MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 12 - 小樽 田中酒造「亀甲蔵」(2023年11月30日/3日め)

2023年11月30日 雪が舞う、小樽 田中酒造「亀甲蔵」で。(北海道小樽市)


11月30日(水)- 3日め


小樽和光荘を訪ねたことで、
 夕張鹿鳴館(夕張市)
  積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 24 - ながぬま温泉で朝ごはん / 夕張鹿鳴館①(2023年5月13日/4日め)
  積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 25 - 夕張鹿鳴館②(2023年5月13日/4日め)
  積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 26 - 夕張鹿鳴館③(2023年5月13日/4日め)
 おかだ紅雪庭(旭川市)
  積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 30 - 朱鞠内から旭川へ /「おかだ紅雪庭」でお昼ごはん①
  積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 31 - 旭川「おかだ紅雪庭」でお昼ごはん②(2023年5月18日/9日め)

…と話が脱線しまくりましたが、
ようやく、元の旅日記に戻ります。😅
(でもまたすぐに脱線しそうな予感が…。)


雪の中、和光荘を訪ねたあとは…、

山を抜けて、再び、小樽市の中心部に向かって、車を走らせました。


「ちょっとだけ、寄って行きたい。」
と夫が言うので、このあとは、
小樽市内にある、田中酒造・亀甲蔵へ。


【田中酒造】
小樽の造り酒屋です。北海道産の米を100%使用し、地酒造りを1年中行う全国的にも珍しい四季醸造蔵です。1899年(明治32年)、小樽市色内町(現本店所在地)で創業しました。創業者は、岐阜県大垣市出身の初代・田中市太郎。以来120年以上にわたって、代表銘柄「宝川(たからがわ)」を小樽で造り続けています。1989年(平成元年)、色内町にある本店を、観光客向け店舗へと改修しました。1995年(平成7年)には、製造場を亀甲蔵(きっこうぐら)と命名して、見学できる観光蔵に改造しています。「亀甲蔵」では、毎日酒造りを行っており、いつでも無料で製造場見学ができます。


田中酒造は、小樽市内に、
2店舗(本店と亀甲蔵)があるのですが、
今回行ったのは、亀甲蔵です。


まずはこの、店舗外観をご覧ください。小樽市指定歴史的建造物の、「旧岡崎倉庫」です。明治時代の映画のロケに、そのまま使えそうですね。^^


【旧岡崎倉庫】
小樽市指定歴史的建造物です。指定の対象は全3棟で、連続する倉庫を形成しています。
1号棟は1905年(明治38年)、2号棟と3号棟は、1906年(明治39年)に建築されました。明治初期、小樽で初めて市街地が形成されたのは、この岡崎倉庫の周辺地区でした。3棟のうち、海側の倉庫は、臨港線拡幅工事で一部を切り取られたため、1996年(平成8年)に壁が改修されています。1997年(平成9年)、小樽市都市景観賞を受賞しました。
3棟の基礎は、土台と柱の腐朽を防ぐため、下部に煉瓦を積み、その上に軟石を重ねている点で共通しています。小屋組は、垂木(たるき)を棟から軒桁に架けるだけの「垂木小屋」となっています。
*これが垂木です。(画像をお借りしました)

壁面には、札幌軟石を積み上げています。

札幌軟石について、以前に書いた日記です。札幌軟石を使った建築物の例として、日本キリスト教団札幌教会、小樽新聞社、旧札幌拓殖倉庫、小樽運河倉庫群、旧長野商店を訪れたときの写真と日記も、ここにまとめてあります。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 73 - 札幌市資料館① 軟石の街に残る古城(2021年11月11日/9日め)


これは、2022年10月25日に訪れた時の亀甲蔵です。上の写真もいいけど、夜の灯りの中に浮かぶ亀甲蔵も、あたたかみがあり、美しいですね。^^


田中酒造には、もう何度も来ているのですが、
考えてみると、ブログには、
あまり掲載していませんでした。
(旅行に行きすぎで、書くのが間に合っていません。😅)


