MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

全盲難聴・のんたん 11回めの音楽レッスン(2019年9月15日)

2019年9月15日 S先生、しゅん君といっしょに、「エルクンバンチェロ」を演奏しました。(全盲難聴・のんたん 24歳)


9月15日


私がベトナムでの生活を始めて2週間が過ぎた頃、
日本では、長男の音楽レッスンが行われていました。
S園の一室をお借りし、お友達のしゅん君といっしょのレッスンです。
先生は、フルート奏者のS先生。
そして、介助には、
ホリイさんとヤグチさんがいらしてくださいました。


この日、MIYOはどうしていたかと言うと、
朝ごはんでビトロンと格闘し(笑)、
その後、ハノイの旧市街へ出かけて、
ロンビエン橋など、あちこちを歩いておりました。


この日のベトナム日記です。


親が日本にいなくても、
ボランティアさんのおかげで、
長男はいつものように、音楽レッスンに参加し、
楽しい週末を過ごしておりました。
本当に、感謝、感謝、です。


【ホリイさんからいただいたメールです】
日本では台風15号の被害で、千葉県ではまだ停電や断水が続いていますが、MIYOさんがいらっしゃるベトナムは、きっとまだ暑い日が続いている事と思います。
そちらの生活は、如何ですか?

今日は、のんたんの音楽レッスンの日でした🎶 ヤグチさんと一緒に、S園に行きました。
受付を済ませて居住棟に行くと、どこからかのんたんらしい声が聞こえて来ました。
先生がいらして、「S先生としゅん君はまだお出掛けから帰っていないので、部屋で待っていてください」と言われました。
いつもの部屋からは、笛の音が聞こえてきました。部屋に入いると、のんたんが、前回、S先生からお借りした縦笛を吹いていました。『花は咲く』と言う曲です🎵

そして、園の先生から、私たちにお話がありました。
レッスンが終わったら、先生がお迎えに来るので、私たちはのんたんを2階まで送って行かないようにとの事でした。先生のお話によると、私たちがいっしょに行くと、それを羨ましがる園生さんがいるそうです。
なかなか面会に来てもらえない方や、介助も来られない方などがいらっしゃるので、その方達への配慮からとのことでした。

部屋に入ると、のんたんは一人で縦笛を吹いていました🎶
しばらくして、S先生としゅん君が戻ってこられました。S先生は、のんたんの笛の音を聞いてニコニコされていました。私が、「のんたんは笛が上手になりましたね」と言うと、S先生も、「すごいね」と仰いました。
しゅん君も、のんたんの笛を聞いて、一緒にフルートを吹き始めました。
しばらくは、2人で笛の演奏をしていましたが、そのうち、しゅん君が、「始めは『エルクンバンチェロ』です。「と言って、それを合図に、いつもの様に2人のコラボが始まりました♬♪

(ふたりで、『エルクンバンチェロ』を演奏しています。)

S先生がのんたんのウクレレをチューニングしてくださっている間にも、のんたんは直ぐに縦笛を探して吹きたがります^_^
しゅん君が、『希望の轍』をフルートで吹いたら、のんたんもその音を拾って何とか縦笛で吹こうとしていました。その方法が声で音をドレミに代えて歌いながら、笛の音を探します。
先生は、「この縦笛は指の順番が普通のリコーダーと違うので、難しいんだよ。」と教えてくださいました。
他に、『風になりたい』『ロックンルージュ』を、縦笛で一生懸命音を拾いながら吹きました。
難しい音は、時々、先生のアドバイスも頂きました。

しゅん君は、新しい曲をやりたくて、先生に録音してもらっていました。その曲は、『パプリカ』と言う、米津玄師さん作詞・作曲の曲です。Eテレで子供たちが歌っていて、今流行っています。のんたんもまだその曲はマスターしていないので、次のレッスンで演奏できるようになれると良いですね\( ˆoˆ )/
休憩の時は、ヤグチさんがのんたんにジュースを買ってくださいました。休憩を挟んで、また『エルクンバ』を練習しました。その時は、先生もご一緒にシュン君とは違う別のパートを吹いてくださいました。
(先生もご一緒に『エルクンバ』を演奏しました。とても素敵な演奏になりました🎵)

