MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 9 - ヴァンケー駅(Ga Văn Khê)へ。(2023年6月15日/2日め)

2023年6月15日 ハノイ都市鉄道(ハノイメトロ)に乗りました。


【お知らせ】
7月9日から、次の旅にでます。(帰国したばかりというのに、アホです。すみません。)
ってか、何か月も前から決まっていたのは、こちらの方なんです。😅
少しだけ、秋田と青森に行ってきます。
旅行中は、ストックしてあるのを予約投稿し、できるだけお休みしないで書き続けたいと思っています。
コメントのご返事は帰宅後になるかと思います。
すみませんが、どうぞよろしくお願いいたします。


6月15日(木)


2021年に開業したばかりの、
ハノイ都市鉄道(ハノイメトロ)に
乗りました。


平日の昼間だからか、車内は空いていました。

夫、うれしそうです。

ドアの上には、始点の Cát Linh 駅から終点 Yên Nghĩa 駅までの各駅が表示されています。通過した駅のランプは消灯する仕組み。自分が今どこにいるかが、ひと目でわかります。^^

Văn Khê 駅で下車しました。夫は、終点の Yên Nghĩa 駅で降りると言っていましたが…、

それに逆らって、Văn Khê 駅で降りたのには、少し理由がありました。

ヴァンケー駅(Ga Văn Khê)。漢字で書くと、文溪駅。何気に、入口の前で立っていますが、実は感動しています。

4年前の同じ場所です。当時はこの駅まで、ひとりで歩いてきました。この頃は開業する前だったので、入口はシャッターで閉ざされていましたが…。この閉ざされていた駅を、もういちど訪れたかったのです。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 34 - ベトナムの朝ごはん、「とうもろこしのおこわ(Xoi Ngo:ソイ・ンゴー)」/ホーチミンルート博物館へ①(2019年9月14日/14日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

駅を出て少し歩くと、線路がありました。「あっ 私、ここに前も来てるよ!」

4年前の写真です。この頃はひとりで歩いていたので、自分が写った写真はあまりありません。

この踏切で立ち止まり、はるか向こうを眺めました。

あとでブログを調べたら、4年前とまったく同じ写真を撮っていました。😄 4年後にまたここを歩くとは、あの頃は考えたこともありませんでした。

大通りをさらに歩くと、大きな陶器屋さんがありました。

ずいぶん大きいお店です。

貯金箱。ポケモンもあります。笑

フタのついた大きな甕は、水瓶でしょうか。それとも漬物用かな…。

店先にはお馬さんがつながれていて、草を食んでいました。

このあたりは普通の住宅街なのですが、亜熱帯のハノイだけあって、道路脇はこんな感じです。植物がうっそうと生い茂っています。


前回は、グーグルマップに騙されて、
博物館を通り過ぎたうえに、
ずいぶん遠くまで歩かされました。
今回は、まちがってはいないものの、
グーグルマップが教える道は、
やっぱり少しヘンでした。😂😂


こんなところを歩けって言うんですよ。いやコレ、道じゃなくて、個人住宅の裏庭だと思うのですが。仕方ないので、そそっと通り抜けました。

ヴァンケー駅(Ga Văn Khê)を出て歩くこと、約20分。いきなり、柵の向こうで対空高射砲が現れました。


夫が、「ここじゃないの?」と…。


そうです。たしかに、この道の先に見えるのは、正門。

ホーチミンルート博物館です。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 8 - ハノイ都市鉄道(ハノイメトロ)を体験する。(2023年6月15日/2日め)

2023年6月15日 ハノイ都市鉄道(ハノイメトロ)に乗りました。


6月15日(木)


XO SEAFOOD でお昼ごはんをいただき、
お店を出ました。


横断歩道を渡り、ふりかえってお店の方を見ました。よく見ると2軒並んでいて、りっぱな店構えのお店でした。^^

ここまで、Mango Hotel からこんなふうに歩いてきました。こうして見ると、ホーチミン廟、タンロン城跡、ベトナム軍事歴史博物館、B52戦勝博物館など、重要な観光スポットが徒歩30分圏内くらいにあり、けっこう便利な立地のホテルだったことがわかります。

