MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 9 - 台風なら博物館② 沖縄県立博物館 常設展示室(アサギマダラと進貢船)(2022年8月31日/6日め)

2022年8月31日 1697年に鋳造された、旧円覚寺楼鐘です。重さ1.9トンで、現存する、沖縄最大の鐘です。(沖縄県那覇市 沖縄県立博物館)


8月31日(水)


特別展の見学を終え、
次は、1階の常設展示室に行きました。


展示「室」というと小規模のイメージがありますが、実際はとても広いです。

展示室の中心部は、7つのエリアに分かれています。「時間のない人は、これだけは見ましょう。」ということのようです。

そして各エリアの外側には小部屋があり、そのエリア(カテゴリー)に関するさらに詳しい展示があります。もっと知りたいと思ったエリアだけを選んで、時間をかけて詳細に見学することができるような構成になっています。


…とはいえ、
私たちの場合は、どのエリアも全部、
くまなく見学してしまうんですけどね。😅


中心部の7つのエリアは、
以下のカテゴリーで分かれていました。


 1.海で結ばれた人々/シマの自然とくらし
 2.貝塚のムラから琉球王国へ(自然史部門)
 3.王国の繁栄(考古部門)
 4.薩摩の琉球支配と王国(美術工芸部門)
 5.王国の滅亡
 6.沖縄の近代(歴史部門)
 7.戦後の沖縄(民族部門)


それでは、順番に見ていきたいと思います。^^


1.海で結ばれた人々/シマの自然とくらし


*ここには、1万8千年前の日本人のルーツと目される「港川人」の展示があるはずなのですが、このときは特別展に移動していたようです。なので、一部、特別展の写真を掲載します。


右端が、「港川人」の頭蓋骨を複顔したものだそうです。

*奥の小部屋には、沖縄の動植物に関する膨大な展示がありましたが、ご紹介しきれないので、ぜひ、現地でご覧ください。^^


リアルに再現されている、海浜植物。真ん中に、アダンの実がありますね。^^

こんなふうに、照らし合わせながら見ることができます。

島が生んだ飛べない鳥、ヤンバルクイナ。

オリイオオコウモリ。琉球列島に広く分布するクビワオオコウモリの一亜種です。

アマミノクロウサギ。

アサギマダラ。香港・台湾から朝鮮半島や日本にかけて分布しています。


【旅するアサギマダラ】
沖縄では、夏に姿を消したアサギマダラが、秋に姿を見せるときにはぼろぼろになっているそうです。このことから、沖縄の長嶺邦雄さんが、「遠くへ移動しているのではないか」と推測しました。そこで、1980年代から、全国規模で「アサギマダラ標識再捕獲調査」を行った結果、春には台湾などから琉球列島を経由して本州へと北上し、秋には同じルートで島伝いに南下していることが明らかになりました。全国に散らばるボランティアの個人的な調査結果が、ネットワークで結びつけられ、大規模な移動生態の解明につながった、すばらしい事例です。


これは、福島県裏磐梯で見つけたアサギマダラです。このあとボロボロになりながら、沖縄まで飛ぶんですね…。^^(2020年8月13日 福島県耶麻郡北塩原村)

アサギマダラを見つけたのは、家族でトレッキングをしているときでした。長男は夫の肩に手をおいて、元気に登りました。愛おしい、夏の思い出です。^^

全盲難聴・のんたんの夏休み 9 - グランデコでトレッキング(2020年8月13日/6日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


2.貝塚のムラから琉球王国へ(自然史部門)


グスク時代になり、それぞれの地域に有力者が登場するようになると、防御などを目的とした、さまざまなグスクがつくられていきます。また、有力者たちは中国への朝貢を通して文化の移入や交易に努め、富が築かれていきました。各地の勢力は、やがて北山、中山、南山の3つに収斂し、激しい抗争を繰り広げます。これらの3つの勢力は、15世紀はじめまでに尚巴志によって統一され、琉球王国が築かれました。ここからおよそ500年の長きにわたり、首里を拠点とする王国の歴史が始まります。


発掘された陶器が並んでいるエリアです。(画像をお借りしました)

