の裏側になります。

表側は道路に面していて、ここに出入り口があります。

係の方が玄関のドアを開けてくださり…、

私たちもあとに続きました。この家には、靴を脱いで入ります。

玄関にかけられていたプレートです。「メーカラ・ルチ宮殿」と書いてあります。


【メーカラ・ルチ宮殿(Mekhala Ruchi Pavilion)】

パヤタイ運河沿いに建設された、新古典主義様式の小宮殿です。1918年、ラーマ6世が私的に使用するために、ドゥシッタニ地区に建設したもので、「ウドン・ワナポン宮殿(Udon Wanapon Building)」と名付けられました。その後、建物はパヤタイ宮殿の敷地内に移設され、ラーマ6世の最初の住まいとなりました。パヤタイ宮殿を建設する構想も、この宮殿で計画されたそうです。ラーマ6世がパヤタイ宮殿に移り住むと、屋敷の名前は「メーカラ・ルチ宮殿」に改められ、王に謁見する人の待合室や王室の車の駐車場として使用されました。


上の写真の玄関を、内側から撮りました。チーク造りの、温かみのある雰囲気が感じられる家です。

玄関を入って左側の壁面です。

これは右側。写真ではわかりにくいのですが、窓ガラスの表面に施された模様がすばらしい。^^

靴を脱いで上がると、目の前にこんな光景が広がっていました。3層にわたって、部屋が続いています。

玄関からふたつめの部屋です。

係の方がライティングデスクを開けて、中を見せてくださいました。

照明のスイッチです。

ふたつめの部屋の左側には、バスルームが造られていました。

トイレと洗面所。

そして浴槽です。

タイルや大理石が、当時のままに、美しく保存されていました。


【ラーマ6世の散髪】

このバスルームは、ラーマ6世の散髪の場所としても使用されました。タイの人々は、「頭部は神聖な部分であるので、頭や髪に触れてはいけない。」と考えています。そのため、王の散髪は、むやみに行うことができず、古くから定められた手順にのっとり、王室衣装部の上級職員によってのみ行われました。


みっつめの部屋です。ここには、2階へ上がる階段が作られていました。


二階部分については、

次回に掲載いたします。


いまここ。😊


(つづく)

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広州経由でチェンマイへ。タイで過ごした16日間 33 - パヤタイ宮殿④ 食事室(2025年9月13日/10日め)

MIYO

2025年9月13日 パヤタイ宮殿・食事室で。(タイ・バンコク)


9月13日(土)- 10日め


1909年に建てられた、

パヤタイ宮殿(Phaya Thai Palace)

に来ています。

テーワラート・サパロム王座の間

を見学したあとは、宮殿本館に戻り、

見学を続けました。


建設当初のころの宮殿の写真です。中央がパヤタイ宮殿。手前には、テーワラート・サパロム王座の間も見えます。

宮殿の正面玄関を入ったところです。

正面玄関を入り、右側に進んだところに、半円形に造られたスペースがあります。

ここはかつて、喫煙室(Royal Smoking Room)でした。中央にあるのは、ラーマ6世の胸像です。

続いて、喫煙室の向かい側にある、食事室(Royal Dining Room)へ。

ちなみに廊下には、大理石が使われています。夫が立っているところには、アンモナイトの化石が残っていました(矢印のあるところです)。宮殿内を歩いていると、このような化石をいくつも見つけることができました。

食事室に入ります。

壁紙や扉にも、美しい装飾が施されています。

建設当時の宮殿の写真が飾られていました。

中央にあるのは、ラーマ6世の肖像画です。

ラーマ6世は、前回の日記で登場した、サヴァング・ヴァダナ王妃の息子です。

扉は2重に造られていて、上部にラーマ6世の王室イニシャルがあります。


知らないうちに、夫に撮られていました。😓

「宮殿内では、

 自分を入れた記念写真を撮らないように」

と言われていました。

が、写真を撮る中で、どうしても、

ほかの見学者さんたちが写ってしまうし、

それは仕方がない、ということになります。

「そんなふうに、意図的でなく、

 写ってしまったものについては、

 記念写真ではない」

と、夫は解釈したようです…。😓


通常の観光地で撮るような、

カメラに向かって

ポーズを作ったような写真は論外ですが、

結局は、

「王室への敬意を損なわない範囲で」

ということになるのかな、と思い、

少し迷いましたが、

恐る恐る、ブログに掲載します。

(あとで削除するかも、ですが。)


