MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

ガンになって、糖質制限

糖質制限中でも、時にはスパゲティも食べます。


数年前に、「糖質制限」をやっていました。
ダイエットのためです。
糖質の低い食品を購入し、炭水化物を控えめに、
などと、とりあえずやってみましたが、
さほど真剣にやっていたわけではなく、あまり効果もあがらず、
一年が過ぎる頃には、すっかり元の生活に戻ってしまいました。


2016年7月に、ガンが再発したことがわかりました。
ガンになって、病院で手術し、抗がん剤治療を受ける、までは、
誰でも知っている治療法だと思います。
標準治療は当然受けるとして、
でも、それ以外になにか、自分でできることはないか、
と考えました。
ネットでさがしていて、見つけたのが、「糖質制限」でした。


詳しい説明は控えますが、
「ブドウ糖はガンのエネルギー源なので、
 糖質制限を行うことによって、
 ガンを兵糧攻めにする」
という考え方には、共感できるものがありました。
ダイエットのためには続けられませんでしたが、
今度は命がかかっています。
とりあえず、やって悪いことはなさそうだし、
できることはなんでもやってみよう、と思いました。


「がん」「糖質制限」で検索すると、多くの情報が得られます。
この中で、参考になったのは、
「一日の糖質摂取量を40g以下にすることを、
とりあえずの目標としましょう。」
という、ある医師のアドバイスでした。
糖質40g…。
コンビニのおにぎりなら一個分です。
これは、かなりきびしい。
それも、「とりあえず」の目標、です。
その医師は、
「これができるようになったら、さらに目標とする摂取量を減らしましょう。」
と続けています。


ケトン療法(糖質制限)が難治性てんかんに有効であることは、
子どもが小さいときに調べたことがあり、知っていました。
けれどそれが、ガンにも有効であるとは、知りませんでした。
「一日40g以下」は無理そうですが、
「一日40g以下を目標に生活する」ことなら、できそうです。


糖質の多い食品を調べ、なるべくそれを避け、
糖質の低い食品を選んで食べる生活が始まりました。
白米、麺類、芋類、甘いものはなるべく控えました。


やってみると、自分にもできそうなことがわかってきました。


長くなるので、
どうやって糖質制限食を続けてきたか、
具体的な方法は、次回に書いていきたいと思います。

(糖質制限の効果を保証するものではありません。
あくまで、私の場合、のお話です。)


ちなみに、私の今日の食事です。


【朝食】
トースト(大麦パン)+バター
コーヒー(砂糖なし)
・大麦は、低GI食品です。


【昼食】
ツナとオリーブの、スパゲティ・アマトリチャーナ
(全粒粉のパスタ。アマトリチャーナは、トマト系のソースです。
 ツナとオリーブのみじん切りを、冷凍のソースで和えた、簡単な物です。)
・全粒粉は、通常の小麦粉よりも糖質が低くなります。
・ツナとオリーブは、低糖質食品です。
コーヒー(牛乳入り、砂糖なし)


【夕食】
雑穀とマンナンライス入りのごはん
・雑穀とマンナンライスを混ぜて、白米よりも糖質を押さえています。
牛肉とタマネギ・エノキのプルコギ風炒め物
・キノコも、低糖質食品です。
鶏の唐揚げ
サラダ(蒸し鶏とレタス)+黒酢タマネギドレッシング
・鶏肉が、低糖質食品です。


メニューは、案外、普通です。
これで、多分、一日の糖質量は、80gくらいでしょうか。
目標の40gには遠いですが、無理は続かないので、
糖質制限しながら、食べたいものを、おいしく食べています。^^
糖質制限を意識しなければ、普通の食事で、
一日の摂取量が200~300gになることも、
珍しいことではないと思います。



以下、ネットからの抜粋です。ご参考までに…。


①糖質制限をすれば、がんの発生を減らせる可能性はあります。例えば、大量糖質摂取後の 高血糖で分泌されるインスリンは、細胞分裂を促進させるホルモンであり、細胞分裂が多ければ 多いほど、異常細胞、がんが作られる可能性が高くなるからです。


②また,糖質制限で高血圧や高脂血症、肝機能障害などを正常化させることは,体を健康に 保つために重要であり,場合によってはがんを発生させにくい健康体になるかもしれない 可能性を秘めています。しかしそれでも、いったんがんができてしまったら,糖質制限で 血糖値が上がらないようにして、がんに余計な栄養を与えないようにすることくらいはできても, それ以上の効果(がん縮小など)は期待できないでしょう。