その後は、何を演奏しようか?となって『チェリー』を演奏。他には『サボテンの花』も演奏しました。
(のんたんの笛としゅん君のフルートのコラボです。)

その後、しゅん君は、今度初台のお祭で演奏する篠笛を吹いてくれました。
のんたんの笛の演奏は、どんどん上達していきます。あっという間に時間が過ぎて、レッスン終了になりました。するとのんたんは、学校の終了チャイムのメロディーを笛で吹いてくれました!
のんたん達が、レッスンしている間に、2人の入所者がそっとドアを開けて見に来ました。確かに音がするので、目立ちますし、気になりますよね(^_^*)
そんな訳で、今回から、私たちは居住棟に送らず、5時になると、園の先生がお迎えに来てくださいました。園の先生は、S先生に、縦笛はまだお借りしていても良いかどうかを尋ねていらっしゃいました。まだ使っていて良いそうです。
10月のレッスンがいつになるかは、園の部屋が使える日を優先しますので、まだ分からないそうです。
次回の相談をしていた、その時です!
ヤグチさんが、「20日は来られない」と言うと、しゅん君は、「ヤグチさんが可哀想だから27日にしよう」と優しい言葉をかけてくれました。良く気が利きますね(^^)
今日も楽しくレッスンが終了しました(^-^)

ホリイは、また明日ウクレレのレッスンにも伺いますので、よろしくお願いします。


【ヤグチさんからいただいたメールです】
しゅん君が、「次回は27日にしよう」と言ってくれたので、もしも27日になったら、ほかの用事をキャンセルしてでも、行きたいと思います。


ホリイさん、詳細なご報告をありがとうございます。
レッスンの様子がよくわかり、うれしく読ませていただきました。
ヤグチさんも、ジュースをごちそうしてくださり、ありがとうございます。
おふたりのおかげで、長男はこの日も、
楽しくレッスンを終えることができました。
遠くベトナムで、ただただ感謝の気持ちでいっぱいになりました。

全盲難聴・のんたん ボランティアさんとおでかけ(2019年8月31日)

2019年6月30日 ウクレレ発表会で、ヨリさんといっしょに。(全盲難聴・のんたん 23歳)


ベトナム日記に追われて、のんたん日記をずっとお休みしてしまいました。
ももぽんさんに、「時々書きますねえ」なんて、
お約束しながら、はや3か月。
…すみませんでした。(汗)
ももぽんさん、のんたんのことを忘れないでいてくださって、
ありがとうございました。
これから、また少しずつ、書いていきますね。^^


8月31日


8月最後の日に、長男がおでかけしたときの日記です。
この日は、タケダさんとヨリさんがいらしてくださり、
前半・後半を、それぞれ、担当していただきました。


まず、朝10時、タケダさんに、
S園まで長男を迎えにいらしていただきました。
11時半に、高田馬場で、ヨリさんと待ち合わせ、
長男と3人で、ランチ。
ウクレレのレッスンを終えたあとは、
ヨリさんが、S園まで、長男に同行してくださる、
というスケジュールです。


この日、私は、ベトナムに出発する前日でした。
ばたばたと、やりのこしたこと+荷造りに追われ、
その後、深夜になって、
9月・10月に担当してくださる、
すべてのボランティアさんへ連絡事項をお送りするために、
2か月分のメールを書き始めたのですが、
ようやく全部書き終わったときには、
結局、朝になってしまったように記憶しています。


あれから3か月。
ようやく、日本での生活も落ち着いてきました。


【タケダさんからいただいたメールです】
S園を出てすぐに、「フルート」と言い始めました。
私が「いつ?」と聞くと、ノゾミくんは「9月15日、日曜日」と答え、次に「しの笛」と連呼。
自分や私の手を使って、吹き方の練習をしながら駅まで行きました。
(この日はこの繰り返しが多かったです)

