MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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新緑の箱根で、美味しいものを食べ歩いた3日間 2 - 箱根関所① 資料館、江戸口御門、御制札場、大番所・上番休息所(面番所と上の間)(2024年5月16日/1日め)

2024年5月16日 箱根関所・江戸口御門で。(神奈川県足柄下郡箱根町)


5月16日(木)- 1日め


そんなこんなで、午後1時半に、
箱根関所に到着しました。


まずは、箱根関所資料館に入り、さくっとお勉強。

箱根関所の全体図です。資料館は、復元された関所の手前にあります。

資料館の入口で、入場券を購入しました。箱根関所と資料館の共通券になっており、ひとり500円です。

入場券といっしょに、でっかい通行手形をいただきました。😄 手形の内側には、地図や説明資料が印刷されています。


資料館の中には、箱根関所に関する、
たくさんの資料が展示してあるのですが、
中でも心に残ったのは、
江戸時代に箱根関を越えた、
ゾウさんの話でした。


【箱根関を越えた象】
1728年(享保13年)、中国の商人から将軍へ献上した象が、船で長崎に着きました。9か月後の1729年3月、象は、付き添いの役人、象使い(ベトナム人)、通訳ら20人とともに江戸に向かって出発します。途中、京の都で中御門天皇に拝謁し、従四位に叙せられました。道中では、各地の大名も象を見にやってきたそうです。さらに象の旅は続きましたが、1729年5月、三島から箱根峠を越え、箱根宿に来たところで、疲れて動けなくなってしまいました。
大切な象が病気とあって、役人は大いにあわて、「象の体調が悪い」という知らせを江戸に送り、象には、好物のまんじゅうやミカンを与えて看病しました。そのかいあって、やがて象は元気になり、関所の門をくぐり、再び、江戸に向かって歩きだしました。
73日間をかけて、長崎から江戸まで、1416キロを歩きとおした象は、5月25日、無事将軍に謁見。江戸の町民にも公開され、人気者になりました。


たいへんな難行苦行で、ゾウさんには迷惑な話でした…。


資料館を後にして、少し歩くと、
復元された箱根関所が見えてきました。


箱根関所・江戸口御門です。江戸を出発した人は、こちら側の御門から入りました。


【箱根関所(箱根関)】
かつて、東海道の箱根にあった関所です。1619年(元和5年)から1869年(明治2年)まで、江戸幕府によって、相模国足柄下郡箱根の芦ノ湖湖畔に設置されていました。1869年(明治2年)、明治政府が諸国の関所を全廃した時、箱根関も廃止されましたが、1922年(大正11年)に国の史跡とされました。その後、1965年(昭和40年)に、箱根町立箱根関所資料館が開設されました。
2000年になってから、発掘調査が行われ、箱根関所の遺構が確認されたことにより、2004年(平成16年)に、箱根関所の大番所や上番休息所などが復元され、一般に公開されるようになりました。その後、石垣等の大規模な復元工事が行われ、2007年(平成19年)より、全面公開が始まりました。

箱根関所は、当時の匠の技や道具を使って復元されており、およそ150年の時を経て、再び芦ノ湖畔にその姿を現しました。その佇まいは堂々としており、まるで江戸時代に迷いこんだかのようです。


江戸口御門です。関所の反対側には、京口御門があります。


【江戸口御門】
高麗門という形式の門で、その高さは6.1m。大番所・上番休息所をしのいでいます。屋根や外観は「栩葺(とちぶき)」、「渋墨(しぶすみ)塗り」です。江戸方面から来た場合には、この門から箱根関所の構内に入りました。旅人は、この門の前で身支度を整え、関所の中へと入りました。


御門をくぐると、そこはもう江戸時代の世界。

関所の内側から見た、江戸口御門です。

関所内に入ると、左右に建物が見えます。右側が大番所・上番休息所、そして左側が足軽番所です。

手前に、小さな屋根のついた掲示板のような施設があります。これは「御制札場」と言うところで、箱根関所の役割が記載された高札が掲げられています。

高札には、1711年(正徳元年)に幕府道中奉行が箱根関所に出した、五項目の取り調べ内容が記載されています。

続いて、右側にある、大番所・上番休息所へ。

夫、早く入りたくてソワソワ。MIYOをほったらかして、あっという間に、ひとりで中に入ってしまいました。😔


【大番所・上番休息所】
関所の一番主要な建物です。二棟が継がれている建物で、街道側が大番所、湖側が上番休息所と呼ばれています。共に栩葺(とちぶき)と言われるうすく割いた杉板を重ねた屋根を持ち、また外観は、渋墨で塗られた黒い建物です。


垂れ幕の内側には、面番所と上の間が並んでいます。まずは面番所から見て行きます。

面番所です。


【面番所】
大番所・上番休息所の建物の中で、面番所(めんばんしょ)と呼ばれていた部屋です。関所役人や定番人(じょうばんにん)が詰めており、部屋の前の縁側では、「出女」の取調べが行われていました。面番所の内部には、関所役人用に、机を始め硯箱、煙草盆、火鉢などが置かれており、奥の壁際には様々な記録を収めた木箱がありました。また、鴨居には槍や刀が掛けられていました。


部屋の前の縁側では、人見女(ひとみおんな)が「出女(江戸から出ていく女性)」の取り調べを行いました。


【人見女】
関所の周辺に住み、小田原藩から小禄が与えられていました。関所唯一の女性役人で、「出女」の改めを専門に行いました。


面番所の隣りには、上の間があります。


【上の間】
上の間は、箱根関所の中でも最も格が高い部屋でした。通常は、番頭、横目付が座り、大名や家老などの接待の間としても使われました。また、鉄砲や弓も置かれ、旅人を威嚇していました。


次回は、この建物の芦ノ湖川を歩きます。


(つづく)

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