…ということで、今回初めて書く、田中酒造・亀甲蔵です。^^ 雪が舞っていて、いい雰囲気になっていました。

屋根から下がるつららもすごいです。😄

引き戸をあけて、中に入りました。

創業以来120年以上にわたって造り続けている、代表銘柄「宝川」。

1階部分には売店があり、田中酒造のお酒がずらりと並んでいます。

お土産用に、おつまみやお菓子も販売しています。

写真の手前にあるのは撮影スポット。そして奥の階段を上がると、製造場を見学することができます。笑

「宝川」「北の一星」のほか、冬季限定「ほたる雪」「雪あかり」など、たくさんありすぎて、どれを買おうかと迷います。笑

…で、試飲コーナーへ。運転する夫は飲めないので、いつもMIYOが代わりに飲みます。🤣


MIYOの後ろにいる方たちは、
インドネシアから来たそうです。
若者5人+通訳ガイドが、
インドネシアから小樽まで、
日本酒を買いにやってくるんですよ…。
日本酒は今や、
世界中で知られる存在となっているんだなあ、
…と思いました。


さらに、試飲担当のスタッフは、
中国人のお名前でした。
中国語圏のお客さんも多いのでしょう。
インターナショナルだなあ…。😄


試飲するのはMIYOなんですが、感想を聞いて、どれを買うか決めるのは夫です。😅

結局、夫が決めたのは、縁起干支酒 「純米大吟醸生原酒 初龍(はつたつ)」。11月20日から発売されたばかりのお酒でした。


【純米大吟醸生原酒 初龍】
2024年の龍年にちなんだ、縁起の良い日本酒です。2023年に収穫された新米の、北海道ニセコ町産酒造好適米「彗星」で仕込みました。ろ過、熱処理をしていない、超新鮮なしぼりたてのお酒です。きょうかい18号酵母を使用し、完熟した白桃のような華やかな香りと爽やかな飲み口が特長です。


購入した「初龍」といっしょに、写真スポットに座っています。^^


お酒といっしょに、酒粕饅頭と、
大晦日のお蕎麦に入れるニシンの甘露煮を
買いました。
支払い時にふと見ると、レジのところに、
ポイントカードが置いてあるではありませんか。
今まで知らなかったとは、
ポイ活の達人を目指すMIYOとしては、
ほんと、ぬかっていました。


「うそ…。
 今まで何回も来て買ってるのに、
 ポイントカードがあるなんて、
 知らなかったよね…。」


と、夫とふたりで残念がっていたら、
お店の方が、ポイントカードをくださいました。


「宝川通い帳」というのだそうです。1000円購入につき、1宝。「ポイントカード」と呼ばないところが、またいいですね。^^

ちなみに、こちらはほんとの「通い帳」。昔はこういうふうに、取引内容を記録していました。


「少し多めに押しておきましたからね…。😅」
と…。
小さなことですが、うれしい。😄
あはは。子どもみたいですね。


コンプリートするまでに、
何回小樽に来なくちゃいけないか、
なんですけどね。爆



小樽に来たら、やはり寄りたくなる、田中酒造。
今回は雪が降る中で、
味わいのある情景が見られたのもよかったです。


ここまで書くと、
以前、2階の製造場を見学したときのことも
書きたくなってきました。
(ああ、また脱線してしまいます。😅)


(つづく)

積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 32 - 旭川「おかだ紅雪庭」でお昼ごはん③(2023年5月18日/9日め)

2023年5月13日 夕張市石炭博物館で。入り口に、「圧倒的な廃墟感に負けず、ドンドン進もう!」と書いてありました。夕張のみなさんもがんばっておられます。(北海道夕張市)


5月18日(日)- 9日め


1933年(昭和8年)に建設された旭川の豪邸、
「おかだ紅雪庭」(旧岡田邸)
に来ています。
次はお料理をご紹介します。


箸には、活きがよさそうな鯛の印が押してありました。木製の箸置きは、特注品なのだそうです。


お昼のコース「お昼御膳」は3種類。
(税込みで、梅3960円、竹6930円、松8800円)
どれにしようかと迷いましたが、
とりあえず中間をとって、
「竹(6930円)」を予約してありました。
「松」と「竹」は、毎日5食限定だそうです。
(コースでなく、単品での注文も可能です。)


先付けの、「料理長おすすめの一品」。自家製の汲み豆腐でした。

本日のお重(松花堂)です。
左上:お刺し身(松葉がれい、おひょう、中トロ)
左下:自家製鴨のロースト
右上:小松菜のお浸しと筍、白胡麻くず豆腐、パプリカの酢漬け、白身魚の南蛮漬け、海老の旨煮、京豆腐、さつまいものレモン煮
右下:天ぷら盛り合わせ

