MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでも青森。奥入瀬の春の流れを追いかけて 8 - 青森屋・渋沢公園(八幡馬ラウンジと足湯)(2021年5月13日)

2021年5月13日 青森屋・じゃわめぐ広場で。(青森県八戸市)


5月13日


渋沢公園の中を、
一時間以上かけて、一周してきました。
あとは、八幡馬ラウンジを足湯を見て、
ホテルに戻ります。


これでもか、と言わんばかりに見どころスポットが散らばっている、渋沢公園。笑


八幡馬ラウンジです。見晴らし台が沼にせり出すようになっています。利用客の姿がなく、ひっそりとしていました。


【八幡馬ラウンジ】
青森屋に宿泊した人が、別料金で利用できるラウンジです。ドリンク(アルコールあり)やちょっとしたお菓子を食べながらくつろげるスペースで、料金は、大人も子供も一人2200円くらいのようです。フロントで申し込み、予約制で利用します。


反対側の入り口に回ってみました。

引き戸が開いたので、中に入ってみます。

ラウンジまでのアプローチも、美しい庭が広がっています。

玄関です。明かりはついていますが、誰もいないようです。

この八幡馬ラウンジ、中はこうなっているようです。和モダンのラウンジから、沼や浮見堂の美しい風景が楽しめる…というコンセプトなんですね。(以下2枚、画像をお借りしました)

青森のお酒を置いてあります。料金には、フリードリンクやお茶菓子が含まれています。

南部菱刺しのタペストリーに、津軽金山焼の食器や照明を取り入れているそうです。


2200円でこういうところを体験できるのは、
デートにはぴったりですね。^^
我が家の場合は、
「このあとビュッフェで
 晩ごはんをたらふく食べられるのに、
 わざわざ別料金を払って、
 お腹になにか入れることはないよね。」
ってことになってしまうのですが。笑


向こうの方になにか見えます。

「足湯だよ。」

20人くらいは座れそうですが、ひとりもいません。チェア部分の後ろに並んでいる棚の中には、バスタオルがたくさん置いてありました。

夜間も利用できます。足湯につかると、目の前に沼の風景が広がる、という設定です。

公園内のあちこちに咲き誇っていたつつじ。

知らないうちに、夫が勝手に撮っていた石。ドラえもんのようですが…。「子供のいたずら描きは、石に彫ることはできないだろうし、なんだろう?」と、失礼なことを考えていたのですが、調べてみたら、鈴木正治氏の作品のようでした。

鈴木正治氏の「不動明王」です。よく似ていますよね。^^(画像をお借りしました)


【鈴木正治】
青森を代表する彫刻家、画家です。
1919年、青森市に生まれました。少年時代から絵や彫刻に勤しみ、弘前工業高校、中央美術学園(通信制)を経て、アンデパンダン展等に出品。独自の作風を築き、素材を選ばず、何にでも彫り、描きました。1966年、美術グループ「脈」を結成。1979年にイタリアに行き、大理石彫刻を手掛けました。1994年には友人ピエール・バルーに招かれ訪仏、パリで個展を開催。木彫、石彫、油絵、墨絵、エッチング、エンボス等、青森の風土、人々の中で、生涯、作品制作一筋に生き、2008年、胆管がんのため逝去。


小高い丘に上がり、青森屋の駐車場を見下ろしました。もう夕方だというのに、車はわずか4台ですよ…。

このあとは、本館1Fにある「じゃわめぐ広場」に寄ってみました。

「りんごジュースが出る蛇口」。青森ですからね。なるほど、なるほど。

そして、「日本酒が出る蛇口」。ええっ? ほんとですか?🤣🤣


これが冗談かどうかは、もうすぐわかります。
続きは次回に。笑


(つづく)

コロナでも青森。奥入瀬の春の流れを追いかけて 7 - 青森屋・渋沢公園(ふれあい牧場、渋沢大門、こもれび小路と菱刺しの庭)(2021年5月13日)

2021年5月13日 青森屋・菱刺しの庭で。(青森県上北郡)


5月13日


南部曲がり家からさらに歩き、
右に曲がると、ふれあい牧場に着きます。


訪れたスポットを、黄色い丸で囲んでいます。赤い丸は宿泊エリアです。


牧場内には2頭の馬がいます。かつて、この地方が馬の産地だったことにちなんでいるそうです。(画像をお借りしました)


