MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 24 - 外村宇兵衛邸(2020年9月24日/3日め)

2020年9月24日 五箇荘・外村宇兵衛邸から中江準五郎邸へと歩きました。


9月24日


外村繁邸を出て、次は、
外村宇兵衛(とのむらうべえ)邸に行きました。
外村繁は、外村宇兵衛の分家筋にあたります。


外村宇兵衛は、1802年に、
呉服を中心として、商いを始めました。
その後、
「御幸(みゆき)毛織株式会社」を興し、
東京、京都、横浜、福井に
支店を広げていったそうです。
外村宇兵衛の一族は、1896年頃には、
全国の長者番付にも名前が載るほどの
最盛期を迎えました。


広い家屋には、素晴らしい庭園や、
数々の調度品があり、
当時の堂々たる暮らしぶりがうかがえます。


外村宇兵衛邸。やはり、家の横に水路があります。(画像をお借りしました)

外村宇兵衛邸の入り口は、外村繁邸とよく似ています。入り口を入ると、右手が水屋(川戸)。左手が玄関。一瞬、繁邸に来たのかと錯覚するほどです。^^

水屋(川戸)。外の水路から水を引いています。


まずは、台所へ。
これまた、外村繁邸と似ています。^^


人力車は、五箇荘のイベントで使用するためのものだそうです。

近江商人の写真が残っています。天秤棒の両端に荷をくくり、この格好で行商したそうです。

行商用のてんびんの見本。「てんびん体験」ができます。

そうすると、かかえてみないではいられない人。けっこうな重さだったそうです。

座敷に上がってみました。

広い邸内。いくつもの座敷が続きます。

そして内蔵へ。ここの蔵も、2階に上がることができます。たくさんのお膳や人形がしまわれていました。

内蔵の1階は、「外村宇兵衛資料室」となっています。

御幸毛織株式会社についての資料が展示されていました。

外村宇兵衛の写真。明治天皇の晩餐会に出席したときの大礼服姿だそうです。


行商から始まった近江商人が、
日本で有数の企業を興し、
天皇の晩餐会に出席するまでになりました。


このようなサクセスストーリーは、
外村宇兵衛だけではありませんでした。
このあと、近江商人のすごさを、
さらに知ることになります。


(つづく)

コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 23 - 外村繁邸②と「いっぺき」(2020年9月24日/3日め)

2020年9月24日 うどん屋さん「いっぺき」で。


9月24日


外村繁邸では、蔵を、
「外村繁文学館」として公開しています。


屋敷内からそのまま蔵に入ることができます。

入ってすぐの部屋では、外村繁の年表と著書が展示してあります。(画像をお借りしました)

階段を上がって二階に行きました。ここは、外村繁が梶井基次郎や中谷孝雄などの仲間たちと一緒に作っていた同人誌・「青空」についての展示コーナーになっています。

ガラスケースの反対側には、当時の箪笥や長持ちが並んでいました。


再び、お屋敷の中に戻りました。
座敷の中央にある階段を上がって、
二階に行ってみます。


この階段、3方にあるふすまを全部閉めると、階段が隠れてしまう、という仕掛けになっています。

二階は、どの部屋からも庭の眺めを楽しむことができます。

風鈴についていた短冊です。「風鈴も動いてこそ鐘(銭)が鳴る(成る)」と。江戸時代後期の近江商人、塚本定右衛門の家訓だったそうです。塚本定右衛門は、歴代当主が代々襲名した名称で、総合繊維商社ツカモトコーポレーションの創業家です。

祖翁紅売りの図。塚本定右衛門が夏の暑い日に行商し、休憩していると、風鈴の音を耳にしました。風鈴も動いてこそカネ(金)が鳴る(成る)と気づき、「稼がずにぶらぶらしてはなりませぬ。一文銭も頼む身ならば」の言葉になったそうです。

