骨折でも信州。8回めの須坂へ 16 - 田中本家博物館⑥ 特別展「和食とうつわ 2」(2024年10月17日/2日め)
2024年10月17日 田中本家で。江戸時代から続く貴重な絵皿に、小鯛の塩焼きを盛って展示するのは、田中本家博物館だけだと思います。^^(長野県須坂市)
10月17日(水)- 2日め
田中本家博物館で、
「和食とうつわ そして輪島へ」
という特別展を見学しています。
次のコーナーは、「御家老 正月料理」。
1849年(嘉永2年)、須坂藩の御家老を招いた新年のお祝い料理を、器と写真で紹介しています。
このときは、冬に脂がのって美味しい「𩺊(あら)」や「鮟鱇(あんこう)」など、旬の魚でもてなしています。
鯛の刺身、戻し海苔、摺山葵、鮃切身、雪菜、相良麩、ほうぼう白焼、巻鶏卵、慈姑(くわい)照煮、鯛煮びたし、針生姜、𩺊、ほうれん草、割干し大根、胡瓜粕漬、たくあん、味噌汁(鮟鱇)
濃醤吸物(𩺊、粉山椒)、短冊独活(うど)、𩺊、岩茸
お気づきでしょうか。
江戸時代の長野県なのに、
海産物が、とても多いのです。
田中本家に伝わる宴席料理は、
山国であるにも関わらず、
海産物が多く登場することが特徴です。
おもてなし料理であっただけに、
貴重な海産物を、
惜しみなく使用したのだと思われます。
賓客も、さぞかし喜んだことでしょう。
この日の再現食事会では、私たちも、
「𩺊」や「鮟鱇」をいただきました。^^
紅葉内模様の京漆器に入っていたのは、鮟鱇(あんこう)、孟宗竹、口山椒、生麩の入ったお吸い物でした。
このときの日記です。
骨折でも信州。8回めの須坂へ 13 - 田中本家博物館③ 江戸時代料理 再現食事会(盃、徳利、壺、吸物、刺身、焼物)(2024年10月17日/2日め)
「𩺊(あら)」はスズキのことだそうです。お刺身を、色絵松竹梅鶴亀膾皿(伊万里焼)でいただきました。
次のコーナーのテーマは、
「殿さまのうつわ」です。
【殿様用御膳部】
田中本家のうつわの中でも、須坂藩の殿様専用の陶磁器は、「殿様用御膳部」という共箱に納められていました。意外にも、華やかな器はなく、白地と染付の器ばかりです。当時、大名をはじめとする武家では、華美な器を用いず、簡素な色使いを良しとしていたようで、これは、須坂藩に限ったことではありませんでした。「武家は清廉であるべき」という思想や質素倹約令が、武士に浸透していたことがうかがわれます。
ここでは、1847年(弘化4年)、須坂藩12代当主 の堀直武をもてなした宴席料理の一部を、器と写真で紹介しています。殿さまが田中本家で食事するのはかなり珍しく、光栄なことでした。食材が豪華なのはもちろんのこと、陶磁器、漆器は御殿様専用でした。「懸盤(かけばん)」と呼ばれる御膳は、輪島へ注文した特別誂え品でした。
鯛塩焼、松茸、鯛切身、岩茸、海素麺、白瓜粕漬、栗ごはん、味噌汁(栄螺、百合、木耳)
鯉の洗い、白髪大根、鰻の蒲焼、御酒
たしかに、派手な器はありませんが、
それぞれのうつわや、
漆器の美しさには目をみはります。
いかにも武家らしく、質素に見えますが、
実はたいへん高価な器でした。^^
手前に置いてあるのは、「萬賄方控帳」です。
館内にさりげなく展示してあった、蒔絵菊文銘々皿と朱塗網文手塩皿。共に江戸時代のものです。
江戸時代の漆器を、
ここまで美しく保存し続けていることに、
いつも感動します…。
次のコーナーです。
田中本家では、敷地内に、
20棟もの土蔵があるのですが、
その土蔵の中を再現してあります。
博物館に展示されているのはごく一部。数々のおたからは、こんなふうにして保管されているようです。
土蔵のコーナーについては、以前の日記にも書きましたので、割愛します。お時間のある方は、こちらをご参照ください。
コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 15 - 田中本家博物館 収納の作法(2021年3月27日/2日め)
田中本家で使われていた、「金庫箪笥」。江戸時代のものです。今回初めて見ました。
金庫箪笥は、あちこちに金具があり、
かなり堅牢な造りです。
北前船で使われていた「船箪笥」を
さらに大きくしたような印象でした。
歌川国芳の「春廼海」。(1855年/安政2年)
さりげなく展示してあるものが、
いちいちすごくて、
ついつい見入ってしまいます。😅
お軸と香合です。
鹿・賛共
須坂藩主 九代 堀 直皓/1755年(宝暦5年)~1814年(文化11年)
須坂藩主 十代 堀 直興/1793年(寛政5年)~1821年(文政4年)
父(九代藩主)が描いて、息子(十代藩主)が書を加えた、ということでしょうか。
かぼちゃ?の香合。周りにいるのはネズミでしょうか。
次回は、器のコーナーです。
博物館にはもう何度も訪れているのですが、
今回は、展示のかなりの部分が
入れ替わっていました。
そのうえ、器のコーナーは、
とてもおもしろい趣向になっていました。
伊万里 色絵窓絵草花文三足鉢(江戸時代・18世紀後半)
つづきは次回に。
(つづく)