途中、エンジンが重低音の車が通った時は、気になった様子で、
歩きを止めて、耳を音の方に向けるように聞き入っていました。
その後、エンジン音を真似る(二人で交互に)と嬉しそうなに笑いながらやっていました。

昼食は、「ハンバーグ」と即答! ヨリさんと相談して、ガストへ。
ヨリさんがクーポンを持っていたので、半額で食べられるハンバーグとチキンのセットにしてみました。
でも、ハンバーグとチキンはほとんど完食しましたが、量が多かったのか、白米は1/3ほどしか食べられませんでした。

ウクレレ教室に着くと、前の方がレッスン中でした。視覚障害者の方で、お母様も一緒でした。
ノゾミくんがお部屋に入るとすぐに、先生が「ウクレレを弾くように・・・」とおっしゃって、その方にノゾミくんの演奏を聴かせていました。
お母さまは、「ほぉ~」と感じの表情で聴いていました。

ノゾミくんのレッスンの時間になると、ノゾミくんは、自分から「花は咲く」を弾き始めました。今日はこの曲かな、と思っていたら、この日は先生の思い付きの曲でってことになり、「ジュリアにハートブレイク(チェッカーズ)」でした。
ノゾミくんは、レッスンが終わる時間まで、ほとんど休みなく、熱心に弾いていました。

ノゾミくんは、本当にしの笛が気に入ったんですね。
教室を出るとすぐに、再び、しの笛の話をしていました。
また、この日は、エンジン音の他に携帯電話ショップのマイクでのアナウンスも気になったようで、
ずっと聴いていたい様子でした。
(レッスン時間が迫っていましたので止まって聴く事ができませんでした)

以上です。
次回もよろしくお願いいたします。


【ヨリさんからいただいたメールです】
今日は、曇りで、少しいつもより涼しいと思い込んでいましたが…めちゃくちゃ暑い日でした。
のんたんも、ハンカチで何度も汗を拭いていました。

1ヶ月ぶりの再会でした。
9月の篠笛レッスンが気になる様子でした。何度も繰り返し篠笛の吹き方を披露していました。
今日もやはりハンバーグのリクエストでした。ガストの半額割引クーポンがあったのでハンバーグとチキン南蛮セットにしてみました。
ご飯をいつも少な目に頼むのですが…小丼並盛でくるので半分近く残してしまいました。お味噌汁と小鉢は残さず食べてお腹いっぱいだと思います。
教室に行くと…後輩?のさとし君のレッスン終わり際で、のんたんも一緒に1曲弾いてから、(先生のお声かけで)写真撮影しました。
その後、矢沢永吉とチェッカーズの曲の練習でのりのりで終わりました。

(ヨリさんからいただいたメールです。左から、タケダさん、ノゾミ、さとしくんとお母さま)

帰りはすんなり電車移動でき、予定の30分前に駅に着いたので、ホームで二人でカルピスを飲んでからS園に向かい、近くの公園のベンチで5分ほど休んでから帰りました。

歩いているだけで、汗だくでした。
今日も、楽しい一日でした。ありがとうございましたm(_ _)m 


ベトナムに出発する前日ということで、
親の私はおおわらわになっておりましたが、
それでも、おふたりのおかげで、
長男はこの日も、楽しく外出することができました。


タケダさんが、長男といっしょに、
エンジン音をマネしながら歩いてくださったこと。
ヨリさんが、ランチの割引券を持ってきてくださったり、
暑いからと、長男といっしょにカルピスを飲んでくださったりしたこと。
おふたりが長男に、
温かいまなざしをむけてくださっているようすが、
目に浮かぶようで、とてもうれしく読ませていただきました。
タケダさん、ヨリさん、どうもありがとうございました。

経過観察(手術後40ヶ月 + びすとろ屋上野店)

