MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 24 - ながぬま温泉で朝ごはん / 夕張鹿鳴館①(2023年5月13日/4日め)

2023年5月12日 銀鱗荘で。レストランで食事した人は、ホテル内の露天風呂を利用できます(ひとり400円)。夫はランチの後に行ってきましたが、小樽の海が一望できる、すばらしい温泉だったそうです。(北海道小樽市)


5月13日(日)- 4日め


4日めの朝になりました。
札幌のホテル代が高すぎて、
宿泊を断念し、「長沼町」という、
思ってもみないところへ
行くことになりました。


夫はいつものように、朝6時に起きて温泉へ。ほかに誰もいなくて、貸切状態。^^

「温泉保養施設」というだけあって、日帰りで来た人たちがくつろげる、広いスペースもありました。

5月の北海道は、サクラもスミレも咲き誇っていて…、

公園内は花でいっぱいでした。

チカパシは、いったいどこまで散歩したんでしょうね…。🙄

朝ごはんは、施設内にあるレストラン「はまなす」でいただきました。

豚バラと大根の煮物、ホタテ風フライ、ウィンナー、スクランブルエッグ、9種のサラダ、生卵、納豆、海苔、パン各種、グラノーラ、フルーツカクテル、フルーチェ、お茶漬け用白だしとお茶漬けの具(6種)など。人気の「源泉豆腐」は、だし醤油でいただきます。

夫の朝ごはん。ビュッフェのほかに、右側のおかずセットがデフォルトでついています。

MIYOの朝ごはんです。白飯ではなく、白だしのお茶漬けに具をたっぷり載せていただきました。^^

一泊実質4900円で、充実の朝ごはんがいただけました。^^

食後のコーヒーは、カルディーのものでした。


朝ごはんをしっかりといただいて、
今日も出発です。
この日の目的地は、夕張市石炭博物館
(のはずでした)。


…ということで、車を走らせていたのですが、その途中、山の中でこんなのを見つけてしまいました。


「夕張鹿鳴館…?
 えっ ここなの?😮」
もう、びっくりしました。


【夕張鹿鳴館】
夕張市にある歴史的建造物です。1913年(大正2年)に、旧北海道炭礦汽船の迎賓館「鹿ノ谷倶楽部」として建設されました。外観は和風で、洋間もある和洋折衷の建物です。北海道炭礦汽船の迎賓施設として使用され、会社幹部の会合、政財界人や取引先などの接待のほか、天皇・皇族の宿泊施設にも供されました。

室内装飾の美術・工芸や立派な庭園を持つ豪華な作りが特徴で、炭鉱全盛期の栄華を偲ばせるものとなっています。そのため、近代和風建築としての高い価値を持つと、専門家から評価され、2011年(平成23年)には国の登録有形文化財に登録されました。また、「空知の炭鉱関連施設と生活文化」として北海道遺産に選定され、「夕張炭田関連遺産」として近代化産業遺産にも認定されています。


在りし日の夕張鹿鳴館。入場券の写真として使われました。夕張市が管理し、1994年から一般公開が始まります。当時の入場料は200円。

公開されていた頃のパンフレットです。


このあたりに夕張鹿鳴館があることは
知っていましたが、
行くつもりはありませんでした。


2006年(平成18年)に、夕張市が財政破綻し、
鹿鳴館を管理していた、
市の第3セクター「石炭の歴史村観光」も、
自己破産します。
その後、夕張鹿鳴館の所有権は転々とし、
流転の運命をたどりました。


重要文化財の所有者がどんどん変わる…。
どこかで聞いた話だと思いませんか?


