MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 6 - サインワインでおおさわぎ(1987年5月3日/3日め)

1987年5月3日 マンダレー・ヒルのみなさんと。(ビルマ・マンダレー)


1987年5月3日(土)- 3日め


マンダレー・ヒルの階段を延々と歩き続け、
その途中にあった、
小さなお寺のようなところで、
地元のみなさんの宴会に
まぎれこんでしまった、私たち。
あれはいったい、なんの集まりだったのか、
いまだにわからないのですが…。😄


わけのわからない闖入者だった私たちを、みなさん笑顔で迎えてくださり、いっしょに踊ることになりました。笑

「いっしょに踊って。」と言われ、はじめは遠慮気味だったのですが…、

だんだん大胆に。🤣🤣

音楽は、カセットではなくて、なんと生演奏です。立派な楽器が並んでいました。お風呂に入ってるみたいですが、これは楽器です。笑

楽団の方々もはりきって演奏していました。

みんなで輪になって踊ってます。宴はどんどん盛り上がり…、

フィニッシュ! 見てください。みなさんの、この楽しそうな顔。😄

この写真は、1988年の年賀状になってしまいました。🤣

最後は、「仏様にお参りしていってね。」と言われ…。この宴は、法事かなにかだったのかもしれません。

お参りの後で、「撮って」と言われて撮った写真です。どうやら、この方々が宴の主催者だったようです。お孫さんらしき男の子が剃髪しているので、得度のお祝いだったのかもしれません。


いきなりやってきた私たちを、
快く招き入れてくださったときは、
びっくりしました。


でもこのあと、旅を続けていくなかで、
しだいにわかってきたことがありました。
それは、ビルマの人々のおおらかさ。


どこかの家でお祝い事を行うとき、
その家の前を誰かが通りがかると、
たとえ知らない人であっても、
必ず中に招き入れ、食事をふるまう…。
そんな、びっくりするようなことが、
この国ではあたりまえに行われていました。


実際、私たちも、
たまたま家の前を通りがかっただけで、
声をかけられ、家の中に招かれ、
お食事までいただいてしまったことが
ありました。🤣


マンダレー・ヒルで、いきなり現れた私たちを、
宴の中に招き入れてくれたことも、
この国のみなさんにとっては、
ごくあたりまえの、
自然なことだったのでしょう。


最後は、みんなで記念撮影。

この写真は、その後、MIYO家が引っ越した時の、「転居のごあいさつ」葉書になりました。そのときにスキャナーで読み込んでデジタル画像にしておいたので、今も色がきれいに残っています。


宴で踊って(笑)、
元気を取り戻した私たちは、
このあとがんばって、
マンダレー・ヒルの頂上まで登ります。
そして、その帰り道に、偶然、
宴でいっしょに踊ったオバサマと
再会しました。



オバサマは、MIYOの手をしっかり握って、
「今日は来てくれてよかった。
 また遊びにおいで。必ずおいで。」
と、何度も何度も言ってくれました。


当時は誰も、
カメラなど持っていなかったので、
私たちが撮った写真が、
宴での、唯一の写真だったかもしれません。


このときに撮ったすべての写真は、
帰国後に焼き増しして、ビルマに送りました。
個々の写真ごとに、
写っている人の人数分、焼き増ししたので、
すごい量になりました。笑
楽しい時を過ごさせてもらったことへの、
ささやかな、お礼の気持ちでした。


(つづく)


(おまけのお話)


この日記は、当時のアルバムを参考にして、
記憶を手繰り寄せながら書いています。
アルバムを作ったのは夫なのですが、
その中に、夫はときどき、
ビルマで買った絵葉書も貼っていました。


そのテイストがとても楽しいので、
ご紹介します。


印刷がかなり粗いのですが、まあ当時、ビルマでの絵葉書の印刷はこんなものでした。😅 伝統舞踊を踊るふたりの後ろにあるのは、ビルマの伝統楽器です。そして上の方に写っているのが、ビルマの神話上の動物、チンネ(またはチンゼ)で、羽根のあるライオンです。

マンダレー・ヒルで出会った楽団のみなさんも、同じ伝統楽器を演奏しておられました。左から、チーワイン(小さい風呂桶)、スィーワー(長い棒)、パッワイン(大きい風呂桶)です。

写真右端のパッワイン(またはサインワイン)の内側です。環状の木枠の内側に、調律された太鼓をたくさん吊り、叩いてメロディーを奏でます。楽団の中心となる存在です。
以下のサイトから画像をお借りしました。
Myanmar Pyi Kyauk Sein によるパッワイン(サインワイン)の素晴らしい演奏を録音した | エヤワディ Blog

左端のチーワインです。環状の木枠の内側に、ゴングが並んでいます。(画像をお借りしました)

中央のスィーワー(拍子木)です。

そして大小の太鼓。このほかに、シンバルやチャルメラが入ることもあります。


この太鼓奏者の上に、
不思議な動物が写っています。
これが、上の絵葉書にも登場している、
ビルマの神話上の動物、チンネです。


どうやらチンネは、ビルマ伝統楽器の装飾として、欠かせない存在のようです。^^(以下2枚、画像をお借りしました)

チンネは、1997年発行の50チャット紙幣にも描かれていました。


楽団全体を指して、「サインワイン」と
呼ぶこともあるそうです。
サインワインは、
得度(出家の儀式)や寄進式など、
仏教行事で用いられます。


そのほかに、
 ザッポエ(大衆演劇)
 ヨウッテーポエ(操り人形劇)
 ナッポエ(精霊信仰の行事)
などでも演奏されます。
村々で行われるサインワインの公演では、
踊り手や道化役者なども登場し、
芸能ショーとして、人々を楽しませます。


こちらで、サインワインを聞くことができます。私たちが踊ったときも、こんな風な音楽だったような気がします。笑

ထိုင္ဝမ္ေရာက္ျမန္မာ့ဆိုင္း--ပြဲဦးခုနစ္သံခ်ီ_ဆိုင္း- သီရိေမာင္ေမာင္နွင့္အဖြဲ႕၊


この日、私たちも参加させていただいた宴は、
このサインワインを招いていたくらいなので、
費用もかなりかかったはず。
おそらく、
「孫の得度のお祝い」
だったのでしょう。^^


あのときの男の子も、今はもう、40歳代。
自分の得度の時に踊っていた日本人のことを、
今も覚えてくれているかなあ…。

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