2019年9月25日 ホアルーで、タムさんといっしょに。


11月25日


みなさま、たぶんお忘れではないかと思いますが、
実は、私、現在も、ガンの経過観察中なわけです。(苦笑)


9月と10月の2か月間は、
ベトナムでお仕事していたわけですが、
事前に、勤務先からは、
「3か月間、働いてほしい」
と言われていました。


でも、「2か月ならば可能です」とわがままを言ったのには、
理由がありました。
その理由のひとつめが、これだったのです。


3か月に一回の、経過観察。
病院から指定された日に、通院し、
検査を受けなくてはなりません。
最後の診察は、8月19日でした。
そのときに、「異常なし」という結果をいただいて、
「よし、これで、ベトナムに行ける。」
と、心を決めたのです。


3か月に一回の通院があるのですから、
ベトナムに3か月も滞在するのは、
とうてい、ムリな話でした。


そして、ベトナムでの2か月の勤務を終え、
なんとか、日本での生活を再スタートしたところで、
予定どおり、次の通院日がやってきました。


病院の前の木々も黄色くなっていて、すっかり秋の装いです。


この日の診察は、最後の手術を受けてから、
40か月めになります。
予約時間は、3時半。
いつものように、いちばん遅い時間に、
予約を入れていただいています。
おかげで、待ち時間もなく、採血を行い、
そのうえこの日は、運よく、3時には診察室から呼ばれました。


「異常は見られません。
 問題ないですね。」


とのこと。
そしてさらに、こう言われました。


「抗がん剤治療を終了してから
 3年が経過しましたので、
 診察間隔をあけましょう。
 次の診察からは、半年おきになります。」


半年おき、というと、
一年に2回、行けばいいことになります(あたりまえ。笑)。
そう思うと、あの、抗がん剤治療を行い、
髪の毛が全部抜けてしまった日のことが、
遠い遠い日のことのように感じました。


次回は半年後ということで、
半年分のお薬の処方箋をいただきました。
3年間、ずっと欠かさず飲んできた、
再発予防に効果があると言われる漢方薬です。
気休めだとわかっていますが、
これからも飲み続けます。


帰りに、マツキヨの処方薬局に寄って、
お薬をいただきました。
半年分で、しめて、17000円。
漢方薬も健保の対象なので、助かります。


その上、今は、アメックスカードのキャンペーン中。
マツキヨで、アメックスカードで支払うと、
20%がキャッシュバックされるのです。
つまり。
3400円も、もどってきます。笑
これは大きい。
良いときにキャンペーンをやってくれて、
ほんとうに、感謝、感謝です。^^


夜は、「びすとろ家上野店」で夫と待ち合わせて、
祝杯をあげました。
飲み放題付きイタリアンフルコースで、
ひとり5500円が、ぐるなびクーポンで5000円。
ふたりで10000円ですが、
某モニターサイトのキャンペーン対象だったので、
5000円がキャッシュバックされました。
つまり、「飲み放題付きイタリアンフルコース・5500円」が、
ひとり2500円。
安すぎます。笑


【肉料理】特選牛ステーキ 濃厚デミグラスソース

【パスタ】海老のビスククリームパスタ


おいしいお料理においしいパスタで、
楽しい一夜になりました。


さて、良いことづくしだった一日ですが、
実は、ひとつだけ、残念なことが…。


病院で、診察室に入っていた、
ほんの10分くらいの間に、
中待合に置いてあった私のコートが、
盗まれてしまったのです。


置きっぱなしにした、私が悪い。
でも、病気に苦しんでいる人たちが集まる病院で、
モノを盗む人がいるんだ、と驚きました。


海外では、一度も、盗難にあったことがありません。
被害にあわないように、と、
それなりに、いつも緊張しています。
けれど、まさか日本で、それも、病人が集まる病院で、
盗む人がいるとは、予想もしていませんでした。


ちょっとくやしいけど、まあ、いいです。
私のガン細胞は、そのコートといっしょに、
ソイツが持って行った、と思うことにしました。(爆)