天井の造りが、部屋ごとに異なっています。この部屋の天井は、東南アジアのお家みたい。^^ 欄間も竹で作ってあり、天井に合っていますね。

二階から見下ろした裏庭と蔵です。蔵と屋敷がぴったりくっついているのがよくわかります。


昼食は、外村繁邸のお向かいにある、
「うどんと喫茶の店 いっぺき」
でいただきました。


もちもちの自家製麺と、昆布と鰹からとったダシが自慢のお店です。


白壁と舟板塀が、いい雰囲気を出しています。

かけうどん(500円)と天ぷら盛り合わせ(450円)をいただきました。テーブルの真ん中には、でっかいアクリルボードが。笑


おうどんも天ぷらも、
とてもおいしかったです。^^


帰宅してからわかったのですが、
「いっぺき」は、就労移行支援事業を行う、
障害福祉サービス事業所でした。
定員6名の、小さな作業所で、
お弁当の宅配なども行っているようです。


そうとは知らずに入ったのですが、
わかっていたら、
もっと高いのを注文したのに。笑


とりあえず、
「食べて応援」できてよかった。^^
がんばれ、いっぺき。



(つづく)

コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 22 - 外村繁邸①(2020年9月24日/3日め)

2020年9月24日 五箇荘・外村繁邸で。


9月24日


湖の国を代表する作家と言われる、
外村繁のお屋敷に来ています。


外村邸は、呉服業で財を成した、
近江商人の屋敷です。
外村家はたいへんな豪商で、
全国長者番付にも名を連ねていたそうです。


外村繁は、この家の三男として生まれ、
家業を継ぎました。
が、文学への夢が捨てきれず、
数年後、弟に家業を託して、
作家活動に専念します。
近江商人を題材にした小説や
自らの人生をつづった、
数多くの作品を残しました。


屋敷の奥にある蔵は、
「外村繁文学館」として、公開されています。
第一回芥川賞の候補にもなった繁の、
作家としての人生を知ることができます。


外村繁邸・玄関。

玄関を入ると土間があり、右手には、数部屋分もの座敷が広がっています。屋敷内の随所で、現代絵画の展示も行っていました。


私たちの気配を察して、
奥から係員さんが出てこられました。
ここで、入館料を払います。
5館共通入館券を買ってみました。


5館共通入館券(1000円)


まずは、係の方の案内で、
土間の奥に続く台所を見学しました。


広い台所です。火処はふたつ。その奥に井戸と流しが見えます。

火処(おくど)。

井戸と流し。

台所の右手に、お風呂もありました。

おもしろかったのは、井戸の横に設置されている、「風呂水槽」です。この風呂水槽は、地下の水路を通じて、お風呂とつながっているのです。井戸の水を汲み、この風呂水槽に流し入れると、風呂釜の中に水が送られる仕掛けになっていました。


近江商人は、一年の大部分を、
行商に費やしました。
自宅を留守にすることが多く、
その間、家の中は、
妻が守らねばなりませんでした。


「自分が留守のあいだ、風呂の水運びで、
 妻が苦労しなくてすむように…という、
 当主の配慮だったのかもしれません。」
と、係の方が説明してくださいました。


さらに、台所から裏庭に案内していただきました。

信楽焼のたぬきさん。五箇荘のたぬきは、一般のものと少し違っています。


「五箇荘のたぬきには、意味があるんです。
 何事も太っ腹で、そして、
 目を大きく開けて、世の中を見るように。

 …そう教えてくれているのです。」


おもしろいですね。^^


中庭の半分を占める蔵。五箇荘の蔵は、「内蔵(うちぐら)」です。蔵の出入り口は家の中にあります。つまり、家と蔵がつながっているのです。


「それでは、家の中を、
 どうぞご自由にご覧ください。」
と言われ、お屋敷の中に戻りました。


本当に広いです。写真の階段を上がって、2階を見ることもできます。

裏庭と反対側に広がる、見事な庭園。

外村繁が執筆していた部屋。

髪結の間。今でいう、パウダールームですね。^^

さらに奥へと進むと、つきあたりに、内蔵の扉があります。これは、さきほど中庭で見た蔵です。こんなふうに、あたかも家の中のひと部屋であるかのように、家と一体になった蔵が造られました。