やはりここにも、誰もいません。
係の方もいないので、窓越しにのぞいて、
2頭にご挨拶だけしました。


KIRARAくんのお部屋。

TOROROくんのお部屋。

あはは。イラストによく似ていました。^^

牧場を出て少し歩くと、右手に大きな渋沢大門が見えてきます。

かつて、この門の奥には、旧渋沢邸がありました。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一氏とその一族の私邸です。(画像をお借りしました)


【旧渋沢邸】
1878年、現在の江東区永代に建てられました。大手ゼネコン清水建設の2代当主である清水喜助が手掛けたもので、当時は純和風の2階建て住宅でした。その後、1909年に港区三田に移築し、1929年に洋館が増築されました。
戦後は財政難により、蔵相などを歴任した渋沢敬三(栄一の孫)が国に物納し、蔵相公邸として使われるようになりました。1971年、当時のニクソン米大統領が金とドルとの交換停止を発表したニクソン・ショックでは、当時の大蔵省幹部が極秘に集まり、対応を練ったと伝えられています。
その後は老朽化に伴い、取り壊しも検討されました。が、渋沢家に執事として仕えたことのある、杉本行雄氏(青森県古牧温泉の創業者)が国の払い下げを受け、1991年に、古牧温泉渋沢公園に移設。町の有形文化財として保存されました。杉本氏は、東北の観光王と言われた、立志伝中の人物です。
やがてバブルが崩壊し、杉本氏が経営していた会社が破綻した後、渋沢邸の所有権は転々としました。が、2018年1月、生みの親である清水建設が取得し、再び東京に移築することになりました。
移築先は同社の研究・研修施設(江東区のイノベーションセンター)で、敷地全体が完成するのは2022年3月です。同社は、一般公開も計画しているそうです。


渋沢邸は、
歴史上の価値
(数多くの会合の舞台となった)
と、
建築物としての価値
(二代目清水喜助が手がけた)
という、ふたつの価値を備えた、
とても貴重な建築物で、
細部の造りや建材の選び方が
素晴らしいそうです。
来年の一般公開が、楽しみですね。^^


渋沢大門の向かいにある、こもれび小路です。両側に、細長い燈籠が続きます。

夜にライトアップされると、こうなります。ねぶたの絵柄ですね。(画像をお借りしました)

こもれび小路の草花を眺めながら歩きました。

そして、生い茂る樹木の向こうに、茅葺き屋根が見えてきました。

玄関にまわってみると、古民家自体は、やはり閉鎖されていましたが…、

このスポットの見どころは、古民家の前に広がる、「菱刺しの庭」です。地面に描かれた菱形模様がおわかりでしょうか。これは、この地方に伝わる「南部菱刺し」をモチーフにしています。


【南部菱刺し】
東北三大刺し子(青森南部の「菱刺し」、津軽の「こぎん刺し」、秋田の「庄内刺し子」)のひとつで、青森県南部地方で生まれ、伝承されてきました。南部菱刺しは、文字通り菱形の刺繍と地刺しという刺繍からなります。麻の生地に木綿やカラフルな毛糸を刺すなどと、細かく繊細な手仕事の魅力と色あわせの妙もあり、どこかモダンな雰囲気が感じられます。


南部菱刺しです。(画像をお借りしました)

この柄を、そのままお庭にしちゃったんですね…。^^

とことん、「青森文化」にこだわる、青森屋。よく見ると、お庭だけでなく、玄関の三和土まで、菱刺し模様です。笑 これはぜひ、家の中にも入ってみたかったなあ…。


かっぱ沼を中心とする、
73万平方メートルもの、渋沢公園。
すばらしい景色を眺めながら、
その遊歩道を歩くと、
ひとつひとつのスポットに
お楽しみが用意してあるという、
とても楽しい公園でした。


これほどの豪奢な公園は、おそらく、
バブルの頃だったからこそ、
作られたのだと思います。
そしてバブルが崩壊し、
公園も、渋沢邸も、
流転の運命をたどりました。


けれど現在の渋沢公園は、
「青森文化に触れる場所」として、
豪奢でありながらぬくもりのある、
貴重な公園になっていると思います。


古牧温泉渋沢公園のお散歩、
あともう少し続きます。


(つづく)

コロナでも青森。奥入瀬の春の流れを追いかけて 6 - 渋沢公園(ポニーのお家と南部曲がり家)(2021年5月13日)

2021年5月13日 青森屋・南部曲がり家で。(青森県上北郡)


5月13日


渋沢公園に来ています。
ガーデンパーティーが開かれたのかも、
と思われる、浮見堂のステージの向こうに、
南部曲がり家が見えています。


南部曲がり家です。左側の部分が厩で、手前にせりだしています。家屋を上から見るとL字型に曲がっているため、「曲がり家」と呼ばれています。

沼を泳ぐカモも見えました。


さらに歩いて、次は、
古牧農園に行ってみます。
ここに、「ポニーのお家」があるんです。^^


わあ…。ポニーがいた。笑 「のれ」と「それ」…?