定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 96 - ケンタッキーの海苔巻きフライドチキンと美容院(2019年10月7日/37日め)

2019年9月22日 鎮国寺の近くのケンタッキーに置いてあったパネル。Temaki と大きく書いてありますね。それぞれのセットが、プレートではなくて、お寿司の載せ台のようなもので出てくるのも、おもしろいですね。^^


10月7日


朝ごはんです。パン、目玉焼き、韓国海苔をふりかけたサラダ、アイスベトナムコーヒー。タムさんが、ダイエットメニューのアプリを見て、作ってくれたものです。^^ 目玉焼きには、ベトナム醤油をかけていただきます。


お昼になりました。
今日は、仕事がお休みだったローさんが、
タムさんといっしょに出かける用事がある、とのことで、
「ハイさんとふたりで、
 街の食堂でフォーを食べてきてください。」
と言われました。


でも、自分たちだけでフォーを食べに行くくらいなら、
食べたいものは、ほかにあります。^^


「じゃあ、私は、すぐ近くにあるケンタッキーに行ってきます。」
と、言ってしまいました。
もちろん、自分で勝手に行くので、自分で支払います。


フォーならば、たぶん、食事代を出してくれたのだと思います。
でも、ご家族がいっしょでないときくらいは、
好きなものを食べたいな、と思いました。
そして、近所のケンタッキーに、
以前から食べてみたいと思うものがあったのです。


ということで、タムさんとローさんはでかけてしまい、
ハイさんは、会社の台所で、ジャージャー麵を作り始めました。
私は、ケンタッキーまで歩いていきます。


それぞれが、勝手に食べる、お昼ごはん。
たまには、こういうのもいいですよね。^^


5分くらい歩いて、ケンタッキーに着きました。真ん中の目立つところに、日本風のメニューのポスターが貼ってあります。

そして、その左側に貼ってある小さいポスターは、韓国メニューのものでした。「キムチ」と書いてありますね。鶏肉も赤いのできっと辛いのでしょう。

テーブルで待っていると、MIYOが注文したものが来ました。パッケージに入ったものと、ペプシコーラです。


紙の箱を開けると、中から出てきたのは、
ポスターで紹介されていた、「海苔巻きフライドチキン」。
これが食べてみたかったんです~^^ 


海苔の中には、フライドチキン、レタス、きゅうりがはいっています。
手巻き寿司をチキンで作りましたって、感じです。
おいしくいただきました。


価格は、34000ドン(約170円)。庶民の普通のごはんが150円くらいなので、ちょっと高めな、おしゃれな食べ物、ということになります。


そして、夕方になり、
MIYOは美容院に行くことになりました。
白髪がだんだん目立ってきたので、
タムさんの行きつけの美容院で、
染めてもらうことにしました。


タムさんのバイクに乗。せてもらって、美容院に来ました。

ここです。スタッフは男性ばかりでした。

きれいな店内です。

価格表です。カラー剤は、イギリス製、フランス製、ドイツ製、カナダ製から選べるようになっていて、それぞれに値段が違います。私は、カナダ製にしたような気がします。料金は1200000ドンのはずでしたが、タムさんの紹介だったからなのか、1100000ドン(約5500円)になりました。外国製のカラー剤を使っているせいか、料金は日本とあまり変わりませんね。

最後に、好みの色を選び、作業開始です。

肩に、重みのあるケープのようなものをかけられました。薬剤ができるのを待っている間に、鏡を使って、店内のようすを撮ってみました。


連れてきてくれたタムさんは、
MIYOの希望の色とか料金とかを通訳してくれたのですが、
そのあとは、夕食の支度があるからということで、
バイクに乗って帰ってしまいました。


さて、いよいよ、カラーリングを開始したのですが、
そのうち、うわさを聞きつけたようで、
近所のどこからか、入れ代わり、立ち代わり、
ちょっとだけ日本語ができるだれかがやってきて、
私に話しかけるんですよね、(苦笑)


