埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 7 - マンダレー・ヒルとココさん一家。(1987年5月3日/3日め)
1987年5月3日 マンダレー・ヒルから、クトードー・パゴダを眺めました。(ビルマ・マンダレー)
1987年5月3日(土)- 3日め
宴に闖入したあと、みなさんとお別れし、
再び、マンダレー・ヒルの長い長い階段を
上がり続けた、私たち。
ようやく、頂上に着きました。
眼下には、ついさっき訪れた、クトードー・パゴダが見えました。
ちなみにこちらが、現在の クトードー・パゴダ。美しく整備され、金の部分が増えています。
そのクトードー・パゴダを眺める、MIYO。
MIYOが撮った、多動夫。やっぱり、私の方が上手に撮れていると思う。(←アホ)
残念ながら雲が多くて、美しい夕陽は見られませんでしたが、大平原にポツリポツリと見える白いパゴダは、やはりビルマならではの風景でした。
マンダレーは、ビルマ第二の都市なのですが、
この頃は、ビルなどもほとんどなく、
見えるものと言えば、パゴダだけ。
そんな平原が、地平線まで続いていました。
「身を隠すところが、ほとんどないんだよな…。
こんな、なんにもない平原で、
日本軍は戦ったんだなあ…。」
と、夫がポツリと言いました。
激戦地となった、マンダレー。
多くの日本兵が、ここで戦死しています。
マンダレー・ヒルの頂上で、
その平原に向かって、
ふたりで手を合わせました。
マンダレー・ヒルで、ウィンさんと。
階段を1時間も上がり続けてたいへんだったけど、ウィンさんは最後まで、いっしょに歩いてくれました。
シュエナンドー僧院の近くにあった、機織りの家で。ちょっと見学させていただきました。
ネコくんもいました。^^
さて。
マンダレーの観光は、これで終わりました。
実は、この日の夜に、
マンダレーをバスで出発し、
次の目的地に向かうことにしていました。
なので、ココさんたちとはここでお別れし、
どこかで晩ごはんを食べてから、
バスに乗るつもりでした。
ところがここで、思いがけない展開となります。
(ビルマ旅は、コレばっかりでしたが。笑)
ココさんが、
「バスに乗る前に、ウチで、
晩ごはんを食べて行ってください。」
と言い出したのです。
(ちなみに、ビルマの人々は英語を話します。)
あまりに思いがけないことだったので、
はじめは、なにを言っているのかわからなくて、
夫と顔を見合わせました。
私たちが英語を聞き間違えているのかと、
ココさんに何度も確認したのですが、
やはり、そう言ってくれていました。
ココさんと会ったのは、その日の朝です。
マンダレー駅でたまたま出会った、
サイカードライバーのココさんに、
「ゼージョーマーケット、
シュエナンドー僧院、
アトゥマシー僧院、それと、
クトードー・パゴダに行きたいのです。
最後は夕方のマンダレー・ヒルで。
全部を一日で周りたいのですが。」
とお願いしたわけです。
夫が言った行き先を、近いところから順に、
効率よく連れて行ってくださり、
とても助かりましたが、ココさんが、
以前からの知り合いだったわけではありません。
そんなココさんが、いきなり、
ご自宅に招待してくださったのです。笑
びっくりしたけど、
ビルマの人の普通のおウチを見てみたかったし、
ビルマの家庭料理を食べてみたいとも思いました。
そういえば、朝マンダレー駅に着いてから、
お昼ごはんも食べずに、観光を続けていました。
そう思ったら、
めちゃくちゃお腹が空いてきました。笑
…ということで、そのままサイカーに乗って、
いきなり、ココさんちに
連れて行っていただくことになりました。
ココさんのお宅で。当時はスマホとかもなく、連絡もしないで突然訪問するという無礼者でしたが、快く、食事をさせてくださいました。右にいるのは、妹さん。
さらに、弟さん、妹さん、妹さん、弟さん、そしてチビくんは、ココさんの一粒種。^^
もうひとりの妹さんも。ご家族が、どんどん出てきます。左端は、ココさんの奥様。
新たな弟さんが登場。笑
さらに妹さん追加。笑 そして右端は、ココさんのお父さんとお母さん。
なんと、14人家族でした。
ココさんは、10人兄弟の長男でした。
14人もの大家族で、その全員の生活を、
ココさんとお父さんの
ふたりの働きで支えていました。
すごいなあ…。
私たちからのプレゼントを持っているココさん。こんなことになると思わなかったので、お土産とか、なにも用意していなくてあわてました。よく覚えていないのですが、日本から持ってきていた衣類の中から新品を選んで、ココさんに差し上げたような気がします。でも、モノのないビルマで、「新品の衣類」は、かなり喜ばれるものであったことが、ずっとあとになってわかります。^^
夫、なにかを読もうとしていたのですが、
ビルマの家の中は電灯が暗くて、
読みづらかったようです。
そしたら誰かが、
懐中電灯で手元を照らしてくれました。笑
素朴な、ビルマの暮らしでした。楽しかったなあ…。^^
食事の後は、近所の食堂へ。
みんなで、ビールを飲みながらおしゃべり。
お店のかわいいおねえさんと。…っていうか、まだ少女ですよね。^^
ところで、既に書きましたが、
この日の夜11時のバスで、私たちは、
マンダレーを出発することになっていました。
「バスの時間に間に合いますか?」
と、ココさんに何度も聞いたのですが…。
ココさんは、「だいじょぶ、まだだいじょぶ。」と言うばかり。笑
ちょっと心配しながらも、
楽しい時間が過ぎていきました。
そして何回めだったか、再びMIYOが、
「バス、ほんとうに大丈夫ですか?
あと15分くらいしかありませんよ?」
と訊いたとき、
ココさんの表情が変わったのです。🤣
それからがたいへんでした。
「サイカーにふたりで乗ったら、
スピードが遅くてバスに間に合わない。」
ということで、MIYOだけがサイカーに。
夫は、ウィンさんの自転車の荷台に乗りました。
ココさんのサイカーと、
ウィンさんの自転車に分乗して、
夜のマンダレーを、もう走る、走る…。🤣🤣
ココさんとウィンさんが必死で漕ぎまくり、
猛スピードで走ったおかげで、
どうにか、出発間際のバスに間に合いました。
私たちは、最後の乗客です。
「もう出発するところだよ。すぐに乗ってね。」
ドアを閉めようとしていた車掌さんに言われ、
あわてて荷物を預け、乗り込んだバスは満席。
それでも、奥につめてもらい、
補助席の前から1番めと2番めに、
どうにか座ることができました。
慌ただしくバスに乗り込んだので、
ココさん、ウィンさんと、
ゆっくりお別れする時間もありませんでした。
「ココさん! ウィンさん!
どうもありがとう!!」
と、バスの中からふたりに声をかけ、
せいいっぱい、手をふりました。
バスが動き始めました。
ビルマの夜は、街灯も少なく、真っ暗です。
私たちを見送ってくれたふたりの姿は、
その闇の中に溶け込んでいき、
やがてすぐに、見えなくなってしまいました。
マンダレーで過ごした、
怒涛のような一日が終わりました。
(つづく)