案内図で見ると、こんな感じです。沼の周りに、赤い動線が描かれていて、私たちはこの動線に従って歩いています。黄色い丸で囲んだのが、これまでに訪れたスポットです。いちばん左にあるのが「ポニーのお家」で、ここでようやく、沼を半周したことになります。

柵から首を出し、無心に草を食んでいる、ポニーくん。かわいい。^^

お腹が空いているのでしょうか。休むことなく、無心に食べ続けていました。

あっ 奥にもう一頭います。そうか。「のれクン」と「それクン」なんだ。笑

のれクンが食べまくるので、柵から首が届く範囲は、草がきれいになくなっています。それクンの方は、おとなしく干し草を食べていますね。

ここで、他の宿泊客の方がやってきました。なでなで。のれクン、警戒心ゼロです。

その方がお菓子をあげたら、敏感に察知したそれクン。「ボクにも、ボクにもちょうだい。」と、あわててやってきました。笑


私も、パンとか持って来ればよかった。
旅行先では、そう思うことが多いです。
でも、そんなときにかぎって、
バッグの中には、なにもありません。
残念。笑


楓林橋です。奥に石垣が見えているのですが、これは、奥入瀬川の石で作ってあるのだそうです。(どこまでも芸が細かくて、泣けます。😂)

楓林橋の上から、さらに沼の奥を臨みます。緑が、すばらしい美しさでした。

出猩々(でしょうじょう)もみじです。春と秋の二度、花を上回るくらいに、紅く美しい姿を披露してくれます。

この2週間前に、足利学校で見た、燃えるような紅を思い出しました。(2021年4月30日 栃木県足利市)


楓林橋を渡って、石垣の道を少し歩くと、南部曲がり家に到着します。この曲がり家は、青森県南部地方にあった豪農の邸宅を移築したものだそうです。全国有数の馬産地である南部地方ならではの建築様式で、馬屋と住居が一体となった貴重な建物です。


【南部曲がり家】
伝統的家屋(民家)の建築様式のひとつとしてよく知られています。屋根は茅葺で、母屋と厩(馬屋)が一体化し、L字形になっていることから、「曲がり家」と呼ばれています。曲がり家に住むのは、肝煎(村役人)のような上層農家が多かったようです。


南部曲がり家は、群馬県にも移築されています。「南部曲がり家 木村家」を訪れたときの日記はこちらです。温かみのある、とても美しい家屋でした。(2020年11月13日 群馬県吾妻郡東吾妻町)

コロナでも上州。週末にのんびり歩く群馬 1泊2日のおトク旅 5 - 南部曲がり家 木村家①(2020年11月13日/1日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと
コロナでも上州。週末にのんびり歩く群馬 1泊2日のおトク旅 6 - 南部曲がり家 木村家②(2020年11月13日/1日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


渋沢公園の曲がり家は、コロナ禍で閉鎖されており、中に入ることができませんでした。


コロナ禍で、残念ながら、
外から見るだけになってしまいましたが、
平時であれば、この南部曲がり家で、
朝食や夕食をいただくことができたようです。


青森屋では、
宿泊客が南部曲がり家に行くための
送迎バスをだしているそうです。
バスは、沼のまわりをぐるりと走ります。
乗客は、美しい景色を眺めたあとで、
南部曲がり家でお食事をいただく、
という趣向です。
すてきすぎます…。


ネットで紹介されていた、青森屋・南部曲屋の特別朝食、「古民家の田舎御膳」です。古民家の落ち着いた雰囲気の中で、沼の美しい景色を眺めながら、朝食や夕食をいただくなんて、すばらしいですね。^^(画像をお借りしました)


写真をよく見ると、使われている器は、
ほとんどが八戸焼と津軽金山焼です。
コーヒーカップの、深い緑が美しいこと。
八戸焼ならではの、
味わいのある緑です。^^


さて。
この朝食(夕食ではありません。)
が付いた、宿泊プランがあります。
一休で調べてみると、
一泊一室に2名利用で、
宿泊料金は、42000円(ふたり分)くらい。
つまり、一泊朝食付きで21000円(ひとり分)。
(価格は、季節によって変わります。)