中に納められている器も、ひとつひとつに魅かれます。写真を撮ろうとして弁当箱から取り出したら、ヒビや欠けのある器もありました。岡田邸でかつて使われていたものを、大切に使用されているのではないかな、と思いました。

ごはんとお吸い物です。

茶碗蒸しには…、

イクラがのっていました。

おそばは、もりまたはかけを選べます。

幌加内産のそば粉を使用しているそうです。幌加内といえば、Mさんご一家が住む朱鞠内のあるところです。「Mさんが作ったソバだったりして。」と、アホなことを話す私たち。😄

最後は蕎麦湯で。蕎麦ちょこと湯飲みも撮りました。^^ お茶は、京都・一保堂(いっぽうどう)のほうじ茶です。

デザートは水ようかん。おかみの手作りだそうです。

どれを食べてもおいしい。充実のお昼ごはんでした。^^

通常ならば見学するだけであろう場所で、お食事ができてしまうという、すばらしい体験でした。


お会計は、全部で13860円(税込)。
私たちにとっては、
ちょっとがんばった価格でしたが、
美しく再生された重要文化財で、
ゆっくりといただけるお食事は、
まさにプライスレス。😄


ここで、「おかだ紅雪庭」(旧岡田邸)の歴史を、
もう少し書いておきたいと思います。


【「おかだ紅雪庭」(旧岡田邸)】
1933年(昭和8年)に、「北の誉酒造」創設者・岡田重次郎の自宅として建てられました。和の要素を取り入れた洋館造りで、正面玄関にあるステンドグラス、西日を美しく見せる銅の入った硝子、クリスタルのシャンデリア、大陸的な高い天井、遊び心のある欄窓、30畳の和室とアーチ型の居間、美しい漆喰の壁などを擁しています。庭は、紅葉期にはさらに美しい外観を呈します。完成までに2年を要し、「見積もりのない建て方」とまで言われるほど、贅を尽くした豪邸でした。別名「紅葉館」と呼ばれ、落葉樹を巧みに活かした日本庭園は、庭師の丹念な手入れにより、今もなお美しさを保ちつづけています。
明治大正昭和と、北海道・旭川に貢献した岡田家の邸宅は、いつしか、旭川の人々にとって、旭川が誇る文化であり、心のよりどころとなったのかもしれません。ところが、2003年(平成15年)、岡田邸は、京都在住の資産家に売却されます。家屋は取り壊しが危ぶまれていたのですが、「このままでは旭川の歴史的建造物が失われてしまう…。」と危機感を募らせた有志が手弁当で集まりました。
その後の「旧岡田邸」の歴史には、胸をうつものがありました。
 2003年(平成15年)京都在住の資産家が取得。
 2009年(平成21年)旧岡田邸200年プロジェクトチームが発足。

 (会議、建物調査、市民セミナー、お掃除会などを実施)
 2010年(平成22年)一般財団法人「旧岡田邸200年財団」を設立。

 (会議、お掃除会、内覧会などを多数実施)
 2011年(平成23年)多くの人々の支援を受けて、財団が岡田邸を買い取る。
          「おかだ紅雪庭」として再生し、現在に至る。


以上、簡単に書きましたが、
募金を募り、これだけの邸宅を買い取り、
内部をリフォームしたうえで、
蕎麦料亭をオープンさせるというのは、
並大抵のことではなかったと思います。


有志の手弁当で、それだけの資金を集め、
わずか数年で、再生までやってのけた…。
旭川の人たち、すごい。


「おかだ紅雪庭」のように、
建物を実際に使いながら保存することを、
「動態保存」というそうです。


博物館としてただ見てもらうのが、静態保存
それに対して、施設を使用し、
ありのままを間近で見てもらい、
体験を楽しんでもらいながら、
文化財を保存していくというのが、動態保存
その根底にある考え方は、
同じ旭川市にある旭山動物園の手法と、
同じものなのだそうです。


そういえば、現存する日本最古の車両工場である、「旧国鉄旭川車両センター第二木機職場及び木機乾燥場」も、旭川市は、市民活動交流センターとして活用しながら、保存しています。旭川の人々にとって、「動態保存」の手法は、とても自然な考え方なのかもしれません。


2011年5月。財団が買い取った頃の旧岡田邸です。(画像をお借りしました)