浦添ようどれ1号石厨子。厨子の中に、英祖王の遺骨を洗骨して入れました。


【浦添ようどれ】
浦添ようどれは、英祖王統や尚寧王一族などの墓で、浦添城跡の北側に造られています。「ようどれ」は、「夕凪」がなまった言葉で、墓や極楽を意味すると言われています。墓室内には、洗骨した遺骨を入れる厨子があり、人骨とそれを包んでいた織物が見つかっています。


美しいレリーフが、くっきりと残っています。


3.王国の繁栄(考古部門)


琉球王国の時代に、中国との冊封・朝貢貿易を確立し、中国・日本・東南アジアをつなぐ中継貿易を行いました。東アジアの大海原の架け橋として船を操り、国際色豊かな産物が国中にあふれる様子が、旧首里城正殿鐘の銘文に謳われています。東アジア有数の貿易国家として繁栄したことにより、琉球王国では、より強固な国家体制が築かれました。


15~16世紀の海上交易図です。那覇は、中国・日本・東南アジアをつなぐ交易の拠点となって栄えました。

進貢船です。(縮尺10分の1で復元)


【進貢船】
中国皇帝への使者や貢ぎ物を載せた船のことです。およそ2年に一度の頻度で、那覇の港と中国・泉州や福建との間を行き来しました。大きさは一般に、長さ30m、幅8m、帆柱の高さ30mくらいだったようです。


左:船尾 右:船首


【進貢と進貢貿易】
進貢とは、中国皇帝に臣下として入朝し、貢納品を納めることです。琉球から中国に運んだ貢納品には、琉球特産の馬・硫黄のほかに、日本や東南アジアの品も含まれました。それに対して、皇帝からは何倍もの恩賜の品をもらうことができました。その貢納品を皇帝へ届ける役目を担ったのが、進貢使です。一度の進貢で、約200人の進貢使が進貢船に乗り、東シナ海を越えて福建に入港しました。そこから北京までは陸路で、往復6000キロに及ぶ旅でした。


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 8 - 台風なら博物館① 「沖縄、復帰後。展」(2022年8月31日/6日め)

2022年8月31日 沖縄県立博物館・美術館で。「沖縄、復帰後。展」を開催中でした。(沖縄県那覇市)


8月31日(水)


目的地であった、
沖縄県立博物館・美術館に到着しました。


【沖縄県立博物館・美術館】
沖縄県那覇市おもろまちにある県立文化施設で、博物館と美術館の両方を擁しています。愛称は「OkiMu(おきみゅー)」。本土復帰30周年記念事業として、2007年に開館しました。


外観は、琉球石灰岩や海砂を使用しており、沖縄のグスク(城)とその外壁の石垣をイメージした造りになっています。外観のモチーフとなったのは座喜味城跡。この博物館は、2008年にグッドデザイン賞を受賞しました。

これがその座喜味城です。そう言えば似ている(ような気がする)。笑(2022年3月9日 沖縄県中頭郡読谷村)


【座喜味城】
戦乱の世だった「三山時代」に活躍し、琉球王国統一後の国の安定に尽力した名将護佐丸(ごさまる)によって築かれた城(グスク)です。国王に対抗する勢力を監視する目的でつくられ、1420年頃に完成しています。規模は小さいですが、城壁や城門の石積みの精巧さや美しさは沖縄の城の中で随一と言われ、当時の石造建築技術の高さを示す貴重な史跡となっています。

戦時中、日本軍が高射砲陣地を構築していたため、十・十空襲と沖縄戦で壊滅的な被害をうけ、瓦礫の丘陵地となりました。戦後は、米軍基地ボーローポイント内のナイキミサイル通信基地となっていました。1972年の沖縄返還を機に城跡返還の機運が高まり、1974年、米軍から返還されました。その後、調査と復旧が進められ、かつて通信基地に駐屯していた退役軍人も驚嘆するほどの、美しいグスクとしてよみがえりました。2000年、世界遺産に登録されました。


エントランスは二重に造られています。正方形が並ぶ壁面のデザインは、城の石積みを表現しているのだと思われます。(この頃から、風が少しずつ強くなってきました。MIYOも髪を押さえています。)

座喜味城の城門です。沖縄に現存する最古のアーチ門です。(2022年3月9日)