いまここ。😊 応接室→テーワラート・サパロム王座の間→喫煙室→食事室と歩いてきました。


次回は、メーカラ・ルチ宮殿を歩きます。


パヤタイ運河沿いに建設された小さな宮殿です。


(つづく)

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広州経由でチェンマイへ。タイで過ごした16日間 32 - パヤタイ宮殿③ テーワラート・サパロム王座の間(2025年9月13日/10日め)

MIYO

2025年9月13日 パヤタイ宮殿・テーワラート・サパロム王座の間で。(タイ・バンコク)


9月13日(土)- 10日め


1909年に建てられた、

パヤタイ宮殿(Phaya Thai Palace)

に来ています。



前室の次は、宮殿の外に建てられた別棟、

テーワラート・サパロム王座の間

に行きました。


テーワラート・サパロム王座の間です。

これは、パヤタイ宮殿の3階から撮った写真です。


【テーワラート・サパロム王座の間】

スリパッチャリントラ王女の治世中に建てられた王室ホールです。ラーマ6世の母である、サヴァング・ヴァダナ王妃(Queen Siphatcharinとも呼ばれます)のために建てられたもので、彼女はここに、1919年に亡くなるまで暮らしました。現在も壁に、王妃のイニシャルである「สพ」が残されています。


ホールの外観は、ビザンチン建築の影響を受けています。

ホールの正面です。中央にドームがあり、コンバーチブルアーチ型屋根で支えられています。

係の方といっしょに、中に入りました。「えっ 広い。」とびっくり。

内部は、外観から想像していたよりもずっと広い造りでした。

とうてい、一枚には収まらないので、何枚もに分けて撮りました。

柱のひとつひとつにも、細やかな装飾が成されています。

ここでようやく、2階部分が設けられていることに気がつきました。

中央部には、ドーム型の天井が細長く続いています。

そして反対側には…、

1919年に亡くなるまでここで暮らしていた、サヴァング・ヴァダナ王妃の肖像画がありました。


【サヴァング・ヴァダナ王妃(1864-1919)】

モンクット王(ラーマ4世)と王女妃ピヤマヴァディ(Piam Sucharitakul)の間に生まれました。シャム王妃で、サオババ・フォンスリーとも呼ばれています。ワジラヴド国王(ラーマ6世)の母でもあり、1897年、女性初のサイアム摂政となりました。彼女は、女性に関する問題に多くの関心を持っており、1904年にシャムで最初の女子学校(「ラジニ学校」またはクイーンズスクール)をバンコクに設立しました。


ラーマ5世の命により、かつてパヤタイ宮殿の敷地内には、王立農場が作られました。

ここに米を移植したのが、サヴァング・ヴァダナ王妃でした。

サオババ・フォンスリーと呼ばれ、国民から敬愛されたサヴァング・ヴァダナ王妃。

美しい曲線を描く天井。

この美しいホールは、近年になって、海外の注目を浴びたことがありました。

2009年、当時国務長官だったヒラリー・クリントン(Hillary Rodham Clinton)がタイを訪問。そのときに、インタビュー会場として、このホールが使われました。会場には、多くの若手リーダーを含む200人以上の人々が集まりました。US Department of State より)

タイ首相と歓談する、ヒラリー国務長官。


タイで女性初のサイアム摂政となった

サヴァング・ヴァダナ王妃。

女性問題や女子教育に尽力した

彼女のかつての住まいを

ヒラリー・クリントンが訪れ、

インタビューの場としたことは、

偶然ではなく、おそらくそこには、

関係する人々の様々な思いや願いが

込められていたのだと思います。


残念ながらヒラリーさんは、

ガラスの天井を

破ることができませんでした。


それから9年後の今年、高市早苗さんが

内閣総理大臣に就任されました。

「これで、今までにひとりも、

 女性首脳を輩出していない国は、

 先進諸国の中で、

 アメリカだけになったらしいよ。」

と、夫が言いました。


ヒラリーさんが歩いていた道が

どれほど過酷なものであったのかを、

今さらながら、

教えられたような気がしました。



(つづく)

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