現在の「おかだ紅雪庭」。前を通りがかった人は、誰もが美しい景観を楽しめるようにと、もとあった塀を取り払っています。リフォーム後の外観に、財団の人々の心意気がうかがえます。

別名「紅葉館」。秋には、見事な紅葉を見せてくれるそうです。

これは2011年の写真です。寄付を募って買い取ったあと、リフォームが始まりました。写真は、アーチ型の居間での作業風景です。(画像をお借りしました)

かつての応接室には…、

カウンター式のテーブルが置かれました。

ちなみに、夜の会席で、12000円または16000円のコースを予約すると、2階の特別室で食事ができるのだそうです。すばらしい組み子障子です。「おかだ紅雪庭」には、まだまだ、見学できていない部分があります。😅


旭川の人々の底力。
本当にすごいと思います。


以前、私は、ベトナム・フエの王宮で、
荒れ果てた肇廟や太廟のことを書きました。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 80 - 王宮㉑ 肇廟、太廟、門樓、そして午門へ(2023年6月19日/6日め)


このときのブログで、
「文化財というものは、
 『必ず残さなければ』という強い意思
 相当の費用をかける覚悟がないと、
 守り続けることはできないのだと、
 痛感しました。」
と書いています。


でも、旭川の人々は、手弁当で集まり、
それをやってのけたわけです。
現在の旧岡田邸は、築90年ですが、
「200歳になった旧岡田邸に、
 素敵な旭川を見てもらいたい。」
という気持ちから、法人名を、
「旧岡田邸200年財団」としたそうです。


旧岡田邸を保全し続けていくための募金は、
現在も行われています。
財団の活動は、100年後を見据えながら、
これからもずっと続けられるのだと思います。


財団のサイトにある、
「旧岡田邸を再生し活用することは、
 『歴史的建造物』を保存することではなく、
 『旭川の文化』を創造することに他なりません。」
ということばには、ただただ、頭が下がりました。


郷土を愛し、いつまでも誇れる街にしたい。
そう強く願うことが、結局は、
文化財を保護することにつながったのでしょう。


こんな方法もあるのだということを、
「おかだ紅雪庭」が、そして旭川の人々が、
教えてくれたように思います。


お食事をいただき、代金を支払うことは、
微力ではあっても、
「おかだ紅雪庭」を保存する一助になります。
なので、行ってよかったな、と思っています。


日本中で、文化財の存続が危ぶまれています。
私たちにできる、せめてものこと。
それは、その存在を知ること。
そして、ほんの少しでも、関心を持つこと。
できれば、入場料を支払って、
実際に見学してみること。


多くの人が訪れるようになれば、
いずれはそのことが、
その文化財の保護につながっていくのだと思うし、
そう願ってやみません。


(おわり)

積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 31 - 旭川「おかだ紅雪庭」でお昼ごはん②(2023年5月18日/9日め)

2023年5月18日 「おかだ紅雪庭」で。(北海道夕張市)


5月18日(日)- 9日め


1933年(昭和8年)に建設された旭川の豪邸、
「おかだ紅雪庭」(旧岡田邸)
に来ています。


洋風の玄関ホールはフローリングですが、
お食事をいただく部屋につながる廊下は、
畳敷きになっています。


その廊下を進むと、左側に、こんな部屋が見えました。カウンター状の大きな円型テーブルが置かれています。この部屋は、旧岡田邸の応接室だったそうです。窓の外には、先ほど歩いてきた庭園が見えます。

クリスタルのシャンデリアもすばらしいですね。^^ 天井に描かれる陰影が、柔らかな空間を作りだしています。

私たちが通されたのは、廊下を隔てて反対側(右側)にある部屋でした。ここは、旧岡田邸の仏間だった部屋です。(予約時に、カウンターとテーブルのどちらにするかを訊かれます。)

4人用のテーブルが2卓置かれていて、窓際のテーブルに案内されました。

縁側の向こうに、庭園が見えます。

庭園の奥に見える黒塀の向こうが、お店の駐車場になっています。

塀の反対側から撮った「おかだ紅雪庭」です。右手前に見える縁側部分の内側が、私たちがお食事をいただいたところになります。

その縁側部分の先には、アーチ形のスペースがあります。曲線を描いた壁面には窓が続き、サンルームのようになっていますが、ここはかつて、岡田邸の居間だったそうです。

この部分を内側から見ると、こうなります。縁側の奥に、アーチ柄の居間があるのですが、のれんで仕切られており、現在は配膳の場となっているようです。縁側の廊下は、90年前からずっと使われていることがひと目でわかります。いたるところに、時代を感じます。