③こうした高脂肪、高たんぱく、低糖質のケトン食に、抗がん剤や放射線などの化学治療を併用 すると、患者のがん細胞が縮小、消滅する確率である「奏功率」がアップすることも、私の 臨床研究で明らかになりました。


その他の記録は、
ガンになって
http://limings.sweet.coocan.jp/miyo01/miyo1701.html
をご覧下さい。
MIYO'S WEBSITE(全盲難聴の、のんたんの育児記録)
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はじめての補聴器(1歳8ヶ月)

(5歳ののんたん。補聴器と服を、水色のリボンでつないでいます。)


最後に補聴器を作ったのは、もう5年以上前になるかも知れません。
毎日使っている物なので、ぼろぼろになっていましたが、
なにしろ、何十万円もする、お高い物なので、
おいそれと作り替えることはできません。


けれど、さすがにこれだけ古くなると、行政から補助金をだしていただけそうです。
そこで、暮れに、夫が、のぞみを連れて、補聴器屋さんに行ってきました。
始めてのぞみの補聴器を作ったのは、1歳8ヶ月のときです。
そのときから20年。
のぞみの補聴器は、ずっと、同じお店で作り続けています。
長いおつきあいになりました。


のぞみの耳が聞こえていないと、初めて言われたときのことは、
のんたん日記1 に書いてあります。
今日、それを読み返してみました。


失明した我が子に、できるだけ話しかけて育ててきたつもりだったのに、
実は、耳も聞こえていなかった、と知ったとき、
「のんたん、私のことも、わかっていなかったんだね…」
と、つぶやくことしかできませんでした。


そんな長男が、補聴器をつけたことで、
「音の世界」を知るようになります。
やがて、私の声を聞いたときにだけ、笑顔を見せるようになりました。


何も見えず、聞こえず、
「盲ろう」の世界にたったひとりで閉じ込められていたのぞみは、
補聴器をつけたときから、
少しずつ、私たちの世界に近づいてきてくれました。


今、のぞみは21歳です。
朝起きたら、自分で補聴器を取りに行って、
勝手に耳につけてしまいます。
外出先で、補聴器の電池が切れても、平気です。
自分のウエストポーチから電池を取り出し、
電池交換も自分でやってしまいます。
補聴器は、のぞみにとって、欠かすことのできない、
大切なパートナーになりました。


のぞみと「補聴器」の軌跡は、こちらをご覧下さい。
のんたん日記   8.のんたんの補聴器 
(1999年11月26日記・のぞみ5歳)
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan01/nontan0108a.html 
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan01/nontan0108b.html
補聴器と共に世界を広げていったのんたんの、成長の記録です。


その他の記録は、
ガンになって
http://limings.sweet.coocan.jp/miyo01/miyo1701.html
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MIYO'S WEBSITE(全盲難聴の、のんたんの育児記録)
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足で描く画家・山口かほるさんの個展

その方と出会ったのは、ほんの偶然だったそうです。
街をぶらぶらと歩くのが趣味の夫にとっては、
葛飾区にある自宅から銀座あたりまで歩くのは、日常茶飯事。
軽い散歩でしかありません。
そんな夫が、いつものように「軽い散歩」に出かけ、
都内を歩いていたところ、たまたま、 この方の個展会場に通りがかったのだとか。
それ以来、我が家では、時折、
この方からの個展のご案内をいただくようになりました。


山口かほるさん
生後3ヶ月で脳性マヒと診断され、
10歳の時に絵を習い、口で描くことを始められたそうです。
「絵」という、生涯の楽しみを見つけられた彼女が、
「絵」と共に、これからも幸せに生きていかれることを願っています。


山口かほるさんの暖かい色合いの世界に、
ひとりでも多くの方に触れてみていただければと思い、
個展のご案内をさせていただきます。



【山口かほる個展】


口と足で描く芸術家協会所属。
足で描く画家、山口かほるさんが、個展を開催いたします。
入場無料です。ぜひ、ご来場ください。


日時:2017年 2月26日(日)~3月3日(金)
11:00~18:00 (最終日は16:00まで)


入場無料


場所:ドゥ〈doux〉画廊
〒104-0031
東京都中央区京橋2-6-8 仲通りビル1F
TEL:03-5250-0860


「くじゃく」 水彩画
山口 かほる (東京都在住/足で描く画家)



