MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 25 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり⑩ スンソット鍾乳洞 (3) / 夫の補聴器(2023年6月16日/3日め)

2023年6月16日 スンソット鍾乳洞で。


6月16日(金)


スンソット鍾乳洞を歩いています。
巨大なキノコ雲の横には、
長い通路が続いていました。


奥の方に柱のようなものが見えます。そこに向かって、通路がずっと続いています。

同じような風景が続きますが、進むにつれて、遠くに見えている柱がだんだん大きくなっていきます。

ゆるく左にカーブした通路を、さらに進みます。

柱の向こうに、光が見えます。

どうやら、天井部分が開いているようです。

光が、だんだんはっきりとしてきました。

ここまで来ると、かなり明るくなりました。

柱のすぐ横を通り過ぎて…、

さらに階段を上がります。あともう少し。^^

ふりかえると、先ほどのキノコ雲が見えました。

その後ろにある通路を延々と歩き、さらにぐるりと回ってここまで戻って来たわけです。

開口部の全体が見え始めました。今から鍾乳洞へと降りていく人たちの列が見えます。

後から後から続いてやってくる人々。人の波が途切れることはありませんでした。^^

この開口部は、外側からだとこう見えます。
*ボーホン島に向かう「はしけ」から見え
た、鍾乳洞の入口です。同じところに、出口もあります。

最後にもう一度振り返って、鍾乳洞の中を見下ろしました。長い石段が奥のほうまで続いていて、けっこうな深さです。

鍾乳洞から出て、海を見下ろしました。たくさんの船が停泊しているし、まだまだ、続々とクルーズ船が到着しつつあります。大盛況ですね。^^

ふう…。おつかれさまでした。😄


鍾乳洞の中にいたのは、40分くらい。
休みなく歩き続けたので、たぶん、
2キロ以上の距離を歩いたと思います。


ハロン湾最大の鍾乳洞と言われる、
スンソット鍾乳洞。
さすがに、見ごたえがありました。


(つづく)


(おまけのお話)


7月20日(木)


No.18で、夫の耳が聞こえづらくなっている、
というお話を書きました。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 18 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり③ 「はしけ」で乗船(2023年6月16日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


帰国後、夫は、週2回ていど、耳鼻科に通い、
現在は、鼻と耳の通りを良くする治療?
のようなものを受けています。
(効果があるかどうかはわかりませんが。)


今日は、その耳鼻科で行われている、
補聴器相談に行ってきました。
「2週間無料貸し出し」があるそうで、
お借りしてきたのが、
デンマークのオーティコンという会社のもの。


いろんなタイプがあるんですね…。長男も補聴器のお世話になっていますが、夫のは、それよりもずっとずっと高級タイプ。


お借りしたのを着けてみて、夫は、
「すごーくよく聞こえる!
 MIYOちゃんの話も、全部わかるよ!」
と、びっくりしていました。
よく聞こえるようになって、自分がこれまで、
ドアの開け閉め音とか、
身の回りで起こっている何気ない音とか、
すべて聞こえないままに生活していたことに
気づいたそうです。


補聴器を着けて、
いろんな音が聞こえるようになって、
日常、そういう様々な音の刺激を受けながら
生活するということは、
認知症の予防にもなるんだそうです。
(ほんとかどうかわかりませんが。)


まあなにしろ、
補聴器で聞こえるようになるのなら、
よかったです。


ただし、価格はなんと、27万円。
ひゃ~。😅😅
「18日間ベトナム旅行」の
ふたり分の総費用より、
はるかに高いです。😂😂😂


ちなみに。
高福祉国家デンマークでは、
補聴器は無料だそうですよ…。
国民は、それ以上の税金を
払ってるってことなんでしょうけど。😅😅

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 24 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり⑨ スンソット鍾乳洞 (2)(2023年6月16日/3日め)

2023年6月16日 スンソット鍾乳洞で。奥を歩く人影の小ささから、この鍾乳洞の広さがわかります。


6月16日(金)


ハロン湾で最大の規模と言われる、
スンソット鍾乳洞を歩いています。


鍾乳洞の入り口を入ってすぐのところにある撮影スポットで写真を撮り、さらに先へと進みました。

石段はさらに、下方向に向かって続いています。

天井からこんなのが垂れ下がっていて…、

みなさん、つい、触ってみたくなるようです。笑

たくさんの鍾乳石に囲まれて、狭い通路を進んでいくと…、

ぽっかりと開けた場所に出ました。ここからは登りになっていて、石段を上がっていきます。

「プレデター」の頭みたいですね。

天井から雨が降っているかのような、鍾乳石。

こちらは、地面から隆起したかのように見えます。奥の方に、階段と小さな人影が見えます。こんなにも向こうの方まで続いているくらい、奥行きがあるんです。

不思議な光景が続き、そろそろ出口かな、と思っていたら、さにあらず。さらに広いところへ出ました。通路を歩いている人が、ずうっと奥まで続いています。さすが、ハロン湾最大の鍾乳洞でした。