そう。
小樽の和光荘です。


あまりにも豪華な施設であるため、
莫大な維持費がかかります。
それゆえに所有しきれず、転売してしまう。
自治体がしっかりと
管理運営すればいいのですが、
なにしろ、夕張市は財政破綻しています。
どうにもならなかったのだと思います。


2016年以降、夕張鹿鳴館の公開は
中止されました。
そして2017年。
夕張鹿鳴館を最後に購入したのは、
元大という、中国系の企業でした。
正確には、元大リアルエステート傘下の、
「元大夕張鹿鳴館」という会社です。


その後、夕張鹿鳴館は、
営業されることもなく、
もちろん公開されることもなく、
個人的に立ち寄った人たちの記録を見ると、
「廃墟となっている」とのことでした。


国の登録有形文化財が、「廃墟」ですよ…。


廃墟であるとわかっているものを、
わざわざ見に行く気持ちはなかったので、
今回の旅でも、
ここに寄るつもりはありませんでした。
ところが。


夕張鹿鳴館の駐車場の前を、通ってしまったのです…。


「どうしよう。目の前だよ。
 ここ、夕張鹿鳴館だよ。


すこし迷ったのですが、
夫と相談した結果、とりあえず、
車を降りて歩いてみることに…。


一応、道路があり、その道路は山の中へと続いています。さらに近づいてみました。

ここがかつて、夕張鹿鳴館の門だったのでしょうか。


車両止めのためのコーンはあるのですが、
左側の部分は開いており、
徒歩であれば入れるようになっていました。


ここから先がどうなっているのか、
まったく見当がつきませんが、
お天気もいいし、日差しも暖かいので、
お散歩気分で少し歩いてみようか、
ということになりました。


夕張鹿鳴館の庭で。桜が満開でした。


(つづく)

積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 23 - 運河通り、旧手宮線跡地、銀鱗荘、そしてながぬま温泉へ(2023年5月12日/3日め)

2023年5月12日 銀鱗荘で。(北海道小樽市)


2023年12月13日(水)記
2023年5月の旅日記は、連載18回で中断したままになっています。😅
その後、6月のベトナム旅日記も11月のタイ旅日記も、途中までしか書けていません。
2泊3日ですぐに書き終わると思っていた札幌旅日記ですら、すでに11回も連載しているテイタラクですが、前日、和光荘の日記を書いていて、ずっと心に残っていたことを、ここでやはり併せて書いておきたいと思うようになりました。
なので、2023年5月の旅の続きに戻りますが、その一部だけを、書こうと思います。
連載は18回(2023年5月11日/2日め)で中断しておりましたが、その途中のことはとりあえず保留として番号を飛ばし、今回は、23話から(2023年5月12日/3日め)のことを書きます。

連載18話の日記はこちらで、このあとにベトナムに行ったため、保留になっていました。
積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、9泊10日の北海道 18 - 「鰊御殿とまり」で撮影会(2023年5月11日/2日め)


5月12日(土)- 3日め


小樽の星野リゾートに2泊したあと、
ほんとうは、札幌に泊まる予定でした。
ところが、行楽シーズンであるうえ、
週末にかかったせいか、
札幌市内のホテルがばか高いのです。


なので、週末はどこかほかの場所で過ごし、
価格がもっと安くなってから、
札幌に戻ることにしました。😄


じゃあ、どこだったら安く泊まれるのだろう。
…と、ネットを検索して見つけたのが、
「環境庁指定 国民保養温泉 ながぬま温泉」
でした。😄


「札幌から車で1時間くらい。
 あなたの好きな温泉があるし、
 ジンギスカンで有名なところみたいだし、
 夕張とかが近いみたいよ。どう?」
と訊くと、夫も、
「夕張だったら、オレ、
 行きたいところがあるんだよ。
 夕張市石炭博物館っていうの。」


あはは。ほんと、博物館が好きだよねえ…。
それはともかく、夫の賛同を得たので、
旅の3日めは、北海道夕張郡長沼町
行くことになりました。


この日は、朝、ホテルをチェックアウトしたあと、
午前中は小樽市内(運河通り)を散歩しました。
通りには、古い倉庫が、今も多数残っています。


1906年(明治39年)に建てられた、旧日本郵船㈱小樽支店残荷倉庫。(小樽市指定歴史建造物)

