骨折でも信州。8回めの須坂へ 17 - 田中本家博物館⑦ 陶磁器(2024年10月17日/2日め)
2024年10月17日 色絵窓絵草花文三足鉢(伊万里 江戸時代 18世紀後半)(長野県須坂市・田中本家博物館)
10月17日(水)- 2日め
田中本家博物館を見学しています。
「和食とうつわ そして輪島へ」
という特別展から、
再現土蔵の展示室を抜けると、
陶磁器のコーナーになります。
以前、見学したときとは、
展示品がかなり変わっていました。
さすが、20もの土蔵がある、田中本家。
いくらでも、新しい品がでてくるんですね。😅
このコーナーを以前見学した時の日記です。
コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 16 - 田中本家博物館 使ってこそ器(2021年3月27日/2日め)
今回見学した中の、ほんの一部ですが、
ご紹介していきます。
まず目をひいたのがこちら。すごい迫力です。
色絵人物象文鉢(九谷 江戸時代 19世紀)
象を取り囲む人々が、生き生きと描かれています。
この絵柄を見て思い出したのが、東南アジアから船で運ばれ、さらに長崎から江戸まで歩いた(歩かされた)ゾウさんの話。1729年のことでした。
このときのお話は、箱根関所資料館の日記に掲載しています。
新緑の箱根で、美味しいものを食べ歩いた3日間 2 - 箱根関所① 資料館、江戸口御門、御制札場、大番所・上番休息所(面番所と上の間)(2024年5月16日/1日め)
色絵人物象文鉢が作られたのは、
このゾウさんの大遠征から、
さらに100年ほど後の話です。
が、ゾウを取り囲む人々を見ると、
やはり日本人にとって、
ゾウはとても珍しい存在だったのでしょう。^^
さて。
今回の展示でびっくりしたのは、
それぞれの器に、料理を盛りつけた写真が
添えられていたことです。
染付松川菱膾皿(伊万里 江戸時代 19世紀前半)
料理:岩茸甘煮、大根千切り、鯛の刺身 酢味噌掛け
現在、刺身を食べる調味料は醤油が主流ですが、醤油が一般に普及したのは江戸時代後期と言われています。それまでは、塩、味噌、酢、酒などが用いられていました。
染付花山水文鉢(亀山 江戸時代 19世紀前半)
料理:数の子
江戸時代に入ると、北前船により、北海道の産物が盛んに運ばれるようになりました。数の子もそのひとつです。昆布が庶民の手に届くようになったことで、出し汁を使った料理が広まり、和食の発展に大きく貢献しました。
染付瓢牡丹唐草文大皿(伊万里 江戸時代 19世紀初期)
田中本家の賄方控帳には、刺身を食べるための調味料として、「煎酒(いりざけ)」がよく登場します。これは、古酒に鰹節と梅干を加えて煮つめ、濾したものです。当時、醤油は高級品で、一般に普及したのは江戸時代後期と言われています。
瓢箪にボタンが描かれた唐草で埋め尽くされた大皿は、こんなふうに使われたようです。^^
料理:白髪独活(うど)、九年母(柑橘類の一種)、鮃の刺身、摺山葵
牡丹文大皿(伊万里 江戸時代 19世紀)
料理:魴鮄(ほうぼう)の煮びたし
長野県には海がありませんが、田中本家の献立には、海の魚が数多く登場します。日本海で獲れた魚を、早馬で長野県まで運び、氷室を用いて保存したようです。また、調理方法や調味料を工夫することで、臭みを消したようです。
染付人物文鉢(伊万里 江戸時代 19世紀前半)
料理:たくあん、大根味噌漬、野沢菜漬
江戸時代には飢饉がたびたび起こったため、空腹を満たすための根菜類、果菜類の栽培が盛んだったそうです。野菜の中でも最も食べられていたのは大根。「諸国名産大根料理秘伝抄」などといった、大根料理だけをまとめた料理本があるほどでした。
染付窓絵山水文 扇子縁鉢(伊万里 江戸時代 19世紀前半)
料理:烏賊(いか)、独活(うど)、生姜の三杯酢
酢は、「人類が作り出した最古の調味料」とされています。4~5世紀頃、中国より、酒の醸造方法と共に、米酢の技術が伝来したのが始まりです。室町時代からは、膾の和え物、酢の物などの調理で使われるようになりました。
鉢の内側には、縁飾りのように、
絵が連なっています。
まるで扇子を広げたかのように見えるので、
「扇子縁鉢」という名がついたようです。
青磁草木文鉢(伊万里 江戸時代 17~18世紀)
料理:中華饅頭
中華饅頭は、カステラ生地であんこを包んだお菓子でした。どら焼きに似ている和風のお菓子ですが、「中華」と呼ばれているのは、このお菓子を作ったのが「ちよか」という女性だったからでした。「ちよかの作った饅頭」がなまり、「ちよかまんじゅう(中華饅頭)」になったと伝えられています。
貴重な器に料理を盛ってみる、
という趣向がおもしろくて、
楽しく見学していたのですが、
次の器の前で、はっとしました。
染付梅鶯焼き物皿(江戸時代)
料理:塩引き鮭の焼き物
塩引き鮭とは、酒に塩をすり込んだのち、塩を流水で落とし、数週間干したものです。当時、魚はハレの日に食べる食材でした。現在でも当地域では、大晦日に刺身を食べる風習があり、鮭も年越し魚として粕汁等にして食べます。
新潟で、鮭料理・塩引鮭のお店「きっかわ」を訪れたときの日記はこちらです。
コロナでも新潟。越後の秋に抱かれて歩く - 魚沼、苗場、新潟、そして村上へ(2022年10月17日-20日)
このお皿に、見覚えがあります…。
帰宅後、過去のブログを調べたら、
やはりありました。^^
2021年3月の再現食事会です。
このお皿で、焼き魚をいただいていました。
このときに盛られていたのは、
方頭魚(かながしら)の白焼でした。
染付梅鷲拾六角焼物皿(伊万里 江戸時代)
料理:方頭魚白焼、富貴田楽、叩き牛蒡
コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 13 - 田中本家博物館の江戸時代料理再現食事会②(2021年3月27日/2日め)
料理の跡が少し残っていますが…。(スミマセン)
こんな、博物館で展示されるような器で、
私たちほんとうに、
お食事をいただいたんだなあ…。😮
ありがたいような。
申し訳ないような…。😓
このあとも、すばらしい器が続きました。
色絵鉄線文皿(伊万里 江戸時代 18世紀)
染付城壁人物焼物皿(景徳鎮 明時代 17世紀)
色絵蘭人図八角皿(伊万里 江戸時代 19世紀前半)
色絵屏風文皿(伊万里 江戸時代 18世紀後半)
染付花鳥文皿 呉須手(漳洲窯 明時代 17世紀前半)
「呉須手」と言う言葉を初めて見たので、
調べてみました。
【呉須手(ごすで)】
中国明時代の民窯製の焼き物です。中国では、下手の焼き物としてほとんど評価されないのに、日本では雅味があるとして、とても人気があります。日本料理とも相性がよく、現代の器造りにも参考にされることが多い焼き物です。
現代の呉須手の器です。石川県加賀市・曽宇窯の作品です。(曽宇窯・器歳時記から画像をお借りしました)
呉須手双鹿文輪花七寸皿
たくさんの、呉須手のうつわたち。(曽宇窯のサイトから、画像をお借りしました)
次回は、漆器を見学します。
(つづく)