うわぁ…、広い。天井に向かって、キノコ雲が噴き出しているかのような、幻想的な光景。通路を歩く人たちの小ささから、このスポットの広さが想像できますでしょうか。

なにかもう、どこか別の惑星を歩いているような気がします。

キノコ雲の向こうには、まだまだ、鍾乳洞の世界が続いていました。

暗くてよく写りませんでしたね…。😅

まだまだ、ずううっと向こうのほうまで、通路が続いています。

キノコ雲を通り過ぎて、さらに歩きました。うしろに見えているのは、さきほどのキノコ雲の軸の部分です。

石でできた通路はきれいに整備されているので、つまづくようなところもなく、淡々と歩き続けることができます。もっとも、途中でやめたいと思ったとしても、出口まで歩き続けるしかないのですが。笑


歩いても歩いても終わらない、鍾乳洞。
ほんとうに広い。
さすが、ハロン湾最大の、
スンソット鍾乳洞でした。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 23 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり⑧ ワン家の人々と、スンソット鍾乳洞 (1)(2023年6月16日/3日め)

2023年6月16日 スンソット鍾乳洞で。


6月16日(金)


たくさんのツアーボートが停泊している中で、
私たちも、「はしけ」としてつながれている、
小さなボートに乗り換えました。



ナイトクルーズ用の大型船から
島に上陸するためには、
どの船であっても、乗客は「はしけ」に
乗り換えなければなりません。


私たちも、船につないであった「はしけ」に乗り込みました。出発時、船の発着場から乗った、このボートです。笑

ボートが走り始めると。目の前に、不思議な奇岩が…。

このとき、ボートの中で、MIYOの向かい側に座っていた、3人。アメリカからいらしたそうです。

そして、MIYOの右側に座っていた5人。


アメリカから来たという、
全部で8人の東洋人グループ。
てっきり、団体旅行だと思っていました。
でも、このボートの上で彼らと話していて、
驚くことを聞いてしまいました。


「団体旅行」というのは私たちの思い込みで、
実はこの8人のみなさんは、
「ワン家」という、ご家族だったのです。
(「一族」というべきかもしれません。)
アメリカからベトナムに来たいきさつを、
彼らのひとりひとりが、
思い思いに語ってくれました。


話し始めたのは、末っ子のヴィンス。
「オレたちは6人兄弟。
 いっしょにいるのは、叔父と母。
 45年前は、全員、
 南ベトナムに住んでたんだ。」


45年前と言うと、1978年。
ベトナム戦争が終わって間もなくの頃です。
当時、ボートピープルとなって、
多くの人々が、旧南ベトナムから脱出しました。
その頃のことなのでしょうか…。


彼の兄、次男・ヘンリーが後を次ぎました。
「当時母は、僕たち6人を連れて、
 船に乗りました。
 そのとき、いちばん年上だった長男は、
 13歳でした。」


「お母さんは、今、おいくつですか?」
と尋ねると、
「母さんは、今、84歳だよ。^^」
とヴィンス。


胸を突くような話でした。
本では読んだことがあったけれど、
「ボートピープル」だった方々に
実際に会うのは、初めてでした。


故郷を離れ、なにもかも捨てて、
子どもたち6人を連れて、
船に乗った女性。
計算すると、当時の彼女は39歳です。


それから45年。
彼女はアメリカで、6人の子供達を、
りっぱに育て上げました。


そして今、兄弟6人全員がそろって、
母、叔父と共に、ベトナムに帰ってきました。
45年前に住んでいたところを、
訪ねに来たのだそうです。


「お父さんはどうなったのですか?」
とは、訊けませんでした。
彼らの誰もが、父親のことを語りません。
語ろうとしないことを、
あえて訊くつもりはありませんでした。


子どもたち6人を連れて、
39歳の女性が船に乗るまでには、
語りつくせないほどの悲しみや、
つらい出来事があったのだろうと思います。


難民としてアメリカに行ってからも、
6人の子どもたちを抱えて、
どれだけ苦労されたことか…。


壮絶な人生があったのだろうと思います。
でも私は、あまりに驚いてしまい、
「すごいおかあさんですね…。
 本当に、心から驚いていて、
 そして感動しています。」
としか言えませんでした。