小樽市に今も残る、旧茨木倉庫です。札幌軟石を使っています。1898年(明治31年)年に、茨木与八郎によって建てられました。彼は、ニシン漁で財を成したあとも、堅実な経営で事業を拡張。札幌や比布などに土地を購入して農業も営み、二代目与八郎のころには、造船業や倉庫業にも進出しました。
旧茨木家中出張番屋を訪れたときの日記はこちらです。
積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、9泊10日の北海道 12 - 一年前ですが、旧茨木家中出張番屋②(2022年6月18日/2日め)
積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、9泊10日の北海道 11 - 一年前ですが、旧茨木家中出張番屋①(2022年6月18日/2日め)

1920年(大正9年)に建てられた、旧日本石油㈱倉庫(小樽市指定歴史建造物)


小樽の倉庫街については、
2回連載できそうなほど、
たくさんの写真を撮っているのですが、
今回はダイジェストということで割愛します。


そして小樽市総合博物館や旧手宮線跡地を歩きました。(日記を書いていてようやく気がつきましたが、旧手宮線跡地には、2022年10月、2023年5月、同11月と、3回も来ていました。😅)

ランチは、あこがれのお店「銀鱗荘」で。


【銀鱗荘(旧猪俣邸)】
ニシン漁で財を成した猪俣安之丞の邸宅として、1900年(明治33年)、余市町に建てられました。その後、1938年(昭和13年)に、現在地(小樽市)に移築されました。この母屋は、猪俣家専用の住宅であり、他の多くの大規模ニシン漁家が親方用住居と漁夫の寝床を合わせていた番屋とは一線を画しています。また、ニシン漁親方の住居として、これほど大きなものは、道内には例を見ません。母屋の中央には望楼があり、そこから沖合の漁を観察していたと思われます。また、玄関の右手には6室の座敷が並び、大きな神棚や床の間を備えています。(小樽市指定歴史的建造物)


お屋敷の前に庭があり、そこから小樽の海が一望できます。

現在の銀鱗荘は、旅館として営業しており、いつか泊まってみたいところです。

今回は、銀鱗荘内にあるレストランを予約してありました。

最高に美味しいランチでした。


いただいたのは、
全7品(5500円)のランチコース。
ふたりで11000円でしたが、
ホットペッパーから予約し、
dポイントを利用できたので、
無料になりました。🎉🎉🎉


銀鱗荘の内部やお料理の写真も、
3回連載できそうなくらいあり、
書きたいのですが、😅
ここはダイジェストなので、ぐっと我慢。😄


そして小樽・銀鱗荘から車を走らせ、一路、夕張郡を目指します。

銀鱗荘からながぬま温泉までは、約1時間半。

長沼町に到着したら、風景が変わっていました。

さすが北海道。まっすぐな道が続いています。^^

広大な、ながぬまコミュニティ公園に到着。園内に、蒸気機関車49694くんが展示されていました。

喜び勇んでかけよるチカパシ、いえ、多動夫。😄

公園で、気がすむまで、チカパシを遊ばせてから…、

ようやく、この日のお宿、「ながぬま温泉」へ。同じ、ながぬまコミュニティ公園の中にあります。

宿泊施設はこんな感じです。(これは翌朝撮った写真です。)

主に、地域の方々の日帰り温泉施設とか保養所として利用されているようです。

ということで、チェックイン。予約していたのは、朝食ビュッフェ付でひとり6400円の和室です。

このホテルに決めたいちばんの理由は、旅行支援の対象になっていたことです。ひとり一泊につき、1500円が補助されます。つまり、朝食付きでひとり一泊4900円になります。😄 ホテル代が異常に高くなっていた札幌に比べると、破格の安さでした。


このときにいただいた、
総額6000円もの地域クーポンは、
その後、旭川スイートロードの北菓楼で、
おいしいランチとお菓子セットになりました。
ありがとうございました。(→北海道)