そしてこのときは、ホテルからハノイ都市鉄道(ハノイメトロ)の La Thành 駅に向かって歩いていました。


4年前は、スマホが使えなかったので、
紙の地図を頼りに歩きまわったのですが、
今回の旅では、
ベトナム仕様のSIMカードを買ったので、
ネットが自由に使えます。
なので、グーグルマップを使って、
常に、現在地や目的地を確認することができ、
迷うことなく歩くことができました。
そのグーグルマップ自体も、
4年前に比べると格段に精度が上がっていて、
とても便利に利用することができました。


XO SEAFOODの向かい側にある、La Thành 駅です。手前のモザイク模様の色で、駅を区別しているようです。


今回の旅では、
「ハノイメトロに乗ってみたい。」
と言うのが、MIYOの希望でした。


【ハノイ都市鉄道(ハノイメトロ)】
かつてのハノイ市内の都市交通は、1901年に開通した路面電車が主流でした。全盛期には5路線が存在しましたが、1989年までに全線が廃止されました。以来今日に至るまで、ハノイ市内の公共交通機関はバスのみとなりました。しかし、ドイモイ政策導入以降の都市化の進展や経済成長による自動車やバイクの増加も相まって、ハノイ市内の交通渋滞や大気汚染は深刻な問題となっています。
このような事情から、ハノイ都市鉄道の整備計画が立案されました。2010年にフランスのアルストム社によって3号線の建設が開始され、続いて2011年には、中国の中鉄六局集団有限公司によって2A号線の建設が始まりました。2A号線は、2019年2月の開業を目指していましたが、遅れに遅れ、2021年11月6日に開業しました。


MIYOが住んでいた家の近くにも、この2A号線の駅(La Khe 駅と Van Khe 駅)がありました。予定通りに開業していれば、MIYOも乗ることができたのですが、工事が遅れていたために、駅は使用されておらず、ただの無人駅になっていました。(2019年9月14日)


この日の目的地である、
ホーチミンルート博物館までは、
ホテルからタクシーを使えば、
1時間くらいでしょうか。
2000円くらいかかると思います。
それでも日本よりは安いのですが、
どうせなら、メトロに乗ってみたかったのです。
この Van Khe 駅までメトロに乗っていけば、
ホーチミンルート博物館は、
そこから歩いて行ける距離にありました。


なので、
「ハノイ中心地から博物館までは、
 このハノイメトロに乗っていきたい。」
というのが、MIYOの希望でした。
(夫はなぜか、当初あまり気乗りしていませんでしたが。)


駅の改札階まで、エレベーターで上がりました。この日の夫は、チョンさん、タムさんへのお土産を背負って歩いています。笑

改札階までは、もちろん、階段やエスカレーターもあります。

改札階のある部分から見た、駅のホーム階。下は一般道路です。

La Thành 駅です。

すぐ隣りにある、一般民家。ベトナムでは4階建てはあたりまえなので、改札階からも家屋の上部がよく見えました。^^

券売機までたどり着きました。2台しかありませんが、これで足りてるようです。

今いるのは、La Thành 駅。夫は、「終点の Yen Nghia まで行こう。」と言ったのですが、MIYOは、「Van Khe で降りようよ。」と主張しました。どちらで降りても、駅からホーチミンルート博物館までは、徒歩20分くらいです。


み「どうやって買うんだろうね?」
夫「行きたい駅の名前を
  タッチすればいいんじゃないの?」


そのとおりでした。🤣
ベトナム語はわかりませんが、
画面の「English」という文字にタッチすると
英語表記に切り替えることができるので、
それを頼りに操作を進めました。


ふたり分を購入する場合は、人数を変更し、
画面下部の「Confirm」をタッチします。


お金を入れると、投入した金額と購入内容が表示されるので、確認して、再度画面の「Confirm」をタッチします。

無事買えました~。笑

ひとつひとつの操作が成功するたびに、ふたりで喜び合い、おたおたしながら、ありったけのお金を握りしめて、ここまでがんばりました。🤣

乗車券の写真は、文廟の奎文閣です。

4年前に訪れたときの奎文閣です。ハノイ市のシンボルマークになっていて、ベトナムの100,000ドン札にも描かれています。
文廟に行ったときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 162 - ホーチミン博物館と文廟①(2019年10月21日/51日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 163 - 文廟②(2019年10月21日/51日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 164 - ホアロー収容所(2019年10月21日/51日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

