MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは21歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。

1泊2日で一時帰宅② - 有楽町でパスポート→大仙市ふるさとフェア(11月19日)

2017年11月19日 日暮里駅で。(全盲難聴・のんたん 22歳)



11月19日


朝10時半に出発し、家族全員で、有楽町の東京交通会館に行きました。



実は、年末の家族旅行でベトナムに行くことになりました。
が、夫以外は、家族全員のパスポートが失効していたので、
新たに申請することに。
できあがったパスポートは、本人でないと、受け取ることができません。
そこで、長男が帰宅したのに合わせて、この日に取りに行きました。


ところで、パスポートって、「サイン」の欄がありますよね。
全盲の長男が、どんなサインをするのか? と思っていたのですが、
今回、その謎がとけました。


サインの欄には、「×× のぞみ」とフルネームを書き、
その横に、「父 代筆」と書けばよいのだそうです。
なるほど~。^^


日曜日でしたが、あまり多くの人がいなかったので、
たいして待つこともなく、全員、パスポートを受け取ることができました。
これで、あとは出発するだけです。(笑)



有楽町駅前の広場で、秋田県大仙市のふるさとフェアをやっていました。
三味線好きの長男、興味津々で聞いていました。



長男が秋田民謡に聞き入っている間に、
私と娘は、「楽天チェック」アプリを使って、ポイント稼ぎ。
指定の場所に行くだけで、ポイントがもらえます。
東京交通会館とマロニエゲートの2ヶ所をまわって、
ふたりで40円分の楽天ポイントを獲得しました。
はじめに、私がひとりでやっているのを見て、
「それ、私もやる!」
と娘。
その場で、アプリをインストールしてしまいました。
20円分のポイントをゲットして、うれしそう。
こういうところ、私にそっくりで、笑えます。^^


・・・なんてことをやっている間に、時間になったので、
法要のお寺がある、目黒駅に向かいました。


(つづく)


その他の記録は、
のんたん日記18
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan18/nontan1800.html
をご覧ください。
ガンになって
http://limings.sweet.coocan.jp/miyo01/miyo1703.html
MIYO'S WEBSITE(全盲難聴の、のんたんの育児記録)
http://limings.sweet.coocan.jp/
も、少しずつ更新しています。

1泊2日で一時帰宅① - ボランティアさんとおでかけ→帰宅(11月18日)

2017年11月18日 サイゼリヤで、お薬を飲んでいるところです。このところ、飲み込んだものがのどを通っていくことに興味津々。のどに手をあてて確認しています。(全盲難聴・のんたん 22歳)
(写真は、キドノさんからいただきました。)



ふだんはS園で生活している長男ですが、
5月の連休、夏休み、冬休みのような、長いお休みには、
自宅にもどってきます。
それ以外にも、なにかの用事があるときは、
希望すれば、帰宅することができます。
また、夏まつりやバザーなど、S園でイベントがあるときには、
こちらからでかけていきます。
なんだかんだで、月に一回は、長男に会っているかな、と思います。^^


11月18日にも、一泊二日で帰宅しました。
我が家の子どもたちをかわいがってくださった、
「目黒のおばちゃん」の一周忌の法要に参列するためです。
そのときのようすを、お伝えします。


11月18日


朝10時に、ボランティアのキドノさんとコバヤシさんが、
S園まで迎えに行ってくださいました。
長男といっしょに、高田馬場でランチをしたあと、
ウクレレ教室で、レッスンを受けます。


いつもなら、このあと、そのまま、S園まで送っていただくのですが、
今回は、一時帰宅ですので、S園にはもどりません。
葛飾区にある我が家まで、キドノさんとコバヤシさんが、
長男を送ってきてくださいました。


最後に会ったのは、10月のバザーのときですから、
40日ぶりの再会です。
おかえり~ のんたん!^^


【キドノさんからのメールです。】
今日の行きの電車では、ヘッドフォンはつけず、お話ししながら高田馬場まで行きました。次回のカラオケを楽しみにしているようです。
お昼はいつものように「ハンバーグ」との事なのでサイゼリヤへ行きましたが、あまり食は進みませんでした。
ウクレレ教室では、最初、ICレコーダーの電池交換に夢中になって、レッスンに入るのが遅くなってしまいました。が、レッスンを始めてからは集中していました。
ご自宅へ帰る途中では、電車の中で、ヘッドフォンで今日のレッスンの録音を聞いていました。