次は、部屋の中をご覧ください。通常は欄間がある位置に、飾り障子が置かれています。

障子には、木の枝で、10本の竹を描いてあります。

仏間は二間つづきになっていて、隣りの部屋にも、4人掛けのテーブルが2卓。


お気づきでしょうか。
実は、椅子に張ってある革の色を、
各テーブルごとに変えてあるのです。
テーブルも椅子も特注品で、
京都の職人さんに作ってもらったものだとか。


隣りの部屋には床の間があり、その隣りに、白い扉があります。この中に、かつては大きな仏壇が入っていたそうです。

白い扉の中央についていた金具です。


和室の上部には、欄間がめぐらされていて、
これも、見どころのひとつになっています。


この欄間は、「カブ」を描いています。この隣りには、「大根」の欄間もありました。「カブと大根さえ食べていれば、健康に生きていける」という旨を描いており、岡田家の質素倹約の象徴となっているそうです。

奥の和室の欄間細工は鳳凰です。これは、子孫繁栄を願っています。


ここまで、部屋の中をウロウロして、
写真を撮りまくってしまいました。😄
こんな格式のあるお邸で、
勝手に写真を撮っていいものかと、
はじめは少しためらっていたのですが…。


実は、テーブルの上に、こんなカードが置いてありました。


「写真OKです。
 是非、たくさんシェアしてね。」
…だそうです。😄


このカードがあったおかげで、
気軽に部屋の中を見て歩き、
好きなだけ、写真を撮ることもできました。


文化財を見ていると、時々、
「写真撮影禁止」
としている施設もあります。
施設を保存するうえで、
やむを得ない場合もあると思います。


ですがここでは、
「こうして撮った写真を、
 ネットでたくさんの方に見ていただき、
 存在を知っていただくことが、
 『おかだ紅雪庭』を、
 これからも存続させていく道である」
…と考える、皆さんの気概を感じました。


「文化財を見学しに来た」というよりも、どなたかの古いお屋敷にお招きいただいたかのような雰囲気で、気持ちがなごみます。落ち着いた、居心地のいい部屋でした。


次回は、「おかだ紅雪庭」で、
私たちがいただいたお食事をご紹介します。


(つづく)

積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 30 - 朱鞠内から旭川へ /「おかだ紅雪庭」でお昼ごはん①(2023年5月18日/9日め)

2023年5月18日 旧国鉄旭川車両センター第二木機職場及び木機乾燥場で。左手が第二木機職場、右手が木機乾燥場です。建築されたのは、1899年(明治32年)。現存する、日本最古の車両工場です(国の登録有形文化財)。2棟の建造物は、行政によって改修され、2010年(平成22年)より、旭川市の市民活動交流センターとして活用されています。間近で見ると、写真よりもずっと美しい建物なのですが、今現在も市民に利用されている、現役の建物であるということが、さらにすばらしい。^^(北海道旭川市)


5月18日(日)- 9日め


歴史的建造物はどう保存されるべきなのか、
を自問しながら、
 小樽和光荘
 夕張鹿鳴館

…と書いてきました。


ここまでお話すると、さらにもう一件だけ、
書いておきたい日記がでてきました。
(本来の連載旅日記からは脱線しまくってますが、
 もう破れかぶれ。😂)


2023年5月の旅では、このあと私たちは、
夫が行きたがっていた、
夕張市石炭博物館を訪れ、
夕食は宿泊施設で、「羊の里長沼町」自慢の、
ジンギスカン食べ放題も堪能しました。😄


そして札幌で2泊したあと、北海道最寒の地と言われる朱鞠内へ。

夫の大学時代の同級生Mさんご一家が、ここでジャガイモやソバを作っておられます。お目にかかるのは約20年ぶり。耕作面積は現在40ha。このご自宅も、Mさんが自分で作っちゃったそうです。「大草原の小さな家」みたいですね。😮(2023年5月17日)
約30年前、北海道に移住し、以来農業を続けておられるMさんご一家のサイトはこちらです。
Mt.ピッシリ森の国


