MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 46 - ベトナム軍事歴史博物館から、タンロン王城遺跡①へ(2023年6月18日/5日め)

2023年6月18日 タンロン城・メインゲートで。


6月18日(日)


旅の5日め。
行き先が決まらないまま、
夫とふたりで、ハノイの街を歩いています。


あ…。フラッグタワーが見えました。ということは、この門の向こうにあるのは…、

ベトナム軍事歴史博物館です。

なつかしくて、つい駆け寄ってしまいました。ここに来るのは、1989年、2019年に続いて3回めになります。

入り口を入ってすぐ、左手に見える、ミグ21型4324号戦闘機。2015年に、国宝に認定されました。戦争が100年続いたベトナムでは、戦闘機が「国宝」になってしまうんですね…。「旧ソ連製で、ベトナム戦争中多数の米軍機を撃墜したとされます。ベトナム空軍にとって、シンボル的機体です。」と、以前、topganさんに教えていただきました。

4年前、ベトナム軍事歴史博物館を訪れたときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 180 - 最後の日曜日/ベトナム軍事歴史博物館①(2019年10月27日/57日め)

定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 181 - 最後の日曜日/ベトナム軍事歴史博物館②
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 182 - 最後の日曜日/ベトナム軍事歴史博物館③
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 183 - 最後の日曜日/ベトナム軍事歴史博物館④


夫が、
「前に来てから30年以上たってるし、
 もう一度入ってみたいな。」
というので、入場券を買おうとしたのですが、
受付の方に、
「もうすぐお昼休みになりますよ。」
と言われ、あきらめました。
(ベトナムでは、博物館のほとんどが、
 お昼にいったん閉館となってしまいます。)


「このあたりは、4年前に、
 地図を見ながら歩き回ったから、
 大体わかるよ。
 たしか、博物館の向かい側に、
 レーニン像があるはず。
 その後ろは、レーニン公園。」


4年間ずっと忘れていたことを、
ふいに思い出し、
博物館の向かい側に目をやると…。


ありました。レーニン像です。笑


ずっと忘れていましたが、
その場所に来て歩いてみると、
案外思い出すものですね。^^


時刻は11時前です。
まもなくお昼休みになり、
ほとんどの博物館は、
閉館になってしまうはず。
今行っても、ムダになります。


「じゃあ、お昼になっても
 閉館しないところって、
 どこかあるかな?」


と、ふたりしてスマホでさがすと、
ありました。
タンロン城(旧ハノイ王城)です。
4年前に夫と長女が訪ねてきたとき、
あいにく、タンロン城は休館日でした。


でも、入り口の手前までは入ることができます。なので、夫と長女のために、チョンさんがわざわざ立ち寄ってくれました。写真の奥に見えているのが、南門(端門)です。(2019年10月21日)

そのときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 164 - ホアロー収容所(2019年10月21日/51日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


つまり夫は、タンロン城に来たものの、
入口しか見てないんです。笑
「じゃあいい機会だから、
 タンロン城の中を歩こう。」
ということになりました。


それがどれほどたいへんなことか、
このときには、私も夫も、
全然わかっていなかったのですが。😅


ベトナム軍事歴史博物館から10分くらい歩いて、タンロン城の入り口(チケットオフィス)に到着。スマホでグーグルマップを見ながら歩いているので、全然迷いません。

チケットオフィスの中です。古い町並みの家々が再現されており、お土産物屋さんが並んでいます。

入場料は30000ドン(約150円)。このQRコードをかざして、中に入ります。ちなみに、ふたり分の60000ドンを、件の500000ドン札で払おうとして、断られました。こんなところですら、受け取ってもらえないんですよ…。😅

チケットオフィスを通り抜けると、そこがタンロン城の入口です。以前と違って、城へと続く道が、ランタンで飾られていました。

とりあえず記念写真を。笑

そして、城へと続く道を歩きます。

皇城の南門(端門)が見えてきました。

ベトナム建築では、至る所で、この薄い黄色が使用されています。

南門(端門)Doan Monです。


【端門】
第一城壁に配置され、黎朝時代に建設された正門です。皇帝が禁城を通るための出入口として使用されていました。


ここは、フォトスポットにもなっています。

そして、端門の両側にも、小さな塔があります。

端門の左側です。


【タンロン遺跡(タンロン城址)】
「タンロン」とは「昇龍」という意味で、ハノイの旧称です。ハノイの都心に位置するタンロン城のあるエリアは、もともとは、7世紀に中国が支配拠点を築いた場所でした。その拠点跡で、1010年、大越国の独立を機に、李朝が創建されました。このとき、紅河デルタの低湿地を埋め立てて形成された不整形な都城域の一角に、宮殿群が計画的に配置されました。
以降、陳朝、胡朝、黎朝と王朝は交代するものの、遷都は行われず、阮朝がフエに王宮の建設を開始する1805年まで、タンロンは都であり続けました。
2003年からは、このあたりで遺跡群が発掘されるようになりました。長い歴史を刻んでいる場所なので、ベトナム王朝の各時代の遺跡が重なっているのが特徴です。近年になって、李朝期・陳朝期の考古学的遺構と黎朝期以降の地上遺構を含む皇城中枢部の遺跡が発掘されています。これらの遺跡からは、東アジア(中国)と東南・南アジア(チャンパ王国)などからの影響がこの地で融合して形成された特有の文化があったことがわかります。
2010年8月に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


チケットオフィスから、ランタンで飾られた道を通って端門まで、こんな風に歩いてきました。


このときはね、
まだ知らなかったんですよ…。


このタンロン遺跡が、こんなにも広かったなんて。


「来ちゃったからには、トコトン派」
…と、以前 Bonneさんが、
私たちを評してくださいましたが。


やはり今回も、そうなってしまいそうです。😅
またまた、難行苦行の始まりです。


(つづく)

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