「私は、日本語をおしえています。」とか。
「日本に行ったことはありません。」とか。
「あなたは、ベトナムでなにをしていますか。」とか。
「私は、日本にいたことがあります。」とか…。


しばらくして、質問コーナーが終わると、
その人は満足してお店を出て行くのですが、
まもなく、次の人がやってきます。(爆)


そしてまた、
「日本人ですか?」
「家族はいますか?」
など、など、など、など。


この調子で、何人もやってきては帰る…。
1時間くらいたって、
ようやく、誰も来なくなったな、と思っていたら、
今度は、サロンのオーナーと助手が、
自分の携帯の翻訳アプリを使って、
話しかけてきました。


「あなたは、私のおかあさんよりも若く見えます。」
「あなたは何歳ですか。」
「日本の美容院の料金はいくらですか。」


自分の質問が日本語になり、
アプリで会話ができることがわかり、
ふたりとも、がぜんやる気になってしまいました。
スマホに質問を打ち込んでは、
翻訳し、私にそれを見せるのでした。


これが、ふたりがかりでくるわけです。(苦笑)
ひとりがアプリを使って私としゃべっているあいだに、
もうひとりが、質問事項をアプリで翻訳し、
私に見せるのを待っています。
これじゃあ、全然、休めません(泣)。


結局、美容院で2時間、質問まみれ。
さすがに疲れてしまい、
よれよれになって、
自宅まで歩いて帰りました。笑


日本人というだけで、話をしたがる人がたくさんいる、
というのは、ありがたいことなんですけどね。^^


愛想よすぎ、質問多すぎの明るいオーナー(右)と助手(左)。

晩ごはんです。今日はローさんもいっしょで、5人でいただきました。

ローストチキン、豚肉と豆の煮もの、ごはん、タケノコの煮物、葉物野菜。

定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 95 - ホアロー収容所③(2019年10月6日/36日め)

2019年10月6日 たま弥で食べた、お刺身定食。ハノイでは、いくつかの日本料理屋に行きましたが、ここで食べたのがいちばんおいしかったです。


10月6日


ホアロー収容所で、三番めのエリアに入りました。
個々が最後のエリアです。


展示してある写真は、
植民地時代から、ベトナム戦争のころのものに
変わりました。


そう。
ここで展示しているのは、
ベトナム戦争の頃の写真や物品です。
ベトナムで捕虜になった米兵は、
このホアローに収容されていました。
当時、米兵のあいだでは、この収容所のことを、
「ハノイ・ヒルトン」と呼んでいたそうです。
実際のところ、彼らの生活は、どうだったのでしょうか。


米軍の爆撃で、ひと晩で破壊された街。

捕虜となった米兵が使用していたもの。ごていねいに、捕虜の名前や顔写真付きです。

捕虜が着ていた服。

捕虜になった米兵が使っていたもの。左上から、うちわ、食器、パイプ、カーディガン。

食器、やかん、タオル、歯ブラシ、髭剃りの道具。

捕虜が使用していたベッド。


ここで私が感じたのは、
「フランス統治時代に使用していたものとは、
 ずいぶん違うなあ…。」
ということでした。


フランス統治時代のベトナム人は、
首や足を固定され、
コンクリートのベッドに転がされていました。
ただ生きているだけ、のような状態だったと思います。


けれど、ベトナム戦争当時に捕虜となった米兵は、
涼をとるためのうちわ(!)や歯ブラシ、
髭剃り道具まで与えられています。


ベッドは、粗末なものですが、
コンクリートよりはマシなものだし、
筵まで敷いてもらっています。


時代が違う、
と言ってしまえばそれまでなのですが。
そして、私が感じた、そんな思いは、
さらに次の展示物にもつながっていきました。


ホアローに収容されていた米兵の写真。
上:母国からの手紙や写真を受け取り、喜ぶ米兵。
下:米メディアの取材を受け、いっしょにお酒を飲む米兵。

上:クリスマスの飾りつけを、みんなで楽しむようす。
下:クリスマスの料理をみんなで作り、食事会を開いたときのようす。


私が、へそまがりなのでしょうか…。
なんかね。
なんとなく、聞こえてきたんです。


「自分たちは、かつて、
 フランス人から悲惨な扱いを受けたけど、
 ベトナム戦争では、アメリカ人の捕虜を、
 こんなにも大切に扱っています…。」
と言う、ベトナム政府の言い分が…(苦笑)。