【コバヤシさんからのメールです。】
朝、S園から駅に向かいました。
のんたんは、ずっとお話しをしていて、今日のことを楽しみにしていたのかな、と思いました。
豊田駅で、トイレに行きたそうにしていることをキドノさんが気づいて、多目的トイレに行きました。
電車では、のぞみくんだけが、3人掛け優先席の真ん中に座ったのですが、途中の駅で両側の人が降りたので、キドノさんと私も座り、のぞみくんを挟んだ形で座りました。
ずっとお話しをしたり(カラオケのことが多かったです)、声を手でリズムをとったりしていました。途中で補聴器を外していじることもありました。
高田馬場駅で、お昼は何がいいか聞くと、「ハンバーグ」とのことだったので、サイゼリアに向かいました。
サイゼリアでは、なかなかご飯を食べてくれず、途中でまた補聴器をいじっていて、あまりにもぎゅうぎゅう押すので壊れてしまわないか心配になりました。(写真の様子です)

時間はかかりましたが、キドノさんとふたりで声掛けをして、大体食べてくれました。
ごちそうさまの合図は、はっきり意思表示があった(お椀を手でよける)ので、満足するまで食べられたのだと思います。
写真がぶれてしまっていますが、謎のポーズもありました。

薬を飲んだあともこのポーズと、”薬飲みました”と繰り返していました。やはり苦味があって飲みづらいということなのでしょうか。
そのあとキドノさんの介助でトイレに行ってから、ウクレレ教室に向かいました。
ウクレレ教室では、ICレコーダーの準備に手間取ってしまいましたが、レッスンが始まってからは、ずっとレッスンに集中していました。
先生が音階名でメロディをとりながらウクレレを弾き、のぞみくんは、きちんと一緒についていっていました。
レッスンが終わってから、高田馬場駅に行きました。そのあとの電車移動では、ICレコーダーでレッスンの様子を聞いていました。あまりにも静かだったので、寝てるのかな、と思うとそうではなく、じっと聞いていたようです。
駅についてからご自宅までの道のりでは雨に降られてしまいましたが、のぞみくんは家に向かっていることがわかっているようでした。ご自宅の前まで行ったら、引き返して、車庫の車のところに進んでいって、車のドアまで開けてしまいました。私では引き戻せなかったので、キドノさんに代わっていただき、お父様のところにお連れできました。
今回の介助は、私がまだまだ不慣れであり、キドノさんに助けていただいて無事に終えることができました。
また今回は、前回よりも甘えているのか、体力的につらいのか、どちらかわからないのですが、歩いているときも座っているときも、のぞみくんに寄りかかられることが多かったように感じました。



私といっしょに歩いているときにも、
長男は、あまえて、私の肩や腕に寄りかかることがあります。
小さい子どもの頃は、それもかわいかったのですが、
さすがに、22歳にもなってこれをされると、重いです。(笑)


コバヤシさんにも、甘えてもたれていたのだと思いますが、
やはり、もう大人ですので、こんな歩き方はよろしくないと思います。^^
こういうときは、はっきりと、
「もたれてはだめだよ。背中をのばして歩きましょう。」
と、どうぞおっしゃっていただければと思います。
キドノさん、コバヤシさん、どうもありがとうございました。


長男、3ヶ月ぶりの帰宅です。
夜は、みんなでピザを食べました。
翌日は、午前中に自宅を出発して、家族で有楽町にでかけます。
忙しい一日になるのですが、そんなことにはおかまいなく、
長男はお気に入りのCDを聞いて、くつろいでおりました。^^


(つづく)

盲学校の育児教室で話しました - 聴覚視覚障害児を育てるおかあさんへ ⑤ 最終話

2006年11月3日 先生といっしょに作っているのは、ピザ。長男にもわかりやすい作り方を、と考え、ホットプレートで焼きました。H先生の工夫です。(全盲難聴・のんたん 11歳)


