MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 9 - 「東源鶏飯」でお昼ごはん(2024年1月14日/3日め)

2024年1月14日 チョロン・東源鶏飯で。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


前日から楽しみにしていた、
「東源鶏飯」に到着しました。


チョロンには、
ほかにも有名なお店があるのですが、
MIYOはここに行くと決めていました。
「鶏飯」が食べたかったのです。
そう、あの海南鶏飯です。


海南鶏飯(ハイナンチーファン・海南チキンライス)です。シンガポールやマレーシアの名物料理とされており、日本では「海南チキンライス」とも呼ぶこともあります。タイのカオマンガイにも似ていますね。(キリンのサイトから、画像をお借りしました)


同じような料理を、シンガポールでは、
「シンガポールチキンライス」
と呼びますが、その発祥の地は海南島。
その海南島から移住した人が、
チョロンにはたくさんいます。


MIYOは、海南鶏飯が大好きで、
家でもときどき作っているくらい。笑
なので、チョロンの海南鶏飯も、
食べてみたかったのです。


シンガポールよりもチョロンの方が、
海南島に近いし、
海南島出身の人が多いチョロンなら、
シンガポールのチキンライスよりも、
よりオリジナルに近い味が食べられるかも…。
期待がふくらみます。^^


地図で見るとこんな感じ。海南島発祥の海南鶏飯は、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポールと、華人の足跡を追うかのように広がって行きました。


2023年6月の旅で、
ハロン湾で出会ったヘンリー一家も、
お父さんのルーツは海南島。
アメリカ人でありながら、家族間では、
海南語で会話しておられました。
ヘンリー一家のお話はこちらに書きました。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 39 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり㉔ 感謝と祈りをこめて(2023年6月17日/4日め)


角地に建つ、東源鶏飯。よく見ると、写真の右奥に、同じ色の看板のお店がもう一軒見えます。


チョロンには、東源鶏飯が2軒あります。
手前のお店は1号店。
そして、右奥に見えているのが、2号店です。


1945年創業の、東源鶏飯。
(コムガードンググエン/Cơm Gà Dong Nguyen)
経営するのは、呉ファミリー。
海南島出身だった、呉家のおかあさんが、
郷土料理であった海南鶏飯を、
屋台で売ったのが始まりでした。
その屋台があったのは、この1号店の前。
やがて商売が繁盛し、
屋台があった場所の建物を買い取りました。
それが、現在の1号店となったそうです。


それから80年。
東源鶏飯は、創業以来ずっと、
地元の人々に愛され続けている有名店です。
現在では、ホーチミン市内に3店舗あり、
3代目ファミリーが切り盛りしているそうです。


まずは1号店に行ってみました。
が、店内にはバイクがずらりととめてあって、
食堂と言うより駐車場みたい。
営業しているのかどうか、よくわかりません。
なので、すぐ近くの2号店に行くことに。


こちらが2号店です。

店内に入ると、左側は開放型の厨房になっています。

かなり大がかりなオープンキッチン。手前にある炉をのぞいて、感動しました。

こんなですよ…。熱々の器の中には、さまざまなお料理がスタンバイしていました。

炉の上に並べられている、本日のおかずたち。もうワクワクします。注文を受けると、料理はここから運ばれていくのですが、壁際にある保管庫からどんどん補充されるので、炉の上はいつも賑やか。^^


私も夫も、歓声をあげながら、
おかずたちを見つめていました。
すると夫が、
「オレ、鶏飯よりもこの麻婆豆腐を食べたい。」
と言いだしました。🤣


たしかにおいしそうです。^^

こちらは店内の右側。チキンや叉焼を切り分けているところです。

その左にあるケースの中も、おかずだらけ。笑

その奥には、お客さんが食事するスペースがあります。


上の写真を撮ったときは、
まだ11時前だったのですが、
店内はすでに、お客さんでいっぱいでした。


そして12時半。
お寺めぐりを終えた私たちが、
もういちどお店に来てみると、
このスペースは満席状態になっていました。


でも大丈夫。誰に案内されることもなく、MIYOは勝手に、2階につづく階段を上がりました。


「2階にも部屋があり、そこならエアコンもある。
 勝手に上がって行ってOK。」
ということを、
あらかじめ、ネットで調べてあったのです。
やはり、下調べは大事ですね。^^