博物館にエントランスがふたつあるのは、たぶんこの、ふたつの城門がある場所をイメージしていたのでしょう。^^

そして、いかにも南国らしい石積み。これが、博物館壁面のデザインに使われました。


座喜味城は、2度目の沖縄で訪ねました。
が、まだブログに掲載できていません。
旅行に行きすぎで、
日記を書くのが追いつかないのです。😅
書きたいなあ…。
早く書かないと、
どんどん忘れてしまいます。😅😅


博物館に話を戻します。ふたつめのエントランスと本館との間は、屋外展示場になっていて、赤瓦の古民家が再現されています(入場無料)。ここは後で見学することにして、まずは本館に入りました。

沖縄県立博物館・美術館の内部です。天井の明かりとりから床まで、美しい柱が林立しています。写真中央の1階部分が、博物館の常設展示室です。

そして2階では、復帰50年の特別展として、「沖縄、復帰後。展」が開催されていました。

特別展の入場料は、ひとり1000円。ペイペイで支払えました。(これ以外に、常設展でも別途入場料がかかります。けっこう高い。😅)


展示は、以下の6つのカテゴリーに分けられ、
様々な側面から沖縄を知ることができます。


1.復帰の日 ―葛藤をかかえて―(1972年)
2.新生沖縄県の誕生(復帰後の沖縄)
3.沖縄ブーム、到来。(観光立県としての歩み)
4.変化・変容と沖縄 (各分野から迫る、沖縄像)
5.不変・継承・課題(独自の文化と米軍基地)
6.希(こいねが)う、未来。


すべてを掲載しきれないので、
心に残った写真の一部をご紹介します。


最後の復帰関連事業は、交通方法の変更でした。アメリカ式に「車は右」だったものが、「車は左」に変更されました。当時の標識です。(1972年)

復帰を記念して行われた、沖縄海洋博のユニフォーム。(1975年)

沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の開業。(2003年)

1951年に強制接収された、牧港住宅地区です。広大なエリアが米軍の住宅地となっていましたが、1987年5月に全面返還されました。その後この地区は、那覇の新都心として再開発されました。現在は、大型ショッピングセンターや総合運動公園などが設置されており、沖縄県立博物館も、このエリアにあります。

沖縄では、アイスキャンディーのことを「アイスケーキ」と呼んでいました。昭和30年ごろには、その工場が各地に造られました。原液を型に注ぎ、割り箸をさして凍らせる、という簡単な製造方法でしたが、子どもたちに大人気でした。自転車の後ろの箱に100本~200本を入れ、何人もの売り子が、朝早くから街で売り歩きました。1本1セントでしたが、飛ぶように売れて、製造が追いつかなかったそうです。

こんな器具で、アイスキャンディーを作っていました

円覚寺鬼瓦。円覚寺は、尚真王が1942年から数年をかけて建立した、王家の菩提寺です。屋根に取り付けられていた鬼瓦は、戦時中に破壊されてしまいましたが、戦後、1946年に収集されました。

黒漆雲龍螺鈿東道盆(くろうるしうんりゅうらでんとぅんだーぶん)
琉球王国時代に貝摺(かいすり)奉行所で製作された東道盆を原資料として、復元されました。螺鈿技法は、琉球漆器を代表する技法のひとつですが、復元にあたっては、沖縄県立芸術大学漆芸コースの卒業生も参加しました。

木綿花色地霞枝垂桜文様紅型袷衣装(もめんはないろじかすみしだれざくらもんようびんがたあわせいしょう)
王子按司階級の身分が高い女性が見に着けた、冬の衣装です。綿臙脂(めんえんじ)から抽出した染液による染色です。

綿臙脂による染色は長く行われてこなかったのですが、試作を繰り返し、美しい花色の復元に成功したそうです。紅型って、きっぱりとした柄に独特の味わいがあり、魅かれます。

実は、実は、結婚式のお色直しは、紅型でした。😂(1985年1月)


ん~。時代を感じますね。
これは、写真館で前撮りしたときに、
手持ちのカメラで撮ったものです。
当時25歳。
沖縄のことなんてなにも知らなかったのに、
なぜか、婚礼衣装屋さんで、
紅型のお振袖を選んでいました。
今思うと、
なにかご縁があったのかもしれません。^^


「この島にしかない文化に出逢う」…。いい言葉です。遠く離れた地で、今まで知らなかった文化に出会えること。それが、沖縄にも北海道にも魅かれる理由のひとつであると思います。

