MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 8 - 台風なら博物館① 「沖縄、復帰後。展」(2022年8月31日/6日め)

2022年8月31日 沖縄県立博物館・美術館で。「沖縄、復帰後。展」を開催中でした。(沖縄県那覇市)


8月31日(水)


目的地であった、
沖縄県立博物館・美術館に到着しました。


【沖縄県立博物館・美術館】
沖縄県那覇市おもろまちにある県立文化施設で、博物館と美術館の両方を擁しています。愛称は「OkiMu(おきみゅー)」。本土復帰30周年記念事業として、2007年に開館しました。


外観は、琉球石灰岩や海砂を使用しており、沖縄のグスク(城)とその外壁の石垣をイメージした造りになっています。外観のモチーフとなったのは座喜味城跡。この博物館は、2008年にグッドデザイン賞を受賞しました。

これがその座喜味城です。そう言えば似ている(ような気がする)。笑(2022年3月9日 沖縄県中頭郡読谷村)


【座喜味城】
戦乱の世だった「三山時代」に活躍し、琉球王国統一後の国の安定に尽力した名将護佐丸(ごさまる)によって築かれた城(グスク)です。国王に対抗する勢力を監視する目的でつくられ、1420年頃に完成しています。規模は小さいですが、城壁や城門の石積みの精巧さや美しさは沖縄の城の中で随一と言われ、当時の石造建築技術の高さを示す貴重な史跡となっています。

戦時中、日本軍が高射砲陣地を構築していたため、十・十空襲と沖縄戦で壊滅的な被害をうけ、瓦礫の丘陵地となりました。戦後は、米軍基地ボーローポイント内のナイキミサイル通信基地となっていました。1972年の沖縄返還を機に城跡返還の機運が高まり、1974年、米軍から返還されました。その後、調査と復旧が進められ、かつて通信基地に駐屯していた退役軍人も驚嘆するほどの、美しいグスクとしてよみがえりました。2000年、世界遺産に登録されました。


エントランスは二重に造られています。正方形が並ぶ壁面のデザインは、城の石積みを表現しているのだと思われます。(この頃から、風が少しずつ強くなってきました。MIYOも髪を押さえています。)

座喜味城の城門です。沖縄に現存する最古のアーチ門です。(2022年3月9日)

博物館にエントランスがふたつあるのは、たぶんこの、ふたつの城門がある場所をイメージしていたのでしょう。^^

そして、いかにも南国らしい石積み。これが、博物館壁面のデザインに使われました。


座喜味城は、2度目の沖縄で訪ねました。
が、まだブログに掲載できていません。
旅行に行きすぎで、
日記を書くのが追いつかないのです。😅
書きたいなあ…。
早く書かないと、
どんどん忘れてしまいます。😅😅


博物館に話を戻します。ふたつめのエントランスと本館との間は、屋外展示場になっていて、赤瓦の古民家が再現されています(入場無料)。ここは後で見学することにして、まずは本館に入りました。

沖縄県立博物館・美術館の内部です。天井の明かりとりから床まで、美しい柱が林立しています。写真中央の1階部分が、博物館の常設展示室です。

そして2階では、復帰50年の特別展として、「沖縄、復帰後。展」が開催されていました。

特別展の入場料は、ひとり1000円。ペイペイで支払えました。(これ以外に、常設展でも別途入場料がかかります。けっこう高い。😅)


展示は、以下の6つのカテゴリーに分けられ、
様々な側面から沖縄を知ることができます。


1.復帰の日 ―葛藤をかかえて―(1972年)
2.新生沖縄県の誕生(復帰後の沖縄)
3.沖縄ブーム、到来。(観光立県としての歩み)
4.変化・変容と沖縄 (各分野から迫る、沖縄像)
5.不変・継承・課題(独自の文化と米軍基地)
6.希(こいねが)う、未来。