私たちが支払ったパッケージツアー代金は、
二泊四食付きのプランで、
48500円(ひとり分)でした。


通常の、青森屋の
朝食付きプランの二泊分(ひとり42000円)と、
あまり変わらないツアー料金(ひとり48500円)で、
私たちは青森屋に二泊しました。
ただし、朝食だけでなく、夕食も付いています。
しかも、そのツアー料金には、
往復新幹線の指定席券まで
含まれていました。
それを考えると、
やっぱり、オトクなツアーだったなあ、と…。^^


今、阪急交通のサイトで
同じツアーを見てみると、
このときよりも数万円高くなっています。
もはや、我が家にはとうてい無理な価格です。😔


あのときは、コロナ禍で、
日本中が閑散としていました。
そういうときだったからこその、
お値打ち価格だったのかもしれません。


(つづく)

コロナでも青森。奥入瀬の春の流れを追いかけて 5 - 青森屋・渋沢公園(津軽金山焼回廊と浮見堂)(2021年5月13日/1日め)

2021年5月13日 青森屋・浮見堂です。(青森県上北郡)


5月13日


青森屋の敷地に広がる、
古牧温泉渋沢公園ををお散歩しています。


左から、青森屋西館、八幡馬ラウンジ、そして菱刺しの庭(という名の家)です。

その右側には、南部曲がり家もあります。沼に沿ってぐるりと歩いて、あそこまで歩いてみようと思います。

津軽金山焼回廊です。この通路に沿って、たくさんの金山焼が飾られています。

津軽金山焼のお皿を、ネットで調べてみました。独特の風合いですね。(以下2枚、画像をお借りしました)

青森屋が作成した、津軽金山焼の風鈴。


【津軽金山焼】
釉薬(ゆうやく)を使わずに1350度の高温でじっくりと焼き固める、「焼き締め」という技法を使っており、独特の深みのある色合いが特徴です。青森屋では、食器、照明、タイルなどに、津軽金山焼を使用していますが、2018年には、津軽金山焼の新たな魅力としてオリジナルの風鈴を作成しました。風鈴の音色で涼を感じながら渋沢公園を散策する、という趣向で、「夏のきろかろ散歩」というアクティビティを催行したそうです。

きろかろ:青森の方言で、「きょろきょろ」の意味です。


回廊に並ぶ、津軽金山焼です。ねぶたがモチーフになっています。

津軽金山焼回廊を歩きました。手前3個の回廊焼は八幡駒で、その次の3個が林檎です。^^

そして、沼に面して並ぶランタン。これも、津軽金山焼です。

夜間には明かりが灯されて、こうなります。(以下2枚、画像をお借りしました)

回廊のベンチに腰掛けると、ランタンの向こうに、浮見堂が大きく見えました。

津軽金山焼回廊の隣りに並ぶ、弁財天と鍾馗様です。仏教が日本に伝来した奈良時代末期、弁財天と鍾馗様の進行が、日本古来の素朴な男女信仰と混合し、村落の悪魔除けとなりました。渋沢公園では、弁財天と鍾馗様を守護神として祀り、来場者の無病息災を願っているそうです。

その隣りには、「日本古来の素朴な男女信仰」も祀ってありました。

これで、沼をほぼ半周しました。次は、あの浮見堂まで歩いてみます。

浮見堂です。沼の中にせり出した部分に作られているので、遠目では沼に浮いているように見えます。

お堂の正面に、しめ縄がはってあります。

浮見堂の裏側にまわると、沼の向こうに楓林橋が見えました。緑が美しくて、見とれてしまいます。

浮見堂の正面です。

ガラス越しに、中をのぞいてみました。どうやらこの中で、結婚式が挙げられるみたいです。沼に浮いたお堂で、結婚式…?

ようやくわかりました。お堂の周囲に、このだだっ広いコンクリートの床がある理由が。お堂から続く、このウッドデッキの舞台を、たぶん、挙式後の新郎新婦が歩いたんでしょうね…。そして、ふたりを囲むように、大勢の招待客が、この場所に立っていたのでしょう。


沼の上に浮かんだこの場所で、おそらく、
華やかなガーデンパーティーが
開かれたのではないでしょうか。


その先に見えるのは、見事な景色でした。
こんなすばらしい光景が、
ホテルの中に広がっているなんて…。


この場所が、かつては、
たくさんの宿泊客や招待客で、
にぎわっていたことでしょう。
今は人影もなく、静かな沼のほとりに、
私たちふたりだけが、佇んでいました。


(つづく)

コロナでも青森。奥入瀬の春の流れを追いかけて 4 - 青森屋(囲炉裏ラウンジ、西大門と渋沢公園)(2021年5月13日/1日め)

2021年5月13日 青森屋・囲炉裏ラウンジで。(青森県三沢市)