次回は、外村繁邸の蔵の中を歩いてみます。


(つづく)

コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 21 - 弘誓寺と近江商人屋敷(2020年9月24日/3日め)

2020年9月24日 五箇荘・近江商人屋敷。


9月24日


五箇荘金堂地区で、
寺前・鯉通りを歩きました。


住宅街ですが、大きくて古そうな家屋が並んでいます。

そして通りの左側に、大きなお寺が見えてきました。

弘誓寺(ぐぜいじ)です。(重要文化財)


【弘誓寺】
五個荘・金堂地区にある、浄土真宗大谷派の古刹。那須与一の孫、愚咄(ぐとつ)を開祖とし、1290年正応3年に創建されました。現在の本堂は、1753年再建されました。近江商人の尽力で、これまで維持されてきました。近江商人の富の大きさが偲ばれる寺でもあります。


お寺の前の水路は、地元の方々によるアートで飾られていました。

そしていよいよ、近江商人屋敷があるエリアにやってきました。


古くて落ち着いた町並みです。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された、
「五個荘金堂の町並み」
の大きな特徴が、白壁と舟板塀です。


白壁と舟板塀が、独特の景観を演出しています。


壁は、上の部分が白壁で、
下の部分が木でできていて、
これを「舟板塀」と言います。
琵琶湖の水運を担った舟の部材を
再利用しているのです。
舟板だけに、厚くて長く、
雨水にも強い特徴を持っているそうです。
さすが、湖の国(うみのくに)ですね。^^


この地域の近江商人屋敷として有名なのが、
 外村繁邸
 外村宇兵衛邸
 中江準五郎邸
 藤井彦四郎邸
の4軒です。
まずは、外村繁邸に行ってみました。


【外村繁邸】
外村宇兵衛家の分家として、江戸時代末期に建てられた屋敷です。総面積2395平方メートル・建物面積496平方メートル。門を入ると、川の水を取り入れた「川戸」と呼ばれる水屋があります。玄関に続く石畳の右手には、広い庭が見えます。ほかに、外村繁が小説を書いていた小座敷や女中部屋・松の節つきの一枚板・蔵などがあります。家の間取りは、その用途によって幅広く使用できる工夫がほどこされていて、どの部屋からも庭を見ることができます。


外村繁は、外村家の三男として生まれ、
家業を継いだのですが、同時に、
滋賀県を代表する作家でもありました。
 昭和10年「草筏」が芥川賞候補
 昭和13年池谷賞を受賞
 昭和31年「筏」が野間文学賞を受賞
と言った経歴があります。


なので、このお屋敷は、
「外村繁文学館」も兼ねており、
彼の作家としての足跡も展示してあります。


外村繁邸の入り口です。屋敷の前は水路になっていて、小さな橋を渡って入ります。右奥に小さく見えているのが、お屋敷の門です。


門を入ると、目の前に庭が広がります。
右手が水屋(川戸)、左手が玄関です。


MIYOの後ろに見えているのが水屋(川戸)です。

水屋です。「川戸」と呼ばれています。家の外を流れる水路から水を引きこむようになっており、屋根をかけてあります。川戸は、日常生活における洗い場でしたが、防火用水としても利用されました。

広い庭を眺めながら、玄関へと歩きました。


次回は、外村繁邸の内部をご紹介します。


それにしても。
近江商人博物館を出てから、
ここに来るまで、
人っ子ひとりいませんでした。
(郵便局の方とはすれ違いましたが。笑)


やはり、コロナのせいなのでしょう。
観光客を、まったく見かけません。
安土城跡に続いて、
五箇荘も、貸し切り状態です…。


(つづく)

コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 20 - 安土城跡から五箇荘へ(2020年9月24日/3日め)