会場入り口に設置されていた不思議なドーム。中に入ると、360°画面で海外の映像が見えるのだそうです。夫は興味津々で、中に入ってしまいました。メキシコの映像を見たそうです。

夫がドームに入っている間、MIYOは、「沖縄復帰検定」というNHKのビデオを見ていました。そのビデオに登場する、沖縄放送局マスコットキャラクターのさぁたぁちゃんがかわいいのです。サーターアンダギーがモチーフなのですが、なんと、頭が割れてます!笑

そう言われてみれば、たしかに、サーターアンダギーは揚げるときに破裂しているものが多いです。笑(この写真は帰りの機内で撮りました。)


ここで夫が戻ってきました。
頭の割れたさぁたぁちゃんの
全身映像が見たくて、結局、番組を
最後まで見てしまった私たちです。
(↑ヒマだな。笑)


番組のエンディングで登場した、さぁたぁちゃん。やっぱり頭が割れてます。笑


台風なら博物館。
次回は本展を見学します。


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 7 - インフィニティプールとパーントゥ(2022年8月31日/6日め)

2022年8月28日 「東洋一の美しさ」と言われる、宮古島・与那覇前浜ビーチです。(沖縄県宮古島市)


8月31日(水)


ホテル13階の、
グリルレストラン マーサン
で、朝ごはんをいただいたあとは、
レストランの隣りにあるテラスで、
少し休憩しました。


手に持っているのは、テイクアウトのコーヒーです。最近は、コーヒーを自由にテイクアウトできるホテルが増えましたね。^^

目の前には、こんな景色が広がっています。ゆいレールがすぐ近くを走っています。右端に少しだけ見えているのが、ホテルご自慢のインフィニティプールです。

あっ ゆいレールが通りました!^^ 「おもしろいラッピングのを撮りたい。」と夫がしばらく粘って撮った一枚です。笑

そしてこちらが、インフィニティプールです。

プールの縁がありません。笑

プールの向こうのテラスで、ゆいレールの写真を撮っている夫が写っています。

…と思ったら、MIYOが撮られていました。🤣

昨日遊んでいた人たちはチェックアウトしたのか、今朝は誰もいません。

直角に突き出した天空のプールと、その向こうに広がる那覇の街並み。

初めて見る、インフィニティプールです。


【インフィニティプール】
水盤や外縁を水で覆い、外縁が存在しないかのように見せかけたプールのことを言います。異国情緒あふれるリゾートや高級ホテル等の贅沢感のある施設で、集客目的で作られます。「インフィニティ」は「無限」を意味し、どこまでも限りないさまを現した表現です。プールの外縁部は堰としての構造を有しており、水面から1.6から6.4mm程低くなっています。その外側に排水溝を設け、あふれた水を回収する構造となっています。その結果、
外縁が海や空と混じり合い、境目がわからなくなるように見えます。
インフィニティプールは、とても高価で大規模な構造を必要とします。そのため、しばしば危険な場所に設けられ、構造工学の頂点として賛美されます。近年は、日本でも少しずつ取り入れられるようになってきました。プールのほか、露天風呂に応用したケースもあり「インフィニティ風呂」などと呼称されます。


これは、星野リゾート 界 ポロトの「インフィニティ風呂」。どこまでが温泉で、どこからが湖か、すぐにはわからない状態。😮 人生で最高の露天風呂でした。(2022年6月20日)

コロナでもポロト湖。星野リゾート 界 ポロト スイートを無料で楽しむ 11 - 至福の温泉ざんまい(2022年6月20日-21日/4日め-5日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


うーん。オサレなインフィニティプールの横に立つ夫を見て、なぜかパーントゥを思い出しました。😅

宮古島の神様、パーントゥ。宮古の方言で、「鬼や妖怪」という意味です。年に一回、屈強な3人の若者が、全身に泥を塗りたくって、集落を練り歩きます。この泥は神聖とされる泉「ンマリガー」の泥なのですが、とてつもなく臭いのだそうです。身体に泥をなすりつけられたら厄払いができるそうで、子どもは怖がって大泣き、大人は喜んで泥をつけてもらうのだとか。MIYOは遠慮したいですが…。(画像をお借りしました)

こっちのパーントゥはかわいいんですけどね…。😄(2018年に、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。)

