積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 26 - 夕張鹿鳴館③(2023年5月13日/4日め)
2023年5月13日 夕張鹿鳴館で。咲き誇る桜の花の淡い色が、目に染みるようでした。(北海道夕張市)
5月13日(日)- 4日め
1913年(大正2年)に、
旧北海道炭礦汽船の迎賓館「鹿ノ谷倶楽部」
として建設された、
夕張鹿鳴館を歩いています。
広大な庭の端まで歩き、再び、建物まで戻ってきました。左側の、小高い丘の上に建つ部分から右方向へと、鹿鳴館の建物が連なります。長すぎて、写真におさまりません。
建物はさらに、敷地の右端にまで続いており、渡廊下でつながっています。が、この右端の建物は、かなりゆがんでいる感じがします。早く補修しないと、危ないのでは…。
近づいてみました。
言葉もありません。
玄関側にまわると、少しは補修しているらしいのがわかりました。この建物と主屋は渡廊下でつながっていて、その下にある木戸が開いていました。ここから、主屋の反対側に戻ることができそうです。
連なる主屋部分の側面は保護板で覆われていましたが、左端のひと棟だけは保護板がなく、窓ガラスがそのまま見えていたので、最後にそのあたりを歩いてみました。すると…、
驚きました。
窓が割れていて…、
そのガラスの向こうに側、手を伸ばせば届くところに、美しい調度品がありました。盗まれるのではないかと心配です。
室内には、美しい建具や照明が残っていました。この時代の建物によく見られる、杉柾矢羽根網代天井も見えます。が、窓ガラスが割れたままなので、野ざらし状態。襖には、雨漏りのシミが見えます。
杉柾矢羽根網代天井です。
そして最後に、胸がつぶれる思いだった、庭の石燈籠たち。
原型をとどめているものはありません。
崩れています。
さらに、ちらばっています。
あまりにも無残で、息をのみました…。
2017年に、
この夕張鹿鳴館を買った企業は、
そもそもどうして
ここを購入したのだろうか…、
と思いました。
購入した中国系企業は、
元大リアルエステート傘下の、
「元大夕張鹿鳴館」という会社です。
おそらく、こんな風に放置して、
荒れるにまかせる状態にするつもりは
なかったはずです。
けれど、何かの理由で、
目論見通りにはいかなかったのでしょう。
この「元大夕張鹿鳴館」という社名は、
少し前のブログにも登場しています。
同社は、夕張鹿鳴館を購入した翌年、
2018年に、小樽・和光荘も購入しているのです。
この日記で登場しています。
無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 9 - 和光荘②(2023年11月30日/3日め)
和光荘の歴史を調べていて、
この社名を見つけた時、
とても不安になりました。
「もしかして、和光荘も、
夕張鹿鳴館と同じような状況で、
放置されているのでは…。」と。
和光荘を見たい。
無事でいるのだろうか。
この目で確かめたい。
2023年5月の旅の途中で、
偶然、夕張鹿鳴館の惨状を見たことが、
いつまでも心に残っていました。
その半年後、2023年11月の旅で、
小樽に行くことになったとき、
「和光荘に行きたい。」
と、私がこだわったのは、そのためでした。
渡廊下の下にあった、小さな木戸を抜けて、外に出ました。
夕張鹿鳴館の現状に対して、複雑な思いはありましたが、敷地内部を見させていただいたことには、感謝したいと思います。
やるせない気持ちを抱えながら、再び、門のところまで戻ってきました。
車に乗って、出発。夕張鹿鳴館が、遠ざかっていきます。
中国、どんだけお金があるんだ。
そして日本、どんだけお金がないんだ…。
貴重な文化財を、日本は、
こうして買い取られていくしかないのか。
残念な気持ちはあるけれど、
かつては同じように、日本が世界中で
不動産を買いまくっていた時代もありました。
今は今で、こういう時代なのだ、
と思うしかないのでしょうか…。
このような中で、今、私たちができる、
せめてものことはなんなのか。
そんなことを考え続けた、夕張の旅でした。
(つづく)