その他の記録は、
ガンになって
http://limings.sweet.coocan.jp/miyo01/miyo1701.html
をご覧下さい。


ガンになって、やったこと
http://limings.sweet.coocan.jp/miyodos/miyodos00.html
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のんたん、雨を理解する


(のんたん日記18をスタートしました。以下、抜粋です。)


のぞみは、全盲・難聴です。
通常なら、「雨」は、見てわかります。「雨音」は、聞けばわかります。
けれど、全盲ののぞみは、生まれてから一度も、雨を見たことがありません。
難聴ののぞみが、雨音に気づくこともありませんでした。


「雨」を知らないのぞみに、「雨」を教えたい…。
そのためには、母である私と、まだ赤ちゃんに近かったのぞみとの、
日常の小さなやりとりを積み重ねていくしかありませんでした。
それは、ほんのちょっとしたことでしたが、私にとっては、とても楽しいやりとりでした。


4歳の冬に初めて、
「あめ」
とことばで言えるようになったのぞみは、
その後も、さまざまなエピソードを通じて、少しずつ、
「雨」を自分のものにしていきました。


今、「のんたん日記」を読み返してみて、
盲ろう児であるのぞみが、どのようにして、
「雨」というものへの理解を深めていったかを、
とてもなつかしく思い出しています。


のぞみは、今、21歳です。
このごろは、
「今日は雨が降っているから、お出かけはしないよ。
 おうちの中で過ごそうね。」
と父親に言われると、
「じゃあ、家でごろごろ、ね。」
と、ちょっと残念そうに言い返すようになりました。


家族の、何気ない、普通のやりとりです。
でも、かつては、「雨」の存在すらも知らなかったのぞみが、
今では、そんなやりとりを普通にしてくれていることを、
うれしく思います。


私にとって「雨」は、今でも、
のぞみの成長の軌跡をなつかしく思い出させてくれる、
たいせつなキーワードなのです。


(写真は、のんたん9歳。両手で雨を感じています。)


   「のんたんの雨」シリーズはこちらをご覧下さい。
     のんたん日記   20.雨 (2000年2月26日記・のぞみ4歳)
     http://limings.sweet.coocan.jp/nontan01/nontan0120.html
     のんたん日記2  21.雨に歩けば (2001年5月20日記・のぞみ5歳)
     http://limings.sweet.coocan.jp/nontan02/nontan0221a.html
     のんたん日記3  27.雨のにおい (2002年6月12日記・のぞみ6歳)
     http://limings.sweet.coocan.jp/nontan03/nontan0327.html
     のんたん日記5  2.雨は手のひらにいっぱい 
              (2003年8月14日記・のぞみ8歳)
     http://limings.sweet.coocan.jp/nontan05/nontan0502.html
   のぞみと「雨」のふれあいの軌跡です。


その他の記録は、
ガンになって
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人生でいちばん悲しかった日

「ガンになりました。再発しました。」
と言うと、誰もが驚き、そして気遣ってくれます。
「でも、なんでそんなに冷静なの? すごいね。」
と言う人もいます。


すごいかどうかは別として、
動揺していないのは、たしかです。
なぜ自分だけが、と思うこともないし、
不運を泣いて悲しむようなこともありませんでした。


悲しいか? と尋ねられれば、
   んー…。悲しい気持ちはない、かな?
と思います。
その理由は、わかっています。
自分の人生で、いちばん悲しかったことが、
もっとずっと前に、すでに起こっているからです。


それは、超未熟児で生まれた長男が、失明してしまったことです。
たいせつな我が子が、生後数ヶ月で失明してしまった日。
救急車で、NICUから専門病院に搬送された息子を追いかけて、
ひとりで電車に乗り、バスに乗り継ぎながら、
ずっと、涙が止まることはありませんでした。
私のこれまでの人生で、いちばん悲しかった日、でした。


あの日は、本当につらかった。
自分の子どもが失明する悲しさと、
自分自身がガンになったときの気持ちなんて、 
比べるようなものではありません。
けれど、あのときのことを思うと、
今の自分のガンなんて、どうってことないように思えます。


今、ガンという試練に見舞われても、それを悲しいと思えないのは、
あまりにも大きな悲しみを、すでに知ってしまったせいなのかもしれません。
多分、私の人生で、あのときよりも大きな悲しみは、
これからも起こらないのではないかと思います。
(そう願っています。)


今、ガンになっても、悲観したり落ち込んだりせず、
淡々と生きている自分がいます。
今の私は、
あの、人生でいちばん悲しかった日の長男に、
支えてもらっているのかもしれません。



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