テラスでゴキゲンのパーントゥ。🤣


私たちが宮古島に行ったときは、
たまたま、そのパーントゥの日でした。
でも、幸か不幸か、
今年のパーントゥはコロナで中止に。
パーントゥの泥はシャワーで落ちますが、
強烈な臭いは数日残るそうです。
いや~、泥から逃れられて、
(MIYOは)助かりました。笑


そしてこのインフィニティプール。
のどかに見えますが、
台風が近づいているので、風があるし、
天気予報によると、雨も降りそうです。
強風であおられると危険なので、
この日の午後から、利用中止となりました。
最後に見ることができてよかったです。^^


台風はこれからひどくなっていくはずなので、
おでかけはやめて、
ホテルでまったり過ごしてもいいのですが…。


み「今日は、これからどうするの?」
ま「博物館に行こうと思って。
  それなら、雨が降っても平気でしょ。😄


あ…、そうなんだ…。
台風なら博物館ですか…。😭😭


本当は、こんな素敵なホテルで、
一日中のんびりと過ごしたいところなのです。
なので、
「台風だからどこにもでかけないで、
 オサレなホテルに缶詰めになる」
というのは、実は少し楽しみでした。🤣🤣
でも、夫はちゃんと、代案を用意してました。😔


…ということで、ホテルを出発。
「博物館まで、ほんの30分くらい歩く」
というのが、夫の計画です。とほほ。


こんな住宅街を、延々と歩きました。沖縄は案外、坂が多いです。泣 つきあたりに鳥居が見えます。

安里八幡宮です。なんと、隣りは保育園。小さい子どもたちがわらわらと遊んでいました。保育士さんにおんぶされた園児も。笑

夫はこういうところでいちいち寄り道するので、なかなか先に進めません。😂


【安里八幡宮】
琉球八社の一つです。天順年間(1457年 - 1464年)、第6代琉球国王尚徳王が建てたとされています。1944年(昭和19年)10月に沖縄戦で被災全焼し、戦後に再建されたのが現在の社殿です。神社が位置する高地は、沖縄戦の激戦である「シュガーローフの戦い」の戦場でした。


歩き続けて、ようやく向こうの方に、博物館らしきものが見えてきました。琉球王朝の城壁みたいな外観です。

でもその手前にローソンを発見。ローソンでチェックインすると楽天ポイントがもらえるので、今度はMIYOが寄り道。なにかと寄り道の多い夫婦です。🤣🤣


なんだかんだで時間がかかりましたが、
どうにか、博物館までやってきました。


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 6 - 「ヒューイットリゾート那覇」で朝ごはん(2022年8月31日/6日め)

2022年8月31日 ヒューイットリゾート那覇・グリルレストラン マーサンで。ごちそうが多すぎて、テンションあがりっぱなしです。笑(沖縄県那覇市)


8月31日(水)


沖縄本島に着いて2日めの日記です。
旅の6日目になります。


まずは、朝食ビュッフェから始まりました。
通常は、ホテル1階にある、
ブッフェレストラン ティーダ
で、朝食をいただくのですが、
8月限定で、混雑緩和のために、
13階のグリルレストラン マーサン
でも、朝食をいただけるとのこと。


13階の方が、お料理の数は少ないそうですが、
「今日までしか13階では食べられないから、
 13階に行ってみようよ。
 きっと見晴らしがいいよ。」
と夫。
私も同じ意見でした。^^


ちなみに、ティーダとは「太陽」、
そして、マーサンは「おいしい」
という意味です。
さすがに、昨年12月から4回も沖縄に来たので、
これくらいの琉球語は
わかるようになってきました。笑


ついでに言うと、アイヌ語で「おいしい」は、
ヒンナヒンナ と言います。
我が家では、こういう琉球語やアイヌ語が、
日常会話になっています。🤣


13階のグリルレストラン「マーサン」です。

窓の外には、那覇市の街並みが広がっています。

さて、お料理です。1階に比べて規模が小さいと聞きましたが、それでもずらりと並んでいました。

照り焼きチキン、紅芋のフライ、ローストポーク、ポークランチョンミート、ハッシュドポテト、白身魚のフライ、コンビーフハッシュ、そしてサラダコーナーにはポテトサラダとマカロニサラダ。ドレッシングは6種類。