お部屋に置いてあったおやつは瓦せんべい。長沼町の畑から生まれた大豆を練り込んであるそうです。

お部屋は普通の旅館タイプで、お布団も敷いてありました。広さは6畳で、サンルームと冷蔵庫・トイレ・洗面所がついています。

夕暮れ時の公園。空がオレンジに染まっていました。公園の中にあるホテル。なかなかいいです。^^

晩ごはんは、セイコーマートで買った「かつ丼」と「濃厚ソースデミかつ丼」を、お部屋でいただきました。施設内に電子レンジはなかったのですが、フロントの方が、職員用のレンジで温めてくださいました。^^


私たちは、セイコーマートが大好き。^^
北海道に来ると、なるべく、
セイコーマートを利用するようにしています。
やはり、北海道ならではのお店ですから。^^
最近は、三井住友NLカードのタッチ決済で、
5%引きになるのも、うれしいところです。


チカパシは、大好きな温泉に入れてご満悦。


…と、ここまでが、5月12日のできごとでした。
10日間もの旅行なので、
ポイント、補助金、クレカ割引などを駆使し、
「できるだけお金を使わない旅行」になるよう、
工夫を続けています。


「で、これのどこが和光荘と関係があるの?」
と思われることでしょう。
そうですよね…。
(話がなかなか進まなくてスミマセン。😅
 これでも、かなり端折って書いてるのですが…。)


私が書きたかったできごとは、
この少し後に起こります。


(つづく)

無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 11 - 和光荘④(2023年11月30日/3日め)

2023年11月30日 和光荘で。(北海道小樽市)


11月30日(水)- 3日め


大正時代に建てられた、
小樽の豪邸・和光荘に来ています。
長くなってきたので、
ここまでを、ざっとふりかえってみます。


橋を渡って敷地内に入ると、まず見えてくる、主屋。

主屋の左側を直進すると、つきあたりに見える、別棟。

渡廊下の下をくぐって反対側に来ました。

その別棟から、主屋の裏側が見えます。今回はここからになります。

主屋裏側の1階と2階の部分です。和風の出入り口のようなものがありますが、固く閉ざされていて、もちろん中には入れません。

そして、3階と4階の部分。

主屋の隣りには、さらに洋館が建てられていました。とんがり帽子の屋根があり、その左側に張り出している部分があります。

近づいてみると、張り出し部分はどうやら八角形になっているようです。開口部を広くとっているので、ここはサンルームだったのかもしれません。

窓の保護板をとりはずしたら、さぞかし美しいことと思います。中はどうなっているのかな、と思いましたが、保護板がじゃまになって、見ることができませんでした。

ところが、あとで写真をチェックすると、多動夫が窓から中を覗き込んで、写真を撮っていたようです。🤣 たしかにこれはサンルームですね。床のモザイクタイルがすばらしい。そして中心に造られた池には天使の像があり、往時は上部から噴水が流れていたと思われます。これがアールデコなんですね、なるほど…。


建物の外側から見ただけですが、
和光荘は、3棟(主屋と、和洋ふたつの別棟)
で構成されているのがわかりました。
すっきりとした、清楚なデザインの中に、
往時の華やかさがしのばれる、
たいへん瀟洒な豪邸でした。


再び主屋に戻りました。バルコニーに立って、最後に記念撮影。

美しかった和光荘。ほんとうに、来てよかった。


…と思いながら、橋の方に向かって
歩き始めたときのことです。
その橋をわたって、こちらの方に
やって来る人影が見えました。
私たちのような、見物人でしょうか。
それとも、この家の関係者…?
(まさか、オーナーご自身ではないよね…。😅)


まずい。勝手に入ったから、怒られるかも…。
と、緊張しました。


「こんにちは。」
と、とっさに挨拶する、多動夫。😄
MIYOも、平静を装って、
笑顔で話しかけました。
「このお家の方ですか~?😅」


相手の方が頷かれたので、さらに続けました。
「外側からだけですけど、
 建物を見学させていただきました。
 すばらしいお邸ですねえ!!!
 感動しました。^^」
MIYOの雰囲気につられたのか、その方も、
「ああ、ありがとうございます。」
と、笑顔を見せてくれました。^^