2階に上がり、ドアを開けると、中はこんな感じ。東源鶏飯を愛する地元の人たちが、家族でやってくるお店であることは、ひとめでわかりました。


2階も満席だったのですが、
運よく、食事を終えて出て行く人がいたので、
ちゃっかり、そのテーブルを押さえました。^^


メニューはベトナム語と英語、そして時々中国語。笑

単品料理もたくさんあったのですが、「ふたり分のセットメニュー」(318000ドン/約1600円)らしきものを見つけたので、それにしてみました。

ちなみに、東源鶏飯の料理は、ネットから注文できます(日本からはムリ笑)。お店の前に、配達の人が大勢待っていたので、Grabとかで注文し、ホテルに配達してもらうこともできそうです(未確認情報)。実際にお店に行く場合は、あらかじめ、以下のサイトのメニューをグーグル翻訳しておけば、私たちのようにお店に着いてからまごまごしないですむかもしれません。😅
Cơm gà Đông Nguyên – Cơm gà Đông Nguyên

さて、夫が注文したビールと、セットについていた「なにか」のドリンク2本です。「氷をください。」とお願いしたら、コップに大盛りで持ってきてくださいました。うれしい。^^

このドリンク、メニューには「Tặng」と書いてありました。後で調べたら、「おまけ」という意味でした。タイで飲んだアイスティーのような薬草茶か?と思って恐る恐る飲んだら、ほんのり甘い紅茶のような飲み物でした。おいしかったです。^^
タイで飲んだチャーノムイェンのお話はこちらです。
4年ぶりのタイ。バンコクを歩き続けた9日間 17 - チャチューンサオ⑥ バーンマイ100年市場③ タイ式のミルクティー「チャーノムイェン」を一気飲み(2023年11月12日/5日め)


Sâm bông cúc を調べてみたら、
「乾燥ひなぎくを煮出し、
 ミョウバン砂糖を加えたお茶」
であることがわかりました。
香りが良く、
「鎮静、安眠、美容」に効果があるそうです。


左が、ひなぎく茶(Sâm bông cúc)。右は、東源鶏飯オリジナルボトルのひなぎく茶(25000ドン/約125円)。

注文した、ふたり分のセットです。ごはんは大盛で、3人分くらいありました。笑

MIYOが食べたかったチキンと、夫が食べたいと言っていた叉焼。

うーん、夫が撮った写真の方がおいしそうなのはなぜ?🤣

店頭で夫が食べたいと言いはった、麻婆豆腐も付いてます。笑(単品の場合は78000ドン/約390円)

蓮藕紅棗燉湯(Củ sen táo đỏ tiềm bắp heo)。蓮根、ナツメ、豚肉を鶏足のスープで蒸したもの。(単品の場合は69000ドン/約350円)

これはメニューの写真。蒸し上げる前の状態です。栄養価の高いナツメを入れてあり、補血効果があるそうです。


どれもおいしかったです! 食器についていた、東源鶏飯のロゴ。やはりチキンなんですね。笑


チキンもおいしかったのですが、
夫が注文した叉焼が、これまた、
予想を超えたおいしさでした。^^


充実のお昼ごはんになりました。
お腹いっぱいになって、
お店を出ました。


帰り際、入口のキッチンを見たら、お料理はたったこれだけになっていました。何十個も並んでいて、保管庫からどんどん補充されていたのに…。


お料理はあるだけで、
なくなったらおしまいです。
開店時間も早かったようですが、
店頭のお料理はどんどんなくなり、
私たちが食事を終えてまもなく、
お店は早々に閉店となりました。


チョロンに住んでいる人なら、
誰もが知っている、東源鶏飯。


その昔、チョロンに住んでいて、
ベトナム戦争終結後に
国外に逃げた華人が、大勢いました。
そんな彼らの中には、その後何十年もたって、
ベトナムに里帰りする人もいました。


チョロンにやってくると、彼らは、
この東源鶏飯をなつかしがって、
食事しに来たそうです。
お店の奥さん(2代目の呉さん)に向かって、
「あなたのこと、覚えてるわよ。
 小さいころ、このお店にいたよね。」
なんて言いながら…。


チョロンには、
「80年前の東源鶏飯を覚えている。」
という人もいるそうですよ。
まさに、チョロンに住む人々の、
ソウルフードなんですね。^^


ベトナム戦争後、家族でアメリカに逃れた、
ヘンリーとその家族を思い出しました。
「おとうさんが海南島出身だし、
 ヘンリーも、かつてチョロンに住んでいたころ、
 家族でこのお店に来たことが、
 あったかもしれない。」
…と、思いました。


「このお店のこと、覚えてる?」
と、ヘンリーに聞いてみようと思います。


(つづく)

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