つづいて、温かいお鍋の料理が並びます。味付三枚肉、焼きそば、豆腐ハンバーグ、肉団子の黒酢ダレ、人参シリシリ、スクランブルエッグ、回鍋肉、ゴーヤチャンプルー、ソーセージグリル、ベーコングリル、もつの煮込み。

そしてここからがさらにうれしい。^^ たくさんのお惣菜の数々。ゴロゴロ蓮根の甘辛和え、いんげんと人参の焙煎胡麻和え、小松菜のナムル、大根イリチー、きのこと小松菜のナムル、こんにゃくと昆布の和え物、コールスローサラダ、筍揚げ、いんげんとナスの煮もの、オクラのおかか和え。

さらにその左には、ジーマーミ豆腐、海ぶどう、筑前煮、もずく酢、ミミガーぽん酢和え、クープイリチー、ひじきの煮もの。

まだ続きます。海老とタコのマリネ、海老のマヨネーズ和え、白身魚のエスカベッシュ、スイートコーン、蓮根の酢漬け、彩り野菜の白和え、ハムと鴨のスライス、季節のテリーヌ、卵焼き、本日の焼魚。ふう…。

パスタがある…と思ったら、沖縄そばでした。好きなだけとって、おつゆをかけていただきます。そしてお味噌汁だ…と思ったら、アーサー汁でした。笑 〆は、ヒューイットオリジナル黒カレーで、ということのようです。MIYOがとても気に入って毎日いただいたのは、中国式の白粥。鶏肉、らっきょう、油条などのトッピングが楽しい。さらに、ゴーヤチャンプルーふりかけがいいお味でした。^^

まだあるんです。ハンバーガーですよ! ここには2種類のバーガーが置いてありましたが、翌日に行った1階の広いビュッフェ会場では、もっとすごい規模で並んでいました。

パンコーナーです。

おしゃれなトースターだな、と思って見たら、アラジンのでした。

最後はデザート。サーターアンダギー、フルーツポンチ、フルーツ盛り合わせ。

パンプキンスープ、コーンスープ、牛乳プリン、マンゴープリン、ヨーグルト、プチケーキ。

シリアルとドリンクもぬかりなく…。^^

見てください。このはりきった顔。このために生きてますからね。🤣🤣 

とりあえず、一回目のお皿。ごはんはほんの少しで、おかずをいっぱいいただきます。^^

もちろん完食。笑

夫はなんだか遠慮気味。笑

これはMIYOの3皿め。なんでもひと口ずつ食べてみないと気が済まないようです。(←アホ)


くりかえしますが…。
こんなに充実の朝食ビュッフェがついて、
ひとり一泊5000円だったんですよ…。
ほんと、お値打ちのホテルでした。^^


そして、この日ちょっと驚いたことを。
このホテルの客層はかなり若いようで、
(たぶん)私たちは最年長。笑
宿泊客の9割は、20代から30代くらい。


その若者たちがですね。
ま~、きれいに食べること。
食べ残しがないんです。


どのテーブルでも、こんな感じでした…。


昔はよく見かけた、
他の人の分までお皿に大盛りで取って、
テーブルの真ん中に置く人。
取りまくったあげく、大量に残していく人。


ああいうのって、みっともないな、
って思うのですが、
このホテルで、そういう人を見かけることが
ありませんでした。


みなさん、普通に食べたいものを取って、
普通に全部たいらげて、普通に出て行くのです。
とってもスマート。


MIYOはと言えば、毎度のことですが、
テンション上がりっぱなしで、
ついつい取りまくってしまい、
「苦しい~」と言いながら、
それでも必ず、全部食べきります。笑


取ったものは残さず食べる、
という結果は同じなんですけど、
あまりスマートではないですね。🤣


考えてみたら、生クリームのケーキなんて、
MIYOの小さいころにはありませんでした。
田舎育ちなものですから、
フレンチ、イタリアン、エスニックとか、
オシャレな料理は、
30代を過ぎてから食べ始めたような…。


今の若い人たちって、ビュッフェに動じない。
日常の中に、ごちそうがあたりまえにあって、
豊かに育った世代って、こういうことなんだな。
すごいな…。


と、ヘンなところで感心したのでした。😅


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 5 - 「花琉球」の晩ごはんと沖縄ぜんざい(2022年8月30日/5日め)