このときのことも、
もっと詳しく書きたいのですが、
ダイジェストなので割愛します。😅
そして朱鞠内から旭川スイートロードを歩き、
スイーツを食べまくったあと、
旅の舞台は旭川市へと移ります。


旭川では、星野リゾートに3泊したのですが、
同じ星野リゾートでも、宿泊料金は
小樽よりもずっとお安くなっていました。


当時は、旅行支援の対象になっていたので、
9000円もの地域クーポンもいただけて、
実質、ひとり一泊5990円に。
(豪華な朝食ビュッフェ付き)
あの星野リゾートが、
信じられない安さでした。😂


その旭川でとても楽しみにしていたのが、「おかだ紅雪庭」でした。


【おかだ紅雪庭(旧岡田邸)】
1933年(昭和8年)に、「北の誉酒造」オーナー・岡田氏の自宅として建てられました。完成までに2年を要した豪邸で、国の登録有形文化財となっています。2012年(平成24年)に、旭川市きっての高級蕎麦処「おかだ紅雪庭」として生まれ変わり、現在は、邸内
で食事することができます。外観は洋風ですが、玄関ホールや応接室以外は数寄屋風の座敷になっており、玄関のステンドグラス、西側階段室の縦長窓と階段などに、アールデコ風の意匠を凝らしてあります
建設当時、旭川には、旧陸軍第七師団の師団本部が置かれており、軍都としてにぎわっていました。その頃の岡田邸には、皇族が宿泊することもあったそうです(昭和9年と13年)。そんな時代の雰囲気を今も残す貴重な建物が、旧岡田邸です。
「おかだ紅雪庭」として再生されたあとの初代料理長は、ザ・ウィンザーホテル洞爺の高級蕎麦店「達磨」店主だった、齋藤弘文氏でした。その後、京都の旅館美山荘で副料理長だった、塩見直大氏が就任しました。登録有形文化財としてだけでなく、錚々たる料理人が供する食事をいただける蕎麦処として、旭川では知られた存在です。
ちなみに、かつて小樽市にあった、北の誉酒造(1890年/明治23年創業)には、「北の誉ご三家(野口家、岡田家、西尾家)」というものがあったそうで、野口家のお邸として建設されたのが、小樽和光荘(1922年/大正11年)です。そして岡田家のお邸が、この「おかだ紅雪庭(
1933年/昭和8年)西尾家は、セイコーマートを創立(1971年)しており、まさに華麗なる一族です。^^
北の誉ご三家については、こちらでも書きました。
無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 8 - 「おたる政寿司」でお昼ごはん② / 和光荘①(2023年11月30日/3日め)


さて、その「おかだ紅雪庭」です。落ち着いた雰囲気の門がまえです。

門をくぐって少し歩いたところに、玄関があります。

門の前にあった立札です。「本日は満席」だそうです。東京を出発する前に予約しておいてよかった。^^

お店の駐車場に車を置いて、戻ってきた夫といっしょに、暖簾をくぐりました。

門の奥にある、玄関。外観は洋風の造りです。

早く邸内に入りたいのですが、多動夫は庭をウロウロ。写真を撮りまくっていて、なかなか入ることができません。😅

「も~、早く入ろうよ~。」と夫を急き立てて、玄関ホールへ。笑 たしかに、こうして見ると、本当に美しいですね。

ようやく、玄関ホールへ。

登録有形文化財のプレートがありました。

玄関ホールに足を踏み入れると、上部にステンドグラスの入った玄関が見えました。

このステンドグラス、内側から見るとこうなります。美しいですね。^^

天井の門灯もすてきです。

玄関で靴を脱いであがり、お邸の内部から見た玄関です。ここから見えるステンドグラスも麗しい。^^

玄関ホールのシャンデリアは、創建当時から取り付けられているものだそうです。きれいに手入れされていて、90年前のものとは思えないような、美しい輝きを放っていました。

階段の手すりにも、凝った細工が入っています。そして、左手の壁一面にかけられたプレートをご覧ください。この旧岡田邸を再生させるために、寄付をした人々や企業の名が書かれています。多くの人々の支援によって、「おかだ紅雪庭」が生まれたのだということを、ここに来て初めて知りました。