ワン家の6人を立派に育て上げたおかあさん。弟さんといっしょに、おだやかな笑顔で座っていました。


このハロン湾ツアーでの、
いちばんの思い出は、
このワン家の人々と出会ったことでした。


クルーズが終わって、彼らとお別れして、
私たちも日本に帰って来て。
あれから一か月以上がたつのに、
今でも折りにふれては、夫と、
ワン家の人々の話をしています。
おかあさんの穏やかな笑顔を思い出していると、
いつのまにか、涙が出てきます…。


ボーホン島が近づいてきました。スンソット鍾乳洞の入り口が見えます。


スンソット鍾乳洞は、ハロン湾最大の洞窟です。
ちなみに、「スンソット」とは、
「衝撃的な」という意味。
驚かないではいられない鍾乳洞、
ということでしょうか。


これまでの2回のハロン湾ツアーで行ったのは、
ティエンクン鍾乳洞(ダウゴー島)でした。
ハロン湾に点在する鍾乳洞の中で、
クルーズが立ち寄る、
最もポピュラーな鍾乳洞です。


スンソット鍾乳洞に行くのは、今回が初めて。
でも、鍾乳洞なんて、
どこでも同じようなもの…と、
このときは思っていました。


切りたった崖の中腹に、鍾乳洞の口がぽっかりと開いています。

ボーホン島の港を、丘の上から撮った写真です。ここに、私たちのボートも接岸し、上陸しました。

船着場には、たくさんの船が接岸していました。手前の小さなボートが、ワンナイトクルーズ船の「はしけ」です。うしろの船は、ワンデイクルーズ(日帰りツアー)船です。ワンデイクルーズの船は小型なので、港に直接停めることができます。

MIYOの隣りにあるのが、私たちを乗せてきた「はしけ」です。COZY BAY CRUISE というプレートが付いています。

上陸すると、鍾乳洞があるところまで、海沿いに作られた通路を歩いていきます。

けっこうな長さです。^^

通路を歩いているあいだも、こんな景観を楽しめます。

スンソット鍾乳洞がある場所に到着。ここからは、階段を延々と上がらなければなりません。笑

途中の踊り場が、撮影スポットになっていました。

そしていよいよ、鍾乳洞の中へ。細い階段を、一列になって降りて行きます。


【スンソット鍾乳洞】
ハロン湾で最も大きい鍾乳洞です。その面積は約12,200㎡にもなり、ハロン湾ツアーでもっともポピュラーなスポットと言われる「ティエンクン鍾乳洞」の、約2倍ほどの大きさを誇ります。


階段の下は、こんな感じです。もうね、観光客だらけですよ。芋の子を洗う状態。😂😂

実は、入ってすぐのこの場所が、撮影スポットになっているのです。なので、写真を撮りたい人たちでおおにぎわい。3密だのなんだのと気にしていられない状態…。

いきなり目の前にこんなのがありますから、そりゃあ写真を撮りたくなります。

ということで、私たちも。😄

写真をお願いした方が、がんばって何枚も撮ってくださいました。^^

そして撮影が終わると、みなさんぞろぞろと歩いて、さらに奥のスポットへと進みました。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 22 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり⑦ ボーホン島へ(2023年6月16日/3日め)

2023年6月16日 ハロン湾。ボーホン島へと向かう船で。


6月16日(金)


ランチのあとは、少しだけ休憩。
部屋に戻っても、航行中は送電されないので、
客室内のエアコンが使えません。
(「もっと高いツアーだったら、
  発電機がふたつあったりして、いつでも、
  エアコンが使えるのかもしれないなあ。」
  とか、夫は言っていましたが。笑)

なので、涼しいデッキに残り、
海の景色を楽しみました。


遠くの方には、私たちの船と同じ方向に、たくさんの船上ホテルが続々と航行しているのが見えました。

すぐ近くを通り過ぎて行った、地元の漁師さんの船。

こういう船で獲った海産物を、私たちは船の上でいただいています。^^

私たちが乗っている船とよく似た規模の船とすれ違いました。後ろに、「はしけ」をつないでいます。


この頃になって、ようやく、
「どの船も、専用の『はしけ』
 つないだままで航行している。」
と気がつきました。


よく考えてみると、
「はしけ」はどうしても必要なんですね…。
このあとは、ツアーで小島に上陸するのですが、
船上ホテルは、島に接岸できません。
なので、上陸するためには、その都度、
「はしけ」を利用しなければなりません。


すべての船上ホテルが、
まるでコバンザメのように、
「はしけ」をつないで航行する理由が、
ようやくわかりました。


でこぼこした島々が連なっています。ハロン湾独特の景観です。


船着場を出発した後、私たちが乗った船は、
ボーホン島へと向かいました。


奇岩だらけのハロン湾は、波も静かで、その幻想的な光景を惜しみなく見せてくれました。

途中、いくつものツアー船にあいました。観光スポットへ向かうため、どの船も、同じ方向を目指しています(あたりまえですが。笑)