2022年8月27日 アダンの実です。宮古島では、街路樹にアダンが植えられていて、普通に実がなっていました。そういえば、石垣島でも見かけました。居酒屋さんなどでは、アダンの料理が普通にでてきます。天ぷらにするとおいしいのですが、あまりにありふれているせいでしょうか。道端でなっていても、誰もとらないみたいです。笑(沖縄県宮古島市)


8月30日(火)


花琉球は、
島唄と沖縄料理のお店です。


米子焼き風のシーサーがかわいらしいです。^^

入口を入ると…、

泡盛の大きな瓶が、たくさん並んでいました。

まずは、オリオンビールとシークワーサーチューハイで乾杯。お通しは、沖縄県産もずく酢でした。ラフテー(680円)、おいしいです。^^

夫の大好物、島豆腐の厚揚げ(480円)。

黒毛和牛の炙り握りは、タイムサービスで、なんと1個200円。^^

地魚入り刺身3点盛り(1280円)。

島豆腐のヘルシーサラダ(680円)。すごいボリュームでしたが、お豆腐がおいしくて、いくらでも食べられます。このお店では、糸満の宇那志豆腐店のお豆腐を使用しているそうです。

宇那志豆腐店です。(画像をお借りしました)


【宇那志豆腐店】
創業37年、沖縄県糸満市にある、島豆腐のお店です。大豆の旨味を引き出す塩加減と直火にかけた地釜の香り、食べ応えのある食感は、繊細な味を生み出し、島豆腐の概念を覆すおいしさであると評判になっています。


沖縄の定番おやつ、ヒラヤーチー(480円)。沖縄風のチヂミですが、パリッとしていて、おやつ感覚で食べられます。

ライブ演奏が始まりました。

歌っているのは、與座(よざ)幸賢さんと妹さん。「安寿と厨子王」みたいですね。^^

あ、「安寿と厨子王」は、姉と弟のお話でした。😅

與座幸賢さんは、与座ファミリーの店 『島唄やーにんじゅ』 の代表です(沖縄県那覇市松山1-33-2はましんビル4-A)。さすが沖縄で、お店は午前3時まで開いてるそうです。笑 

『じんじん』島唄やーにんじゅ☆与座幸賢&新城有紗


たくさん食べて、

たくさん歌って、楽しい夜でした。お会計は、全部で7062円でした。

ホテルまで戻る途中、ローソンで沖縄ぜんざいのパネルを発見! お餅付きが298円、お餅なしが258円。これは食べねば、です。


【沖縄ぜんざい】
沖縄で“ぜんざい”といえば、甘いお豆(主に金時豆)の上にかき氷や白玉が乗った冷たいオヤツのことです。一年中暖かい沖縄では、冷たいぜんざいは無くてはならない存在。専門店はもちろん、沖縄そば屋や食堂・カフェなど県内のいたるところで、おいしい沖縄ぜんざいを食べることができます。

ローソンでは、2022年3月から沖縄の一部の店舗で、沖縄ぜんざい(和風亭監修)の販売を開始しました。沖縄県産黒糖と北海道産金時豆を使用し、風味豊かな味わいに仕上げたそうです。また、同年8月からは、沖縄ファミリーマートでも富士屋監修の沖縄ぜんざいを販売しているようです。


レジで注文すると、その場で作ってくれます。容器に煮豆を入れ、マシンの下に置くと、かき氷ががんがんでてきて、あっという間に「沖縄ぜんざい」のできあがり。すごい~。笑

できたての沖縄ぜんざいです! 

ホテルまで、食べながら帰ります。笑

那覇ハーリーの、大きなハーリー船を模したベンチです。MIYOは沖縄ぜんざいを食べてます。笑


【ハーリー】
ハーリーは、毎年旧暦5月4日(ユッカヌヒー)に沖縄県各地の漁港で行われる競漕とその祭りです。船を漕ぎ、競い合うことで、航海の安全や豊漁を祈願します。
中でも那覇ハーリーは、約600年の歴史を持つ伝統の行事です。琉球王国察度の頃、中国に留学した数人の留学生が、爬竜船競漕を中国で見て、それを琉球に伝えたとされています。


那覇ハーリー(画像をお借りしました)


このハーリー船は、
国際通りのいちばん端にあります。
ここまで来たら、ホテルはもう目の前。^^


今日も一日、たくさん遊んで、
よく食べました。
楽しい一日でした。^^


(つづく)