将来に向けて


 最後に、将来に向けて、というお話をしたいと思います。
 将来、お子さんに、どんな生活をしてもらいたいか、ということです。
 まだまだお子さんが小さくて、そんなことは考えられないと思いますが、
「小さい頃は、ずいぶん先のこと、と思うけど、大人になるのは、あっという間よ。」
と、私自身も、先輩のお母さん方から、よく言われたものです。
 私が、子どもを育てているとき、いつも思っていたのは、
「いつか、『生まれてきて良かった。あのとき、命が助かってよかった』と、この子に思ってもらいたい。」
ということでした。
 そのためには、子どもが自分で、「幸せだ」と思えるような生活をおくれるようになることが必要だ、と思ってきました。さらには、私が死んだ後も、幸せな生活が続けていけることが大切だ、と思いました。
 小さい頃から、多くの人を巻き込んで、助けてもらいながら育児をしてきたことは、その準備のようなものだったかもしれません。
 のぞみを助けてくださる、ボランティアの方々とのネットワークは、20年をかけて築いてきました。のぞみといっしょに歩くことを楽しいと思ってくださる方々がいてくださるということは、長男にとって、たいせつな財産だと思います。
 それから、子どもが大好きなことを、これから生きていくうえでの大切な柱にしていきたい、と考えました。
 卒業後の進路として、「S園」を選んだのは、理由があります。
 S園には、音楽の才能がある人たちで結成した「光バンド」という音楽グループがあります。メンバー全員が、視覚障害者です。もう20年くらい演奏活動を行っていて、CDを販売しています。毎年コンサートを行っていて、国内各地や海外での公演も行っています。音楽活動の盛んなこの施設で、いつかのぞみも、そのグループに入れていただけたら、どんなにいいか、と思いました。
 それが、S園に入所した、いちばんの理由です。
 今、のぞみは、光バンドの弟分である、「ひまわり」というバンドに入れていただき、演奏活動を行っています。毎年12月には、日野市から招かれ、市のイベントに出演して、演奏させてもらっています。このときばかりは、私も夫も、「おっかけ」となって、会場にかけつけます。最前列に座り、舞台にかじりついて、応援しています。
 これから先、この演奏活動がどんなふうに発展していくのか、楽しみです。なにより、音楽がだいすきな長男が、舞台で演奏し、みなさんから拍手をもらい、楽しく生きているのを見ると、ここまでこられて本当に良かった、と思います。
 のぞみ本人も、私たち親も、これから先、まだまだ楽しいことがあるだろうと思っています。そうやって、「子どもの将来に夢が持てる」ということを、とても幸せだと思い、皆様に感謝しています。
 どうぞ、お子さんの将来に夢を持って、今の子育てを楽しんでください。


(おわり)

盲学校の育児教室で話しました - 聴覚視覚障害児を育てるおかあさんへ ④

2006年11月3日 授業参観。この日は「生活」の時間で、ピザを作りました。始めに手を洗います。
(全盲難聴・のんたん 11歳)


自立に向けて大切にすべきこと(しつけ、身辺自立、学習)


(3) 学習


 これも、身辺自立と同じで、私たちは、あまり教育熱心な親ではなかったと思います。
 長男は、0歳のときから18歳まで、国立T研究所というところの、「盲ろう児」の教育相談で、お世話になりました。ふたりの先生が、18年間ずっと、長男に関わってくださり、保育園や学校、学童など、長男がどこへ進もうと、必ずそこを定期的に訪問し、見守り、助言してくださっていたのは、とても恵まれていたと思います。
 盲ろう教育をきちんと研究しておられる方は、日本ではたいへん少ないのですが、その中心的な存在であるおふたりの先生から、18年にわたって指導していただけたわけですから、たいへんありがたいことでした。
 そのなかで、忘れられない話があります。
 長男がまだ赤ちゃんの頃、「今から、なにかやっておいた方がいいと思うことがあれば、おしえてください。」とお尋ねしたことがありました。そのときに、その、研究所の先生に言われました。
「私は、障害のあるお子さんにたくさんお会いしてきましたが、ひとつ、残念に思うことがあります。成人してから聞いてみると、ほとんどの方がこう言われるのです。『私は、小さい頃から、訓練、訓練、でした。ですから、子どもの頃に、おもいっきり遊んだ記憶がありません。』と。おかあさん、どうぞ、のぞみさんと、いっぱい遊んであげてください。勉強は、あとからでいいのです。」
 そのことばが、私たち夫婦の、その後の子育ての柱になったと思います。
 先生から言われたことを拡大解釈した私たちは、子どもの勉強はそっちのけで、いつも、あちこちへと、家族でおでかけばかりしていたように思います。
 おかげで、点字を覚えるのも、点字タイプを打つのも、クラスのお友達よりもずっと遅かったのですが、なにより、「毎日が楽しい」と思いながら子どもを育てることができたのは、私たち家族にとって、そして長男にとって、とても幸せなことであったと思います。
 勉強も、もちろんたいせつですが、「いつまでに、これをできるようにしなければ」と考えながら、あまり悩まなくても良いのではないか、と思います。
 長男が定期的に通っていたその研究所で、心に残ったできごとがありました。
 同じ盲ろうの、Yくんという男の子がいました。彼は、18歳で盲学校を卒業したときには、点字をマスターするまでにはいたりませんでした。研究所の教育相談も、18歳で終わるはずだったそうです。でも、そのとき、研究所のふたりの先生が、Yくんのおかあさんに、「よろしかったら、これからも研究所にかよって、点字を勉強しませんか」と提案しました。
 こうしてYくんは、高等部を卒業後も、週2回、研究所に通い続けました。そして、研究所の先生が、地道なはたらきかけを積み重ね、何年もかかって、20歳も過ぎてから、Yくんは点字が読めるようになりました。
 このことから私は、「学校に通っているあいだだけが、勉強じゃない。勉強は、一生続けることができるのだ。」ということを教えられました。
 今、長男は、「S園」という施設で生活しています。生活している部屋は、4人部屋です。毎日、午前中は、陶芸や木工などの創作活動を行い、午後は、生活訓練をしています。学校のようなところなので、体育の時間やクラブ活動もあります。まあ、寄宿学校のようなところですね。
 そういう生活を通して、洗濯や掃除など、身の回りのことがひととおり自分でできるようになったら、同じ施設内の個室に移って、生活できるようになります。
 つまり、長男は、学校は卒業しましたけど、今でも毎日、さまざまなお勉強をして、訓練を受けながら、生活しています。最近は、S園で、手話も習い始めたようで、たまに帰宅すると、日付や曜日を手話で見せてくれたりするので、びっくりしてしまいます。以前にはできなかったこと、知らなかったことが、いつのまにかできるようになっているのを目のあたりにするわけで、ほんとうに、生きている限り、勉強なんだなあ、と思います。
 ただ、子どものころも、今でも、親としていちばん大事に思っていることは、「毎日が楽しい」と、長男自身が思える、ということです。勉強を続け、それを楽しいと思えること。それが大切なんじゃないかな、と思います。今、S園で、いきいきと生活している長男を見て、この進路を選んで本当に良かった、と、毎日感謝しています。