2020年9月24日 安土城・摠見寺仁王門。


9月24日


三重の塔からさらに歩いて、
長い石段を降りました。


石段の下に、小さく見えています。


摠見寺仁王門(正式には二王門)です。1571年に建立されました。(重要文化財)

門をくぐって反対側に行くと、門内に安置されている金剛力士像を見ることができます。1467年に造られたそうです。(重要文化財)

仁王門を出て、さらに石段を下り続けました。


これでようやく、
安土城跡の主要スポットを
すべて訪れることができました。


重ねて言います。
安土城の訪問は、
「観光」ではなく、「山登り」です。泣
私にとっては、この旅で最大の御難場でした。😂


ええ。たしかに、楽しかったんですけどね。
行ってよかったんですけどね…。
でもなぜか、安土城を思い出すと、
夫への怒りがふつふつと沸いてくるんですよね。😂😂


ちなみに、天主までの石段は、
全部で400段くらいだったそうです。
たいしたことないですか?😂


最後に、徳川家康邸跡に建てられた、
摠見寺仮本堂を見て帰りました。


昭和7年に建てられた、摠見寺仮本堂。(画像をお借りしました。)


摠見寺は、安土城築城の際、
信長が他所より移築し、
自らの菩提寺にしたと言われています。


けれど私には、理解できません。
信長にとって、このお寺は、
どんな意味があったのでしょうか。


多数の石仏を石段の材料として使い、
どこかの寺から奪ってきた仏足石を
石垣に使うような人が、
城内に寺を移築したところで、
信仰心などあるものか、と…。


信長という人の、殺伐とした宗教観と、
崩れ果て、礎石だけが残る安土城とが、
私の中で、なぜかしっくりと重なりました。


安土城跡で見たイチョウ。実が、少しずつ色づいていました。


安土城跡を、一日中歩いていたような感じですが、
実は、ここにいたのは、ほんの2時間くらいです。
もう、このまま、
ホテルに帰って休みたいところなのですが、
そうはいきません。😂
夫にとっては、
「本日のたくさんのプログラム」の中の、
ほんのひとつめが終わっただけでしか
ありませんから。😂😂😂


…というわけで、次に向かったところが、
ココです。


滋賀県東近江市五個荘金堂地区


【五箇荘金堂地区】
五箇荘は、「近江商人発祥の地」と言われています。五箇荘の商人は、天秤棒一本の行商から始まり、やがて巨万の富を築く大商人となりました。現在でも、金堂地区を中心に、白壁と舟底板の蔵、そして、五個荘商人の広大な屋敷が多く残っています。


まずは、「ぷらざ三方よし」に。
ここは、東近江市の観光案内所です。
各種パンフレットを用意してあり、
ここでもらったマップが
わかりやすくてとても便利でした。
駐車場を、無料で利用できるうえ、
観光スポットにも歩いて行けるので、
助かります。^^


ぷらざ三方よし


この建物の1階では、
地元の皆さんの手作り品や農産物を
販売しています。
ついでに、ちょっとのぞいてみました。


そういえば、ニンニクが残り少なくなっていた、と思いだし、こんなところでお買い上げ。笑


そしてまたしても、
「ここはどこ?
 五箇荘?
 なにがあるの?
と尋ねる私。爆
ほとんど毎回、着いてから訊くのが、
我ながら笑えます。


なんだかよくわかりませんが、
とりあえず、観光スタートです。笑


静かな町です。人っ子ひとり歩いていません。本当に観光地か?と思うくらい。笑

ここは、寺前・鯉通りというそうです。道路の片側が水路になっています。

「あっ 鯉が泳いでるよ!」

エサが欲しくて、どんどん集まってきました。^^

「朝ごはんのパン、持って来ればよかったね!」


寺前・鯉通りは、
金堂地区に入ってすぐのところにあります。
水路の中では、たくさんの錦鯉が、
のびのびと泳いでいました。


水路を流れる澄んだ水に、
気持ちがなごみます。
少しずつ元気をとりもどし、
さらにその先へと歩きました。


(つづく)