ああ、よかった。
これで、少なくともごあいさつができた。
怒られずにすみそうだわ…。😅


と少し安心したのもつかのま、
そこからはもう、多動夫が言う言う…。
「中を見学できなくて、残念でした。」
(暗に、「中を見せてもらえませんでしょうか」と
 言ってるんだろうなあ、と思いましたが…。笑)
「いや、中は今、補修工事をやってるんで。」


流暢な日本語でしたが、
かすかに外国人なまりがありました。
おそらく、蒙泰グループの方なのでしょう。


夫「工事が終わったら、
  また見学できるようになりますか?」
 「いや、それはちょっと…。」


…でしょうね。
おそらく、蒙泰グループの迎賓館とかで、
使われるんじゃないかな、と想像しました。
なんでもいいです。
きちんと修理して、
大切に維持していただけるのであれば…。
(…って、私が言える立場ではありませんが。)


そこで話は終わるのかと思いきや、
夫、すごいことを言い出しました。


「あの、和光荘といっしょに、
 写真を撮っていただけないでしょうか。」


もうね、冷や汗かきましたよ…。
勝手に入って歩きまわっただけでも、
責められてもしょうがないことだったのに、
その上、やってきた関係者の方に、
「写真撮ってください」とは、
こいつ、なんて厚かましいんだ…。😅😅


「ああ、いいですよ。」
と、快く撮ってくださったことに、
心から感謝しました。


夫がとんでもないことを言い出してびっくりしたけど、今では貴重な写真になりました。

2枚も撮ってくださいました。^^(どうもありがとうございました。)

その方に何度もお礼を申し上げて、再び橋を渡り、車を停めたところに戻りました。

あはは。足が雪だらけ。


ほんとうは立ち入り禁止だったはずの、
和光荘。
まさか、中で建物を見ることができるとは、
思っていませんでした。


本来ここには、「立ち入り禁止」の札があり、
ロープを渡して道を遮断していました。
そのため、訪れた人は、ここから先に
進むことができなかったのです。
それゆえに、ここ数年、
「誰も訪れた記録がない場所」
となっていたようです。


けれどこのときは、
補修工事を行うために、たまたま、
「立ち入り禁止」の札やロープを、
とりはずしてあったようです。
私たちが、ここから先に進むことができたのは、
奇跡のような幸運でした。


さて、帰ります。私たちの車の跡しか残っていない雪道で、夫は車をUターンさせました。


戦前の北海道に建てられた豪邸の中で、
間違いなく、代表格のひとつと言えるのが、
この和光荘です。


このあと、補修工事が終わり、
蒙泰グループの施設として稼働を始めたら、
もう本当に、「関係者以外立ち入り禁止」
となってしまうことでしょう。


部外者であるにも関わらず、
(非公式ではありますが😅)
敷地内で和光荘を見ることができたのは、
私たちが最後になるのかもしれません。
いや、そうならないでほしいな、
と思いますが。


美しく再生された和光荘を、
多くの人が見学できるようになる日が、
いつの日か、再びやってきますように。
そう願いながら、帰路につきました。


(つづく)

無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 10 - 和光荘③(2023年11月30日/3日め)

2023年11月30日 和光荘で。降りしきる雪にまみれて、はしゃいでいます。^^(北海道小樽市)


11月30日(水)- 3日め


大正時代に建てられた、
小樽の豪邸・和光荘に来ています。


主屋のバルコニーを降りると、目の前には、雪で覆われた庭園がありました。

小高い丘の上まで、雪だらけ。丘の上に、多宝塔のようなものが見えます。

雪が丸くアーチを描いているので、ここには池かなにかがあるのかもしれません。写真の奥に石灯篭が見えますが、雪だらけで、そこまで行けそうにありません。

…と思っていたのですが、帰宅してから、夫が撮った写真を見て吹き出しました。その石灯篭から下を見下ろした写真があるではありませんが。ここまで歩いたんですね…。ほんとうに多動だわ…。😅 燈籠から先は崖になっていて、下の方に、さきほど歩いてきた橋が見えています。^^