メトロの改札口です。乗車券をタッチさせると、中に入れます。

電車が来ました。

「早く早く。電車が出ちゃうよ。」


【ハノイメトロの運賃】
現在運行中なのは、「カットリン駅~イエンギア駅」までですが、始点~終点まで乗車しても、運賃は15000VND(約75円)です。全長13キロメートルを、25分で移動することができます。(4年前、バスを利用したときは、毎回1時間かかっていました。)
ハノイのメジャーな移動手段であるグラブでこの距離を移動しようとすると、110000~120000VND(約550~600円)かかります。メトロを利用すれば、安価に、そして渋滞に巻き込まれることなく移動することができ、とても便利な移動手段であることがわかります。


次回は、ハノイメトロに乗って、
ヴァンケー駅(Ga Văn Khê)まで行きます。
ちなみに、漢字で書くと、
「文溪駅」となるそうです。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間。 7 - 「XO SEAFOOD」でお昼ごはん(2023年6月15日/2日め)

2023年6月15日 シーフードがてんこもりの炒飯。


6月15日(木)


ハノイ街歩きの続きです。
炎天下を歩き続けているので、
少し休憩することにしました。


ちょっとオサレなアイスクリーム屋さん。

アイスの入ったボックスが並んでいました。好きなフレーバーを選ぶと、コーンに入れてくれます。

ココナツアイスにしました。1個12000ドン(約60円)。


アイスを食べて少し元気が出たので、
再び、街歩きを始めました。


狭い道路を、たくさんのバイクが走ります。よけるのは歩行者の方。笑 右は、たくさんのサトウキビの皮をむいているお店。

間口が狭い家がひしめきあうように建つのが、ベトナム風です。こういう細長い家を建て替えるときはどうなるかというと…、

こうなります。狭いスペースをものともせず、ショベルカーがぎりぎりで入り込んでいます。😅

すごい迫力。😄😄

バインミー屋さんです。右半分の写真では、パンの色が真っ黒で、ちょっと驚きました。


【黒いバインミー】
「影のバインミー(banh mi bong dem)」と言う名で、数年前からベトナムでブームになっているそうです。黒いパンにはイカ墨と竹炭を練り込んでおり、具はイカつみれ、カニ、エビシュウマイ、焼き鳥、牛のチーズ焼き、焼き豚などが選べます。価格は具材によって、2万~4万5000VND(約92~206円)だそうです。


手前に座っているのは、
バインミーができるのを待っている、
配達のお兄さんです。
日本の Uber みたいなものですが、
1個100円程度のバインミーの配達料は、
いったいいくらくらいなんでしょうか。笑


ここで私たちも、お昼ごはんを食べることにしました。とりあえず、「XO SEAFOOD」という、シーフードのお店にはいります。


食べ物屋さんはいくらでもあるのですが、
全部、路上店。
私たちが探したのは、エアコンがあるお店。
とにかく暑くて暑くて、
涼しいところで食事したかったのです…。😅


ひんやりと涼しい店内では、水槽に入れられたエビくんが元気に泳いでいました。笑

カニくんもいます。

ブランコに座って食べるテーブルは、きれいにセッティングされていました。なんかオサレで高そうな店ですが、もういいです。少しくらい高くても、エアコンには代えられません。笑

かわいらしいテーブルセッティング。^^


いったんはこの席に座ったのですが、
「ブランコに揺られて食事するのは、
 やっぱりなんか落ち着かない。」
と気づき、席を変えていただきました。笑


冷たいお水を飲んで生き返りました。

夫はサイゴンビール。すごくおいしかったそうです。そうだろうなあ…。

固形オシボリを水に浸すと、普通のオシボリになる、アレです。日本でもときどき見かけますね。^^

こういうおつまみや葉っぱ、薬味は、無料で並びます。

夫が選んだ、シーフード炒飯(COM CHIEN CUA)。シーフードがてんこもりですね。188000ドン(約940円)。

「これはおいしい!」と、完食していました。^^

MIYOが選んだのは、牡蠣のおかゆ(CHAO HAU SUA)。以前、タムさんが作ってくれたおかゆがおいしかったのを思い出して、頼んでみました。88000ドン(約440円)。タダのおかゆに見えるのですが…。