 以上で、先生からいただいた、三つのテーマ「自立に向けて大切にすべきこと(しつけ、身辺自立、学習)」についてのお話を終わります。
 最後に、将来に向けて、というお話をしたいと思います。


(つづく)

盲学校の育児教室で話しました - 聴覚視覚障害児を育てるおかあさんへ ③

2006年11月3日 盲学校の教室で。5人のクラス。机が5つだけの、小さな教室です。奥にいるのが、長男と担任のH先生。(全盲難聴・のんたん 11歳)


自立に向けて大切にすべきこと(しつけ、身辺自立、学習)


(2) 身辺自立


 長男は全盲だったので、着替え、食事、など、人がするのを見て、自然に覚える、ということができません。おとなしくいすに座らせておく、ということもさせたことがなかったので、小学校に入ってやっていけるのか、と心配でした。
 ある、有名な発達クリニックに連れて行くと、「きちんと座っていられない子どもは、学校にはいってもやっていけない。まずは、それをしつけないといけない。」と言われました。
 でも、実際に入学してみると、先生方に恵まれ、とてもよい環境で、学校生活をおくることができました。
 そして、入学してから、気がつきました。
 たいせつなのは、「授業中は、おとなしく、いすに座っていること」なのではなく、「今、どうして、座っていなければならないのか」を、本人が理解し、「座りたい気持ちにさせる」ということだった、と。
 小さい頃の長男は、知らない場所に来ると、まず、部屋の中を歩き回り、あちこちさわりました。そうして、ここはどういう場所か、をある程度把握したら、ようやく納得して、いすにおとなしく座るのです。
 ですから、いきなりいすに座らせるのではなく、状況を理解してから、次の行動に入る、というプロセスに配慮することが、盲ろう児には必要なのだな、と思いました。
 家庭では、夜、家に帰り、寝る前に、おふろもごはんも、と、限られた時間で忙しくしていたので、そのプロセスを尊重して子どもに関わっていくことは、難しい面もあったのですが、むしろ学校の先生方のほうが、それについては、よく理解してくださり、じっくりと時間をかけて、長男といっしょにとりくんでいただいたことが多かったと思います。
 ですので、親はあまり熱心にやってなくてお恥ずかしいのですが、着替えや食事などの身辺自立は、学校で時間をかけて、きちんと教えていただいたな、と思っています。家庭はむしろ、学校でおしえていただいたことを復習する場になっていたような気がします。そういう学校生活のなかで、親も、子どもといっしょになって学ばせていただいたと思います。
 あまりいい親ではなかったかもしれませんが、目が見えない子どもの育児書というのは、そう多くないですから、あれもこれもと先走っておしえたいと思っても、できることには限りがあります。それよりも、家では、子どもといっしょに楽しく遊ぶことをいちばん大切にする、というのが、我が家のスタイルだったように思います。


(つづく)