階段の踊り場にある縦長窓と階段の手すりなどには、アールデコ風の意匠を凝らしてあります。

その階段の隣りにある、会計カウンター。手前に置いてあるソファは、岡田邸のころ、応接室に置いてあったもので、布を張り替えて再生したそうです。

階段手すりの側面に施された、美しい細工もお見逃しなく。^^


ここまで、「おかだ紅雪庭」の、
外観と玄関部分を見てきました。
次回は、玄関ホールの奥に続く、
数寄屋風の座敷をご紹介します。


(つづく)

積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 26 - 夕張鹿鳴館③(2023年5月13日/4日め)

2023年5月13日 夕張鹿鳴館で。咲き誇る桜の花の淡い色が、目に染みるようでした。(北海道夕張市)


5月13日(日)- 4日め


1913年(大正2年)に、
旧北海道炭礦汽船の迎賓館「鹿ノ谷倶楽部」
として建設された、
夕張鹿鳴館を歩いています。


広大な庭の端まで歩き、再び、建物まで戻ってきました。左側の、小高い丘の上に建つ部分から右方向へと、鹿鳴館の建物が連なります。長すぎて、写真におさまりません。

建物はさらに、敷地の右端にまで続いており、渡廊下でつながっています。が、この右端の建物は、かなりゆがんでいる感じがします。早く補修しないと、危ないのでは…。

近づいてみました。

言葉もありません。

玄関側にまわると、少しは補修しているらしいのがわかりました。この建物と主屋は渡廊下でつながっていて、その下にある木戸が開いていました。ここから、主屋の反対側に戻ることができそうです。

連なる主屋部分の側面は保護板で覆われていましたが、左端のひと棟だけは保護板がなく、窓ガラスがそのまま見えていたので、最後にそのあたりを歩いてみました。すると…、

驚きました。

窓が割れていて…、

そのガラスの向こうに側、手を伸ばせば届くところに、美しい調度品がありました。盗まれるのではないかと心配です。

室内には、美しい建具や照明が残っていました。この時代の建物によく見られる、杉柾矢羽根網代天井も見えます。が、窓ガラスが割れたままなので、野ざらし状態。襖には、雨漏りのシミが見えます。

杉柾矢羽根網代天井です。

そして最後に、胸がつぶれる思いだった、庭の石燈籠たち。

原型をとどめているものはありません。

崩れています。

さらに、ちらばっています。

あまりにも無残で、息をのみました…。


2017年に、
この夕張鹿鳴館を買った企業は、
そもそもどうして
ここを購入したのだろうか…、
と思いました。


購入した中国系企業は、
元大リアルエステート傘下の、
「元大夕張鹿鳴館」という会社です。
おそらく、こんな風に放置して、
荒れるにまかせる状態にするつもりは
なかったはずです。
けれど、何かの理由で、
目論見通りにはいかなかったのでしょう。


この「元大夕張鹿鳴館」という社名は、
少し前のブログにも登場しています。
同社は、夕張鹿鳴館を購入した翌年、
2018年に、小樽・和光荘も購入しているのです。
この日記で登場しています。
無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 9 - 和光荘②(2023年11月30日/3日め)


和光荘の歴史を調べていて、
この社名を見つけた時、
とても不安になりました。
「もしかして、和光荘も、
 夕張鹿鳴館と同じような状況で、
 放置されているのでは…。」と。


和光荘を見たい。
無事でいるのだろうか。
この目で確かめたい。


2023年5月の旅の途中で、
偶然、夕張鹿鳴館の惨状を見たことが、
いつまでも心に残っていました。
その半年後、2023年11月の旅で、
小樽に行くことになったとき、
「和光荘に行きたい。」
と、私がこだわったのは、そのためでした。


渡廊下の下にあった、小さな木戸を抜けて、外に出ました。

夕張鹿鳴館の現状に対して、複雑な思いはありましたが、敷地内部を見させていただいたことには、感謝したいと思います。

やるせない気持ちを抱えながら、再び、門のところまで戻ってきました。

車に乗って、出発。夕張鹿鳴館が、遠ざかっていきます。


中国、どんだけお金があるんだ。
そして日本、どんだけお金がないんだ…。
貴重な文化財を、日本は、
こうして買い取られていくしかないのか。


残念な気持ちはあるけれど、
かつては同じように、日本が世界中で
不動産を買いまくっていた時代もありました。
今は今で、こういう時代なのだ、
と思うしかないのでしょうか…。


このような中で、今、私たちができる、
せめてものことはなんなのか。
そんなことを考え続けた、夕張の旅でした。


(つづく)