中に10個以上の牡蠣が入っている、豪華おかゆでした。こちらも完食。^^

お食事のあとのポットティーとお菓子は、お店からのサービス。

たくさんのフルーツや花が入っているお茶です。

ちょっとわかりにくいですが、お湯をそそぐと、真ん中にある大きなハスの花がふんわりと開きます。中国の花茶みたいなものですね。^^

小さなお菓子といっしょにいただきました。

クセがなくて、おいしいお茶でした。^^


お支払い額は、全部で1987円でした。
安くはないけど、
シーフードをふんだんに使ってあったので、
妥当な価格だと思い正宇。


次回は、2021年11月に開業した、
ハノイ都市鉄道(メトロ)にトライします。


MIYO、ベトナム語で表示された券売機にたじろいでます。笑


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間。 6 - トレインストリートと、物を売る人々(2023年6月15日/2日め)

2023年6月15日 トレインストリートで。人々が生活しているエリアのど真ん中を、電車が走ります。


6月15日(木)


ホテルを出て、ハノイ駅の前から、
街歩きを開始しました。
夫が、
「ホーチミンルート博物館に行きたい。」
と言っていたので、まずはそこを訪れ、
その後、チョンさんの家に行こうと思います。


ハノイ駅のあたりには、お店屋さんもたくさん並んでいます。

駅前だからなのか、カバン、衣類、帽子、靴を売るお店が多いようです。

サンダルを並べて売っています。売り物はこれだけ。店主は奥で昼寝中。笑

家族みんなで、早めのランチ。上にあるのは、洗濯物でなくて売り物です。こんな風に、家の前で食事するのも、ベトナムでは普通の風景。笑

ドリアンだけを売っているお店。不思議と、あまり臭くありませんでした。

肉まん(バイン バオ)を売っている食料品店。これが、ベトナムの蒸籠なんですね。^^


たったこれだけの売り物で、
商売になるの?
って思うようなお店が並ぶなか、
売っている人も、昼寝したり食事したりで、
売る気があるの?
…って思ったりします。
なぜか、みんなこれで食べていけてるようです。^^
このユルさが、好きなんですけどね…。😄


歩き続けているうちに、トレインストリートにたどり着きました。


【トレインストリート】
トレインストリートとは、人が普通に生活をするエリアのど真ん中に、電車の線路が敷設されている通りのことです。人々は、線路すれすれのところに住み、日常生活を営んでいます。


こんな風に、住宅のギリギリのところを、列車が通過します。(画像をお借りしました)


トレインストリートは、
ハノイの観光スポットになっています。
列車が通過する時間に合わせて、
大勢の外国人旅行者が集まり、
黒山の人だかりができます。
年々、見物客が増え、危険になってきたので、
MIYOがいた2019年10月に閉鎖され、
観光客は中に入れなくなりました。
その頃の日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 184 - 最後の日曜日/踏切に遭遇(2019年10月27日/57日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 185 - 最後の日曜日/線路すれすれカフェ(2019年10月27日/57日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


でも今は、閉鎖されていないみたいですね…。列車が来る時間でもないようで、人影はなく、がらんとしていました。

夫は、初めて来たせいか、ちょっと緊張ぎみに線路を歩いています。

それに対して、なつかしさのあまり、線路ではしゃぐMIYO。笑

ハノイでトレインストリートが見られるスポットはふたつ。私たちは、ホテルを出て、Le Duan 通りをまっすぐに歩き続け、トレインストリートAがある場所に来てしまったようです。

4年前、トレインストリートBを訪れたときの日記はこちらです。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 184 - 最後の日曜日 / 踏切(トレインストリート)に遭遇(2019年10月27日/57日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


そしてさらに歩きます。
4年前も今も、MIYOが気になるのは、
やっぱり物売りの女性たち。


スマホで会話しながら、サンダルを満載した手押し車を押す女性。

これは4年前に撮った、衣類を満載して売り歩く女性。もしかしたら同じ人なんじゃないかと思うくらい、雰囲気が似ていました。笑
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 43 - ロンビエン橋(2019年9月15日/15日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

天秤棒を担いで歩く女性も。

この、軽々とした足取り。かなわないな、と思います。^^

食堂の前で、焼き肉の炭を熾(おこ)している女性。

路上で食器を洗う女性。鍋にはたくさんの油揚げ。洗い物も、売り物の調理も、すべて路上ですませます。


したたかで、しなやかで、
そしてたくましい、ベトナムの女性たち。
私は、そんな彼女たちを眺めているのが、
大好きでした。


ベトナムに、還ってきました。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間。 5 - ハノイ駅。3つの歴史をくぐり抜けて。(2023年6月15日/2日め)

2023年6月15日 ハノイ駅で。


6月15日(木)