この写真が、プロパガンダかどうかは、わかりません。
本当に、米兵はよくしてもらったのだとしたら、
「すみませんでした。」と、謝るしかないんですけど。


でもね…。
ホアロー収容所の歴史として、
「フランス統治時代」と「ベトナム戦争当時」という、
ふたつの事実を紹介するのは当然なのですが、
その扱い方には、大きな違いがあるように感じるのです。
ベトナム政府が言いたいことも、
ここには、さりげなく隠されているんじゃないか(苦笑)。


いや、ほんと、単に感じただけのことですし、
こんなふうに思ってしまう私、
素直じゃないですね…笑


「わかった、わかった。
 おめーらの言いたいことは、
 よーーーくわかった。」
と、心の中でつぶやきながら、
収容所の外に出たのでした。(苦笑)


収容所の塀の前で、観光用の記念写真を撮っていた、韓国人のカップルと撮影スタッフ。この建物がかつてなんだったのか、きっとこのふたりは知らないんだろうなあ、と思いました。(知っていたら、こんな写真、撮ろうと思わないですよね。)


さて。
広いホアロー収容所内を見てまわったのですが、
実は、かつての収容所は、この3倍もの広さがありました。


自宅で雑談しているときに、
ローさんにおしえてもらったのですが、
近年になって、
収容所の約3分の2の部分が
取り壊されてしまったのだそうです。


現在、その場所には、
「ハノイ・タワー」と呼ばれる高層ビルが建てられていて、
高級マンションとビジネスオフィスが入居しているのだとか。
せっかくなので、その、「ハノイ・タワー」に
行ってみることにしました。


つまりこれが、「ホアロー収容所の四番めのエリア」、
ということになります。^^


ホアロー収容所の隣りにある、ハノイ・タワー。高層ビルなのですが、大きすぎて写真に納まらないので、1階部分のみを撮りました。

ここに来た目的は、「レストラン街」です。高層ビルなら、たいていありますよね。笑 そして思ったとおり、日本料理屋がありました。そろそろお昼なので、ここでランチにします。

日本料理屋「たま弥」。店内だけでなく、お店の前のスペースにも、テラス風のテーブルがたくさん設えてありました。

「刺身定食」を注文してみました。

こんな感じ。お刺身盛り合わせ、小鉢、茶わん蒸し、お味噌汁、ごはん、デザート(ドラゴンフルーツ)で、210000ドン(約1050円)でした。日本で食べるのとまったく変わらない、おいしい食事でした。


食事のあと、お茶を飲んでいると、
数人の女性スタッフに囲まれて、
「日本に行ったことがあります。」
「日本に行きたいです。」
「ベトナムは好きですか?」
などと、あれこれ、カタコトの日本語で話しかけられました。


どうやら、日本語の練習をしたいようなのです。
ベトナムでは、こういうことがよくありました。
日本人は好意的に見られているなあ、と感じます。
ありがたいですね。^^


Ocha(お茶)が無料になっているのが、うれしいです。^^


二日続けてハノイの街を歩き回ったので、
この日は、少し早めに、
家に戻ることにしました。


とはいえ、ここからバス停まで、
歩いて一時間。
バスに揺られて、一時間。
家に着くのは、4時前になってしまうのですが。^^


晩ごはんです。

オムレツ風のお焼き、バラロット風に、胡椒の葉を混ぜたハンバーグ、肉団子のトマトソース、野菜炒め(もやし、人参、ねぎ)、ごはん、スープ(肉団子、ねぎ)。


今日も楽しい一日でした。


(つづき)