さて、これは、今見てきた主屋の左側面なのですが…、

その奥に、和風の別棟があるのが見えました。

雪が舞い散る中、ひっそりと建つ別棟は、たいそうきれいでした。

積もった雪には、夫の足跡だけが残っています。その足跡をたどりながら、私も進んでいきました。

右側に見えているのは、さきほど通ってきた、主屋の裏側です。

その主屋と別棟とは、渡廊下でつながっていました。

そしてこちらが別棟です。これは、雪が降り出す前に、先に行ってしまった夫が撮ったもの。

その後、MIYOが歩いてきたころには、雪がさかんに降り始めていました。でも、雪の中で見る別棟の、美しいこと。^^

別棟に見とれていると、渡廊下の向こうから、わっせ、わっせ、と多動夫が戻ってきました。


そしてMIYOの顔を見るなり、ひとこと。


「すばらしいですっ!!😄」


こんな顔してました。🤣(「ゴールデンカムイ」のアイヌ少年・チカバシです。/画像をお借りしました)


いっそこれからは、
「チカパシ」と呼んでやろうか、
…と思いました。😂 
「どうしてもここに来たい。」と言って、
連れてきてあげた私に、少しは感謝してよね…。


「は~~い。」


「でも雪道を運転して、
 連れてきてあげたのはオレだけど。」
…とか言いそうだな。😅


夫は、そのままどこかに行ってしまったので、
MIYOはひとりで、さらに歩き続けました。


渡廊下の下をくぐって、反対側から見た、別棟です。以下の写真は、雪が降る前に夫が撮ったものです。

野口吉次郎(北の誉酒造創業者/主であった野口喜一郎の父)の郷里である、金沢市の伝統的な建築技術を取り入れた和室があることが、和光荘の特徴のひとつとなっていますが、それは、この別棟のことであると思われます。

そして、雪が降り始めて、あとから来たMIYOが撮った写真です。

別棟の横に立って、主屋の裏側を見上げました。写真右端から、別棟、渡り廊下、そして主屋です。


ここまで、主屋と別棟を見てきました。(右が主屋の側面、そして左が別棟です。)


次回は、さらにこの奥にある、
もうひとつの別棟を歩きます。


(つづく)

無料で行けた札幌。美味しいものを食べ歩いた3日間 9 - 和光荘②(2023年11月30日/3日め)

2023年11月30日 雪が舞う、和光荘で。(北海道小樽市)


11月30日(水)- 3日め


橋を渡り終えると、その先に、
雪に覆われた和光荘が現れました。



来た。
ほんとうに、和光荘に来れたんだ…。


胸が震えました。
雪に足をうずめながら、
玄関に向かって、ただ無心に歩きました。


全景が見えました。今でも、写真で見たままの姿でいてくれたことがうれしく、なにか、胸がしめつけられるような気がしました。


【和光荘】
1922年(大正11年)、北の誉酒造(1890年/明治23年創業)の2代目社長である野口喜一郎の自邸として、小樽市に建築された洋館です。木造4階建て、一部鉄筋コンクリート造り。パリに端を発するアール・デコの幾何学的な装飾を基調とする、洋風のデザインです。その特徴は、野口喜一郎の父・野口吉次郎(北の誉酒造創業者)の郷里である、金沢市の伝統的な建築技術を取り入れた和室などを組み合わせていること。さらに、全国の歴史的建造物にみられる「小川三知によるステンドグラス」など、様々な装飾品があることでも知られています。
もとは個人住宅でしたが、この建物は、その後流転の運命をたどります。
 1948年(昭和23年)和光産業によるホテルとして開業。
 1950年(昭和25年)北海ホテルが取得。
 1956年(昭和31年)再び、北の誉酒造が取得。
この間に、
 1954年(昭和29年)昭和天皇夫妻の北海道巡幸に際しての宿泊所となる。
 1958年(昭和33年)には第125代天皇/上皇明仁が皇太子時代に宿泊。
など、華々しい時期もあったのですが…。
 1966年(昭和41年)経営難により、ホテル業を廃業
その後も、流転の運命は続きます。
 2009年(平成21年)野口喜一郎の孫の野口禮二(北の誉酒造の4代目社長)が北の誉酒造から買い取る。
 2015年(平成27年)北の誉酒造が、オエノンホールディングスに吸収される。
和光荘の元所有者であった北の誉酒造は売却されましたが、その直前に、野口家が和光荘を取得していたため、建物は守られた、という形になりました。その後、野口家が私費を投じて保守・修繕を行い、建物の外装・内装だけでなく、書籍やニップゲームなどがそのまま保管されました。そして、同年4月から、予約制・有料で公開されるようになりました。
 2018年(平成30年)中国系企業「元大夕張鹿鳴館」が本施設を買収。
 2023年(令和5年)蒙泰株式会社に転売。代表者の奥鳳廷氏は、内モンゴル自治区に本社を置く蒙泰集団のトップ。