深夜、ハノイに到着して、
一夜明けた朝です。


朝食のあとは、Mango Hotel の裏にある、ハノイ駅のホームを歩きました。

ホームの端には、Mango Hotel が運営しているらしいカフェがありました。MANGO Restrant & Wine と書いてあります。Mango Hotel を駅が経営しているのかどうかは謎ですが、まるで駅の一部になっているかのようなホテルでした。

こんな風に撮ると、ちょっとオサレな感じ?笑

さらにホームを歩くと、VIP ROOM がありました。特別な列車に乗る人だけが入ることができるラウンジです。

4年前は、ヴィクトリア・エクスプレスというお金持ち寝台列車(笑)に乗って、夫、長女といっしょにサパまで行ったので、出発するまでの時間を、この VIP ROOM ですごしました。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 125 - ヴィクトリア・エクスプレスでサパへ(2019年10月18日/48日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

ハノイ駅舎です。線路部分の上部には、青い屋根のついた通路が設けられており、この通路を通って、それぞれのホームに行くことができます。

その通路に上がり、どんどん歩いて行ってしまう多動夫。この人、いったいどこまで行くんでしょうね。「ホームをちょっと見てみたい。」と言っただけだったはずなのに…。

通路上から下を見ると、こんな感じです。

奥に見えている8階建てのビルが、私たちが泊まっている Mango Hotel のようです。その手前に続いているのが駅舎。ほんと、駅舎の隣りで、ホームに接して建っているホテルです。笑

そのまま、どんどん歩いていると…、


あっ


サパ行きの夜行列車です。毎日、夜10時に出発します。

4年前、これに乗って、サパまで行ったんですよね…。

コンパートメントの中には二段ベッドがふたつ。こんなふうになっていました。(画像をお借りしました)

駅の出口です。4年前にサパから戻った時は、ここから駅を出ました。

これが一応、駅前広場です。もう、「なつかしい」ということばしかありません。


多動夫は、すっかり我を忘れていて、
このまま街に歩きだしそうな気配です。


「いいかげんにしなさいよ。
 ちょっとホームを歩くだけ、
 のはずだったでしょ?😟」
とMIYOに怒られて、我に帰りました。
(アホ)
ホテルの部屋に戻って、いったん休憩。


MIYOは、昨夜ATMから引き出したお金をベッドの上に並べて、あらためて計算しました。右下のお札2枚とコインは、4年前に使い残したものです。20円分くらいですね。笑


全部で600万ドン。約36000円です。
円安のため、4年前よりも
少しレートが悪くなりました。
現在のレートは、
1.00000 VND = 0.00611 JPY
のようです。


…と言われても、
にわかに計算できませんよね。😅
なので、この旅行中は、
4年前にMIYOがやっていた計算方法を
そのまま踏襲することにしました。


それは、
「0を2個取って2で割る」
というものです。


たとえば、1000000ドンと言われたら、
「0を2個取って2で割って、5000円」
と理解します。
これだと、頭の中で瞬時に換算できます。
かなり乱暴なやり方ですが、
お金の計算にいちいち電卓を叩きたくないので、
今回も、旅行中はそれで押し通しました。


実際は、もう少しだけレートが悪いのですが、
もともと、日本に比べて物価が安いので、
まあ、「誤差」ってことで。笑


このブログでも、価格については、
この方法で書いていきたいと思います。
あくまでも、「誤差」を含んでいるということで
お読みいただければと思います。


さて、ここから、実質的な旅が始まるのですが、
実はこの日には、
たいした予定は入れていませんでした。


「18日も旅行するんだから、
 せかせかと歩きまわるのはやめようよ。
 私は、ベトナムの時間を楽しみたい。
 なにもせず、ただぼんやりと、
 街を歩いている人をながめて過ごしたい。」


それが、ベトナムでMIYOがやりたいことでした。
そして、4年前にベトナムに2か月いたときは、
本当にそんな過ごし方をしていました。
自分のペースで、時間がゆったりと流れていく
というのは、ほんとうに楽しかった。


今回は、多動夫がいっしょなので、
まあ、そうもいかないんですけどね…。😅
「せめて初日くらいは、のんびりさせてよ。」
というのが、MIYOの希望で、
多動夫も、それには同意していました。
(18日もありますからね。笑)