5月13日


青森屋でチェックインを済ませました。
夕食までに時間があるので、
青森屋の敷地内にある公園に
行ってみることにしました。


客室の窓から見える景色です。

まずは、フロント前のロビーに。古民家風の落ち着いた雰囲気です。


ロビーからほど近いところにある、
「囲炉裏ラウンジ」に寄りました。
かなりの広さがあります。
ここは、宿泊客が
自由に利用できるスペースです。


こんな広いラウンジが、貸し切り状態でした。

真ん中の囲炉裏テーブルには、靴を脱いで上がります。この周囲にも、ソファやテーブルがたくさんありました。


青森屋のチェックイン時間は3時ですが、
ネットの口コミには、
「少し遅めに行く方がいい。」
と書いてありました。
3時だと、すごい混雑ぶりで、
チェックインで待たされ、
駐車場に車を入れるのにまた待たされ…、
となるからだそうです。
それほどまでに、宿泊客でにぎわっていた、
ということです。


その青森屋が、コロナ禍で、
こんなことになっていました。
3時きっかりに行っても、
待たずにチェックインできたし、
広々とした囲炉裏ラウンジは、
静まり返っていて、
私たちふたり以外に、誰もいません。
日本の観光業界は、ほんとうに、
たいへんなことになっていると感じました…。


気をとりなおして、コーヒーをいただきました。ラウンジでは、淹れたてのコーヒーを自由に楽しめます。蓋つきのカップに入れて、コーヒーを飲みながらお散歩することにしました。


お散歩ですが、
青森屋の敷地内にある、
古牧温泉渋沢公園を歩いてきます。
かっぱ沼を中心とする、
73万平方メートルの広大な公園です。


さきほどは、公道からホテル本館まで(赤い丸の部分)を車で走ってきましたが、実は、それよりもずっと広い公園が敷地内にあるのでした。

まずは、ホテル本館を出て、西大門まで歩きました。目指す公園は、この向こうにあるはずです。ちなみに、ここまでは青森県三沢市ですが、この西大門から先は青森県上北郡になるのだそうです。

西大門の向こうには、かつて、旧渋沢栄一邸がありました。(画像をお借りしました)


渋沢邸は、1887年、東京深川に建てられ、
1991年に、当地に移設されました。
渋沢敬三氏(栄一の孫)の秘書であった、
杉本行雄氏の尽力によるもの、
だったそうです。


その後、バブルなど紆余曲折を経ましたが、
2018年、建設当時に施工した清水建設に
売却されます。
清水建設は、
江東区のイノベーションセンター内に
旧渋沢邸を再移築し、
保存する予定だそうです。


そのイノベーションセンターは、
2022年3月に完成します。
もうすぐ東京で、その姿が見られますね。^^


少し歩くと、いきなり視界が開けて、広大な「かっぱ沼」が見えてきました。古民家が、沼に浮かんでいるかのように見えますが、これは「浮見堂」です。

沼の左手に見える、八幡馬ラウンジ。予約制で、フロントで申し込めば利用できるそうです(有料)。

「なまめかし初夏の古牧の浮見堂」


沼を一周してみることにしました。
一時間弱かかるそうです。
とりあえず、反時計回りに歩いてみます。


鐘撞堂がありました。

どうしてここに鐘があるのかわかりませんが、鐘を見ると鳴らさないでいられない夫は、はりきっています。笑

MIYOはすぐに歩き始めたのですが、夫は鐘撞堂にとどまり、なかなか離れようとしませんでした。(←なぜ?笑)

茅葺屋根の古民家(浮見堂)が見えます。

浮見堂は、沼の上に張り出した土台に設置されています。なので、遠くからだと、大きな沼に浮かんでいるかのように見えます。

沼の周囲にめぐらされた遊歩道を、のんびりと歩きました。お天気もいいし、すばらしい眺めです。遠くに見えるのは、左から、青森屋西館、八幡馬ラウンジ、南部曲がり家です。

遊歩道の左手には沼、そして右手には、たくさんの花が咲き乱れています。その奥には林が広がっていました。

花が好きな夫は、とにかく写真を撮りまくっていました。笑


み「どう? すばらしいでしょ?
  造り酒屋に寄っていたら、
  ここをのんびりと歩く時間は、
  とれなかったでしょ?😏(いばりっ)」
夫「はい…。」


どや顔のMIYOに、
「そのとおりです。」と答えるしかない夫。
(さからうと、後がコワい。🤣🤣)
でもね。
夫も、楽しそうでしたよ。^^
ほんとです。


(つづく)