「あっ 3階建ての大きな船があるよ。豪華船だね!」などと話していたら…、

このあたりは豪華船のルートになっているようです。3階建ての大型船が、小ぶりの岩の間を通り抜けて、お行儀よく一列に並び、次々と入ってきました。

どの船も後部に「はしけ」をつないでいるのが、かわいらしい。笑

ここはツアー船の停泊場所になっているようです。

岩の近くは、ホテルの設備を整えた大型船だらけ。ハロン湾ワンナイトクルーズは、盛況のようです。コロナが収束し、世界中から、お客さんがこんなにも戻ってきてたんですね。^^

…と思って見ていたら、私たちが乗った船も、この近くに停泊しました。

ツアーのハイライトスポットが近づいてきたので、他のホテル船との距離が近くなってきました。

私たちの船のあとにも、岩の隙間を抜けて、まだまだ、次から次へと船がやってきます。

3階建てや4階建ての大型ホテル船がゴロゴロしています。😄

これは、AMANDA CRUISEの船。

Hai Long Dragon 号です。

これは Halong Aquamarine Cruise の船。屋上にはプールがあるようです。笑 客室ごとに、プライベートテラスが付いていますね。このクラスだと、一泊5万円から10万円くらいだと思います。すげー。笑 


数多くの船が、ぶつかることもなく、
整然と進んでいきました。


どの船も、めざしているのはボーホン島。島が入り組んだ奥の方に見えてきました。

ここで、どの船もエンジンを止めて、停泊します。そして乗客は、「はしけ」に乗って島に向かいます。

お行儀よく、整列してる船もあります。😄

たくさんの船を見ているだけでも面白かったのですが、ここで私たちも、「はしけに乗ってください。」と言われたので、「はしけ」をつないでいる場所に移動しました。


次回は、「はしけ」に乗って、
ボーホン島へ上陸します。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 21 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり⑥ 足で漕ぐ人々(2023年6月16日/3日め)

2023年6月16日 ハロン湾で。


6月16日(金)


食事のあとは、デッキに出て、
ハロン湾の景観を楽しみました。


さっきまではこんな風に見えていましたが…、

食事しているあいだに、岩山がずいぶん近くになっていました。

そしていよいよ、奇岩群の中へ突入します。

周囲にいるツアー船も、みんな同じところをめざして走っています。

よくぶつからないな…と思うけど、大丈夫。^^

「海の桂林」と呼ばれる、ハロン湾。ベトナムが誇る、世界遺産です。

ふと、操縦室の中をのぞいてみると…、

中にキャプテンがいたのですが、なんと、足で操舵していました。🤣🤣

私たちに見られていると知って、ちょっと驚いているキャプテンです。笑


このときは、私たちもびっくりしたのですが、
帰国してから、
「このあたりには、
 足で舟を漕いで漁をする人たちがいる」
ということを、ネットで知りました。
写真で見ると、漕いでいる足が、
このときのキャプテンとそっくりです。笑
ベトナムの人にとっては、
普通のことだったんですね。^^


足で舟を漕いでいる写真です。これだと両手があくので、漁がしやすいようです。(画像をお借りしました)


1987年にビルマに行ったのですが、
そのときにインレー湖で、
小さな手漕ぎ舟に乗りました。
乗っていたのは、夫と私。
そして舟を漕いでいたのは、
現地で知り合ったおじいちゃんです。


「この湖のあたりには、
 足で舟を漕ぐ人たちがいるんだって。
 どこかに見えないかなあ…。」
と、夫はきょろきょろ。
目を凝らし、あたりを見回しています。


そして後ろをふりかえると、
私たちふたりが乗った小舟を
漕いでいるおじいちゃん。
足で漕いでいました…。


「こんな近くにいたよ。」
と、ふたりで大爆笑。🤣


足で船を操舵していたキャプテンを見て、
ビルマのおじいちゃんを思い出しました。^^


楽しかったビルマ。ほっぺが白いのは、地元のお姉さんがタナッカーを塗ってくれたため。笑(1987年5月3日 マンダレーのお寺で)

なぜかみんなで踊り、大爆笑。めちゃくちゃ盛り上がりました。あいかわらず、アホでスミマセン。

36年前の私たち。バックパックでビルマを歩いたときは、27歳と29歳でした。(1987年5月3日 マンダレー駅の前で)


36年前のビルマ。
鎖国状態で、物資はなにもなかったけれど、
一生忘れられない、豊かな旅でした。


(つづく)