すべてを掲載しきれないので、
心に残った写真の一部をご紹介します。


最後の復帰関連事業は、交通方法の変更でした。アメリカ式に「車は右」だったものが、「車は左」に変更されました。当時の標識です。(1972年)

復帰を記念して行われた、沖縄海洋博のユニフォーム。(1975年)

沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の開業。(2003年)

1951年に強制接収された、牧港住宅地区です。広大なエリアが米軍の住宅地となっていましたが、1987年5月に全面返還されました。その後この地区は、那覇の新都心として再開発されました。現在は、大型ショッピングセンターや総合運動公園などが設置されており、沖縄県立博物館も、このエリアにあります。

沖縄では、アイスキャンディーのことを「アイスケーキ」と呼んでいました。昭和30年ごろには、その工場が各地に造られました。原液を型に注ぎ、割り箸をさして凍らせる、という簡単な製造方法でしたが、子どもたちに大人気でした。自転車の後ろの箱に100本~200本を入れ、何人もの売り子が、朝早くから街で売り歩きました。1本1セントでしたが、飛ぶように売れて、製造が追いつかなかったそうです。

こんな器具で、アイスキャンディーを作っていました

円覚寺鬼瓦。円覚寺は、尚真王が1942年から数年をかけて建立した、王家の菩提寺です。屋根に取り付けられていた鬼瓦は、戦時中に破壊されてしまいましたが、戦後、1946年に収集されました。

黒漆雲龍螺鈿東道盆(くろうるしうんりゅうらでんとぅんだーぶん)
琉球王国時代に貝摺(かいすり)奉行所で製作された東道盆を原資料として、復元されました。螺鈿技法は、琉球漆器を代表する技法のひとつですが、復元にあたっては、沖縄県立芸術大学漆芸コースの卒業生も参加しました。

木綿花色地霞枝垂桜文様紅型袷衣装(もめんはないろじかすみしだれざくらもんようびんがたあわせいしょう)
王子按司階級の身分が高い女性が見に着けた、冬の衣装です。綿臙脂(めんえんじ)から抽出した染液による染色です。

綿臙脂による染色は長く行われてこなかったのですが、試作を繰り返し、美しい花色の復元に成功したそうです。紅型って、きっぱりとした柄に独特の味わいがあり、魅かれます。

実は、実は、結婚式のお色直しは、紅型でした。😂(1985年1月)


ん~。時代を感じますね。
これは、写真館で前撮りしたときに、
手持ちのカメラで撮ったものです。
当時25歳。
沖縄のことなんてなにも知らなかったのに、
なぜか、婚礼衣装屋さんで、
紅型のお振袖を選んでいました。
今思うと、
なにかご縁があったのかもしれません。^^


「この島にしかない文化に出逢う」…。いい言葉です。遠く離れた地で、今まで知らなかった文化に出会えること。それが、沖縄にも北海道にも魅かれる理由のひとつであると思います。

会場入り口に設置されていた不思議なドーム。中に入ると、360°画面で海外の映像が見えるのだそうです。夫は興味津々で、中に入ってしまいました。メキシコの映像を見たそうです。

夫がドームに入っている間、MIYOは、「沖縄復帰検定」というNHKのビデオを見ていました。そのビデオに登場する、沖縄放送局マスコットキャラクターのさぁたぁちゃんがかわいいのです。サーターアンダギーがモチーフなのですが、なんと、頭が割れてます!笑

そう言われてみれば、たしかに、サーターアンダギーは揚げるときに破裂しているものが多いです。笑(この写真は帰りの機内で撮りました。)


ここで夫が戻ってきました。
頭の割れたさぁたぁちゃんの
全身映像が見たくて、結局、番組を
最後まで見てしまった私たちです。
(↑ヒマだな。笑)


番組のエンディングで登場した、さぁたぁちゃん。やっぱり頭が割れてます。笑


台風なら博物館。
次回は本展を見学します。


(つづく)

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