ああでも、この日の夜には、
ビッグイベントがあったんです。


4年前、2か月間ものあいだお世話になった、
チョンさん、タムさんご一家に、
会いに行きます。
ベトナムに行くことが決まってすぐに、
チョンさんから、
「15日は、夕方5時に、家に来てください。」
と、メールをいただいていました。
(以前のブログでは「ローさん」と仮名で書いていましたが、本当のお名前は「チョンさん」です。)


4年前、空港まで迎えに来てくれた、チョンさんとタムさん。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 3 - ハノイに到着(2019年9月1日/1日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


今回、ベトナムに行くにあたって、
「到着が深夜になるので、
 夜中でもフロント対応してくれるホテルを
 おしえてもらえませんか。」
とメールしたところ、チョンさんから、
「空港からホテルまで、
 弊社のタクシーを手配します。」
と返事がきました。


代金はいらない、と言われて、びっくり。
さすがにそれは申し訳なさすぎるので、
丁寧にご辞退し、自分たちで、
KKdayで送迎車を手配しましたが…。


ということで、ベトナムに着いて早々ですが、
15日の夜は、チョンさん、タムさんの家に、
遊びに行くことになっていました。
なので、昼間はわざと予定を入れず、
気ままにゆっくりと過ごすつもりでした。


ホテルのロビーにはカフェもあるので、ここでまったりしててもいいし…。


だけど多動夫は、
街を歩きたくてしょうがないんですよね…。


しかたないので、
日本から大量に持って来たお土産を
リュックにぎゅうぎゅうにつめ、
どうしても街を歩きたい多動夫が、
それを背負って歩くことになりました。笑


ということで、11時半に、ホテルを出発。フロントのおねいちゃんは、制服のアオザイを着たままで、スマホで遊んでます。まあ、この国ではだいたいこんな感じですね。笑

これは、ホテルの玄関の光景です。🤣🤣


玄関前の、木陰になったところで、
3人の男性がお茶をしていました。
座っているようすが自然で、
みなさん、顔見知りのようです。
この国では、あたりまえに見かける光景です。


小さなイスがあり、
瓶にお菓子が入っていること。
お茶は魔法瓶に入れられていて、
使い捨てのコップがたくさん置いてあること。
…などを考えると、
もしかしたら、中央の男性が開いている、
小さな路上カフェなのかもしれません。


男性には、左手がありませんでした。
年齢から考えて、もしかしたら、
ベトナム戦争で失ったのかも…。
小さな路上カフェを開き、
近隣の人々がそのお茶を飲むことで、
老人の生活を支えているのかな。
…などと考えました。


まあそんなことは、
MIYOの勝手な想像なのですが。


ホテルを出て、隣りのハノイ駅の前を通りました。手前がVIP ROOMで、奥が正面玄関です。


【ハノイ駅】
1902年のフランス植民地時代に設立された、ルネッサンス様式の駅でした。1972年に、ベトナム戦争による爆撃を受け、中央部が破壊されました。その後、破壊された中央部は、ソビエト様式で再建されました。そのため、爆撃を免れた駅両側の部分と中央部分とのテイストが異なってしまいました。そのちぐはぐな組み合わせに、ベトナムの歴史がしのばれます。現在は、根幹路線である南北線を始めとする4支線の列車が発着する、ハノイのターミナル駅となっています。


フランス人の写真家・Pierre Dieulefils (1862-1937) が撮った、建設当初のハノイ駅です。フランス人によって建てられた美しい駅は、アメリカ人によって破壊され、ソビエト人によってデフォルメされました。その歴史をすべて飲み込み、飄々と使用するのが、ベトナム人。

VIP ROOMのある部分は、フランス植民地時代のテイストを今も残しています。

そしてこちらは、ソビエトによって再建された部分。まあ、フランス人のテイストを、ソビエト人が踏襲するわけはないですけどね…。😅

ハノイ駅の前を歩く、長女とMIYOです。(2019年10月18日)


4年前は、そんな歴史を背負った駅だとは
夢にも思わず、
ただあたりまえに、旅を楽しんでいました。


ベトナムの歴史には、
抱えているものがあまりにも多く、
ちょっと掘り下げてみただけで、
思いがけないような事実が出てきます。


今回で、ベトナムに来るのは6回め。
でも何度来ても、
まだまだ、知らないことばかりです。


さて。
ようやく、スタート地点に立ちました。
ここから、
大好きなベトナムに出会う旅が
始まります。


(つづく)