なんとも…。
次々と所有者が変わる中、
よくぞ残っていてくれた、と思います。


和光荘を見ながら、感慨にふけっていたのですが、ふと気づくと、MIYOの前を歩いていたはずの多動夫が、大興奮で階段を上がり、2階部分にいるではありませんか。

このときに、夫が撮ったMIYO。「あれほどいやがっていたくせに…。このやろ~。」と思ってるところです。😅

さらに近づいてみました。アーチが並ぶ1階部分が、アール・デコ風なのでしょうか。

この扉の内側は、ダイニングルームになっていました。

中はほの暗くて、ぼんやりと調度品が見えるだけでした。これを写真に撮るのはムリ、と思っていたのですが、多動夫、どんなワザを使ったのか、こんな写真を撮っていました。

どうやって撮ったの?😮

その上に続く、2階から4階部分。2階の右側にあるのが、玄関のようです。

その玄関へと続く階段。

階段を上がって、玄関部分に行ってみます。

階段からは、母屋の右側部分がよく見えました。夏には、緑色のツタが絡まって、美しい外観になる部分です。

その奥にも、平屋の家屋があります。

こちらは、使用人の住まいだったのかもしれません。

山の斜面には、見晴らし小屋のようなものもあります。

さて、階段を上がりきると、そこは細長いバルコニーになっていました。そのバルコニーに面した家屋部分の窓も、美しいデザインです。

バルコニーのいちばん手前に、玄関がありました。


蒙泰 (MENG TAI) 集団・蒙泰株式会社
…と書いてありました。
ああ、ほんとうに、
モンゴル系の会社に売却されたんだな…と。


わかっていたことでしたが、胸の中には、
なにか寂しい気持ちが募ります。
日本の貴重な文化財が、こうして、
外国の企業に売却されていく。
それも、アメリカでもヨーロッパでもなく、
アジアの企業なのです。
そんな時代なんだな…と。


建物の2階正面には、玄関部分からさらにバルコニーが延びています。

喜びまくって、どんどん先に行ってしまう多動夫。ほんと、調子がいいなあ…。😔

バルコニーに立って、眼下に広がる雪の世界を見下ろしました。

バルコニーの壁に取り付けられた電灯と、ドアの取っ手部分。温かみを感じるデザインです。

バルコニーを端まで歩き、その先へ進もうとして、ふと、振り返りました。すると、雪で覆われた床面が、ほんの少しだけ顔を出していたので、雪をはらってみました。

床は、モザイクタイルで彩られていました。その愛らしい模様に、心魅かれました。

バルコニーを抜けると、母屋の左側面(2階から4階)が見えます。2階は和風で、3階と4階は洋風になっていました。

そして目の前に広がるのは、雪で覆われた庭園。


人の足跡がひとつもなく、見えるのは雪ばかり。
この雪はどれくらいの深さなのか、
そして、この雪の下に池があるのか、
それとも飛び石でもあるのか…。
もう全くわからない状態です。😅


うっかり足を踏み入れたら、
たいへんなことになるかも…と思いながら、
ただ、白い世界を眺めていました。


(つづく)